喪失の未練 4
部屋の外は、炎に包まれていた。
パチパチと建物が燃える音、充満していく煙。それらを見て条件反射で口元を覆うが、別に熱くも煙くもない。どうやら本当に、防壁で護ってくれているようだ。
その事に安堵して、フィーギスは駆け足気味で、頭に叩き込んでおいた見取り図を頼りに出口を目指す。
未知の話である次元云々はともかく、場所だけみるとここは大ホール奥の貴賓室のある奥まった場所。もう少し奥に行けば、会場入り前にみんなで過ごした控え室があるのを知っている。
だからまずはその反対、大ホールの方を目指す事にした。
走って、走って、だがすぐに異変に気付く。
「……ふむ、ずっと同じ道を走っているだけだね?」
その廊下は延々と続いていた。本来この廊下は、こんなに長くはなかったはずだ。となると、次元が違って閉じ込められているという話も本当なのだろう。
立ち止まってすぐ側の部屋を開けると、ありえないことに長い廊下が続いていた。この部屋は客室だったはずだ。
そこに足を踏み入れる気にはなれずに引き返す。すると長く廊下を走っていたはずなのに、すぐ元の場所に戻ってこれた。
なんとなく元いた部屋の扉を開けると、その部屋は厨房になっていた。意味がわからないが、とりあえず扉を閉めてまた開ける。今度は客室だが炎に包まれており、ソフィアリアとヨーピがいる部屋ではない。
これは、なかなか難解な迷路だと苦笑し、念の為扉を閉めて、少し考えを巡らせてから、今度は奥に向かって走り出す。
走りながら考えるのは、先程のソフィアリアの事だ。
ソフィアリアはフィーギスにあのような視線を向けた事など一度もなく、少しでも向けられていればすぐに察知し、距離を取っていただろう。あれはその類の表情だった。
決して自慢ではないしフィーギス本人はむしろ疎ましく思っているのだが、有望な王太子という身分とこの美貌のせいで、フィーギスは大変モテる。それこそ、出会った女性のほとんどは一度は自分に惚れるのではないかという程に。そこまでいくともうただの挨拶のようなものだと、逆に気にする必要もなく躱しやすい。
そんな中で、最初からただの友好以外の感情をぶつけてこなかった数少ない一人がソフィアリアだった。上手く隠していたのなら大したものだと感心すら覚えるが、正直それどころではない。
他の人から秋波を送られるのとは違い、フィーギス本人もソフィアリアに何かしら惹かれているのだ。だから下手な恋愛感情なんてチラつかせられれば、多少ぐらついてしまう気がしている。はっきり言って、好意を寄せられるのが嬉しいと思っている自分がいた。
勿論、だからといってそれに応える気はない。フィーギスにはマヤリスという最愛が居て、ソフィアリアは神である王鳥と、フィーギスにとっては弟分的な存在であるオーリムが、長年恋焦がれ続けた相手だ。そんな相手とどうにかなりたいなんて思わない。
だから余計な感情なんて、二人の間には必要ないのだ。このまま穏やかに、お互いよき友人であればそれだけでよかった。
そう思うのに――
「告白が楽しみだなんて、マーヤになんて詫びようか」
それが、どうしようもない本心なのだ。
言葉にされれば自分の中のソフィアリアに対する気持ちが変質するのを理解しているのに、それを心待ちにしている自分がいた。だから耳を塞いでしまいたいが、残念ながら生きてここから出られれば、告白を受ける約束をしている。
なんて事をしてくれるのだろうか。行動に移す気はなくても気持ちが移ろうなら、これはマヤリスに対する明確な裏切りだ。だから楽しみな反面、何よりも心苦しい。
あと王鳥とオーリムの反応が純粋に怖い。オーリムは言わなければバレる事はないだろうし、なんとでも誤魔化せるが、王鳥は絶対勘付いて、鋭く釘を刺してくる事は目に見えていた。何をされるかわかったものではない。
ぐるぐるとそんな事を考えているうちに、奥まった場所まで辿り着いた。どうやら先程のように、延々と廊下が続くなんて事にはならなかったらしい。
特に根拠はなかったが、フィーギスは会場入り前にみんなと過ごした貴賓室の扉を開けた。中は――他の部屋よりも激しく燃え盛る、みんなと過ごした貴賓室だった。
それを見て確信し、意を決すると炎の中へと入っていく。
「摩訶不思議であちこちと繋がる部屋を見た後に、見取り図通りの部屋を見つければ、逆におかしいと勘付くものだね」
思わず独り言を呟き、部屋のあちこちを見渡していく。
この部屋は本日、現妃から使用権を奪ったようなものだ。攫われる前に無数の爆発音がしていたが、現妃が気に入らず破壊を指示するとしたら、確実にこの部屋だろうと思っていた。
ソフィアリアとフィーギスを攫って次元の違う場所に隔離するなんて現妃は知るはずもなかっただろうが、爆心地に指定しただろうなと思っていた。あのヨーピと自称した彼は、どんなものであれ確実にこの部屋で魔法を使ったはずだ。
だから勘を頼りに来てみたのだが、どうやら本当に当たりらしい。次元の綻びとは何か全く予想もつかないが、きっと何かあると確信していた。
だが――
「っ! ぐっ、ごほっ!」
思いっきり煙を吸い込んでしまった。心なしかぼんやり熱も感じるし、防壁が薄まったのか、もうすぐ約束の二十分が経つのか。
どうやらもうあまり時間はないようだと理解して、素早く部屋のあちこちを見て回った。途中、上着の裾に火が燃え移った事に気付き、慌てて脱ぎ捨てる。
口元にハンカチを当て、煙と涙で目が霞む中、必死に部屋の中を探した。
ふと見た窓の外。そこで違和感に気付いた――絶対にこれだ、と確信した。
けれどそこでふっとより強く煙と熱さを感じ、ぐらりと視界が揺れる。
「まずっ! っ、ゴホ、ゲホッ!」
どうやらあと少しというところで防壁が完全になくなってしまったらしい。煙をもろに吸い込んでしまい、しゃがみ込んで激しく咳き込む。
そこにトドメとばかりに立て掛けてあった火を纏う柱時計がフィーギスに向かって倒れかかってきて、それを呆然と見ている事しか出来なかった――
*
大ホール内全体を駆け回ったのだが、一向に見つかる気配がない。
本当にここに居るのかとオーリムが焦りを滲ませて王鳥に叫んでいたが、反応は思わしくなかったらしい。次元がどうのと言って言い争いをしていたが、残念ながら鳥騎族ではないラトゥスにはわからない事だった。
とりあえずまだ建物の中にいるのは確実で、探すしかないようだ。この大ホール内はますます火の海に包まれ、王鳥の防壁のおかげで炎の中に飛び込もうが煙の充満した部屋に踏み込もうがなんともないのだが、いい加減視界が悪い。それに、フィーギス達はこの炎と煙の中で、あの人の姿をした大鳥にちゃんと護ってもらえているだろうかと心配していた。
彼の要求はわからないが、力がありながらあの現妃の前で殺さずどこかへ連れ去ったのをみると、おそらく命を取られる事はないと思っている。が、それはそれで何がしたいのかと謎は深まるばかりだ。
走り回りながらそんな事を考え、ラトゥスは貴賓室のある並びを走り抜け、会場入り前にみんなで話し合いをした部屋にやってきた。ここはオーリムもプロムスも確認したと言っていたが、まだ一度も確認していない場所はもうない為、あとは勘を頼りにしらみ潰しで探すしかない。だから、ラトゥスがまだ見ていないここに来ようと思ったのだ。
扉を開けると中は火の海で、本来ならば燃え盛って足の踏み場もない。けれどラトゥスはまるで導かれるように、室内に足を踏み入れていた。
炎に物怖じせず、堂々と足でそれらを踏みつけながら、部屋を見渡す。なんとなく燃え盛るクローゼットを開けるも、当たり前だが中に入っている訳はない。
ここだと思ったのだが、ハズレだったのだろうかと落胆したところで、ガシャーンとけたたましくガラスの割れる音が響いて、思わず振り返った。そして目を疑う光景が目に入ってきたものの、そこに探し人が居るのを見て慌てて駆け寄る。
「フィー、一体どこから」
「っ、すまなっ、ゴホッ、手を引いっ!」
フィーギスは窓の外から壺を投げ込んでガラスを破り、這い出てきていたのだ。だがフィーギスの向こうは外ではなく、この部屋になっている。色々と意味がわからない。
わからないが、煙を吸い込み火の熱をそのまま浴びているようなので、慌てて手を引く。窓に残ったガラスの破片で少し皮膚を割いてしまったが、火と煙に巻かれるよりマシだろう。
こちらに引き込むとラトゥスに掛かっている防壁の内側に潜り込めたようで、大きく咳き込みながらもだんだんと呼吸が安定してきていた。背中をバシバシ叩きながら、煙を吐き出すのに協力する。
「ッゴホ、痛っ、やめっ⁉︎」
「傷に障ったか? 咳で喉を痛めたか?」
「背中だよっ! そんなにバシバシ叩かないでくれたまえっ‼︎」
怒られてしまった。どうやら協力は不要だったらしい。内心しょんぼりするが、多分顔に出ていない。
とりあえずゼェゼェ言いながらもようやく落ち着いてきているようなので、色々わからない事を聞いてみる事にする。
「……どこに居たんだ?」
とりあえずはそれだろう。フィーギスが這い出てきた窓の向こうは外ではなく、まるで鏡の世界のように、この部屋と全く同じ光景が広がっていた。それだけでも理解の範囲を越えるのだが、そこから出てきたフィーギス達はどこに居たというのか。
「なんでもこの大ホールの別次元らしいよ? 王も入れない、隔離した世界だと言っていたかな。あの少年の中には侯爵位の大鳥ヨーピの他、フラーテとドロール、そしてあのミクスという少年の四人の魂が入っているらしい。そんな奇天烈な彼が、その別次元に閉じ込めたと言っていたよ」
溜息を吐いて言われた事に理解が及ばず、一瞬遠い目をしかける。が、とりあえず言葉のまま受け取って、素直に頷く事にした。
「そうか。大変だったな。ソフィアリア様達はまだそこに?」
「随分飲み込みが早いね? ああ、そうさ。なんでも三人隔離するには人間の身体だと保たないから、私はいらないんだとさ。捨てるついでに私達を逃がすチャンスだと言うエサに釣られて、この火の中出口を探していたのだよ。それさえ見つければ王達はセイド嬢を察知出来るとか言われてね」
色々と意味がわからないが、理解した風な雰囲気を出しながら頷いておく。とりあえず、フィーギスは別に攫われる必要なんてなく、捕まり損でしかなかったという事だけはわかった。
「で、タイムリミットギリギリで、この貴賓室の窓の向こうにこの部屋とラスの姿が見えたから、当たりだと思って割ってみた。その前に柱時計が倒れてきた時は慌てて避けたけど。いやはや、防壁もなくなるし、絶体絶命を覚悟したよ」
「……なるほど。冒険したのだな」
「大冒険さ」
そう言ってふっと笑ったから、ラトゥスも口角を上げる。次代の王がしていい冒険ではないが、今回ばかりは目を瞑るしかないだろう。側に居たのに護れなかったラトゥスの落ち度だ。
「とりあえず、僕達が出来るのはここまでだ。あとはリムとロムにソフィアリア様の救出は任せて、先に外に出て待っていよう。……歩けるか?」
「ああ、このくらい平気だとも」
「フィアっ⁉︎」
と、ちょうどオーリムがやってきたようだ。この場所を王鳥に聞いたのだろう。
残念ながら一番の探し人は居なかったのだが、フィーギスとラトゥスの姿を見て目を丸くし、だがほっとしているようだった。
「フィー、無事か」
「ボロボロだけどなんとかね。リム、セイド嬢はこの先だよ。私は見失ってしまったけれど、君ならどこにいるかわかるだろう?」
そう言ってフィーギスの出てきた窓を見る。オーリムはそこを睨みつけ、コクンと頷いた。
「ああ。フィー達は外で待っていろ。外には王とキャルとロディ達、あと大鳥が姿を消して待機してるから、誰もこれ以上の悪さは出来ない」
「大鳥様が? ソフィアリア様を心配してか?」
「当然。だが相手は侯爵位の大鳥だから、手出しが出来なくて困ってる。……もう行く」
そう言って剣の柄で窓の縁に残っていたガラスを弾き飛ばし、軽々と中へと入っていく。
その背中に、フィーギスは声を掛けた。
「リム、セイド嬢は私達が調べたセイドの秘密を全部知ったよ。私達では調べがつかなかった事までね。自分が生まれたせいだって、酷く自分を責めている」
「っ! あいつ……!」
「慰めてあげたまえ。それが出来るのは王とリムだけだ。それと、私は会った事がないから確信が持てないのだが――」
続いてフィーギスの言った言葉にオーリムは酷く動揺して、顔を強張らせていた。




