想いの告白 3
ソフィアリアの微笑みの正体がようやく掴めたらしいフィーギス殿下は、のろのろと引き寄せられるように近付いてくる。
「先生は……トゥーヒック夫妻は今どこにっ⁉︎」
そう言って珍しく――いや、初めて感情的になり、泣きそうな顔をする程取り乱したフィーギス殿下に肩を掴まれ、揺さぶられた。
ちょっとビックリして思わず手を伸ばしかけたら、その前にオーリムに後ろから抱えられて、フィーギス殿下のおでこを押して距離を離されてしまう。
オーリムにぬいぐるみのように後ろから抱えられて、うっかりドキドキしているのは内緒だ。
「フィー、近い」
「す、まない。つい、取り乱した。……で、先生はまだセイド……いや、もしかしてペクーニアの屋敷にいるのかい?」
動揺を隠して、けれど必死になっているフィーギス殿下の頭をつい撫でて慰めたくなるのは、ソフィアリアが彼の親で先生代わりだという意識がまだ残っているからか……勿論そんな事をすればオーリムが拗ねるので、行動に移す事はないが。
トゥーヒック夫妻――フィーギス殿下の教育係を務めていたトゥーヒック子爵家の老夫婦で、夫は島都学園の学園長をしていた勉学の第一人者、妻は多くの貴族に礼儀作法を教えた先生だった。第一王子に着く先生としてはこの上なくいい人選だったと言えるだろう――それも、十一年前に理不尽に断ち消えたが。
ソフィアリアはゆるゆると首を横に振る。
「いえ。先生達は一年前、コンバラリヤの温泉地に住むご友人の所にご厄介になると言って、湯治に行かれましたわ」
「……先生はどこかお身体を悪くしていらっしゃるのか?」
「夫人のギックリ腰だそうです。治療自体はもう済んだそうですが、温泉が気に入ったので、もう少し滞在なさると仰っておりました」
そう言うとフィーギス殿下もラトゥスもほっとしていた。せっかく生存を知れたのに病を患っているなんて悲劇にならなくて、本当によかったと思う。
「その、セイド嬢は先生が今までどうしていたか勿論知っているはずだよね? よければ聞かせてほしいのだが」
「ええ、わたくしの知っている事でよろしければ。……十一年前、旅行中に襲撃された先生達は命からがら逃げ延びて、ご友人であったペクーニア子爵様のお屋敷に身を潜めたのだそうです」
「先生達はペクーニア子爵のご友人だったのか?」
「ペクーニア子爵様がただの商家だった頃からの内緒のお付き合いだそうですよ? ペクーニア子爵様の秘密主義は徹底しておられますから、友好関係すら探るのは難しかったかと」
夜会であった子爵を思い浮かべ、くすくすと笑う。人柄は温厚そうに見えるし大した繋がりも持っていない、貴族としては成り上がりの弱小貴族かのように見せているが、とんでもない。あれでなかなかの食わせ者で、友好関係だって広いのだ。それでいて善行だけでのし上がっているのだから、本当に凄いお方なのである。
そして王家にすら隠蔽し通せる徹底した秘密主義だ。そんなペクーニアの屋敷は、命を狙われた先生達が身を隠すには、またとない絶好の場所だったのだろう。
「追っ手の確認がしつこかったので、セイドのスラムから似た背格好の男女の遺体を申し訳ないと思いつつ持ち去って、当時着ていた服を着せて、馬車が転落したあたりに落として偽装工作をしたそうです。先生は今でもその日を彼らの命日として、毎年弔っています。……やがて浮かんだ水死体を持ち去ったのを確認して、ようやく完全に撒けたのだと言っておりました」
「あの死体は先生達ではなかったのだね。きちんとお墓を建てて埋葬したのだが」
「まだそのままでもいいのではないでしょうか? 少し縁起が悪いですが、当時の依頼主である王妃殿下もご健在なようですし」
そう言って仕方ないとばかりに肩を落とした。
先生達の代わりにされたスラムの男女もいずれはセイドの地に帰してあげなければならないので、いつまでもそのままには出来ない。
けれど今行動を起こせば、きっとすぐに見つかってしまうだろう。また先生達を捜索し出す可能性もあるので、現妃が失脚するその日まで、現状維持を貫く他ないのだ。
とりあえずお墓の事は脇に置いておき、ソフィアリアは続きを語る事にした。
「スラムに行った時にセイドの惨状を目の当たりにした先生達は、先生の身代わりにさせた二人のような人間をこれ以上作らないように、なんとかしたいと思うようになったのですって。なんとか出来ないかと思ってセイドの屋敷に向かって、お庭で一人で遊んでいたロディを見つけたと仰っておりました」
「そのあたりの事はロディに聞いた。フィーにも伝えている。……彼は先生達の正体は知らないと言っていたが」
「実際知らないと思いますわ。けれど、おそらく王族を教えられる技術を持つ教師と講師だとは勘付いていて、貴族名鑑を読ませればすぐに気付くでしょうね」
或いは、もう既に気付いたかも知れないとくすくす笑う。ペクーニアのお屋敷にあった貴族名鑑は先生が借りてきたものなので、トゥーヒック子爵家の情報はごっそり抜き取られていたのだ。
けれど島都でちゃんとしたものを読み込めば、その正体はすぐ知る事になるだろう。プロディージは隠し事を探り当てるのがとても上手なのだから。
「そうしてロディを足掛かりに原因になっていた祖父を排除して、ロディに次期当主としての知識を施しながら領地の立て直しを手助けしていただいて、次にわたくしを、その次にメルを教育しながら、色々と協力してくださっていたのです。ロディしか居なかった頃は先生もセイドの領地を見回ってくださっていたのですが、わたくしが現れてからはわたくしにそれを託し、先生はペクーニアかセイドのお屋敷から出ないようにしていたみたいですわ」
「万が一追っ手がまだ居て先生の生存を知られると、次に襲われるのはセイドとペクーニアだっただろうからね。まあその頃になるとアーヴィスティーラはもうなかったけど、そんな事知る訳なかったから」
「ええ。あとはお話した通りですわ。わたくし達三人を教育しながら三人で知恵を出し合って、セイドを立て直せるように導いてくださいました。わたくしは特に帝王学まで教えていただいたので、先生には感謝してもしきれません」
王城やまるで自分達の子供代わりだったフィーギス殿下達から引き離された先生達にとっては悲劇でしかなかったと思うが、セイドやソフィアリア達にとっては先生の存在は幸運だったと言える。
先生が居なければセイドは、ソフィアリア達はどうって居たのかと考えるだけでゾッとするのだ。だからソフィアリア達は、先生に生涯頭が上がらないだろう。
「唯一、そんなわたくしをフィーギス殿下の保護下に入れられない事だけはずっと気にされていましたが、王様とリム様に選んでいただいたんですもの。お手紙で王鳥妃になったとお伝えしましたが、驚きつつも安心してくださいましたよ」
そう言ってソフィアリアらしくニッコリ笑うと、フィーギス殿下もいつも通り笑ってくれる。ソフィアリアはフィーギス殿下の先生や親代わりになるのはやめてただの友人になると決めたのだから、これでいいのだ。
フィーギス殿下を導くのも安らぎを与えるのもマヤリス王女がすべき事で、フィーギス殿下だってそれを望んでいるのだから、先生や親代わりの人間なんてもう必要ない。立派に成長して、自立出来たのだから。
そしてフィーギス殿下があの過酷な王城で育ちながらここまで曲がる事なく立派に成長出来たのは、大屋敷という安寧の地でオーリム達という得難い友人が出来て、王鳥が王として立つ為に上手く導いてくれたからだろうと思っていた。
まあ、上手く導いたもののその意思が伝わる事はなく、つい半季ほど前まですれ違っていたせいで、フィーギス殿下には無駄な決意をさせてしまっていた訳だが。
「……フィアが優秀な理由も、フィーに対する気持ちもわかった。けど、先生や親代わりになるなら、なんで側妃なんだ? 先生や親を側妃にするのは違うだろ」
残念ながら全てを聞いても面白くないらしいオーリムはまだ不貞腐れて、ソフィアリアのお腹に回している腕にギュッと力を込める。ソフィアリア達が話している間もずっと抱えたままだったのだ。
嬉しいがさすがに少し恥ずかしくなってきたのと、あとちょっと苦しい。いい加減ソフィアリアをぬいぐるみのように抱えないでもらいたい。
まあ、気が済むまでそうしたいのなら、喜んで我慢する程度のささやかな抵抗だが。
「先生は昔のフィーギス殿下なら当然のように愛のない義務的な政略結婚をすると思っていたのですって。わたくしはそんなお二人の先生や親として、陰から支える相談役が出来ればと思ったみたいよ?」
「……それはフィーの王妃と揉めるだろ。現に今の国王だってそれで揉めてるし」
「フィーギス殿下なら大丈夫よ。それで誰よりも辛い目にあってきたのだから、同じ轍は踏まないわ。わたくしだって先生や親代わりにはなるけど、フィーギス殿下から親愛以上の愛情を向けられたいとは思わないもの。夫婦二人の仲を取り持って夫婦円満に導いて、何かあっても繰り上がりの王妃だけは辞退するわ」
きっぱりとそれは言い切る。何か物言いたげなフィーギス殿下に目を向けて、首を傾げて問うてみた。
「フィーギス殿下はこの話を聞いて、わたくしと恋人らしい触れ合いをお望みになりますか?」
「……難しいだろうね。どうも先生達の顔がチラついて、手出しする事に躊躇いが生まれる」
「あら、ふふっ。それはよかったわ。だってそれは狙っていた事ですもの」
そう言ってコロコロと笑ってみせた。
――恋を諦めていたソフィアリアは、フィーギス殿下からの恋情だけは徹底的に阻止するつもりだった。国が王妃と側妃で荒れていたので尚更、それだけは気をつけようと思った。
とはいえソフィアリアは母似で見目も良く、人に好かれやすい自覚はある。まあ不思議とモテた事はなかったのだが、それでも万が一はあるだろうと考えていた。
だから親代わりだった先生の事を観察したのだ。まさか先生の面影を残す人に恋情を向けるような事はしないだろうと考えた。上手くいくかは未知数だったが、狙い通りになったのなら、なによりである。
「だから側妃と言ってもお飾りでよかったの。たまに王太子夫婦の相談相手になれれば、離宮に捨て置かれるくらいで充分。あとはこっそりでいいから政務のお手伝いでも出来れば、退屈せずにすみそうねって思っていたくらいかしら? これでもまだご不満?」
「……どうせそんな未来はないから、いい」
そう言って更にギューギューと強く絞められる。そろそろ我慢をやめても許されるだろうか?




