終わりの夜会 5
会場入りをしてまず、その賑やかさに驚いた。
もちろん表情に出さないように注意を払っていたが、話し声はもちろん時折豪快な笑い声や今にも怒鳴り出しそうな声まで様々な声が聞こえる。
表情を取り繕い、常に優雅たれと声のトーンを一定に保つ貴族とは違う。なるほど、これが貴族だけではなく商人もいる夜会なのかと感心した。
そして会場内にいるのは貴族だけではないので、貴族名鑑を暗記したソフィアリアですら知らない顔がたくさん居る。ホール内は広々としているはずだが、人のひしめき具合は大舞踏会より凄いのではないだろうか。
ソフィアリア達の名前を読み上げられ、入ったのは高位貴族の居る二階ホールだった。さすがに人のごった返しているホール内にそのまま放り込まれる事はなかったらしい。まあ警備の面でもその方がいいだろう。
「……私、この夜会には何度も来ているけど、上に案内されたのは初めてよ」
「そういえば、君の家族は今日は来ていない訳?」
「ペクーニアも関わっているから挨拶に来るって言っていたわ」
どうやら今日、顔を見られるらしい。ソフィアリアとプロディージはペクーニアの屋敷には年に何度も招待されていて、メルローゼの両親や兄達とは顔馴染みなので会えるのは嬉しかった。大屋敷に来る前に結婚するという報告と今までのお礼をしに行ったので、会うのは約半年振りだ。
けれど、はたして現妃に挨拶に行く前に会えるだろうか? その後は何が起こっても不思議ではないので、会えないかもしれない。
そしてメルローゼと喧嘩別れしたまま婚約解消したにも関わらず、今日はエスコートなんてしているプロディージは気まずそうだった。両親はある程度はプロディージの悪癖を理解してくれているが、メルローゼの兄達はメルローゼを溺愛しているので、プロディージにいい顔をしていない。まあそのわりには、結構可愛がってくれていた印象はあるが。
――名前を呼ばれて入った事で会場中からの視線を集めていた事には気がついていた。オーリムは何やらゾワゾワするのか落ち着かなくなっているので、ギュッと身を寄せてより一層引っ付く。照れて距離を取られるかと思ったが、オーリムの方からもギュッとより強く引き寄せられて、ソフィアリアの方こそ照れてしまった。
「……リム様?」
「あっ、すまない。つい……。俺も最近、フィアが足りてなかったから」
ふいっと視線を外されたが、見上げた耳は真っ赤だ。思わずくすくす笑っていると、ホールの方からこちらへ向かってくる一行がいた。
ソフィアリアは彼らの事は、貴族名鑑で知り得ている。
「ようこそ我がペディ商会の夜会へおいでくださいました。歓迎いたします、代行人様、王鳥妃様、フィーギス殿下」
その一行で一番年長だろう壮年の男性が優雅で洗練された笑みを浮かべ、丁寧に腰を折る。一緒に来た人達も彼に続いて礼をしたりカーテシーをしたりと、あとに続いていた。
こちらも代表して一番位の高いオーリムが前に出て、鷹揚に頷く。代行人としての仮面を被りながら、淡々と言葉を返していた。
「顔を上げろ。此度は突然の参加表明にも関わらずこうして歓迎してくれた事をありがたく思う、イン・ペディメント侯爵」
そう、相手はイン・ペディメント侯爵家の人間だった。挨拶に来ると言っていたフィーギス殿下の読み通りだ。
補足の為にも、オーリムに腕を絡めたままのソフィアリアも挨拶をしておく事にした。大舞踏会の際に王鳥にもらった羽扇子を広げて、笑ってみせる。
「ふふふっ、ごめんなさいね、突然。来たいってわがままを言ったのはわたくしなの。領地にいた頃からお友達のメルちゃんにお話は聞いていて、近くに住んでいるし一回行ってみたいなーって。ほらわたくし、夜会ってこの前の大舞踏会以外行った事がないから、商人さん達の夜会がどんな所なのか気になったのよ」
少々不躾で無知な娘を装いつつ、コロコロと無邪気に笑ってオーリムの補足をする。教養のなさそうなソフィアリアの態度に全員が微妙な愛想笑いを返すのは、さすが政敵だろうが高位貴族だなと思った。内面はともかく、蔑んだ目で見てこないだけマシである。
代わりと言わんばかりに後ろから、そういう無教養な貴族が嫌いなプロディージからの射殺さんばかりの鋭い視線を感じたが。
「……そうでしたか。ちなみになにか欲しいものはございますか?」
「ん〜……あっ! 珍しいお菓子やお菓子のレシピ本とかがあれば嬉しいわ」
目をキラリと輝かせて、笑顔でそう答える。あからさまにガッカリされたが、気付かないフリを通した。
ペディ商会はアパレル一点特化だ。貴族女性の買いたいものなんて大半が服飾関係の品なのでソフィアリアもそうだろうと思われたようだが、別にソフィアリアはその辺りは困っていない。王鳥とオーリムが選んでくれたもので充分だ。
せっかくだからペディ商会の商品を売り込んで王鳥妃の目に叶い、あわよくばペディ商会を王鳥妃御用達にして名を上げたかったようだが、残念ながら現妃御用達である限りはその日は永劫に来る事はないし、今懇意にしている大屋敷の専属のお店で満足している。
それを無知を装ってアピールする為に、わざと服飾品とは無関係なものを答えたのだ。ソフィアリアの意思としては、別に買い物を楽しむ理由はない。
「……左様でございますか。本日はたくさんの商会の者達が集っておりますので、そういったものもきっとあるかもしれませんね」
「うふふ、あるといいわねぇ」
どうやら商売相手として、早々に見切りをつけられたらしい。まあ元々政敵であるし、それでいいと思う。犬猿の仲になりそうな王鳥妃と現妃の両取りなんて、無茶が過ぎると思うのだ。
と、ちょうどいいところに音楽が流れてくる。正直イン・ペディメント侯爵家の人間と特に話し込む理由もないので、この機に乗じて抜け出す事にした。トントンとオーリムの腕を叩き、ニコリといつもより子供っぽく笑いかける。
「代行人様、踊りましょう!」
「あ、ああ……失礼する、侯爵」
若干気圧され気味なオーリムの手を強引に引き、階下と向かう。ダンスは予定にはなかったが、一曲くらい大丈夫だろう。どうせ待たせておいても現妃は逃げる事はないのだ。
これで抜け出したい人はソフィアリアに続けばよし、イン・ペディメント侯爵家に探りを入れたければ残るもよしといい機転をきかせられたと思う。と――
「メル、よければ踊らないか?」
聞き慣れない声でそんな事を言っているのを耳にし、思わず立ち止まって振り向いてしまった。
振り返った視線の先にはイン・ペディメント侯爵家の人間の中で一番年若い男性がメルローゼに向かって手を差し出し、心からの優しい笑みを浮かべているのを目にする。
シルバーアッシュの髪に青紫の瞳を持つ容姿端麗な彼がおそらくラクトルだ。まさかこうも堂々とメルローゼを誘うとは思わずに驚いてしまった。それも愛称呼びを許しているらしい。交流のあった頃の名残なのだろうか。
誘われたメルローゼは動揺し、でも顔が真っ赤だ。
「えっ、あのっ、トール兄様っ⁉︎」
手を見てオロオロしているメルローゼは迷っているのだろう。だって今のメルローゼはペクーニア子爵令嬢ではなく、大鳥関係者として参加しているのだ。そんな自分が誘いに乗っていいのか、というところか。
だから王鳥妃として助けるべきだと思い、声を掛けようとするが。
「申し訳ございません、イン・ペディメント卿。ペクーニア嬢は私と先約がありますので、本日はご遠慮ください」
すっと二人の間に立ち、そう言ったのはプロディージだった。プロディージは気怠げな無表情、ラクトルは一転して貴族らしい笑みを浮かべたまま、両者の間に火花が散るような錯覚を覚える。
ラクトルは首を傾げ、ジロジロとプロディージを見ていた。
「君はメルの元婚約者だったよね。どうして君が居るのかな?」
元をやたら強調しながらそう言うラクトルは心底不思議そうだ。だが負けず嫌いのプロディージが、そんな事で怯む訳がない。何より相手は、恋敵だ。
「私は今セイド男爵家の人間としてではなく、王鳥様と代行人様の代理として、二人からペクーニア嬢をエスコートする任を賜っております。先約がありますし、お引き渡し致しかねます」
「それはもっともらしい嘘ではないかな?」
「貴方様程の御方なら、私の着用している二股に分かれたコートの意味を知らないとは思いませんが」
本来はそこまでの意味ではなかったのだか、上手く使ったなと思った。プロディージの言葉を嘘と見抜くラクトルの察しの良さもなかなかだ。
しばらく二人は睨み合ったまま、膠着状態に陥る。当の本人であるメルローゼはオロオロしているし、フィーギス殿下達は静観する構えらしい。
「……イン・ペディメント卿。ペクーニア嬢は王鳥の大事な娘だ。王鳥はそんな娘を、代理でもない異性に触れさせるのを良しとしない」
結局そう助け舟を出したのはオーリムだった。代行人に言われたら引き下がるしかなかったらしく、ラクトルは眉を八の字に下げ、残念そうにメルローゼに微笑む。
「大変失礼いたしました。……メル、またね」
「あっ……」
頭を下げ、ラクトルは行ってしまった。メルローゼはその背中を、何か物言いたげに見つめている。
そんなメルローゼをプロディージは一瞬寂しそうに見ていたが、すぐに淡く笑みを作ると、すっと手を差し伸べていた。
「昔の約束、叶えてくれる?」
プロディージがそう言うとメルローゼは大きな目を更に目一杯見開いて、でも困ったように微笑んで手を重ねた。
「そうね。……いつか夜会でダンスを一緒に踊ろうって約束をしていたんだったわ」
そう言って見つめ合った二人に流れているのは甘い雰囲気ではないという事実から、ソフィアリアは目を背けたかった。




