衝撃の再会 2
行商の話や営業を持ちかけてくる人達を何とか躱しつつ、二階ホールにある豪奢な垂れ幕が特徴的な特別室までやって来た。入り口には近衛騎士が立っていて、現妃はこの中にいるのだろう。
「やあ、ご苦労。代行人様と王鳥妃様を連れて王妃殿下に挨拶に来たのだけれど、取り次いでもらえるかな?」
「はっ! 少々お待ちください!」
そう言って一人、中に入っていく。二人とも高位貴族の次男以降なのか、随分と若く見目麗しい騎士様だなと思った。近衛騎士とは騎士の中でも実力のあるエリートではなかったのか。或いは見た目以上の実力を持っているのか。
「フィア?」
そんな風に他の男性の事を考えていたのをオーリムにバレてしまったらしい。別に見惚れていた訳ではないのだが、随分目敏くなったなと苦笑する。どこかムッとしているので、何も言わずにその腕にそっと凭れかかった。
「お待たせいたしました。お会いになるそうです」
「わかった。失礼するよ」
そう言って中に入っていくフィーギス殿下の後に続く。
いよいよ噂の現妃との直接対面なんだなと思って気持ちを引き締める。ソフィアリアは彼女の事は昔からよく知っていたのだから。
通された部屋は白い壁と大理石、壁や調度品は白に黄金がアクセントとなり、毛の長いカーペットやソファなどの布地は青。
この部屋の主はこの色を許された王族だという主張が激しくて、心の中で思わず笑ってしまった。
そして広々とした部屋の中央、繊細な細工のソファの真ん中に堂々と座るその人を見るのは大舞踏会以来、約半季振りだ。
明るいピンクベージュの髪はまっすぐサラサラだが、毛先だけ巻かれ、はちみつ色の瞳はくりんと大きく愛らしい。
パーツは整っているものの童顔で、シワひとつなく張りがあって陶器のような滑らかな肌。見た目だけは十代で通用すると思う。
愛らしいその顔はきっと、多くの男性の庇護欲を唆るのだろう。身長だってアミーと同じくらい小柄だったはず。
身に纏うドレスの主色は爽やかな水色に近い青と、縁には黄金の糸で繊細な刺繍がされていて布は特上品、白のフリルが大変可愛いデザインとなっている。ソフィアリア好みなのが少し悔しい。身につけているアクセサリーは金細工とサファイアだろうか。
愛らしいと言う言葉は彼女の為にあると言ってしまえる魅力があるこの人こそがマーレ・ビドゥア・マクローラ。フィーギス殿下の義母にして、現在の王妃殿下だった。
その姿を見て、彼女より位が上のフィーギスとオーリム、それにソフィアリア以外は傅き最敬礼をする。
「もうっ! 遅いわ、フィーくんったら。ずっと前から会場入りしていた事は知っていたのよ?」
ぷりぷり怒って甲高い声でそんな事を言うものだから、うっかり年下のように感じてしまう。随分若々しい……いや、幼い人だなとぼんやり思った。年齢はソフィアリアの両親より少し年上の三十八歳だったと記憶しているが、それを一切感じない。三児の母で、長男は今年成人を済ますなんて思えない人だ。
「申し訳ございません。少々済ませておきたい用事があったものですから」
「部屋で一時間もダラダラして、ドゥーくん達に挨拶して、ダンスと下位貴族と楽しい時間を過ごす事が済ませておきたい事? 安っぽい平民商会を呼ぶお話なんて、心底どうでもいいじゃない」
ムッと頬を膨らませながら、スラスラとなんて事ないようにソフィアリア達の今日の行動を述べるのだからヒヤリとしてしまう。まあ隠すつもりもなかったが、ガッツリ監視されていたようだ。
ちなみにドゥーくんとはイン・ペディメント侯爵の事だろう。彼の名前はドゥメントという名前で、現妃に愛称呼びを許すくらい親しいんだなと思った。
フィーギス殿下が笑みを浮かべたまま黙ってしまったので、現妃は溜息を吐いてオーリムとソフィアリアを……特にソフィアリアをジトリと可愛らしく睨み付ける。まあ可愛らしさの奥には、憎悪と侮蔑がこれでもかという程のせられている事には気がついているけれど。
オーリムもそれに気がついたようで、すっとソフィアリアを半分隠すような場所に立ち直す。別にそんな事する必要はないが、気持ちは嬉しかった。
「……ふうん? やっぱり王鳥妃って噂通りの人なんだぁ?」
そう言って嘲りを隠しもせずくすりと笑う。だからソフィアリアはきょとんと、間の抜けた表情を返してみた。
「あら? わたくし、何か噂をされているの?」
「ええ! と〜っても無知で、無教養で学も常識もない田舎娘だって聞いているわ。……あっ! ワタクシがそう思っているのではなくて噂、あくまで一般論よ? ワタクシはそう……可愛らしいお嬢ちゃんねって思ったわ!」
扇子も使わずキャッと手を口元に当てるのは何のポーズなのか。目元を三日月形に細め、ニンマリ笑うその表情は、人によっては可愛く写るのかもしれないなと思う。残念ながらソフィアリアにとっては表情も、仕草も、言葉すらも何も響いてこないのだけれど。
だからふわりと嬉しそうに笑って、的外れにも照れて見せた。
「まあ! 王妃様に可愛いって言ってもらえるだなんて。ふふ、王鳥様と代行人様にもそう思って貰えているといいのだけれど」
「……ほんと馬鹿」
ボソリと言われた言葉は自分の世界に入っていて聞こえなかったフリをした。
自分も乗っておいて何だが、この薄ら寒い茶番はいつまで続けるべきなのだろうか? 頭の悪い会話に、主にプロディージの方からイライラした気配が伝わってくるようだ。彼は勉強出来る環境で育ちながら教養のない人間を、非常に毛嫌いするのである。
少し可哀想なので、強制的に話を進める事にした。
「ああ、そうだったわ。今日は王妃様にご挨拶しなきゃいけないのよね? 何度か会っているけれど、お話するのはデビュタント以来かしら。わたくし、王鳥妃のソフィアリアよ。どうかよろしくね?」
「ねえ、貴方。ワタクシの所で行儀見習いしない?」
何故か挨拶を丸っと無視をされて、よくわからない提案を受けてしまった。ソフィアリアは笑みを浮かべたまま、首を傾げる。
「どうして?」
「田舎育ちだと文字を読む事すらままならないのかしらね? 貴方、ビックリするくらい自分が教養がないってわかっていて?」
そう言って失笑する現妃を、困ったように見つめる。半分わざとそう振る舞っていたので予想通りではあるが、正直この人にだけは言われたくないなと思ってしまった。よりによってこんな人が王妃殿下、ソフィアリアを除けば女性最高位に立っているだなんて、冗談でも笑えない事態だ。
「わたくし、お勉強なら大屋敷でもしているのだけれど、何か間違えているかしら?」
「自覚もないんだ〜? ふふっ、だったら特別に教えてあげるわね。まず貴方、周りを見て何かおかしいと思わない?」
そう言ってみんなの事を見渡していたので、ソフィアリアも真似してみる。
この部屋にいるみんな――フィーギス殿下とオーリム、ソフィアリア以外は全員、最敬礼をしたままだ。そういえばこの人は、それを解いて楽にしてやる事すらしないのだなと思った……勿論、そんな意味ではないとわかっているが。
ソフィアリアは笑みを浮かべたまま首を傾げていたので、現妃は呆れたように溜息を吐き、更に畳み掛ける。
「それと言葉遣い。ワタクシはあなたの下賤なお友達と同じ存在ではないのだけど? それにティアラを身につけていいのはこの国では王妃だけなの。貴方にはその資格がない。わかっていて?」
ふふんと勝ち誇った顔で言われても、この人は何を言っているのだろうと困惑が広がるだけだった。反論しても面倒臭い事になると頭では理解していても、どうも個人的な恨みが抑えきれそうもない。
心の中でこの無駄な茶番が続くのをみんなに詫びながら、ソフィアリアは無邪気な顔をしてニッコリと笑ってみせた。
「そうね。まず皆様には、このままだといつまでもお話が出来ないのだから、顔を上げて立ち上がってもらうべきだと思うわ」
「は?」
すっと可愛らしい表情を引っ込めて、無表情で圧をかけてくる現妃に、これがこの人の本性なのだろうかと呑気に思った。だがソフィアリアは扇子で口元を隠し、言葉を続ける。
「それに、ほとんど初対面の王妃殿下をお友達だなんて思っていないわ。話し方は敬語を使ってほしいからかしら? でもわたくし、王妃殿下に敬語を使う理由がないわよね? だって敬う必要がないもの」
にっこり笑ってはっきりとそれを言い切ると、現妃の目が据わって表情が消えていく。けれどソフィアリアはそれに気付かないフリをして、追撃の手を緩めない。
「あとティアラは王妃殿下の言葉通りなら、わたくしも着けていていいのね。だって貴方は人間の王妃だけれど、わたくしは人より上の位に立つ大鳥様達の王妃だもの」
暗に王妃より王鳥妃の方が格上だと言って、悪びれもせずふふっと笑ってみせる。意地悪だなと思うが、仕掛けて来たのは現妃の方だ。
格下扱いに憤ったらしい現妃は、逆に無理矢理両方の口角を大きく上げる。そんな表情を見ても気味悪く、怒りの沸点が低いなと思うだけだ。可愛らしい顔のせいで迫力が出ないのはソフィアリアにも身に覚えがあったが、いくらなんでもそんな気味の悪い表情はしない。
「まあまあ! あなた、自分がまだ婚約中だって事を忘れてしまったの?」
「わたくしが婚約中なのは代行人様とだけで、ラズ・アウィスレックスの姓を名乗れないだけよ? わたくしはもう王鳥様の伴侶で王鳥妃なの」
「代行人とまだ婚約中なら、結婚するまではただの没落しかけの男爵令嬢じゃない。男爵令嬢如きが王妃ごっこだなんて、なんて無礼なのかしら!」
「代行人様より王鳥様の方が偉いのよ? その偉い王鳥様との婚姻は既に成立しているようなもので、わたくしはもう大鳥様達にも王妃だと認められている王鳥妃だって大舞踏会で紹介されていたと思うのだけれど、お耳が遠かったのかしらね?」
あんなに近くにいたのに、と困ったように溜息を吐き、可哀想な人を見るような眼差しで現妃を見つめてしまった。ふっとフィーギス殿下の方から吹き出したような音が聞こえたが、現妃はソフィアリア憎しでそれには気付かなかったようだ。
「……国はそんな特例認めていないわ」
「神様である王鳥様が認めているのに、人間側の許可って必要なのかしら? それに、あと一季もすれば代行人様とも結婚するのだし、遅かれ早かれだわ」
ギリッと歯を食いしばり、忌々しいと言わんばかりの表情をする。
何故ソフィアリアを貶めたい人はみんな、既に王鳥妃という地位に立っている事実から目を逸らすのだろうか。そんなにただの男爵令嬢であるという理由で貶めたいのか。ソフィアリアの背に、何がのし掛かっているのかを理解したくないのか。
「あなた、本当に不敬なのね!」
「ふふっ、嫌だわ。わたくし、きちんとお勉強したから知っているのよ? わたくしは王妃殿下より上の女性最高位に居て、頭を下げて敬うのは王鳥様と代行人様だけでいいって。あとフィーギス殿下みたいにお世話になっていて尊敬出来る人も、個人的には敬うわ。何故わたくしが、王妃殿下を敬わなければならないのかしら?」
「このっ……!」
可愛らしい顔に鬼の形相を浮かべて、手に持つ扇子を今にも投げて来そうな気配を感じる。
教養も、煽り耐性も、嫌味は言えても舌戦を繰り広げるだけの頭の回転もなく、感情的で口より先に手が出るタイプの、見た目の可愛らしさしかない女性。
はっきり言ってガッカリだった。せめて見事な狡猾さでもあれば張り合い甲斐があったのだが、相手にするだけ無駄だという評価しか下せない。
こんな人なんかに、大切な人達は引き裂かれなければならなかったのか。その事だけがどうにも悔しかった。
「お話中失礼いたします。王妃殿下、例の――」
と、ここで容姿端麗な侍従と思しき男性が話に割って入って来て、王妃殿下に耳打ちする。王鳥妃と王妃殿下がくだらない言い争いをしている最中で、代行人と王太子殿下がそれを見守っている中で随分度胸があるなと思った。いや、ソフィアリア達がそれだけ舐められているのか。
耳打ちされた王妃殿下はパッと目を輝かせ、その愛らしい顔に心から楽しげな笑みを浮かべる。
それを見て、オーリムとプロムスが警戒を強くしたような気配を感じた。
「いいわ、お通しして!」
声を弾ませてそう言うと、侍従の彼は去っていく。今更だが、近衛騎士に侍従に侍女、彼女が引き連れている人達は顔採用でもしているのかと言いたくなるくらい、みんな綺麗だなと思う。まあソフィアリア達一行も負けていないのだが。
来客を迎えるにあたり、ようやくみんなは傅くのをやめ、少し端に避けて道の中央を開ける。さり気なくオーリムとプロムスに寄っていた。
「お客様が来たのなら、わたしくし達はお暇した方がいいのではないかしら?」
「ダ〜メ! まだあなたとのお話は終わっていないのだから、勝手に出て行かないでちょうだい!」
本当にこの人は、何の礼儀もなってなくて嫌になる。いっそ逃げてやろうかと思ったが、逃すつもりもないらしい。
そしてようやく敵の真打ち登場かと警戒していたのだが。
「……トール兄様?」
現れたのはシルバーアッシュの髪と青紫の瞳を持つ、先程別れたばかりの男性――ラクトルだった。




