終わりの夜会 4
案内された部屋に辿り着き、彼女はギリっと手に持つ上質な扇子を折れる寸前まで強く握り締めた。
まるで今日のお詫びと言わんばかりにテーブルに並べられた珍しくて豪奢な軽食にイライラして、薙ぎ払ってテーブルの下に落としてやる。
けたたましい音が鳴り響き、連れて来た見目麗しい侍女や侍従が慣れていると言わんばかりにテキパキと片付けていくのを尻目に、ドカリと行儀悪くソファに座った。
これも座り心地がよく、使われている素材は一級品なのだが、自分に相応しいのはこれではない。長年贔屓にしてやったのに何故こんな扱いを受けなければならないのかと、腹の虫が治まらなかった。
これもそれも、半年前に突然現れた忌々しい女のせいだ。
「あーあ、また随分荒れてるねぇ」
そう言ってくすくす笑う声に視線を向けると、ドロリと濁った目をした人物がいつの間にか立っていた――いや、もしかしたらはじめからそこに居たのかもしれないが。
「まあ! 当然でしょう? だってあの小娘ったら、ワタクシの邪魔ばっかりするんだもん。本っ当に目障りよ!」
そう言って頬を膨らませ、ぷりぷり怒る声は少女のように澄んでいて高い。童顔で幼なげな仕草と相まって、実年齢よりもずっと若く見せていた。
そんな彼女に近寄って、幼子を宥めるように頭を優しく撫でる。
「元気出して。大丈夫、もう少しの辛抱だからね。ちゃんと今日、始末してあげる」
「当然でしょう! まったく。まだまだやってもらう仕事はたくさんあったのに急に消えちゃった日から八年、おかげでずーっと散々だったのよっ! 今度こそきちんと仕事してよねっ!」
「仰せのままに」
手を取って、恭しく指先に口付けるのを見て彼女は幾分か機嫌を良くする。世界一の特別な殺し屋がまた自分に傅くという状況に、少しだけ心が満たされた思いだった。
「じゃあ、またあとでね」
「ええ。今度こそしくじったら承知しないんだからね!」
釘を刺すと苦笑される。それだけを残して、部屋から出ていった。
――部屋から出て、廊下で使用人達とすれ違いながらゴシゴシと口元を念入りに拭う。昔からあれは本当に変わらなく、歳を重ねた分気持ち悪さが増していると自分で気が付かないのだろうか? おぞましい人間の中でもとりわけそれが際立つ人間、それが彼女だ。
けれど、誰もいない今がチャンスと思ってニヤリと口元を歪める。あんなのでも彼女に会う為には必要だったのだ。その役目も充分果たし、今日、この半年間積み重ねてきたものが現実となる。
この日を待ち侘びて半年、いや二年……もしくは八年だっただろうか。
はっきりとしない長かった旅もようやく終わりを迎えるのだから、笑わずにはいられない。
「ようやく君に会えるよ、お姫さま」
くすくすと、小さく不気味な笑い声が誰も居ない廊下に響き渡っていた。
*
本日の夜会会場であるペディ商会の所有する多目的大ホール――通称ペディ大ホールは、数千人は収容出来そうな広々とした会場と、その周りには立派な庭園、会場の奥には数多くの貴賓室もあり、高位貴族の屋敷だと言われても納得するような広々とした場所だった。さすが国内一の大商会が所有する大ホールといったところだろうか。
惜しいのはここに来た賓客達は派閥の垣根を越えるものの、ここを所有するペディ商会そのものは現妃派――フィーギス殿下の政敵だ。
そのうえ主賓客がその現妃なのだから、ほぼ敵地であると言っても過言ではない。
そんな場所の一番いい貴賓室――おそらくソフィアリア達が来なければ現妃が使用していた部屋だったのではないかと思われる――に、フィーギス殿下とラトゥスも合流し、王城から連れて来た近衛騎士達を外の見張りと称して追い出した後は、オーリムが声や内部の様子が一切漏れないような防壁を魔法で張ってから最終確認をする事になった。
「さて。もう夜会は始まっているようだね? 私はここに来たのは初めてだけど、随分と早いものだ」
「ここは貴族の夜会というよりも、商人達の商談の場であると言った方が正しいのです。いい取引を成立させる為に誰よりも早く交渉する必要がある為、特に商会の人間は開場時間と共に会場入りを果たすのですわ。フィーギス殿下のような高貴な方には相応しくない場かもしれませんが、ご了承くださいませ。商人とはそういう人間なのです」
「そんな場所の常連である王妃殿下に対する嫌味かな?」
「むしろ相応しいのではありませんか」
フィーギス殿下の軽口にくっと口元を歪めるプロディージの皮肉は相変わらずたなと思う。反対にメルローゼはそんなつもりはなかったらしく、気まずそうに目をキョロキョロさせていた。
「フィー、そんな奴どうでもいいから話を進めよう」
「君も大概だよ、リム。でもまあ、そうだね。さっさと始めようではないか」
そう言って空気を入れ替えるように姿勢を正したので、みんなもそれに追従する。
「私達は本日、セイド嬢がペクーニア嬢にこの夜会の話を聞いて、参加してみたいと言ったから来たと言う事になっているのだよ。すまないね、こんな使い方をして」
その謝罪の言葉に首を横に振って、気にしていないと主張するように笑みを浮かべた。
「いいえ、大鳥様達の名誉を穢さず、王鳥妃という名前が必要以上に崇められるような事がなければ、いくらでも使ってくださいませ」
「異性関係の変な醜聞も、もう俺も王も許さないからな」
新しくそんな事を付け加えるオーリムは、大舞踏会のあれがよほど腹に据えかねたらしい。まあソフィアリアだってオーリムのああいった醜聞がばら撒かれたらと思うと人のことは言えないので、黙っておく。
フィーギス殿下はオーリムの様子に苦笑して、大きく頷いた。
「もうしないと誓うよ。まあそういう訳だから、何かあったら口裏を合わせておくれ。ちなみにペクーニアは側妃の打診か、何か王鳥と取引が成立したらしいと流しておいたよ。ペクーニアに探りを入れようとする人間は増えただろうが、危害を加えようとする奴は居なくなったはずさ。馬鹿でもなければ、神様の取引先相手に喧嘩を売るような真似はしない……と思いたいからね」
「ありがとうございます」
「礼は不要だよ。どちらかと言えばペクーニアは私や王に巻き込まれた被害者だ。――で、私は大鳥関係の事を一任されているから、ラスと二人でセイド嬢の付き添い役。ペクーニア嬢をエスコートするプロディージは、王とリムの代理といったところかな?」
一同頷く。そこまではみんな、予想通りだ。
「ところで聞くのを忘れていたけれど、プロディージは武術は得意かい?」
「護身術でしたらある程度は嗜んでおりますが、剣術の類はからっきしです」
「では期待しない方がいいね。ロム、侍女二人と追加でプロディージとペクーニア嬢の護衛も頼むよ」
「りょーかい。間違っても勝手にうろちょろすんなよ? 坊ちゃん」
「……その坊ちゃんって僕の事を言ってる訳?」
「他に誰が居るっての?」
バチバチと火花を散らすプロムスとプロディージは相性があまりよくないらしい。まあこんな敵地で危険を犯すような真似はプロディージはしないだろう……メルローゼに何かない限りは。
「リムはセイド嬢と私とラスを頼むよ」
「……この人数の護衛を、たった二人だけでするのですか? フィーギス殿下の連れて来た近衛騎士達は?」
「会場内に配備しているが、今回は同じく護られる立場の王妃殿下がいるからねぇ。寝返るのは目に見えているし、あまり期待していないかな。だったら最初からリムとロム頼りの方がいい。それと、一応教えておくけれど、冗談ではなくリムの戦術とロムの武力があれば、二人だけでこの国を落とせるくらいには強いよ」
笑顔でそんな事を言うフィーギス殿下にプロディージは一瞬目を見張り、けれどすっと無表情に戻して頷いていた。
「……代行人と鳥騎族って凄いのね」
モードに身を整えてもらいながらこっそり耳打ちしてくるメルローゼに、ソフィアリアも同じくアミーに整えてもらいながら頷く。実はソフィアリアとメルローゼはみんなから離れ、部屋の隅にある鏡台の前だ。鏡越しに、みんなの様子を見ていた。
「リム様とプロムスが特別強いのは知っていたけれど、わたくしも模擬戦しか知らなかったら今聞いてビックリよ」
たった二人で国を落とせるのか。それは途轍もないなと思わず感心した。代行人と鳥騎族であるという補正もあるのかもしれないが、二人はその上で努力も重ねたのだろう。
「当たり前だけど人との接触は極力避けて、飲食はしないか、リムかロムに聞いてから口にするように。それと一人行動は勿論厳禁だよ」
「なあ、アミーとモードさんを本当に連れて行くのか?」
「何故か王が側に置いていた方が安全だって言うんだから仕方ないだろう? まったく、何があるのやら」
「なら、わかったけどよ……」
そう言ってプロムスはこちら……というより、アミーを心配そうに見ている。
確かにソフィアリアも大舞踏会の時のように、この部屋に防壁を張り待っていてもらうものだと思っていた。王城が吹き飛んでも防壁内は安全と言っていた王鳥がそこまで言うなんて、何があるのかとても気になる。
「そういう訳みたいだから、アミーとモードはプロムスの側から離れてはダメよ? わたくしを護るとかそういうのはいいから、自分の身を護る事を優先してね。……ごめんなさいね、もしかしたら怖い思いをさせてしまうかもしれないわ」
「私達の事はいいのです。それより、ソフィ様をお護りしなくてよろしいのですか?」
「わたくしもリム様に護ってもらわなければならないもの。感情のままに予想外の動きをしてしまったら、かえって足を引っ張る事になるわ。護られる事しか出来ない人間は動じずに、大人しくしておくのが一番なの」
「……かしこまりました。ではソフィ様も私達の事は気にしないでくださいね」
モードが念を押すように笑ってそんな事を言う。そうくるかと曖昧に微笑むも、じっと見つめられたので仕方なくコクリと頷いた。
二人の雇い主はソフィアリアなので気持ち的には動きたくなるが、動くなと言ったのはソフィアリアだ。なら、観念するしかないのだろう。
女性陣でそう話し合っているのを見届けて、フィーギス殿下は口を開く。
「会場入りをしたらまずは主催のイン・ペディメント侯爵家の人間が挨拶に来るはずさ。まあ侯爵家の人間に話す事なんてないから挨拶だけ受けておけばいいかな。世間話くらいはする事になるだろうけどそこは臨機応変、難しければ私にでも遠慮なく投げたまえ」
「今日は当主のイン・ペディメント侯爵夫婦と次期当主である嫡男夫婦、それと商会跡取りの次男のラクトルが出席する予定らしい」
ラトゥスの言葉を聞いて、ふとラクトルという男性は結婚も婚約もしていないのかと今更思った。たしかもう二十六歳で、商会の跡取りがその年まで独身なんて不自然だ。貴族名鑑では優秀に見えたが、よほど何か大きな問題がある人なのだろうか?
チラリと横目で見たメルローゼが何やらソワソワしていた。鏡越しだとわからないが、多分プロディージもそんなメルローゼの様子に気が付いているだろう。
「そのあとは声を掛けてくる人間を躱しながら王妃殿下に挨拶に行って、その後に王鳥から重大発表という段取りをしているけど、多分その発表までいく事はないよ」
「何故だ?」
「あの王妃殿下がそこまで黙っている訳がない。今日だって一番いいこの部屋を横取りしてしまったし、遅くとも挨拶をしに行った時には何か仕掛けてくるはずだ」
「ならいっそ、挨拶なんてせずに無視をすればいいのでは?」
「どのみち今日仕掛けてくるのはほぼ確定、今日を先送りしてもいつかは仕掛けてくるのだから、問題の先送りにしかならないよ。だったら今日こちらから出向いた方がましだね」
そう言って肩をすくめるフィーギス殿下に同意である。
ソフィアリアは現妃の事を人伝てでしか知らず、蔑んだ目で睨まれた事しかないので人となりを詳しくは知らないが、おそらく気が合わないなと感じるものがあった。
それに、ソフィアリアは彼女に色々思うところがあり、到底許せる気がしないのだ。既にそんな調子なので、よほどの事がなければ評価は覆る事はないだろうと思っている。
「……準備完了しました、ソフィ様」
「こちらも、メル様の身支度が整いましたわ」
話がひと段落したあたりで、ちょうど会場入りする前の最終仕上げが完了したようだ。男性陣もそれを合図に立ち上がるので、アミー達にお礼を言ってそちらに移動する。
「さて、では行こうか。みんな、油断しないように頼むよ」




