衝撃の再会 1
「やあ、楽しめたようなら何よりだよ」
片腕を挙げ、爽やかにそう言ったフィーギス殿下の側にいた人物に驚いてしまった。
もっと驚いたのはメルローゼだろう。エスコートをしてくれていたプロディージの手を離し、駆け寄っていく。
「お父様、お母様!」
「おお、メル! 無事で良かったよ。王鳥様に連れて行かれたと言われた時は耳を疑ったが、元気にしているみたいだね」
「とっても驚いたのよ、メル」
フィーギス殿下と話していたのはメルローゼの両親――ペクーニア子爵とその夫人だった。今回の事を説明していたのか、何か探っていたのかはわからないが、踊っている間に三人は交流していたらしい。
ペクーニアは大富豪ではあるが貴族としては子爵、それも官職に就いている訳ではないので、フィーギス殿下と話す機会なんてなかったのではないだろうか。
親子三人で話しているのを眺めていたら、子爵とパチリと目が合った。ソフィアリアは笑みを浮かべると、オーリムを引き連れて側へと寄っていく。
オーリムが居るせいか、ソフィアリアの今の地位のせいかはわからないが、膝をついて最敬礼しようとするのをオーリムが手で制して首を横に振った。
「そう畏まる必要はない、ペクーニア子爵、夫人。……私は王鳥の代行人。この度は嫁入り前の娘の滞在を許可してくれた事、礼を言う。急ですまなかった」
代行人の仮面を被ってそう説明するオーリムに、夫妻は首を横に振る。
「はじめまして、代行人様。お話はフィーギス殿下から書状をいただき、聞き及んでおります。この度は感謝申し上げます。ありがとうございました」
そう言って腰を折る。夫人も同じように頭を下げた。
何の話かはっきりと言葉にしないのは、周りの目があるからだ。政敵でありイン・ペディメント侯爵家の本拠地であるここで、彼らの事を悪し様に言う訳にはいかない。
そしてその表情を見て、ペクーニアはこれを機にイン・ペディメント侯爵家に鞍替えする気はないのだなと思った。
言っては何だが、イン・ペディメント侯爵家との縁談は政敵ではあるものの間違いなく良縁で、特に商会持ちとしては、国内一の商会と確固たる繋がりが出来る、またとない好機だったはずだ。
それにプロディージは大切な愛娘を泣かせるようなろくでなしで、縁談を蹴っても大鳥と繋がりが出来るものの、イン・ペディメント侯爵家――ペディ商会との繋がりとどちらがいいかと言われれば、商会的に見て後者の方がいいような気もする。
それでも、イン・ペディメント侯爵家との命令に近い縁談を横から掻っ攫った王鳥に感謝するのか。おそらく娘の為なのだろうが、本当に儲け話以外は欲のない人達である。
顔を上げたペクーニア夫妻はソフィアリアの方に目を向けたので、満面の笑みを返す。今は王鳥とペクーニアの関係に探りを入れたい者達が多く、人目を引いているので、本来のソフィアリアらしからぬ態度を取るが、許してほしいと願った。
「お久しぶりです、おじ様、おば様。お会い出来てとっても嬉しいですわ」
「はは、元気そうだね、ソフィちゃ……王鳥妃様」
「あら? 嫌ですわ、そんな風によそよそしくなってしまわれると、悲しくて泣いてしまいます。どうか昔のままソフィちゃんって呼んでくださいな。その方がずっと嬉しいもの」
「あらそう? じゃあそうさせてもらうわね。それにしても、ソフィちゃんったら少し見ない間にとても綺麗になったわねぇ」
「ふふっ、嬉しい! わたくしね、王鳥様と代行人様に恋をしているのです。だからお二人に綺麗って言われたくて、前よりも美容には気を遣っているのですよ?」
小首を傾げながらそう言えば、遠巻きにしている人の中から何人かの目の色が変わったのが目に入る。おそらく美容品を扱う商会員なのだろう。これは、あとで声を掛けられるかもしれないなと思った。まあ声を掛けられてものらりくらり躱すだけなのだが。
「話には聞いていたが、セイドとペクーニアの両家は本当に親密なのだねぇ。王鳥様がペクーニア嬢に目をつけるのは納得だ」
と、ここでフィーギス殿下が割って入ってきた。ソフィアリア達は計算した訳ではないが、王鳥妃とペクーニアは昔からの縁だと本人の口から仲の良さをアピールし、メルローゼは王鳥が目を付けていると知らしめるような事を口にする。この噂は瞬く間に広がり、もう二度とペクーニアに手出ししようなんて思わないだろうと企てたようだ。抜かりのない人である。
「ええ! わたくしも、またこうやってメルちゃんと一緒に過ごせて、とっても幸せだわ」
「それはよかったよ。君が楽しく幸せに暮らせる事が、王鳥様の願いだからね。……そういえば、今度大屋敷にペクーニア商会を招いて、みんなに出店を楽しんでもらうんだって?」
どの程度話せばいいのかわからなかったが、どうやらここでペクーニア商会を招く話をしてしまうようだ。なら、それに乗っかってうっかり話しておく事にする。
「ええ、そうなのです! 大屋敷のみんなにお話を聞くと、聖都にはたくさんの屋台があって、美味しい物や珍しい物もあって、見ているだけでも楽しいって聞いたんです。わたくしも行ってみたいって王鳥様にお願いしたら、行くのはダメだけどお店を呼び寄せるのはいいって言ってくださったのですよ?」
途端、一斉にこちらに注目をしたのがわかった。噂は流してもらったものの正式な発表のない、商人にとってはこれ以上ない美味しい話をみんなが聞き逃すまいとしているのがわかる。
それを察しつつ、気付かないフリをしてソフィアリアは言葉を続けた。
「大屋敷のみなさん、下に降りるのが面倒だからってあまりお給料を使う機会がないのですって。お店が来てくれるなら溜め込んだお金も使えるし、お買い物は楽しいし、だったら呼ぼうってお話になったのです。でも大屋敷には厳しい検問があるから、誰でも、なんでも入れる訳ではないって言われてしまって。だからまず、お友達の商会をお招きして、少しお試ししてみようって事になったのですよ。ね、おじ様?」
そう言って子爵を仰ぎ見る。子爵はいつもと様子が違うソフィアリアに首を傾げつつ、しかし目をお金色に変え、鷹揚に頷いて乗っかってくれた。
「ええ、おかげさまで栄えある大屋敷行商第一号店に選んでいただきまして、準備が整い次第お伺いさせていただく事となりました。……ありがとう、ソフィちゃん。大屋敷に暮らす人達にペクーニアの品物を見てもらえるのはもちろん、まさか大鳥様に我が商会の商品をお売り出来る機会に恵まれるなんて、思ってもみなかったよ」
「でも本当にいいの? 大鳥様達はお金じゃなくて羽根だけしか渡せないって言っていますのよ? 赤字にならないでしょうか?」
「その羽根が大鳥様にこの商品が売れたって証になるのだから、お金をもらうより栄誉な事なのだよ。むしろ大歓迎さ。商会に大鳥様達の色とりどりの羽根を飾るのが、来年の目標さ」
「なら、いいのですが。何回かおじ様達には来てもらって、慣れた頃に他のお店もお招きできたら嬉しいですわね。あっ! でもおじ様のペクーニア商会は特別ですからね?」
「嬉しいねぇ〜。ありがとう、ソフィちゃん。……代行人様、今後とも末永ーく、我がペクーニア商会をよろしくお願いいたします」
「ああ、王鳥も楽しみにしている」
他のお店も、のあたりで明らかにこのホール内に喜色の雰囲気が流れた。お金は稼げないかもしれないと言っておいたのに、みんなが目をギラつかせてその機会を虎視眈々と狙っている。どうやらメルローゼの言う通りだったようだ。
ちなみにメルローゼだけではなく、ペクーニア子爵家にも大屋敷に行商としてお招きしたいという通達と事情説明は既に済ませている。すぐにでも行くと迅速かつ色良い返事をもらったが、残念ながら今は忙しく、商会も年末で忙しいだろうという事で、諸々落ち着いてから予定を立てるつもりだ。
まあ邪魔が入る前に一刻も早く来たいらしいペクーニア子爵の要望に応え、年内に一度招く事になりそうだが。忙しい時期なのに、少し申し訳ないなと思う。
「そのお話をしに行ったはずが、ペクーニア嬢を連れて帰って来たのだから驚いてしまったよ。王鳥様は随分と彼女の事を気に入ったようだね?」
フィーギス殿下は行商ももちろんだが、メルローゼと王鳥の関係を匂わせるのも忘れない。
と言いつつ、無言の圧力で何も話すなという雰囲気を感じ取ったので、曖昧に微笑むだけに留めた。それに満足そうに頷いているので、正解だったようだ。
とりあえずこれだけ話していれば充分だろう。まだ正式発表はしていないが、王鳥妃がうっかり漏らし、代行人が頷いた事なのだから、行商の話は決定事項として瞬く間に広がるはずだ。どこまでの反響があるかわからないが、周りの反応を見ると結果は上々だと期待も出来る。
「さて王鳥妃様、今日は王妃殿下が参加していらっしゃるはずなのだよ。一度挨拶に行こうか」
どうやらペクーニア子爵夫妻とのお話はこれまでのようだ。王鳥とメルローゼの関係、郵便の話は今はしないつもりらしい。まあ郵便の話は細部を詰めてすらいないのだから、それでいいのだが。
ソフィアリアは名残惜しそうに夫妻を見る。
「そうですね、王妃様にご挨拶に行かなくては。おじ様、おば様、今日はお会い出来て嬉しかったですわ」
「私もソフィちゃんに会ってお話出来て、幸せそうなお顔が見られて良かったわ」
「楽しいお話が出来てよかったよ、ソフィちゃん」
そう言って二人からギュッと抱きしめられる。王鳥妃になっても変わらないその優しさに、胸がギュッと苦しくなった。ソフィアリアは本当に幸せものだ。
「――――ペクーニア子爵、夫人。ペクーニア嬢のデビュタントで次代の王に挨拶を済ませた後、私達のところに一家全員で挨拶に来るといい」
オーリムが――というより王鳥の指示なのだろう――そんな事を言うから驚いてしまった。
王城で行われるシーズン最初のデビュタントと最後の大舞踏会は、オーリムとソフィアリアにも参加義務があるのだが、ソフィアリアが聞いた限りでは、面会を許しているのはフィーギス殿下とラトゥスくらいだ。
「……よろしいのですか?」
「ああ。今回の詫びと、今後の付き合いもあるからな」
「もっいないお言葉、恐悦至極にございます。我らペクーニア一同、是非ともお伺いさせていただきます」
そう言って夫妻とメルローゼは頭を下げた。
これで今日の夜会だけではなく、貴族達にも直接、ペクーニアは王鳥と親しいとアピールが出来るだろう。王鳥が認めた商会第一号として、ますます発展するかもしれない。
その事を理解してか、ペクーニア夫婦とメルローゼは笑顔だった。
「……そういう話はまず私に一度通してほしかったのだけれどね?」
「そういう事だ」
「事後報告は受け付けないよ。でも、いいとも。ペクーニア子爵、大いに期待しているよ」
フィーギス殿下は食えない笑みを浮かべ、子爵に圧を掛ける。王鳥の寵愛を得ると貴族社会でのパワーバランスが変わるので、先に知りたかったのだろう。そして王鳥の寵愛を得たならば、派閥変えは許さないという事だ。
もしメルローゼがラクトルに気持ちが傾いていた場合、ラクトルに派閥変えをする意思でもなければ、添い遂げる事は難しくなったなと思った。
だが子爵はフィーギス殿下の圧をものともせず、当然だと言わんばかりに人の良さそうな笑みで返す。
「ええ、フィーギス殿下。我らペクーニア一同、これからも貴方様のお力になれますよう、全力で発展を目指す所存でございますとも」
その表情と言葉に毒気を抜かれたらしいフィーギス殿下はいつもの笑みを浮かべ、頷いた。
「ああ、頼りにしているよ」
それだけ言うと踵を返して歩き出したので、ソフィアリアはもう一度二人に礼をしてその後に続く。メルローゼとも何か二、三言葉を交わしているようだ。と――
「ロディくん」
子爵はプロディージを呼び止めていた。プロディージは一瞬気まずげに視線を逸らし、だが意を決して夫妻の前に立つ。そして深々と頭を下げた。
「ペクーニア子爵、夫人。この度は私が大切な貴方がたの愛娘を傷付――」
「また私達の所に戻ってくる日を待っているわ」
だが最後まで謝罪の言葉を口にするのは許されず、被せてそんな事を言う。
プロディージは驚いて顔を上げると、夫人はパチンと意味ありげにウインクを一つ向け、子爵の手を引いて行ってしまう。その様子に呆気に取られていた。
「もうっ! お母様ったら。……行きましょう」
だがメルローゼもぐいぐいプロディージの手を引いてソフィアリア達の後を追う。
――このやりとりがどういった思惑で動いた結果なのか、残念ながらプロディージには理解出来なかった。




