終わりの夜会 6
ホール内の中央。通常の夜会ではない為踊っている人はあまりおらず、それでもこの場にやって来た代行人と王鳥妃は人の目を引いたらしい。
注目を浴びながら、曲の間に滑り込んでお互いに手を取り向かい合う。流れるようなステップは、大舞踏会の時よりも軽やかだった。
「ふふっ、この前より踊りやすいみたい。リム様はあれからも練習を続けていたの?」
「当然。フィアに負けたままを王が許してくれるはずがないからな」
「あらあら」
くすくす笑って、王鳥の名前に反応してしまった気持ちを誤魔化してしまった。
玄関でのやりとりで寂しさは解消されたと思っていたつもりだったのだが、時間が経つと本当にあれだけで問題は解決したのかという疑問が湧いてきてしまう。まだ何か重大な事を見落としている、そんな気がしてならないのだ。
前回は二曲目を王鳥と踊ったが、今日はダンスをしに来た訳ではないので一曲だけでこの時間は終わる。だから王鳥とは踊りながら話す時間もない。
それにと、ちらりと近くで踊っているプロディージとメルローゼに視線を向けた。
練習の際はあの二人で踊っていたので、見るのは初めてではない。けれど二人がデビュタントを迎え、着飾って夜会で踊る日が来るのをずっと楽しみにしていた。
デビュタントはまだだがこうして機会に恵まれ、けれどソフィアリアが見たかったのはあんな表情をして踊る二人ではなかった――悲痛と諦念を笑みで覆い隠して踊る、二人では。
素直になれなくても想い合い、たまに見ているこちらが照れくさくなるような甘酸っぱい雰囲気を纏う二人を見守るのは、どんな恋愛小説を見るよりもずっとドキドキしたし、幸せな気持ちになった。そんな相思相愛の二人だったから、ソフィアリアがいなくなった途端ダメになるなんて思っていなかったのだ。
何故もっと遠くから見守る事が出来なかったのか。無遠慮に否定してくれる弟と、崇拝を感じさせない対等な友人を手放しがたかったソフィアリアの存在が悪かったのだろうか――自分の存在は、それほどまでに人に悪影響を与えるというのだろうか。
「またロクな事考えてないな」
と、うっかり考え込んでしまっていたらしい。見上げたオーリムはムッと不機嫌そうな表情をしていたから、ソフィアリアは申し訳なく思う。
「ごめんなさい。せっかくリム様と踊っているのに、わたくしったら本当にダメね」
「今日は踊りに来た訳でも、二人の時間を楽しみたい訳でもないから別にいい。ましてや今は絶対無理だってわかってる。でも、余計な事を考えているのだけは見過ごせない。……前も言ったが、二人の事でフィアが罪悪感を感じるのは違うからな?」
「あの二人というよりも、わたくしの存在がどこかで厄災を招いている気がしてならないの」
「なんでますます規模が大きくなっているんだ……?」
困惑させてしまったが、このホールに足を踏み入れてから何か妙に不安を感じるのだ。嫌な予感、厄災の前触れ、或いは過去の過ちの具現化――……。
心が弱って被害妄想が大きくなっているせいだと言われればそれまでだが、何かソフィアリアのせいで起こるのだろうという事は感じていた。
それに、王鳥が言っていた辛い決断というのが何なのかもまだ判明していない。あの時は混乱の最中にいたから気付かなかったが、おそらく側妃の話ではないのだろう。それは決断の余地すらソフィアリアにはない。
ソフィアリアの存在が害となってしまった具体例である二人を見ながら、そんな事を考えていた。
「誰がなんと言おうと、俺と王にとってはフィアの存在は救いだし、何よりも幸せだからな?」
「リム様達はわたくしの知らないわたくしの何かを知っているのね?」
「……知っているけど、フィアのせいだとは思ってない」
随分素直に暴露するのだから笑ってしまう。みんな必死に調べ物をして、それをソフィアリアに一切話さないのだから、本当に一切関係がないか、逆に深く関わっているかだろうと思ってカマをかけたのだが、どうやら後者だったらしい。
まあオーリムが口を滑らさなくても、王鳥のソフィアリアの決断という言葉があったから答えはわかりきっていた事だが。
「事前に話してくれてもよかったのに。どんな話でもわたくしはきちんと受け止めて、辛かったら王様とリム様に慰めを求めたわ」
「黙っていた事は悪かったが、本当にフィアの為ではないんだ。事は国家機密と……今後に関わる」
濁したが、そんな困った顔をしていればなんとなく察してしまう。プロディージが調査に協力するという事は、セイドに深く関わっていて、ソフィアリアの存在が何かをした。それを知る権利はプロディージにしかなくて、プロディージはそれを誰にも話す事なくお墓まで一人で抱えていく気なのだろう。
セイドの秘密なら、ソフィアリアが知る必要のない事だ。だってソフィアリアはもうセイドの人間ではない――けれど。
「でも黙っていても、きっと今日知る事になるわ」
「……そう、だな」
「ぶっつけ本番で情報を処理しながら対処する事になりそうだから、そんなわたくしを護ってくれる?」
ソフィアリアが関わっているのなら、遅かれ早かれ知った事だ。もう今更どうにもならないが、話さない事がソフィアリアを護る事になると少しでも思っているのなら、それが間違いであると知っていて欲しかった。
だから少し軽めに、悪戯っぽくそう伝えればオーリムは少し後悔を滲ませながら、力強く頷いてくれる。
「勿論。何があっても絶対に、フィアを護る」
「ふふっ。頼もしいわ」
ふわりと微笑みを向けるとコツリと額同士がぶつかった。驚いて目を見張れば、至近距離でオーリムが笑っている。いや――
「……すまぬな、妃よ」
「……王、様……?」
勝ち気で尊大で、いつもなら頼もしいはずの王鳥の笑みに痛みが混ざっていて、まあつさえ謝罪の言葉を紡ぐ。
その行動は、胸をひどくざわつかせた。
*
「さっきは邪魔してごめん」
ホールの中央にメルローゼをエスコートをして、ゆったりしたワルツに身を任せながら、真っ先に口から出てきたのが謝罪の言葉だっだから、プロディージは自分でも驚いていた。
言われたメルローゼはもっと大きく驚いていて、その大きくまん丸な目を限界まで見開いている。相変わらずそのまま落っこちそうでヒヤヒヤするなと、呑気に思っていた。
けれどメルローゼはぷっと吹き出すと、そのままくすくすと笑い出す。何がそんなにおかしいのか、二の腕に添えた手でバシバシとそのまま腕を叩いてくるではないか。
「なーに似合わない事言ってんのよ?」
「あのさ? せっかくの謝罪の言葉を、そんな風に無下にしないでくれる?」
「するわよ、せっかくの謝罪だけど無駄だもの。……あのね、私はあなたのエスコートを受けたのよ? なのに他人とファーストダンスを踊るほど馬鹿じゃないわ」
そう言ってまだくすくすと笑うものだから、渋面を作るしかない。
メルローゼはそう言うが、去ったラクトルの背中を物言いたげに追いかけていたのは気付いていた。ラクトルがメルローゼを見る目も愛情に満ちていて、そんな二人に横入りした自分は邪魔でしかなかっただろう。
けれど、気がつけば無意識に割って入っていた。自分にはもうそんな権利はないと頭で理解しつつも、身体が勝手に動いていたのだ。
どのみち大鳥関係者として参加するメルローゼを政敵であるラクトルに渡す訳にはいかなかったが、そういうのとは関係ない。長年染みついた気持ちとは如何ともしがたいものだと思う。
だったら何故素直に優しく出来なかったのだと自分で自分を罵りたくなるが――婚約者と姉、両取りしようとしたのが間違いだったのだと今なら理解しているが。
「まあそんな事よりも。あなた、エスコートを申し出るならお世辞でもいいから何か褒めなさいよ。夜会ともなると女性は準備に一日、なんなら下準備の為に数日前からお肌を磨いて万全の状態で挑まなきゃならないんだから、いくらなんでも無言は失礼よ。次の婚約者の為にも、そのあたりはしっかり理解しなさい」
そう言ってジトリと睨み付けてくるメルローゼの言葉に胸が痛んだが、傷付いてやらない。それに、そんな事言われなくてもわかっている。
「あーはいはい。似合っている相手にはちゃんと伝えるよ」
「ちょっとどういう意味よ! まるで私が似合わない格好しているみたいじゃない!」
事実似合ってない、という言葉はぐっと飲み込んだ。綺麗かどうかと言われれば間違いなく綺麗ではあるが、デビュタントと結婚式以外で主色に白を選ぶメルローゼを、プロディージが褒める訳にはいかない。次の染まり先を探す白なんて論外だ……そんな事言える立場ではないから、誤魔化すしかないけれど。
「まったくもうっ! 失礼しちゃうわ、本当に。……まあでも、第一声に謝罪を持ってくるよりずっとあなたらしいわね」
そう言って困ったように笑う表情をしながら、諦めの感情をまっすぐ突きつけてくるから、もう何も言えなくなってしまう。
『初めて二人で参加する夜会のエスコートは絶対に私にして、ファーストダンスも踊りなさい。お義姉様ではなくよっ!』
子供の頃、セイドでダンスの授業を初めて受けた後にメルローゼに言われた言葉だ。
その日のメルローゼは寝坊して、遅れてきたら先に授業を受けてソフィアリアと踊っていたプロディージにショックを受けたらしく、半泣きでそう怒鳴っていた。
行儀悪く指を突きつけて怒ったメルローゼは、初めてのダンスの授業を……プロディージと一番に踊るのを、それだけ楽しみにしていたらしい。寝坊だって、楽しみ過ぎて寝るのが遅くなったせいだろうと姉が言っていた。
嬉しいクセにバカにしてからかった後、また泣かせてしまったのだからどうしようもない。その場は姉が宥めて未来の約束を交わし、メルローゼが帰った後は先に始めた事を姉に怒るようなどうしようもない子供だった……ちなみに姉は待つと言ったが、考え足らずで強行したのはプロディージだ。姉は理不尽に怒られてもニコニコしているだけだった。
昔からそんな事ばかりやっていた。それでも姉が居なくなるまでは婚約解消にならず、関係が続いたのだから奇跡だと思う。メルローゼはこう見えてとても忍耐強く、姉と同じくらい包容力があったのだろう。
そんな事も、こうなるまで気付かないのだからとんだ大馬鹿者だ。
その約束も果たした今、二人の間に残り、達成出来る約束はもう何もない。夜会で踊るのだって、きっとこれが最初で最後になる――二人の関係は、今度こそ終わりを迎えるのだろう。
「君は変わらないね。説教臭くて怒りん坊」
「言っておくけど、そんな事あなたにしかしないんだからねっ! 本当の私は教養があって、優雅で強かなんだから!」
「自分でそんな事言っちゃう訳?」
「言わせてるのはあなたでしょう!」
軽口を叩き合って、バシバシと腕を物理的に叩かれるのを心地よく感じて自然と笑みが浮かんでいた。皮肉なものだが、入学試験に向かう際の馬車の時といい、婚約していた時よりもこうやって婚約解消した後の方が、ずっと穏やかで楽しく過ごせている。
姉が言っていた。婚約したのは間違いで、二人は結ばれる運命になかったと。それを今、こうして強く実感するのだから、そういう事なのだろう。
最初から婚約なんてせず、姉の友人、もしくはただの幼馴染としてなら、もっと楽しく、幸せな時間を過ごせていたのだろうか? いつかメルローゼが嫁いで行くその日まで、気兼ねのない一番仲のいい異性の友人をやれただろうか?
「まったくもうっ! 私にはいいけど、婚約者にはちゃんと優しくする事! わかった?」
――そう言って何度も線引きされるのだから、嫌でも答えに気付いてしまう。
「わかってるってば。優しくして、幸せにすればいいんでしょ?」
「ふふん、よろしいっ! ちょっと行き過ぎているけど、代行人様を見習いなさい」
「狂信者を参考にするのはどうかと思うけど?」
「狂信者だったらソフィはあそこまでベッタリにならないわよ。あの子は盲目的に全肯定する人を遠ざけるんだから」
「そうだっけ?」
「あなたって隠し事は嫌がらせのようにポンポン見つけてくるのに、素直でわかりやすい人には何故か鈍いわよね……」
呆れたように溜息を吐かれる。そんな時間が楽しくて、いっそこのまま時間が止まってくれないだろうかと願ってしまうが、残念ながら曲は終わりに近付いていた。
「……ねぇ、ディー」
「何?」
「今までありがとう」
ふわりと微笑む表情に見惚れて、婚約者だった頃の愛称で呼ばれた事に気付かなかった。気付かないままお礼を言われ、呆然としているうちに手が離された。
それでも自然と身体は動き、向かい合って礼をする。気持ちが伴わないまま。返事も出来ないまま。
――こうしてプロディージとメルローゼの七年に渡る婚約期間はこの瞬間、終わりを迎えた。




