喪失の未練 2
「だからね、フラーテは……ぼく達は鳥騎族を辞めて、復讐に生きる事にしたんだ〜」
絶望の表情から一転、そう言って背中で指を組み、ドロリと濁った目のままくすくすと笑う。
そんな不安定な情緒のままに動くヨーピは不気味で、何をするかわからない恐ろしさがあった。
ソフィアリア達はそれを心配しつつも、警戒心を強くする。
「フラーテは手始めに、学園生活で三人で立ち上げてラーテルが成功を治めているアーヴィスティーラを穢す事にしたんだよ? 鳥騎族隊長の職を放棄して死んだ事にした後に地道に活動を続けた。その甲斐あってアーヴィスティーラは義賊から一転、金に汚い暗殺者組織として他国で有名になって、そして十五年前にこの国に帰ってきた」
鳥騎族隊長から暗殺者になんて、随分と無茶苦茶な経緯だ。けれど心を晴らす為には仕方なかったのだろう……王鳥妃としてはあまり認めたくはないし、一切肯定は出来ないが。
そして帰ってきたのが十五年前だったのは、色々と察しがつく。
「……帰ってきた理由は、国が王位継承権問題で荒れていたからですか?」
「そうだよ〜。おかげで随分と稼がせてもらっちゃった」
ね? と言ってヨーピはフィーギス殿下に微笑みかける。彼はグッと拳を握り締め、何かに耐えていた。
おそらくアーヴィスティーラという組織はこの島に帰ってきた後も大きくなり続け、やがて王城まで――現妃の懐まで入り込んだのだろう。だから現妃はフラーテを知っていたのだと、今なら予想がつく。
現妃の依頼でフィーギス殿下本人ではなく、まるで嬲って苦痛を長引かせるように身近な人間を次々と害した。それを、ソフィアリアは知っていた。
――アーヴィスティーラの実情を知って、大鳥を自分の愛すべき自分の民だと理解し、王鳥妃という位を戴いている今、鳥騎族が大鳥と契約したまま暗殺者組織をやっていた事実が重くのしかかる。オーリムが最重要機密だから話せないと言った理由もよくわかった。
島の護り神である大鳥が、暗殺者なんかに加担していたのだ。大鳥への不信を広めない為にも、そんな事実は誰にも知られる訳にはいかず、闇に葬ろうとしたのだろう。
そんな事、ソフィアリアにも話せない……むしろソフィアリアには知られたくなかったと思われたのかもしれない。自分の民である大鳥は潔白で高貴な護り神であるという認識のままでいてほしかったはずだ。
なにより、その事件にはソフィアリアの実家であるセイドがここまで深く関わっていたのだから――一番の元凶はソフィアリアが嫌いになれないと思ってしまっている、あの祖父なのだから。
背負うにはあまりにも重く、これからどう償えばいいかと悶々とし始めた頃、ヨーピは更に畳み掛けてくる。
「昔立ち上げた組織はもう充分に穢せたから、次はセイドを潰す事にしたんだよ? ところがビックリ! なんとラーテルは既におかしくなっていて、セイドは荒廃寸前だったんだ。何もしないまま自滅しているなんて、これには肩透かしくらったよね」
そう言ってコロコロ笑うが、ソフィアリアには笑えなかった。それを見透かされたのか、ヨーピは口元だけ笑みを浮かべた濁った瞳を、ソフィアリアにまっすぐ向ける。
「でもね、まだ復讐する余地があったんだよ!」
「セイド嬢、聞かなくてい――」
「ダメだよ、ちゃんと聞いてよ。……ラーテルはね、妻そっくりの孫を、ずっと欲しかった自分達の娘の代わりにして、囲って暮らしていたんだ!」
ぐらりと、視界が揺れた気がした。鏡がないので見れないが、おそらく顔は真っ青になっているような気がする。
ずっと、祖父が何故ソフィアリアだけを執拗に愛して可愛がっていたのかがわからなかった。まさかソフィアリアが祖母と似ていて、祖父は娘が欲しかったなんて初耳だったのだ。
祖母はソフィアリアの父を産んですぐ亡くなったというのは聞いた事がある。祖母が命をかけて産んだ父は瞳の色以外は祖父似でガッカリしたのか、祖母の命を奪った元凶と思われたのか、父は一切の愛情を向けられず、領地経営はおろか一般教養の勉強すらさせてもらえなかったと言っていた――一般教養は村に行って平民として生徒の中に紛れ込み、していたようだが。
そんな祖父が唯一父に与えたものが結婚相手――ソフィアリアの母だった。
その理由は今ならわかる。父は祖母と同じ琥珀の目を継いでいるので他の……髪色だったり顔だったり、祖母に似た女性を当てがって、祖母似の娘がほしいという夢を叶えようとしたのだろう。
そして祖父の思惑通り、祖母に似たソフィアリアが産まれた。だから取り上げて囲ったというのか。
フィーギス殿下の心配そうな視線を受けながら動揺に身を震わせ、けれど無慈悲にもヨーピは言葉を続ける。
「でもね、その時にはまだ領地経営が杜撰なだけで辛うじてセイドは生き残っていたんだよ? そんなの、フラーテが許す訳ないよね」
「……まさか」
「あははっ、だから何もわからないラーテルに、普通の里帰りを装って言ってあげたんだ〜。その囲っている子を、世界一幸せになれるようにもっともーっと可愛がってあげたら?って。お金さえくれれば、いくらでも協力するよって!」
もう立っていられず、ふらりとよろける。
「セイド嬢っ!」
だがそんな肩に腕を回して、フィーギス殿下に支えられた。
ありがたいけれど、この距離はダメだ。咄嗟に肩を押して離れようとするが、逆にギュッと肩を抱き寄せられる。
「君が悪い訳ではないだろう? どんな見た目で生まれるかなんて自分ではどうする事も出来ないし、物心つかない君が祖父の浪費なんて止められるはずがない」
「でもっ、でもわたくしがっ……! どこか一つでもお祖母様と似ていなかったら、お祖父様はあそこまでおかしくならなかったわ! お祖父様がわたくしに買い与える為に贅沢なんてせず、セイドはあそこまで荒廃する事もなかったのにっ‼︎」
そう、嘆いてしまった。
フィーギス殿下の言葉だって頭ではわかるのだ。むしろ正しい。どう生まれるかなんて本人の意思ではどうしようもない。
けれどセイドの荒廃は自分のせいだと受け入れて心に刻んでいたのだ……そのつもりだった。けれどショックを受けるという事は、口でそう言いつつも、どこかで祖父のせいだと思っていたのだろうか。だから祖父を決定的に壊したのはソフィアリアの存在だったという事実がこれほどまでに痛いのか……セイドの荒廃を決定付けたきっかけとなった事が、こんなに苦しいのか。
「そうさ。君の存在が全て悪いんだよ、お姫さま」
いつの間にかすぐ側まで来ていたヨーピは、耳元でそう囁く。脳に染み込ませるように。魂に刻むように、その言葉を刷り込んだ。
フィーギス殿下はバッとソフィアリアと離れ、背に庇う。庇われたソフィアリアは何も出来ず、ぐるぐるとその言葉が渦巻いていた。
「っ! 何が目的なのだね、ヨーピよ。セイド嬢を苦しめて、心を痛めつければ満足なのかっ!」
「おまけは黙っててよ、まだ途中なんだから」
ヨーピはソフィアリアの為に声を荒げたフィーギス殿下をすっと冷えた目で見据えると、声が聞こえなくなり動きが静止した。魔法で何かしたのだろうか。
静かになった事に満足したヨーピは笑みを浮かべ、続きを語り始める。
「ラーテルがセイドからお金を巻き上げてくれたおかげでアーヴィスティーラは暗殺者組織としてますます大きくなれたし、また稼がせてもらったよ。セイドを荒廃させるって目標も達成出来たから、あとはトリスを奪い返すって目標だけだった」
「……でも、お祖母様は……」
「でも代わりに君がいたじゃないか。彼女にそっくりで、ラーテルにとっては同じくらい大切な存在である君がさ」
そこまでヨーピは笑っていたのに、ふっと全ての表情を顔から削ぎ落とす。無表情で光のない瞳に、ゾクリと冷水を浴びせられたような錯覚を覚えた。
「……復讐の最後にラーテルが大切にしていたお姫さまを横から奪って、それで全てが終わるはずだったんだ。義賊もセイドも君も、全てが手からこぼれ落ちたラーテルの絶望で、フラーテの感じた絶望と対等になるはずだった。全部が終わったらフラーテは、ぼくと君を連れてどこか遠く、知らない国でひっそりと暮らそうって言ってくれたんだよ? 鳥騎族も暗殺者も、復讐だって全て忘れて、幸せをやり直そうって。……なのにっ! 八年前、代替わりした王鳥がそれを邪魔したんだっ‼︎」
くしゃりと歪めた表情は悲しみと、王鳥への憎しみでいっぱいなのだろう。何故そうなったのか、ソフィアリアは想像がつく。
「……王様はフラーテ様を……鳥騎族の力を使って暗殺者をしていた伯祖父様を許さなかったのですね」
それがわかってしまい、なんとも言えない沈んだ表情を浮かべる事しか出来なかった。
ソフィアリアの恋しい旦那様である王鳥は、人間に対して別格に好意的らしい。そんな王鳥だからこそ、鳥騎族の能力を使って人を害する、金に汚いだけの暗殺者なんてやっていたフラーテを許さなかったのだろう。
それと、オーリムと契約して想いを共有した後だったはずだから、ソフィアリアが遠く離れた他国に連れ去られる事を良しとしなかったのかもしれない。
だからフラーテとヨーピは始末された。三十年以上にも及ぶ長い復讐が終わりを迎え、ようやく穏やかに暮らせると思ったその直前で。
「そうさ、王鳥は許さなかった。フラーテを殺して、でもぼくは生かされたんだっ!」
「え?」
「たしかにぼくはフラーテに力を貸す事を躊躇して、傍で寄り添う事しかしなかったよ? でも足となって協力していたのは確かだったんだから、いっそ一緒に殺してほしかった。でも……生かされたんだ」
それは予想外だった。だって今、ヨーピは大鳥の肉体を失っているではないか。てっきり一緒に始末されたと思っていたのに。
「ぼく達大鳥は自死が出来ない。なのにもうフラーテも居ない。その事に堪えられなかったぼくは、大鳥の世界に帰ったんだ。人間の姿を見ると、どうしてもフラーテを思い出してしまうから」
そう言って両手で顔を覆っている。当時の絶望感を思い出して苦しんでいるのだろう。死んでしまってもその苦しみから解放されていない現状に、酷く胸が痛んだ。
「毎日嘆いて、寂しくて苦しくて、この絶望を時が解決してくれるのを静かに待つ事しか出来なかった。……でも今から二年前、大屋敷にフラーテの息子が現れたんだ!」
顔を上げて、瞳孔を開いて両頬を吊り上げる不気味な笑みと共に言われた言葉を、目を大きく見開いて信じられない気持ちで見つめた。
だってソフィアリアは父に従兄弟がいたなんて聞いた事がない。それに、フラーテの息子なら――
「……セイドの正当な後継者」
サッと青褪める。
祖父ラーテルは本当は次男である為、理由がなければセイドは継げない。それに連なる父やプロディージもだ。
そして本来家督を継げるはずだった長子フラーテに連なる者が居たのならば、セイドを継ぐ権利は当然そちらに移行する――たとえどんな人間であろうと。
ヨーピはくすりと笑った。
「そうだよ。君の父や弟みたいな紛い物じゃない。セイドは彼――ドロールのものだ。まあフラーテはセイドで一夜共に居ただけの女との間に子供が居たなんて知らなくて、ドロールも父親が誰か知らなかったみたいだけどね」
ドロールと聞いても、ピンとくる名前はなかった。身内にはもちろんセイドにも、そして大屋敷の住民や歴代の鳥騎族の中にも、その名前はない。
彼は今どこに――いや、何となく読めた気がした。
「……ヨーピ様は、大屋敷に来たドロール様と契約したのですか?」
「そうだよ。フラーテの息子が現れたのを知ったぼくは、フラーテの未練をぼくなりに晴らして、元のあるべき姿に戻してあげようと思ったんだ。もう死んでいたラーテルの子孫からセイドを奪い返して、君をドロールと結婚させる。そしてぼくと三人で、セイドで幸せに暮らすんだ〜」
そう言ってふふふと幸せそうに笑ったヨーピに、何とも言えない気持ちになる。ソフィアリアはドロールの事は何も知らないが、二年前ならともかく、今は絶対に受け入れられない。けれど、そのドロールという人に罪悪感を抱き、同情しているのは確かだ。
「……ドロール様はそれを了承されたのですか?」
「いや? 君は友人の想い人だって知っていたからね」
「ドロール様の友人……?」
何の事かと思って一瞬首を傾げたが、すぐピンとくるものがあって顔を強張らせる。大屋敷にいたドロールがソフィアリアをそう言うという事は、該当する友人というのは一人……いや二人しかいない。
「まさかドロール様はリム様の……代行人様の、ご友人だったのですか……?」
「まあね。どちらかというと同じ歳のプロムスとの方が仲良かったけど。二人で侍従の勉強なんかしてさ、将来代行人に仕えるとか言ってたかな?」
その偶然にくらりと目眩がする。同時に、父の従兄弟に該当するドロールは、父に近い年代の男性だと予想していたのだが、ソフィアリアと同年代の青年だったのかと思った。
「……では何故?」
「契約を受け入れてくれたのかって? ぼくの考えた未練を晴らす方法は受け入れなかったけど、一人生き残った僕には同情してくれたんだ。だから簡単に契約してくれたよ。契約して――ドロールをぼくの計画に協力させる為に、気持ちの同調をより強く結んで、契約する事にしたんだ」
ニンマリと笑って悪びれもなくそんな事を言うヨーピを、信じられないと言わんばかりの眼差しで見つめる。そんな契約が可能なのかと思ったが、相手は神である大鳥で、それも侯爵位だ。出来るとしても不思議ではない。
「あとはぼくと一緒に復讐に囚われたドロールとセイド襲撃を企てただけ。まあこれを王鳥と代行人が見逃すはずがなく、今度はすぐにドロールごと討たれて死んだけどね」
「リム様も……」
「そうだよ。あいつも友人相手に容赦ないよね〜。セイド狙いだってバレる前だったけど、それでも許してくれないんだもん。結局フラーテも、ぼくも、ドロールだって。みんな志半ばで、未練を抱えて死んじゃった」
はあ〜っと溜息を吐いているが、何よりもまずオーリムが二年前に友人を討ったという事実に胸を痛めた。二年前といえば失意のままぼんやり生きていたと言っていた頃だ。そんな時期に友人まで討ったのか。その傷はどれほど深かった事だろう。
ソフィアリアがそんな事を考えているとはつゆ知らず、ヨーピはまたパッと明るく笑う。
「でもね、そこでまた奇跡が起こったんだ! 同日に死んだセイドの子供――この身体の持ち主の未練とぼく達の未練が重なって、四人の魂がこの身体に収まって復活したんだよ! 身体はこの子供、主人格は一番未練と力の強いぼく。ぼく達は二年も掛けてようやく君とこうして会えたんだよ、お姫さま?」
――そんな最悪な言葉を口にして。




