喪失の未練 9
「リム様とプロムスの絶望した顔がドロール様の未練となってしまわれたのなら、何故この二年間、一度も会いに行ってあげなかったのですか? たとえ姿が違ってもドロール様にもう一度会えたら、二人はきっと喜んだはずです」
まるで情に縋るようなその声は、泣きそうに震えていた。ドロールはそれを、困ったように笑って首を横に振る。
ソフィアリアだってわかってはいるのだ。死んだ人間は決して生き返る事はないし、たとえ奇跡だろうとそんな事はあるべきではない。死は当人にとって終わりで、周りの人間にとっては明日を生きる為に乗り越えなければならない試練だ。
生き返りはそのどちらも否定する。死を恐れず、いつか帰ってくるからと死の悲しみもわかない人間なんて、幸せな歪みでしかない。わかっていてもこうして目の当たりにすれば、その奇跡に縋るソフィアリアはなんて弱いのだろう。
くしゃくしゃな顔をしたソフィアリアに、まるで兄のような目をして頭を撫でてくれるドロールはどこまでも優しい。けれど生き返りなんて歪んだ生を受けた彼は、はたしてこれからどこへ行けばいいのだろうか。
友人達の元にも帰れず、見た目は成長しない子供で、中身は優しいこの男性の居場所はどこにあるのだろう。
全てを隠したまま受け入れて迎え入れる、ソフィアリアがやらなければならないのはそれなのかもしれないと都合よく考えてみた。なのに――
「たしかにぼくはあの時の二人の表情が未練だった。けど、今はそうでもないよ。ロムも最愛のアミーと結婚して、リムもずっと恋焦がれていたお姫さまともうすぐ結婚出来る。あの時の絶望は二人にとっては既に乗り越えた過去になって、もうあんな顔をする事はない。だから、ぼくの未練なんて全てなくなった後なんだ」
「なら、ドロール様は何故こんな事をしたのですかっ! どこか遠くで幸せに過ごす事も出来たのに、何故王様やリム様とまた敵対するような事を…………」
そこまで言って気がついた……気が付いてしまった。その思いついた考えに、ソフィアリアはサッと顔色を青くする。震える手にギュッと力を込めて落ち着こうとするが、その力も空滑りしてしまった。
ソフィアリアが気付いた事に気が付いたドロールは、なんでもないようにふわりと微笑む。そんな表情を平然と見ている事など、到底出来はしない。受け入れるなんて無理だ。
「……ヨーピの知識なんだけど、侯爵位の大鳥様はこの世界に溶け込むにはあまりにも力が強過ぎて、死ぬ瞬間にその大き過ぎる力が放出されて、世界を歪めてしまうらしいんだ」
「世界を……歪める……」
「王鳥様がヨーピを最初は見逃した理由もきっとそこにある。その歪みはどんな形でこの世界に悪影響を与えるのか未知数だったから、王鳥様は躊躇った。その歪みは長い年月を掛けていずれは修復されるみたいだけど、その間にどんな被害が出るかわからないんだって」
「だから、王様は足になっただけという理由でヨーピ様を許す事にしたのですね。ヨーピ様への温情ではなく、世界を護る為に――それがどれほどヨーピ様を苦しめるか分かっていながら、王様はヨーピ様の心境よりも世界を優先しなければならなかった」
王鳥――いや、王らしい考えだ。多数を生かす為に少数を犠牲にしてその結果を背負う事は上に立つ以上、必ず求められる。
だから王鳥はヨーピを切り捨てて、世界を選んだのだ。たとえそのヨーピが侯爵位の大鳥という強大な影響力を持つ一羽の神様でも、世界と天秤にかけて選ばれる程のものではなかった。
「ヨーピだってそれは理解していたけれど、ラーテルを失った悲しみが深過ぎて、そんな事まで考えが及ばなかったみたい」
当然だよねと苦笑するので頷いた。それを考えつく冷静さを取り戻していれば、こんな事にはなっていない。
けれどそれは大鳥の習性を思えば、ある意味仕方ない事なのかもしれない。
大鳥の愛情は狭くて深い。親子であっても子が一人前になればお互い他人で、友達すら作らない孤高な存在だ。
そんな大鳥はその分、伴侶と自分が選んだ鳥騎族にはとことん愛情を注ぎ、何よりも大切にする。鳥騎族の方から縁を切るような事をしなければそれは生涯変わる事なく、その友好範囲すら口出しするほど執着するのだ。
自分が選んだ鳥騎族を失ったヨーピが悲しみのあまり冷静さを欠くのはその習性を思えば当然で、当たり前のように世界よりフラーテという個人を選んだ。
今まで鳥騎族でありながら犯罪に加担していた人間がいなかったおかげで表沙汰にならなかった「鳥騎族が罪を犯した場合、大鳥はどういった行動に出るのか」という問題を、よりによって侯爵位の大鳥と契約していたフラーテが初めて引き起こし、表面化させてしまった。その罪の重さと影響力は計り知れない。
世界に及ぶほどの強い影響力を持つ侯爵位の大鳥が重犯罪を犯した人間に加担し、一度は見逃されたものの結局最期は破滅した。その結果まず世界にどんな悪影響をもたらしたのか、言われなくても想像がつく。けれど認めたくなくて、ゆるゆると首を振った。
ドロールはソフィアリアの両肩に手を添え、まるで聞き分けの悪い子供に言い聞かせるかのように、その残酷な事実を口にする。
「ヨーピは我慢出来ずに思いのままに振る舞って、結局消される事になってしまった。無理矢理消してしまった分出来た歪みは大きくて、すぐに悪影響が出た。ヨーピとヨーピが契約した人間の魂が絡め取られて、同時刻に死んだ子供の身体へと結びついてしまったんだ。その魂の中から一番未練の大きかったぼくが主人格となり、一番力の大きかったヨーピの力が備わった。そんな歪んだ存在がぼくだ」
「でも、それだけです」
「そう、そうやって新たに生まれただけ。でも本来居てはならないぼくが居る事で、世界の歪みは修復される事はないってわかってしまったんだ。だから世界を正しい形に戻さないといけない」
そこから先を聞きたくなくて首を振る。けれど、ドロールはそれを許してくれず、残酷な現実を自ら突きつけた。
「ぼくは、ここに居てはいけないんだよ」
その言葉にポロポロと涙が溢れる。ドロールは一度、ほとんどヨーピに巻き込まれるような形で不慮の死を遂げたはずなのに、もう一度死ねと言うのか……こんな優しい人に、世界の為にもう一度。
ドロールは指で涙を掬ってくれながら、なおも現実を突きつけてくる。
「ぼくの見た目はミクスという男の子、人格はぼくだけど、存在自体は侯爵位の大鳥様と同等でね。魔法だって侯爵位の大鳥様と同じように使えるけど、身体がただの人間の子供だから、力を使えば全身が悲鳴をあげる」
それが、オーリムでも使えない魔法をドロールが行使してみせた理由だと言う。吐血し苦しんだ理由だと、そう言った。
「でも死なないんだ。大鳥様は自死が出来ないから、身体が壊れても魂が漂って、また新たな死体と結び付くだけみたい。そうなると次はぼくか、新しい身体の子か、どちらの人格が優先されるのかわからなくて、そうやって死人の魂を絡め取りながら膨れ上がるといずれは手に負えなくなってしまう。力が大鳥様である分タチが悪くて、だからぼくの代で終わらせないといけないんだよ」
ソフィアリアが受け入れたくない現実を、ドロールは穏やかな表情で受け入れている。理屈ではそうすべきだと自分でもわかっているのに、ドロールという個人と対話し、人となりを理解したが故に情がわいてしまい、だからこそ心がこの残酷な現実を拒絶する。
ソフィアリアはそうやって、また間違えていく。




