終わりの夜会 3
身支度が終わったので玄関へ向かおうと思い、その玄関フロアへ至る階上でオーリムの姿を見つけ、ソフィアリアはふわりと微笑んだ。
「あら、ふふっ。今日はここで待っていてくれたの?」
そう言うとプロムスと何やら話していたオーリムはこちらを向き、キラキラと目を輝かせて頰を緩ませる。それを引き締めようと必死になっている様が嬉しくて、つい笑ってしまった。
「ああ。……フィアには暖色の方が似合うけど、これくらい明るい色だと寒色もいいな」
「ふふっ、ありがとう。わたくしはもう少し暗い色の方が王様とリム様の色だから嬉しいなって思うのだけれど」
「フィアは明るい色の方が似合う。俺と王の光だから」
さらりと凄い事を言うものだから、思わず照れてしまった。
けれど本人はドレス姿に夢中なようで、ギュッと心を鷲掴みにしたのも無意識だったらしく、そんなソフィアリアの様子には気付いてくれなかったが。
擽ったい心のまま、ソフィアリアもオーリムの全身を笑顔で眺める。
「リム様も、白も素敵だわ」
うっとりと溜息を吐きながらそう言うと、オーリムは少し困ったように笑っていた。いつも黒や紺と言った暗い色しか纏わないので、明るい色は着慣れないのだろう。
オーリムの本日の装いは、コートとボトムスは白に黄金の刺繍を入れ、黒い太目のラインを入れたり襟や袖口、ブーツを黒にして明るくなり過ぎないように工夫されていた。
シャツは紺、ベストは左右それぞれ半分白、半分黒で、黒の上には同色の糸で繊細な刺繍を入れて華やかに。あとで羽織るらしい手に持つマントはソフィアリアのドレスと同じ明るい夜空色に、黄金の宝石を散らしている。
今日は大舞踏会のような王侯貴族総出の大きく畏まった夜会ではないからか、髪は上げなかったんだなと思いつつ、ソフィアリアは満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ、お揃いね?」
「フィアがデザインして、お揃いにならなきゃ俺は選ばないデザインだ」
「あらもったいない。白も似合っているのに」
そう。今日のソフィアリアのドレスとオーリムの正装は色味がお揃いなのだ。ソフィアリアのドレスを王鳥とオーリムがデザインしている時に、ソフィアリアはそれを見ながらオーリムの正装を一着変更して、お揃いにしてもらった。婚約者同士でお揃いなんて、仲の良さをアピールするようで幸せではないか。
そして王鳥は夜会に参加する訳ではないのだが、ソフィアリアのドレスとオーリムのマントと同じ、明るい夜空色のクラバットを着けてくれているはずである。そんな三人お揃いの光景に期待で胸踊らせるのは当然の事だ。
「王も見たいし、見せたいって。行こう」
「まあ、本当!」
手を差し出して支えてくれようとしているオーリムの手に手を重ねながら、思わず声を弾ませてそう返してしまう。オーリムは苦笑し、ソフィアリアに合わせてゆっくり階段を降りながら頷いた。
「外で待ってる。……フィアはここ最近、王ばかりだな」
「そんな事……あるわよね。ごめんね? リム様。でも気持ちが薄れた訳ではないのよ?」
「わかってる。フィアはずっと俺の事が変わらず好きだって。でも俺への気持ちは変わらないのに、王への気持ちばかり大きくなっているのは狡いから、さっさと仲直りして俺の事ももっと見てほしい」
そんな風に理解を示されると、グッと泣きそうになってしまう。なんだか両想いになってから、オーリムには甘えてばかりいるなと思った。
甘えたな自分は嫌なのに、そうやって甘やかされるのは心地いい。恋心とはなんと困ったものなのだろうか。
「わたくし、リム様に恋が出来て幸せだわ」
「そ、そうか……。うん、そう言ってもらえて良かった」
先導しながらしどろもどろにそう返してくれるオーリムの耳は真っ赤だ。それがまた嬉しくて、ついくすくすと笑ってしまうのだった。
「あら?」
と、階段を降りきったところの壁に、まるで隠れるように張り付いているプロディージが居て目を丸くした。プロディージは眉間に皺を寄せ、ものすごい表情でソフィアリアを睨んでくる。
「……そんな所で何やっているんだ?」
オーリムもそんなプロディージの様子に首を傾げる。プロディージはそんな二人を見て大きく溜息を吐き、ガシガシと後頭部を掻いていた。
「二人で何しようが勝手だけど、場所は考えなよ。女やってる姉上とか見たくもなかったんだけど?」
「あらあら。この子ったら覗きだなんて、いけない子ねぇ」
「覗きがいけないなら、姉上はもう大罪人だよね」
蔑んだ目で見てくるプロディージには笑って誤魔化す。セイドに居た頃、身近で行われていた弟義妹のラブロマンスに心ときめかせて覗き常習犯と化していた事は、やはりバレていたようだ。まさかそれがクラーラにまで継承されているとは思わなかったが。
二人にしか通じてない応酬にムッとしたオーリムはプロディージを睨むと、階段の上を顎で差す。
「ペクーニア嬢をエスコートするなら、階段の上で待っていた方がいい。ドレスで階段の登り降りは危険だ」
「うっわ経験者ヅラめんどくさっ。階段上がれなかったのは誰のせいか自覚ない訳?」
「悪かったなっ!」
「そうだよ悪いんだよ。よくわかってんじゃん」
オーリムはキッと、プロディージはジトリと睨み合いをし出す二人に微笑む。壁際で控えているプロムスはおかしそうに、アミーは呆れたようにそんな二人を見ていた。
「なに子供みたいな事やってるのよ」
と、そんな事を言い争っていたから、プロディージが迎えに行く前にメルローゼがやって来てしまった。ソフィアリアより手慣れた感じで夜会用のドレスを捌いて降りてくるので、プロディージは少し駆け足気味で階段を駆け上がる。
半分より上のあたりで合流し、プロディージは手を差し出した。
「ペクーニア嬢。今宵のエスコートは私に委ねていただけますか?」
なかなかキザな事をやるものだと思い、ソフィアリアはそんな様子をドキドキ見ていたのだが、オーリムは居心地悪そうに視線を外していた。他人のああいうのは見ていられないらしい。
メルローゼは少し迷って、でも困ったように笑って頷き、手を重ねる。
「ええ、よろしくお願いしますわね、セイド卿」
そう言うとプロディージは安心したように微笑み、指先に口付けるとゆっくり階段を降りてくる。嬉しそうなその表情はなかなか珍しいものだなと微笑ましくなった。
階段を降りて来るとメルローゼはソフィアリアに視線を向け、ぱっと明るく笑う。
「ソフィ! とっても美しいドレスね! 独占欲全開なのはどうかと思うけれど、すごく似合っているわ!」
「悪かったな、独占欲全開で」
「ふふっ、ありがとう。こうやって夜会用のドレスで並ぶのは初めてね? メルもとっても可愛いわ」
メルローゼのドレスは島都にあるペクーニア子爵家のタウンハウスから持参したらしいAラインのモノトーンドレスだった。腰の大きな白薔薇のコサージュと黒リボン、白と黒が波のように折り重なったスカートがとても可愛い。
髪型はハーフツインを白リボンで纏めており、全体の色の統一感も素敵だ。……赤色をつい探してしまうのは、仕方のない事だけど。
「あと、今日はこれを着けてね」
そう言ってアミーを一瞥するとアミーは頷いてメルローゼの背に回り、その肩に二股に分かれた白のチュールマントを掛けた。今日は大鳥関係者の一人として出向くので、二股に分かれた装飾は必須だ。
プロディージだってコートが二股に分かれている。あれはオーリムから借りたものなのだ。
「ありがとう、借りるわ。……あーあ、まさかソフィと初めて行く夜会がこんな事になるとは思っていなかったわ」
「あら、一緒に夜会に行ってくれるつもりだったの?」
「勿論。結婚していたら旦那からさっさと回収して、してなかったらお茶会とか夜会とか参加して、一緒にペクーニア商会を盛り上げてもらおうと思って」
「フィアの回収は阻止するし、社交はさせられない」
「……ねえソフィ。こんな社交すら許さない懐の狭い男で本当にいいの?」
「大事にしてくれるから幸せよ」
「……ロディといいあんたといい、俺にあたりが強くないか……?」
そんな事を話しながら玄関から出ると、大舞踏会と同じく王鳥が待ちきれないと言わんばかりに立っていた。首元には予想通り、ソフィアリアのドレスとオーリムのマントと同じ、明るい夜空色のクラバットを着けている。
その姿を見た途端、じんわりと目に涙が浮かび、思わず駆け寄ってその胸元に抱きついた。
「王様っ! 王様あのね、わたくし、寂しかったの」
涙声で訴え、見上げた王鳥はいつもみたいに優しい眼差しをしていて、スリっと頬擦りをしてくれる。距離が遠かった事なんて嘘だったかのような仕草にひどく安心して、ほっと肩の力が抜けていくのがわかった。
「ピィ」
「そう、ですわよね。わたくしの考え過ぎですよね? 王様はずっとわたくし達の側に居てくださるもの。……ごめんなさい、わたくし、本当に寂しかったみたいですわ」
「ピ!」
その肯定の声が嬉しくて、ギューギューと遠慮なく抱き付く。髪を梳いてくれる王鳥は、いつも通りのソフィアリアの優しい旦那様だ。
「……僕達は何を見せられている訳?」
「ソフィったら、いつからあんなに甘えたになったのかしら?」
プロディージからは呆れられ、メルローゼは少し嬉しさを滲ませてそう言われたが、今は王鳥成分を心に満たすのに忙しいので聞いていられないのだ。甘えた上等である。
「王、フィアを泣かせるなよ」
「プーピ」
オーリムも側によって来て、さりげなく肩を抱かれる。それだって嬉しかった。
「ふふふ、愛して側に居てくれるなら、いくらでも泣かされていいのだけれどね? でもやっぱり三人で笑っていたいわ。……夜空色のクラバット、王様もお揃いね」
「ピ」
つんと優しく額を嘴の先で突かれ、多幸感でくすくす笑う。
――そう、あの時感じた距離感は、寂しさ故の錯覚だったと思い込もうとした。
*
馬車の側で待っていた両親とクラーラ、双子の大鳥に見送られ、四人は同じ大屋敷で所有する馬車に乗った。今日も大舞踏会と同様に馬車の上には王鳥が乗っている。
初めて見るプロディージとメルローゼはその光景に呆気に取られ、中に乗り込んだはいいが天井が崩れないのか気になるのか、しきりに上を気にしている。重さは感じないと言っているのに、だ。
ちなみに今回も後続の馬車にはアミーとプロムス、今日はメルローゼ付きのモード、その馬車の上にはキャルが居た。何も言っていないのに当然のように乗っていたキャルもブレない子である。
「代行人様の馬車ってさすがと言うかなんというか、めちゃくちゃいいものを使っているのね?」
内装、座り心地、座面のクッション性を手で確かめながらうっとりとそう言うメルローゼに、オーリムは目を眇める。
「そうか? 乗り心地が悪くて遅いと思うが」
「僕の家の新調した馬車より何十倍もいい物使っといて何言ってんのさ。というか、速さなんてどうにもならないでしょ」
「ふふ、リム様は体裁を保つって理由がなければ王様に乗って移動するのだもの。お空の移動は楽しくて速いのだから、馬車をそう感じるのも仕方ないわよね?」
「だよな」
オーリムと二人で微笑み合い、わかり合っていたのだが、その空を飛んで気絶したメルローゼと、微妙な反応をするプロディージには渋い顔をされてしまった。二人からの同意は得られなかったようだ。
「……で、いつもは王鳥様に乗っているのに、この王鳥様が乗っかっている状況はなんなの?」
やはり気になるのか、ジトリと睨まれてしまった。まあソフィアリアも初見は驚いたし、外から見れば注目の的なので、仕方ないのかもしれない。
「ただの牽制だ。こうしておけばこの馬車を襲撃してやろうって気にならないだろ? 別に襲撃してきたところで王と俺がどうにでも出来るが、取り締まるのが面倒だから移動の際はこうする事にしている」
「私、聖都には何度も来ているし、この馬車も見た事はあるけど、王鳥様が乗っているところなんて初めて見たわよ?」
「わたくしの為だもの」
ソフィアリアがこの大屋敷に来る以前、オーリムとプロムスの二人だけだった頃はそんな事をしていなかったと言うのだから、これはソフィアリアの為なのだ。
「へぇ〜、随分と過保護にされているんだ?」
「それはそうよ。だってわたくしに何かあれば王様もリム様も黙っていないし、大鳥様達だって怒ってしまうわ」
プロディージの軽い気持ちで発したからかいに現実を突きつけておくと、途端顔を青くしたのだから困った子だ。大舞踏会で起こった異変も噂では聞いただろうに、ソフィアリアの身の安全と大鳥の機嫌が未だに結びつかないらしい。そして大鳥の機嫌を損ねるという事は神様――それもこの島を護ってくださっている神様の機嫌を損ねる事と同義なのだ。下手に手を出せば地上から人間が消える可能性だってある命なのだから、過保護なくらいでちょうどいい。
フィーギス殿下だってそれを危惧して、大舞踏会であんな事をさせてしまったのだから。
「なんていうか、とても重い物を背負ったのね、ソフィ?」
「ええ。でもそれ以上に幸せだからいいのよ。王様とリム様がそんなわたくしを支えてくれる限り、ここに立って居られるわ」
だからソフィアリアにはなんとしても、恋をした二人の存在が必要不可欠だった。
わりとどうでもいい補足:ソフィアリアとオーリムの正装と王鳥のクラバットは第一部番外編『自分好みに着飾らせたい』で話し合っていた衣装です。




