喪失の未練 5
――時は少し遡り、オーリム達が必死で大ホール内を駆け回っていた頃。
プロディージ達はオーリムの指示で大ホールから脱出して、庭園へと避難していた。
外に出て気付いた事だが、大ホールを包む炎は周りに広がる事はなく、まるで壁に阻まれているかのように大ホールのみを包み込んでいる。
不思議な光景だが、おそらく王鳥が何かやったのだろう。火を封じ込める事が出来るのなら、さっさと鎮火すればいいのにと思わなくもないが、それは出来ないからこそああしているのかもしれない。
建物から充分に離れた熱気すら感じない場所、花壇の近くでぼんやりとその光景を見ていたのだが、すとんと近くに何か着地した音が二つして、そちらに視線を向ける。
視線の先にいたのは王鳥と、今日ここまで一緒についてきたキャラメル色の大鳥だった。たしかプロムスと契約していた大鳥と言っていたような気がする――そのわりに、姉の侍女に付き纏っているが。彼女がプロムスの奥方だからだろうか。
大鳥は契約者と好みが同化すると読んだので、それでだろうと納得する事にして、プロディージは王鳥を見上げた。
「……先程はなんでオーリムを傷付けて、姉上を攫わせたんです?」
「プーピ」
当たり前だが、王鳥の言葉なんてわからなかった。なんだか馬鹿にするような声音と視線にイラッとしたので、溜息を吐き無視をする事にする。話しかけた自分が馬鹿だったと反省した。
姉が王鳥を信じていると言ったのだから、きっと何か理由があるのだろう。正直人の姿をした大鳥に攫われるなんていう未知の危機に直面している姉に思うところがない訳ではないが、プロディージがそこまで気にしても仕方がない。実質もう嫁いだようなものなので、あとはオーリムに任せるのが一番だろう。
「私、あなたもソフィを探すって名乗り出るかと思っていたわ」
隣で同じく燃え盛る大ホールを見ていたメルローゼがそんな事を言うのを横目で見て、また大ホールに視線を戻す。
「姉上の事でもう僕が出る幕はないでしょ。相手は大鳥様だし建物は燃えているし、ただの人間である僕が出しゃばっても足を引っ張るだけだってわかっているからね。裏切り者の王鳥様はともかく、あのオーリムがなんとかするよ」
「ビー」
ゴスッと頭を突いてくる王鳥をジトリと睨む。オーリムを刃物で傷付け、行く手を遮ったところはしっかり見ていたのだ。裏切り者に裏切り者と言って何が悪いのか。
それはともかく、たしかに名乗り出る事も考えた。姉をメルローゼと同じくらい大切な人だと認めたプロディージだって、一緒に手伝うべきではないのかと思わなくもなかった。
けれど、はたしてそれは本当にプロディージ自身がやるべき事なのかと迷ってしまった。少しでも足を踏みとどめたのなら、やめておくべきだ。
相手はプロディージに勝算が欠片もない大鳥で、そんな大鳥相手でもおそらく勝てる人間が、姉を一番だと言うのだから。
お互いに変な執着を捨ててただの姉弟になると決め、姉をもう一番だと言えないプロディージには、そこまでの無謀は行えない。そう、思ってしまったのだから。
オーリムがプロディージの選択に満足そうに笑っていたから、きっとこれでよかったのだろう。
「ふーん、代行人様を信頼してるんだ?」
「信頼というか、あれが姉上の旦那だからね。弟でしかない僕は、もうお呼びじゃないって理解してる」
そうきっぱり言い切ると何か物言いたげな視線を感じたが、そちらを見なかった。そうするとメルローゼも諦めたのか、ふっと溜息を吐いてむくれている。
「なんか急に大人ぶっててやな感じ。あんだけ拗らせたシスコン抱えてたくせに」
「は? どういう意味?」
「言葉通りの意味でーす」
ベッと行儀悪く舌を出して、ぷいっとそっぽを向いている。
その行動にカチンときたが、ふとプロディージですら姉に並々ならぬ想いを抱えていたと知ったのは最近なのに、メルローゼは拗らせたシスコンを抱えていると気付いていたのかと思って、なんだか心がザワザワと擽ったかった……今更そんな風に思っても、どうしようもないのだが。
「ああ、よかった、メル。君達も避難出来たんだね」
と、中庭に避難していたのだろう人の集まりの中から一人、ラクトルがこちらへ駆け寄ってくる。あちらでは突然姿を現した王鳥を見て騒ぎになったのか、いつの間にか注目を集めていたらしい。その側に立つメルローゼの姿を見つけて、こちらに来る事にしたようだ。
メルローゼはラクトルを見て、安心したようにパッと明るく笑っていた――のを見たくなくて、一瞬で目を逸らしてやったが。
「トール兄様もご無事でよかったわ! お客様は皆様、無事に避難出来た?」
「ああ、なんでも不思議な力が助けてくれたらしい。全員無事で、逃げ遅れた人はおらず、怪我人も出ていないのを確認したよ。今は帰宅してもらっているところさ」
そう言ってお互いに仲睦まじげに微笑み合う。
確かにかつては交流があり、婚約の話が出ていたくらい仲が良かったらしく、けれど再会したのは最近だったはずだ。なのに随分といい雰囲気ではないか。
結ばれる運命とはこういう事だと見せつけられたような気がして、酷く気分が悪かった。
そんなプロディージを他所に、話は進んでいく。
「私共をお護りくださったのは王鳥様ですね? ありがとうございます。この御恩は生涯忘れず、末代まで心に刻みましょう」
「ピ」
ラクトルは心からの笑みを浮かべながら左胸に手を当て、深く頭を下げる。王鳥も鷹揚に頷いているし、メルローゼを横取りしたのにお互い認め合うのかと、どうにも面白くなかった。
このラクトルという男は寝返りを宣言して以降、メルローゼといい大屋敷といい、プロディージにも関わる領域に無遠慮に押し入って範囲を拡大してくる。それが気に入らない。
そんな彼はキョロキョロとあたりを見渡し、何かを探しているようだった。
「メル、代行人様と王鳥妃様、フィーギス殿下と王妃殿下は……?」
そういえば、よりによって今日招待した最も位の高い貴賓四人が、この場から居なくなっているんだった。メルローゼはそれには困った顔しか出来ないようだ。
せっかくの機会なので私怨には蓋をして、プロディージは知りたい事を尋ねておく事にした。
「王鳥妃様とフィーギス殿下はイン・ペディメント卿のところのミクスという従者と一緒のようです。彼は何者ですか?」
「……? ミクスとは誰の事だい?」
不思議そうな顔をしてそんな事を言うから、プロディージはすっと目を細める。馬鹿にされているのかはぐらかされているのかと思ったが、どうも本当に心当たりがないのか、困惑しているようだ。
なんだか嫌な予感がして、再度尋ねる事にする。
「先程王妃殿下達と一緒にいた時に、火事だと呼びにきていた子供です。その子供に言われたからこそ、卿はあの部屋から単身飛び出したのではありませんか」
「すまないが、何の事だかわからない。確かに私の独断で途中で御前を失礼したが、誰かに呼ばれた訳ではないよ。子供なんて夜会には呼んでいないはずだ」
そう言い切るので、思わずメルローゼと顔を合わせる。メルローゼはミクスを覚えているようで動揺していたが、ミクスの中身はおそらく神である大鳥だ。人の記憶から消える事も容易なのかもしれないと納得する事にして、とりあえずバッと頭を下げた。
「……申し訳ございません、初めて火災に直面して動揺しているようです。別の人と間違えました」
「動揺しているようには見えないが。まあ、頭を上げてくれ。私は気にしていないよ」
「ご迷惑をお掛けしました」
とりあえず自分の勘違いという事にして、この会話を流す。不思議そうな顔をされたが、どうも心配もされているようで渋面を作った。
たしかにラクトルから見れば一回り近く年下だが、取るに足らない子供扱いされているようでなんとなく嫌だ。実際、彼に太刀打ち出来るところはないに等しいのだが。
「……代行人様達とフィーギス殿下は王妃殿下を追いかけて行きました。ですが、おそらく捕まえる事は難しいでしょうね」
王鳥妃である姉と王太子であるフィーギス殿下が攫われたなんて言えば、たとえ所有する大ホールを燃やされた被害者なのだとしても、イン・ペディメント侯爵家、またはペディ商会の責任問題になるのでそういう事にしておく。せっかくフィーギス殿下の強力な後ろ盾が手に入ったのに処罰されるなんて、色々と御免だろう。
無難にそう伝えるとラクトルは溜息を吐いて、頭を抱えていた。
まあ、仕方ないかと思う。何せ王妃殿下がこの大ホールの放火犯になり、けれど証拠がないのだ。おそらく捕まえても責任を問う事は出来ないし、認めないだろう。
「……そう。なら、そちらはお任せするしかないか。ではメル、少しあちらで話せないか? 今のうちにお礼と、今後の話がしたいんだ」
そう言って視線で背の高い生垣の向こうを指す。こんな時に何言ってるんだとジトリと睨むが、メルローゼはあっさりと笑みを浮かべ、首肯していた。
「えぇ、私は構わないわよ」
「よかった。なら、行こうか」
そう言ってエスコートするかのように手を差し出すと、メルローゼは当然のようにその手をとった。まるでプロディージの存在など居ないかのような二人の雰囲気にイラッとする。
だからといって何も出来る事はない。二人から見えない場所で、拳を握ってこの空気に耐える事が精一杯だ。
二人は並んで行ってしまう。ラクトルは思っていた以上に誠実でメルローゼを大切にしているし、メルローゼだって側にいるのが嬉しいのか、安心しきって頼っている。長年一緒にいたプロディージには終ぞさせられなかった表情だなと、ぼんやり思う事しか出来なかった。
派閥の件だって何も問題なくなった今、二人が望むだけで好きな関係を築いていけるだろう。メルローゼとの関係を壊したのは自分のくせに、それが羨ましくて妬ましい。
二人の背中を見送っていたら、メルローゼだけピタリと足を止め、振り返る。
「ちょっと、あなたも来なさいよ」
「は? なんでさ」
「あのねぇ……今のあなたは王鳥様達の代理で、私を護ってくれるのでしょう? だったら来るのっ!」
そうぷりぷり怒りながら行ってしまうが、言われた言葉は理不尽極まりない。ラクトルのエスコートを受け入れたのはメルローゼだし、何故、元婚約者が口説き落とされる瞬間に立ち会わなければならないのか。
「ピ」
だがゴンっと王鳥に背中を押された。思わずよろけてしまったのでギッと睨みつけるも、視線で早く行けと促されるだけ。
王鳥に言われれば断る訳にもいかず、楽しく話す二人を視界に入れないようにそっぽを向きながら、少し離れた所から渋々とついていく事しか出来なかった。




