過去の『せいさん』 6
「ドロールという男が元はセイドに居て、フラーテの実子ねぇ……」
重なっていくセイドの罪に、フィーギスは笑みを浮かべながら遠い目をする。その言葉に誰よりも動転したのは、この中で一番ドロールと親しかったプロムスだ。
「はあっ⁉︎ あいつ、そんな事一言も言ってなかったぞ!」
「ロムはドロールという男の事をどの程度知っていた?」
「母子家庭で、母親が亡くなるまでは国中を転々としていたらしいけど……あー、母親の職業柄、父親が誰が知らず、フラーテもまさか子供がいるなんて知らなかったのかもな……」
腕を組んで難しい顔をしているあたり、ドロールの母親は水商売か何かをやっていたのだろう。それはオーリムも初耳だ。
ふと、ドロールの顔を思い浮かべる。そういえば彼は栗色の髪で、ソフィアリアの父に少し似ていたような気がする。ドロールがフラーテの実子なら、ソフィアリアの父とドロールは親子ほどの年齢差はあるが、従兄弟だからかもしれない。
『ちょっと借りるぞ』
それだけ言うと、無理矢理後ろに引っ張られるような感覚がした。どうやら王鳥に身体を乗っ取られたらしい。
オーリムの身体を乗っ取った王鳥は偉そうな態度で背凭れに片腕をかけて足を組み、今は誰も知らない事実を語り始める。
「フラーテの大鳥はな、ドロールにセイドの正式な後継者はおまえだと唆して、父の悲願であったセイドの破滅と、余達の妃の奪取を誓い合っておった」
「ちょっと待てちょっと待てっ⁉︎ セイドの破滅はともかく、ソフィアリア様奪取ってなんだよっ!」
「フラーテの計画はラーテルを苦しめる事とラーテルが築いてきたものを穢す事、この国に戻ってきた後はラーテルが囲っておった妃を奪う事だったからな」
さらっと言われたが、そんな事誰も知らない。いや、もうそれを目論んだ本人が居ないのだから、知りようがなかった。特に最後は聞き捨てならないが、今は王鳥に身体を使われているので何も言う事が出来ない。
「……セイドの荒廃はフラーテの仕業なのか?」
ラトゥスはそれが一番気になったらしい。
「半分はな。ラーテルはトリスが生きていた頃はそれなりに有能だったのだ。領地経営も順調で、裏で運営していたアーヴィスティーラも儲かっておったしな」
「義賊が儲かっている地点で色々間違っているけどね」
「まあな。で、久々に里帰りしたフラーテはそれを目の当たりにし、セイドの繁栄を祝福しつつも同時に嫉妬した。ちょうどトリスも懐妊しておったしな」
それはオーリムにはわからない感覚だと首を傾げる。自分が継がなかった実家と領地を兄が上手く経営している事のどこに嫉妬を覚えるのか。
元恋人の方は理解出来るが、自分を捨てて地位のある男を選ぶような女だ。それでもまだ愛していたのだろうか。
「その帰りに大鳥から真実を聞かされて怒りに囚われてしもうて、じわじわ嬲るような復讐をする事にした。手始めにトリスを奪ってやる気だったが、計画を立てて会いに行った時にはもう死んでおったようだ」
「フラーテは元恋人が亡くなったのを知っていたのかい?」
「まあな。ラーテルも勝手に廃人になっておるし、行き場のない怒りのぶつけ先を、ラーテルが大事に育んできたセイドの領地とアーヴィスティーラを穢す事で鬱憤を晴らそうとしたようだな」
ニッと馬鹿にしたような笑みを浮かべ、前髪を掻き上げる。無関係なものを巻き込んで憂さ晴らししようとする様はどうしようもなく愚かで余計に惨めだと、心の声が聞こえた気がした。
「アーヴィスティーラを穢す為に選んだのが結成当初の正義とは真逆の暗殺者だったのはもう少しどうにかならんかったんかと思うたが、まあおかげでアーヴィスティーラは義賊より暗殺者集団として有名になったから多少は溜飲を下げたのだろう。他国で名を上げて二十年以上、次はいよいよ島都だという時にセイドに帰ってみると、ラーテルはトリスによく似た孫を囲って、狂気の中で幸せそうにしておるのを目の当たりにした」
「二十年以上も意味のない憂さ晴らしに費やしてまだ満足出来ないのだから、フラーテの狂気も大概だね。さすが双子だ」
「だな。その頃のセイドはまだ領地経営もおざなりで過去の遺産を食い潰す状況だが、圧政と言える程酷い状況ではなかったようだ。そこでフラーテはセイドを荒廃させるという悲願を叶える為に、妃をより『可愛がらせ』て領地や遺産を食い潰させ、最後にラーテルの当時の最愛であった余達の妃を奪って、絶望させる事にした。まあその前にプーがラーテルを始末したせいで、計画は中途半端な形で幕を閉じてしもうたがな」
ニヒルに笑ってプロディージを見るも、プロディージは軽く瞳を揺らしただけで表情を変える事はなかった。プロディージは結果的にそうやってソフィアリアを護っていたらしい。
「セイド嬢の奪取はもう諦めていたのかい?」
「復讐したかったラーテルが居らぬからな。フラーテはラーテルを憎んでおっただけで、セイドを陥れる事も妃の身も、言うほど興味はなかったようだ。ラーテル亡き後は惰性で暗殺者を続けておったみたいだが、目標を失ったラーテルが今度は廃人と化しておって、そこを余が始末した。なんとも迷惑で虚しい末路と人生な事よ」
それが、もう誰も知らないフラーテの真実だという。言い終わったのか身体を返されたので、姿勢を正して腕を組む。
同情出来る点がないとは言わないが、だからといって許される事ではない。被害範囲が広過ぎるし、話の通りだとフラーテの介入がなくてもそのうちセイドは荒廃していただろうが、それをダメ押しして荒廃を加速させたのはフラーテだ。
そしてフラーテが提案した可愛がりにより、ソフィアリアはセイドの荒廃は自分のせいだという意識を一生背負う羽目になっている。これは私情だが、到底許せる事ではない。
「……僕が見つけたのは、その食い潰しの証拠だったのですね」
重なる身内の罪状にすっかり気落ちしているプロディージは重苦しい溜息を吐いていた。誰にも知られなくても罪は罪だ。プロディージ一人だけがその凄惨な過去を背負って、これからセイドを発展させていかなければならない。
そう思うととても不憫だと思った。だからといってソフィアリアは絶対返してやらないが、せめてメルローゼとの問題はなんとか上手く解決してくれればいいのだが。
「痕跡を残したのはフラーテの仕業だろうねぇ。おそらくセイド嬢を連れ去ってラーテルを絶望させた後、アーヴィスティーラのトップだとでっちあげるか、取引のあった人間という理由で、最期は処刑台にでも登らせる気だったのではないかな?」
「だろうな。正義のヒーローであったはずのアーヴィスティーラは畏怖の対象、セイドの名もそれで地に落ちて消える。憎い兄だと思っていた弟は罪人となり、処刑される。この上ない復讐劇だろう」
オーリムも頷く。本当は鳥騎族隊長でありながら離反して暗殺者組織なんて立ち上げる前に、先代の王鳥がなんとかすべきだったと思ったが、今言っても仕方のない事だ。
とりあえず知らないうちにプロディージが計画を阻止して、今の王鳥がフラーテを始末しておいてくれたおかげで計画は中途半端な形で幕を閉じてよかったと思った。
それに、オーリムは気付いた事があるのだ。
「……王は俺のお姫さまがフラーテに狙われていると気付いたから、真っ先に始末しに行って、アーヴィスティーラとセイドとの関わりを隠蔽する為にあの部屋も隠したのか?」
八年前、王鳥は王城で新しい代行人としてラズを披露した後、大屋敷に置いてすぐに飛び立っていってしまった。
その後すぐにアーヴィスティーラのトップを始末したと国に事後報告したらしいが、早急過ぎるその行動は、ソフィアリアの身とセイドの名誉を護る為だったのではないだろうか。
フラーテがセイドの人間だと知られると、セイドは少なくとも爵位剥奪、更にラーテルのやらかしも合わせて考慮すれば、一族全員処刑の可能性も無きにしもあらずだ。
当時から王鳥はラズの願いを知っていて、将来的に願いを叶える為にそんな事をしたのではないだろうか。
王鳥はニンマリと笑って髪を梳いてくるので、オーリムは鬱陶しいとばかりに押し返した。
『全てがラズの為という訳ではないが、それも理由の一部ぞ。まあ余は悪さをしておる大鳥も鳥騎族も見過ごしてやるつもりなぞなかったが、よりによってラズが其奴の遠い血縁者なんぞを切望しておったのだから、運命とはなんとも残酷な事をすると思うたぞ』
「はは、本当に運命の気まぐれとは酷な事をするものだね? でも、王がセイド嬢を護る為だけで動いたのではないと言ってくれて安心したよ。身内贔屓が過ぎると叱らなければならなかったからね」
フィーギスがさり気なく意訳してくれる。まあセイドの隠蔽は充分身内贔屓だと思うが、大鳥が関わって犯した罪はどんな理由であろうと容赦しないのは本当だろう。ソフィアリアが関わっていなくても、王鳥はフラーテを始末していたはずだ。
「……で? ローはそんな親の意思を継いで、あんな事をしたってのか?」
そう言うプロムスの目は酷く険しい。
話の方向性がフラーテの過去に行ってしまったので危うく流される所だったが、そういえばドロールがフラーテの実子だったという話をしていたのだった。
『……大鳥に上手い具合に言いくるめられておったのもあるが、まあそうだな。ドロールの目標はセイドの破滅とフィアの奪取なのは変わらんよ。親の……というより、前任者の願いを叶えたい大鳥に絆されておったのは間違いない』
「親であるフラーテの意思を継いだというより、フラーテの悲願を叶えてやりたかった大鳥に絆されたんだとさ。……でもローは権力欲なんて無縁で、俺のお姫さまがセイド男爵家の令嬢だって知ってたはずなんだけどな」
そう言って思わず窓から空を見上げる。ドロールは根っからの平民で気は弱く、素直で優しい奴だった。自分に貴族の血が流れていると知っても、野心を覚えるような奴ではなかったはずだ。
それに彼はオーリムがソフィアリアを恋しがっているのは知っていたし、ソフィアリアがセイド男爵令嬢だとも話した事があった。それを知っていても、大鳥の願いを叶える事を優先したのだという。
最期に対峙したのは島の東側の上空で、今思えばセイドに近かったような気がする。
あの時もセイドに向かっていたのだろうか。契約者の悲願を叶えたい大鳥の為に討ち漏らしがないよう、あの部屋や領地に赴き、セイド男爵家全員の事を調べていたのだろうか。
友人より親の事を優先するのは当たり前なのかも知れないが、少しだけそれが寂しいと思った。彼とは結構気があって、一緒に過ごした時間はあの失意の中でも、ほんの少しの希望を見出していたのに。
そんなオーリムにつかつかと歩み寄り、わしゃわしゃと髪を混ぜたのはプロムスだ。ギロリと見上げるとニッと意地悪く、でも目の奥が寂しそうに笑っていた。
「最期はそんなだったけど、何も知らない頃のあいつはリムをちゃんと友人だと思って、本気で心配してたんだ。んな顔してやるな」
「……ああ、そうだな」
ふっと笑ってみせる。そんなオーリムより長く過ごし、仲が良かったのはプロムスの方なのに、どうやら気を使わせてしまったらしい。
もうすぐ結婚だってするのだからしっかりしないとなと、首を振って気持ちを入れ替えた。
「集めた情報はこれで一通り擦り合わせたかな? まあ見つけただけで今更どうしようもないし、どうせ隠し通す以外の事は何も出来ないのだから、一先ず置いておこうか。それより明日の夜会の方が大事だからね」
フィーギスが姿勢を正したのを見て、全員がそれを追従する。言葉と姿勢一つで空気を入れ替えられるのだから、さすが次代の王だ。
「ラス、イン・ペディメント卿の調べは?」
「ついている。明日はもちろん参加だが、今のところイン・ペディメント侯爵家共々不審な動きは見られない。それとリムの言っていたミクスという従者だが、明日は夜会で使用人として給仕を担当するらしい」
「なら、また会うかもしれないな」
オーリムはミクスと触れ合った時に感じたあの妙な感覚がなんなのか気になっていた。王鳥は答えてくれないし、居るなら近くで警戒していればいいだろう。
「それと、王妃殿下がここ最近妙に機嫌がいい」
「最悪ですね」
「君は本当に王妃殿下が嫌いだね? まあ、そういう訳だから警戒を怠らないように」
「当然。フィアの暗殺依頼を出す奴なんか許しはしない」
「……何それ?」
プロディージはぼんやりしたいつもの眼差しながら、けれど少し冷えた気を纏わせてそう尋ねてくる。
本当にこの弟は、姉の事をぞんざいに扱いながらも大事に想っているなと苦笑し、そういえばこの中で唯一それを知らなかったなと思い出した。
「一昨日の夜、アーヴィスティーラの拠点で会ったイン・ペディメント侯爵家の従者が、王妃がアーヴィスティーラに宛てたフィアの暗殺依頼書を持っていたのを回収したんだ」
「……あからさま過ぎじゃない? 何か誘導されている気がするんだけど」
「まあ、私もそう感じない事もないけど、どのみち王妃殿下は警戒対象だよ。セイド嬢の側にはペクーニア嬢も居るのだから、君も警戒しておくように」
そう言ってフィーギスは懐から何か封書を取り出し、プロディージに渡した。プロディージは目を眇めがら中身をあらため、目を見張っている。
フィーギスはその反応を満足そうに見つめていた。
「渡しておくから上手く使いなよ」
「……ご高配感謝申し上げます。ですが、また返却するかもしれません」
そう言って寂しそうに薄く笑うプロディージが渡されたものが何なのか、オーリムには全くわからなかった。




