想いの告白 8
今言った言葉を信じられないといわんばかりの驚愕の面持ちで聞いていた。
だって仕方ないではないか。それだとまるで――
「……なんで、待たないといけない訳……?」
そう言ったプロディージの声も期待を裏切られるのが怖くて、か細くて弱々しい。多分、情けなく取り乱した顔をメルローゼに晒してしまっているような気がした。
メルローゼは再度気分を落ち着つけるように深く深呼吸すると、精一杯の笑みを……泣きそうになりながら、花開くような美しい笑みを見せた。
「私が甘えたなせいで間違えてしまった初恋を、もう一度最初からやり直したいからよ」
――そう、復縁を希望するかのような言葉を口にしながら。
プロディージは驚いていた。だってメルローゼはプロディージの隣を望んでいるようには見えず、吹っ切れていると思っていたのに。今日一日でそれを充分に思い知って、未練を断ち切ってようやく気持ちの整理が出来たのに――そう、気持ちを刷り込んでいる最中だったのに。
メルローゼはそんなプロディージの動揺に構わず、想いを語り始める。
「私ね、これでもあなたの悪い癖は理解してるつもりでいたのよ? でも怒りっぽい私は表面上の酷い言葉を受け取って泣いて、ソフィに泣きつけばあなたの言葉の意味と慰めをもらえて、酷い事を言ったあなたを叱ってくれるから、自分で考える事はいつからかやめていたみたい。だってその方が楽だったもの」
「それは、でも」
「わかってる。一番悪いのは酷い事を言うあなたよ。……でもそうすれば私達から離れようとしていたソフィを留めておけるから、やめられなかったのよね? 私もソフィが離れて行ったら多分、もっと早くに愛情だってなくなっていたと思うわ。そのくらい私達はソフィに甘え続けていた。……それが間違いだったのよね」
くしゃりと表情を崩して、眉尻を下げている。プロディージだってやるせない気持ちでいっぱいだ。
メルローゼの言う通り、考えを放棄して姉に甘えていたメルローゼ以上に甘えていたのは、プロディージの方だ。しかも甘える為にメルローゼを泣かせ、傷付け、甘えている事すら気付かないとんでもない男だった――プロディージはそうやって姉も婚約者も両取りしようとして、間違えた。
だから被害者であるメルローゼはこんな酷い男との復縁なんか望まなくていい。それを渇望してふいにされ、惨めな思いをするのはプロディージだけでいいのだ。
それを言葉にする前に、メルローゼは畳み掛けてくる。まるで反論は聞きたくないと言わんばかりに。
「販路を理由にして強引に婚約を結んだクセに、結局私はあなたと向き合って酷い言葉に傷付くのが怖くて、そうやって逃げていたわ。ソフィと三人で居ると嫌な事を言われてもすぐ助けてくれるし、二人で過ごすより三人で過ごした時間の方が楽しかった。ソフィを結婚させてもお金を引き出したら出戻らせるって聞いた時は本当に嬉しくて、ずっと三人で過ごせる未来が当たり前だと思っていたの」
私ったら酷い友人よね、と自嘲気味に笑うので首を横に振る。それを最初に提案したのは、金を持っているだけの酷い相手と政略結婚させる気でいたのに、姉の居ない未来を拒絶したプロディージだ。メルローゼはただ、プロディージの我儘に乗っただけではないか。
「だからソフィが王命でここに……王鳥様と代行人様に嫁ぐと聞いた時は本当に驚いたわ。帰って来られるのか不安で、お義姉様なら大丈夫なんて送り出すフリまでしたけど、心のどこかでこんな生贄みたいな結婚ダメになるってまだ思ってた……まさかソフィが嫁ぎ先で幸せになってセイドに戻ってこないなんて、想像もしていなかったわ。だからお手紙で毎日楽しくて幸せだって何度も来て、そこで初めて、もう三人に戻れない事実に愕然としたのよ」
話すうちにその気持ちを思い出したのか、だんだんと俯きがちになる。まるでここ半年間の心境の変化を表しているようみたいに。
「あなたもそれを感じたのか、ずっとピリピリしていたわよね? 私も余裕がなくて、あなたも相変わらず酷い事ばかり言ってくるし、私もすぐカッとなって言い返しちゃうし。だんだんとね、もうダメなのかなって思うようになったの。あなたと二人だとどう接したらいいのかわからなくなった」
それもちゃんと勘付いていたのかと驚いた。メルローゼから見れば理不尽に不機嫌で当たり散らしてくる最低な婚約者だっただろうに、その原因を察するくらい想ってくれていたのか……そんな相手にプロディージは、酷い態度を取り続けていたのか。
ますます自己嫌悪に陥って言葉を紡げなくなるプロディージは、本当に愚かだ。そう再認識している間にも、メルローゼは止まってくれない。
「あなたがどういう人間かちゃんとわかっているつもりだったし、ソフィからもたくさん聞かされていたのにね。でも私は甘えたで、いつもソフィに泣きついていたから、自分一人であなたと向き合うのがこんなに難しい事だなんて思わなかったのよ。そうやって戸惑っている間にもあなたは酷い事ばかり言うし、セイドは注目を浴びてペクーニアでは釣り合わなくなるし、気持ちも政略も伴っていない婚約を結んでいる意味があるのか、このまま捨てられるんじゃないかって考え始めた時に、今回の事が起こったの」
あとは知っての通りだと泣きそうな顔で笑った。
プロディージと婚約者でいる自信が消失して沈んでいた時に、久々に会ったラクトルと会って寝返る口実を作る為にソフィアリアに一度引き合わせてほしいとお願いされ、憧れの人からの頼みだったから安易に引き受けたのだろう。
大鳥関係者となった姉に面会なんてそう簡単に取り次いでいいはずがないけれど、それを口実にソフィアリアに会えればまたプロディージとの間に立って、仲直りの手伝いをしてくれると期待したらしい。だからつい引き受けてしまった。
その翌週、プロディージとメルローゼはまた喧嘩をした。
きっかけは些細な皮肉合戦だったと思う。だが前日に姉から届いた手紙の能天気さに――幸せそうな様子にイライラしていたプロディージはだんだんと言葉が苛烈になっていった。
ここ半年で不満と不安を蓄積させていたメルローゼもそれに触発されて、お互い引くに引けなくなる所まで追い詰められていき、あんな最悪なタイミングで本音をぶつけてしまったのだという。
『ディーと居ても、幸せになれる気が全っ然しないわっ! こんな酷い人なら、婚約なんかするんじゃなかった‼︎』
長年婚約していて初めて言われたその言葉は、プロディージを想像以上に打ちのめした。言われて当然な事ばかり繰り返してきたクセに身勝手にも傷付いて、だがその自分の身勝手さを認められなかったプロディージは反論してしまう――思っても無い言葉を口にして。それがどれだけ自分もメルローゼも傷付ける言葉か理解していながら。
『はっ。幸せとか馬っ鹿じゃないの? これは政略結婚だから君の気持ちなんか関係ないよ。そもそもこの婚約、強制してきたのはペクーニアの方だ。こっちだってローゼと婚約していなければ、今なら学園でもっと好条件の婚約だって望めたかもしれないのにさっ!』
それは正論ではあったが、欠片も思っていなかった言葉だった。なのにショックを受けたという理由で勝手に口から飛び出していたのだから、本当に碌でもない悪癖だ。
ペクーニアからあの時の女の子との婚約の打診が来て、誰よりも喜び、柄にもなくはしゃいだのはプロディージだったくせに。好きな子と一緒に幸せになる未来を想像して、ふわふわと落ち着かない気持ちのままプレゼントまで用意して、メルローゼとの顔合わせの日まで、その余韻に浸っていた――顔を合わせて、政略的な意味だと言われた言葉にその気持ちは叩き落とされたし、その後の自分の対応は最悪極まりないものだったが、それでも幸せな事には変わりなかったのだ。
だがプロディージは未来の幸せを想像するばかりで目先の幸せをこだわらず、幸せにしようという努力を怠るという大きな間違いを犯した。
それに、たしかに今ならペクーニアより好条件――高位貴族から婚約の打診だってくるだろうが、そもそも注目を浴びているだけでセイドはまだ男爵位の末席でしかない。身分や実力不相応のものを求めようとする人間を厭うプロディージから望む事はありえないし、望んでくる人間なんか受け入れる訳がない。
そういうプロディージの性質をメルローゼも知っているはずだから度の過ぎた軽口だと思ってくれるだろうと甘えた結果、思いのほか素直に受け取られ、酷く傷付いた表情をしたメルローゼを見てやらかしたと青くなってももう遅い。気が付けば泣きながら無言で立ち去るメルローゼを、呆然と見ている事しか出来なかった。
馬鹿な話だ。追いかけて弁明しなければならなかったのに、自力で謝る事をしてこなかったプロディージは何もしなかった。プロディージもメルローゼと同じように、もうすぐ姉に会えるからと慢心したのだ。
その結果そうやって激しく喧嘩別れしたまま現妃の圧力で婚約解消と、メルローゼはラクトルとの婚約を成さなければならなくなった。
婚約解消はどうしようもなかったが、ラクトルとの婚約は別だ。ラクトルには相思相愛で公私共に仲睦まじいデイビーが居るのだから、形だけ結んですぐになんとかしようと思ったけれど、自力でなんとかする前に王鳥に連れ去られたのだそうだ。
結果的に仮初の婚約を結ばずに済んだままソフィアリアに会えて、ちょうどいいタイミングでプロディージも近くに居た。
仲直り出来れば再婚約出来るかもしれないと期待したが、ソフィアリアに手酷く突き放され、自立を促された。甘えはもう許してくれなくて、ショックを受けた。
自分で考える事をやめていたメルローゼはソフィアリアに自分で決めなさいと言われてから、たくさん考えたのだという。プロディージの事と、メルローゼの事。たくさん考えて、そういえば言い争いはしてきたものの、お互いに素直な気持ちや本音だけは話し合った事はなかったと気が付いた。特にメルローゼは素直になれず照れ屋で、気持ちを一切伝えた事がなかった。
気持ちだけは考えるまでもなく、ずっと前から決まっている事だ。今更遅いかもしれないが、もうこれしか引き止める手段がないのだから、素直になれないなんて言っていられない――だってどうやってもメルローゼは、プロディージを諦める事なんて出来ないのだから。
「あなたが家格違いの婚姻を疎むのを知っているから、婚約解消した今、もう一度婚約してほしいなんて言えないわ。それもソフィに甘えてばかりであなたと向き合えなかった私となんて、嫌に決まっているわよね。……あなたが興味をなくすのも、仕方ないわよね」
そう言ってくしゃりと表情を崩して、でも涙は必死に堪えている。無理に笑おうとしている表情が痛ましかった。
たしかにプロディージは釣り合いの取れない結婚をする貴族を疎んでいるが、ペクーニアがセイドより劣っているなんて思っていない。返しきれないくらいの恩義があるペクーニアを下に見る日なんて、プロディージの代では一生来ないだろう。
だから誤解を解こうと口を開く前に、最後にもう一度、メルローゼは想いをぶつけてきてくれる。
「だから二年、学園にいるうちに同等にはなれなくても釣り合いが取れるように努力して、ソフィの力を借りずにあなたと向き合うわ。そうやって私は、あなたと初恋をやり直す。……叶わなくてもいい。悔いを残さないように全力を出すから、在学中だけ、私にもチャンスをちょうだい」
健気な言葉を口にしながら、結局堪えきれない涙が一筋、頰を伝っていた。




