喪失の未練 10
「そんな……いずれ消える覚悟があったのなら、その前にリム様達にお別れを言うくらいは許されてもよかったではありませんか……何の為に二年も待ったのですか……?」
考えてみれば、それだって不思議だ。世界が修復される為に存在が許されないのなら、二年前、今の形で生き返った時に王鳥に消されるのが自然ではないだろうか。何故、王鳥は二年間も見逃して、こうしてドロールが行動に移すまで放置したのか。
なら、全てを打ち明けてオーリム達に会いに行くくらいは、許されてもよかったのではないか……そんな甘えた事を考えてしまう。
「ぼくも二年前にすぐ王鳥様が来ると思って待ってたんだ。でもなかなか来てくれなくて、呼び寄せる為に国中でアーヴィスティーラを復活させたりして、ぼくの存在をアピールしたんだけど全然だった。あまり大事にもしたくなかったからただのゴロツキの集まりに留めたのが間違いだったのかなって思ったりして……理由はなんとなく察したけど」
それを聞いてもソフィアリアはピンと来なかった。強いて言えばそれを解体する為に今回オーリム達が飛び回っていたのだろうという事くらいだ。それはわかるが、何故そんな暴挙すら黙って見過ごしていたのか、ソフィアリアには察する事が出来なかった。
ドロールは言い聞かせるように教えてくれる。
「未練を残したまま消されると、多分またぼくは生き返ってしまうからなんだ。今まで放置されたのは、ぼくの未練が完全に消え去ったのが半季前だったからかな……本当は半年前でもよかったんだけど」
「半年……わたくしがここに来た時期で、半季と言う事は、リム様と両想いになるまで待ってくださったのですか……?」
「正確には、リムがきちんと幸せになるまでね。それを待って、すぐに王鳥様が来ると思ったんだけどなかなか現れないから、ぼくの方から呼び寄せちゃった」
そう言われて、今回の婚約解消騒動はソフィアリアのせいだと思っていたけど少し違ったのだと思い至った。
「王妃殿下やイン・ペディメント侯爵家と接触しロディとメルの婚約を解消させたのは、王様をおびき寄せる為だったのですか?」
「うん。悪いとは思ったけど二人はちょうど揉めているみたいだったし、ラクトル様がペクーニアのお嬢様に接触していたのを見たから使えそうだと思って。もうすぐ君の弟が君に会いに行くって知っていたしね。王鳥様にとって二人の婚約はどうでもよくても、君は見過ごさないってわかっていたから」
それはそうだと思い頷く。ソフィアリアが気にするから王鳥も二人の事を目を掛けざるを得なくて、その裏で暗躍するドロールを無視する事はもう出来ない。そう思ったから今回の騒動が起こったのか。
「たった二週間で準備するのは大変だったけど、大鳥様の力を使って結構好き勝手したから、これで王鳥様はもう、ぼくの事を許さないかなって……ごめんね、二人の婚約の事もそうだけど、君に怪我までさせちゃって」
そう言って首筋、おそらく傷口に触れたのか、ピリッとした痛みがはしる。けれど温かいのが不思議で目をパチパチさせていると、それがおかしかったのかくすりと笑われてしまった。
「……ごめん、傷は治せないみたいだ。でも、そのリム色の服は綺麗にしたから、それで許して」
「そんな……ありがとうございます。このドレスはお気に入りだったので、直してもらえて嬉しいです」
「そっか。リムは幸せ者だね」
そう言ってふわりと笑った瞬間、ゴボリと粘り気のある咳をしたので目を見開く。口元を押さえ顔を横に逸らしていたのは、隙間から漏れる血をソフィアリアに浴びせない為か。
ソフィアリアは彼が死んでしまいそうな恐怖に目を見開いて、思わずドロールの肩に手を添えた。
「ドロール様っ⁉︎」
「ははっ、ごめん。王子様を逃して二人きりだったら、リムと王鳥様が迎えにくるまでこの次元にいられると思ったけど、やっぱり無理みたい。だからもう、君も逃げて? 必ず出口までは護るから」
「なら、せめて一緒に……」
そう言って手を引いて立ちあがろうとしたけど、ドロールは首を横に振る。ソファから立ち上がろうとしないまま、ふわりと微笑んだ。
「行けないよ。……言ったよね、ぼくは侯爵位の大鳥様と同じような存在で、侯爵位の大鳥様は死ぬと世界に悪影響を及ぼすって」
言った。けれど強張った顔のまま、首を大きく横に振る。わかっているが、聞きたくなかった。
「この短期間で二羽も侯爵位の大鳥様が亡くなると、悪影響どころか世界が壊れるんだって。だからそれを防ぐ為に、ぼくはこの人間の住む世界とは別次元のここで、王鳥様に殺されなければならないんだ。せめて影響が少なくなるように、世界が壊れずに済むように。……ごめん、君を巻き込んでしまって」
「いいえ……いいえっ! 何故最期の話し相手に初対面のわたくしを選んでくださったのかは存じ上げませんが、お話できて幸せでした。けれど……!」
「さっきの質問のもう一つの答え。カッコ悪いんだけど、ぼくは弱いから、ロムとリムに会えばきっと生きたいって新しい未練になった。だから、二人には会えなかったんだ。でもやっぱりぼくの言葉を二人に伝えてほしくて、話しても未練にならない君を選んだ。……迷惑な話だよね。ごめんね」
そう言って本当に幸せそうに笑うから、首を横に振る事しか出来ないのだ。
ぐらりと地面が揺れる。思わずよろけてソファに手を付くと、けたたましい音が響いて天井の端が崩れ落ちてきた。
ギュッと悲鳴は抑え込んだものの、恐怖で身が竦む。パチパチと炎が燃え、次々と崩れ落ちてくる天井に動けずにいた。
ふわりと、そんなソフィアリアを護るようにドロールが覆い被さった。十歳のミクスの身体は病弱だったが故に小さいので全てではないけれど、ソフィアリアの身はそうやって安全に護ってくれた。
「ドロール様!」
「っ! 君に防壁を張った。安全は保証するから大丈夫。それに、近くにリムも来てる。だから二人に伝えて? ぼくは――――」
そう言って言われた言葉を耳と心に深く焼き付ける。一言一句取りこぼしのないように、ポロポロと涙を溢しながら、大きく何度も頷いた。頷きながら、ドロールと共に帰りたいという未練を断ち切った。
肩を押され、顔を上げさせられる。その時のドロールの……ミクスの顔をしたドロールの表情を、ソフィアリアは一生忘れない。
「さあ、行って。本当は君の心にぼくが残らないように酷い奴として別れて、言葉だけ二人に伝えてもらう予定だったんだけど、やっぱりぼくはぼくのまま、リムのお姫さまに……ぼくの従姪と話せて、嬉しかったよ」
「わたくしもリム様のご友人に……お父様の従兄弟であるドロール様とお会い出来てよかったですわ。優しいあなたの事、こうして話せた束の間の時間、生涯忘れません。言葉もきちんとお二人にお伝えしますので、安心してください。……こんな大切な役割を担う相手にわたくしを選んでくださり、ありがとうございました」
「こちらこそありがとう。……そして、さよならだ」
「ええ。では、ごきげんよう」
そう言って精一杯の笑みを浮かべて、お互い笑い合う。そんな短い逢瀬の時間を記憶に焼き付けて、ソフィアリアは足に力を入れて、扉の外へと飛び出した。
途端、すぐ後ろから大きな落下音が聞こえて心が酷く軋んだが、ソフィアリアは振り返らなかった。振り返らないまま、前だけを見据えて闇雲に走り出す。
ここは次元が違うと言っていたが、見た目は大ホールの貴賓室の通りだ。大ホールへの道は炎で閉鎖されていて、反対側の――ソフィアリア達が案内された部屋の方へと向かう。
出口なんてわからないが、近くにオーリムが来ていると言ったのだからすぐに見つけてくれるはずだ。だから待っていてもよかったのだが、まるで誰かに導かれるように走り続けていた……足を動かしていないと、二度と立ち上がれない気がした。
「フィアっ‼︎」
だから最愛の人の姿を目で捉えて、安心してくしゃりと表情を崩してしまう。オーリムはすっかり弱りきったソフィアリアの姿に驚いて目を見張っていたが、神妙な面持ちで頷くと、ソフィアリアをギュッと力強く抱きしめた。
「ラズくん……わたく、し……」
「今はいい。……ここから出よう」
「あのね、あの方は」
「知ってる。大丈夫だから、行こう」
そう言ってヒョイっと横抱きに抱えられ、ソフィアリアが走る何倍も早く走り出す。
ドロールの最期の願いであり、王鳥妃としてはこうする事が正解とわかっていても、オーリム達の友人を見捨て、逃げたような形になったソフィアリアは、罪悪感で顔を上げられなかった。
――ああ、今わかった。王鳥の言っていた辛い決断というのは、この事だ。優しいドロールの言葉に耳を傾けて願いを聞き入れ、そのまま見殺しにして一人だけ逃げるという、この決断こそが王鳥の望む答えだった。それをようやく理解した。
やがて二人は重苦しい空気を纏ったまま、みんなと過ごした貴賓室へとやってくる。火の中を物ともせず突っ切って中に入っていくと、そのまま破れた窓から外に飛び出した。
ソフィアリアは驚くこともなくぼんやりとそれを眺め、飛び出した外が同じ貴賓室でも動じなかった。そのまま走り出すオーリムにずっと、身を委ねていた。
そのまま廊下を走り抜け、大ホールに出て中庭に飛び出す。いつの間にかはらはらと雪が降っていた――そんな空を、ぼんやり眺めていると
「リム! ソフィアリア様!」
二階からプロムスが飛び降りてくるのが見えた。中庭のすぐそこにはキャルの側にいるみんな。フィーギス殿下の姿もあったのでほっとした。どうやら無事あの場所から抜け出せたようだ。
みんなが駆け寄ってくるのを尻目にオーリムに降ろしてもらうと、ソフィアリアは顔を上げ、どこか気落ちしているオーリムと、心配そうな目でこちらを見てくるプロムスの二人をまっすぐ、目を逸らす事なく見つめて、口を開いた。
「――『ロム、リム、大鳥様を利用しようなんて馬鹿な事を考えてごめん』」
「ソフィアリア様……?」
オーリムとは違い事情を掴めていないプロムスが困惑しているが、早く伝えたいソフィアリアはそのまま続ける。
「『こんな事になって、一緒に侍従になれなくてごめん。まだぼくの事を話してなかったのに、勝手にいなくなってごめん。ぼくの事はお姫さまに伝えてあるから、興味があるなら聞いて』」
この言葉が誰の言葉かわかった二人は、じわじわと目を見開いていく。ソフィアリアはまずは彼の望んだ順番通り、一番の友人だったプロムスを見て口を開いた。
「『ロム、ここに来て真っ先に声を掛けてくれて、リムに会わせてくれてありがとう。代行人様は近寄りがたい神様ではなくて普通の人間だって知れてよかった。ロムのなんて事ない冗談に翻弄されたけど、リムと二人して騙されるのは嫌いじゃなかった。出来ればぼくも一緒に侍従になりたかったよ。――最愛の幼馴染と幸せにね』」
「…………ロー」
今度はオーリムの方を向き、言葉を伝える。
「『リム、君もようやく幸せになれたみたいでよかった。ぼくでは君を救ってあげられなかったけれど、ほんの少しだけでもぼくに心を開いてくれて嬉しかったよ。君はぼくと本質が似ていたね。君に仕える日が本当に楽しみだったんだ。――君のお姫さまと王鳥様と三人で幸せにね。そしてぼくの従姪をよろしく』」
一言一句間違えることなく言い切ると、グッと表情を歪ませる二人を見ないように俯いた。けれどよく知った温もりに優しく包まれたから、二人の顔を見ずに――二人にソフィアリアの酷い顔を見られずにすんだ。
「……ありがとう、フィア」
「ありがとう、ございます。ソフィアリア様……」
そう言った二人の声音が震えと涙交じりだったのが、耳にいつまでも残り続けた。
仲違いした訳ではないが、あんな最期だったのだから喧嘩別れしたようなものだったのだろう。
これで三人は仲直り出来て、元の仲良し三人組のまま、ようやくお別れする事が出来ただろうか?
そうだったらいい。彼が放った炎と一緒に未練も燃え尽きて、灰になって喪失してしまえばいい。この真っ白な雪が綺麗に浄化してくれたらいい。
あの優しい人をこれ以上未練なんて悲しい形で、この世に縛りつけるべきではない――もっと一緒に過ごしたかったなんて未練を抱えるのは、これからを生きていくソフィアリア達だけに許されるべきなのだから。




