過去の『せいさん』 2
「――だからね、屋敷を建てる場所も選べるなら、外壁を跨ぐ位置に建てるべきなのよ! プライベート空間や執務室、駐屯地は大鳥様もいらっしゃる内側に、客室や応接室、温室やホールなんかは誰でも入れる外側にね。全て外壁の中に作ってしまったら大鳥様が認めた人しか入れなくなって、屋敷に人を招いて社交なんて出来なくなってしまうでしょう? 内側だけを大鳥様も出入り出来るようにすれば、外側は普通の屋敷のように作れて建築時間の短縮にもなるし、絶対そうするべきよ!」
揺れの少ない馬車の中で、斜め向かいの窓際に座るプロディージにそう力説するのはメルローゼだった。
六人乗りのこの馬車はセイド家のものだが、内装を設計したのはメルローゼだ。我ながらいい仕事をしたとしたり顔になるのは仕方のない事。これを設計する為に、わざわざ馬車の構造から派生して、建築の事まで勉強したのだ。
その甲斐あったのか、まさかセイド家の新しい屋敷の間取りまで取り決める事になるとは思わなかったが、依頼された仕事はきっちり熟すのがメルローゼのポリシーである。短時間しかない中でも最高の成果をあげようと、昨日一日考えたのだ。
まあ成果を出したところで肝心の依頼主は先程から「へぇ」「いいんじゃない」と生返事ばかり。こだわりはないと言っていたが、なら何故わざわざメルローゼに依頼なんか出したのか。本当に昨日言われた通りの理由なのかと、今は疑うばかりだ。
「もうっ! ちゃんと聞いてるのっ⁉︎」
「聞いてるよ。その通りだと思ったからそう返事をしただけ。何か文句ある? ……でも、うちが社交場になる事は頭から抜け落ちていたな。うちに来る貴族なんて君くらいだったから、すっかり忘れていたよ。セイドが大きくなれば、そういう事も必要なのか」
「当然じゃない。貴族なんて高位であればある程、横の繋がりが第一だわ。まあ、セイドは付き合う人を選ばないといけない特殊な立ち位置になると思うけれど、それでも社交は大事よ。そしていざ招いてみたものの、屋敷に入れられませんでした、なんて許される訳ないじゃない」
だろうなと予想していたが、やはり領地での社交なんて考えていなかったらしい。思わず溜息が出る。
セイドは男爵家の更に末席、それもつい最近まで荒廃しており没落寸前、社交界にすら出ていない引きこもり貴族だったのだから、こうなる事は予想済みである。
でも、もうそういう訳にもいかないだろう。セイドは今一番話題にのぼる家で、注目の領地なのだから。
プロディージも社交界デビューを果たし学園を卒業した暁には、伯爵領まで成り上がってみせると意気込んでいたのだから、島都で行われる社交シーズンにだけ目を向けていてはいけない――まだその野望を抱いているのか、成り上がりたい理由を知るメルローゼにはわからないが、まあこの男なら一度決めたのだから必ずやり遂げるだろう。長年の付き合いでそのくらいはわかる。
「建てていい場所の事までは聞いてないけど、明日聞くよ。無理なら二軒建てる必要があるし」
「ちょっと! 二軒目なんて聞いてないわよっ!」
「僕も今知ったんだからしょうがないでしょ。まっ、社交の場になる外側なんてまだまだ先でいいよ。どのみち僕が学園を卒業しなきゃどうしようもないし、鳥騎族の駐屯地とクーと双子の住める場所を最優先だ」
そう言って何かメモを取っている。ぼんやり眠たげで生返事だったが、言った通りちゃんと聞いてはいたらしい。
というか
「……ねえ、もしかして寝てないの?」
それに気が付いてしまった。いつも眠そうな目をしているが今は特に酷いし、目の下に隈がある。フィーギス殿下達と一緒になって何か調べ物をしているようだが、この男、きちんと寝ているのだろうか?
「まあね。けど、たかが学園の入学試験なんて寝てても満点取れる程度でしょ。君こそ大丈夫な訳?」
「私がろくに勉強出来なかったのは、あなたが今これを頼んできたからじゃない! ……まあ、殿方と違って女生徒にとって学園は社交場で、高位でもなければ学業なんて力を入れないものだけど」
「何、適当にする気?」
「まさか。私だってソフィやあなたと一緒に勉強したのだから、生半可な成績は取らないわよ。絶対高位クラスに入るに決まっているじゃない。高位貴族と同クラスになって、仲良くなってペクーニア商会を売り込む! これが出来なければ学園なんてお金の無駄だもの」
ふふんと得意げな表情で笑ってみせると、プロディージに苦笑されてしまった。
そう、メルローゼの学園入学の主な理由はそれだった。
ペクーニア商会は右肩上がりでそこそこ名が売れてきたが、所詮そこそこだ。学園には兄達も通っていたが、男兄弟しかいないから勉強するのに必死で、社交なんて考えもしなかったそうな。
せっかくの機会に何をやっているのだと呆れつつ、メルローゼが名乗りをあげた。婚期が学園卒業までと先送りになるが、それを見越しても高位貴族と知り合う可能性がある学園に入学の方がお得だと思ったのだ。
幸い学力はこの国の令嬢にしては持っている方である。いい成績を修めて、高位貴族ばかりの高位クラスに入る事だって夢ではないだろう。
最近色々あり過ぎて勉強する暇もなかったが、まあ大丈夫だろうと楽観視していた。規格外のソフィアリアとプロディージにはもちろん劣るが、高位貴族のご令嬢と渡り合える程度の実力は持ち合わせていると自負しているのだから。
「……じゃなくて、眠いなら話し合いなんてしてないで、少しは寝なさいよ。試験中に寝落ちなんて洒落にならないでしょう?」
「二徹くらいで寝落ちする程、やわじゃないし」
「今日だけじゃないのっ⁉︎ もうっ、馬鹿ね! もう出来ているし、あとは間取り図を渡すだけでも大丈夫だから、さっさと横になる!」
何をしているのだとぷりぷり怒って見せれば、プロディージからジトリと睨まれてしまった。何故だと目を眇めれば、はあーと溜息を吐かれる。
「……何よ?」
「本当にいい訳? 後悔しない?」
「あなたが寝て後悔する理由がある訳ないじゃない」
何を言っているのかと怪訝に思えば、プロディージは少し考えていたが小さく頷き、徐に立ち上がると、あろう事かメルローゼの隣に移動してきた。目を白黒させているうちに身体を倒し、当然のように頭をメルローゼの膝に乗せる。
「っ⁉︎ ちょ、何やってっ⁉︎」
「僕の寝相の悪さは君も知ってるでしょ? 誰かに押さえてもらわないと、馬車だと座席から落ちて怪我をするからね。そんな事になったら試験を受けられなくなるじゃないか」
「言い方っ! や、あの、誤解だからねっ⁉︎」
視線を感じたので必死に弁明をする。さすがに馬車に異性と二人きりでは乗れないので、大屋敷の侍女のモードに付き添いを頼んでいるのだ。
寝相を知る仲なのかと驚かれた後、優しい目で微笑まれたが、誤解だ。プロディージは昔からおやつ以外の寝食を疎かにするので、メルローゼと過ごす時間にソファで横になる事が多かっただけだ。よくソファから転がり落ちていたから寝相を知っているのだ。同衾なんてしていない。
心の中でそう必死に弁明しつつ、顔に熱が集中するし落ち着かないしでバタバタしていたら、既に目を瞑っていたプロディージからまた溜息を吐かれた。
「うるさい。あと窓際に寄って。足伸ばせないから。君が誘ったんだから、責任とってよね」
「〜〜っ‼︎ わ、わかったわよ、しょうがないわねっ‼︎」
「ん、ありがとう」
移動した後、口元が緩やかに弧を描いて言った言葉を信じられないような目で見ながら、思わず固まってしまう。
プロディージは変わった。嫌味も気持ち程度になったし、お礼も言うようになった。婚約中は二人きりでこんなに穏やかに話せる事すらなかったのに。
けれど、どんな理由であれ今更だと、ふーっと気分を落ち着けるよう溜息を吐いた。そして、窓の外を流れる聖都の街並みをぼんやりと眺める。
しばらく静かにしていると、ずしりと膝に乗せた頭が重くなり、規則正しい呼吸音が聞こえる。相変わらず寝つきがいいなと苦笑して、そっと短い髪を撫でた。
モードはファッション誌に視線を落とし、見ないフリをしてくれている。婚約者であろうと本来許される行為ではないし、違う今はもっとダメだ。そうやって気を遣ってくれたのだろう。侍女としてよく出来た人である。
――プロディージとの事は今更なのだ。昨日屋敷の間取り図を考えながら、ソフィアリアの言った言葉をきちんと考えて、自分で結論を出した。
ソフィアリアは言っていた。メルローゼとプロディージは、ソフィアリアが居ないと話す事もままならない関係しか築けないのなら、結ばれる運命でもなく、婚約なんてするべきではなかったのだと。
あの日はつい感情的になってしまって酷いと詰ってしまったが、言われてみるとその通りだ。
素直になれず癇癪持ちでつい感情に振り回されてしまうメルローゼと、皮肉屋ですぐに暴言を吐くプロディージは根本的に相性が悪い。正直、ソフィアリアという緩衝材があっても、よくここまで続いたものだと感心すら覚える。
だから、そんな二人の関係なんてもう終わらせるべきだと思った。ソフィアリアは選択の余地をメルローゼに与えてくれたが、その余地すら必要ない。誰から見ても答えは明確ではないか。
長年一緒に居て、将来はこのまま夫として協力しながら歩むものだと思っていたので、胸が痛まないかと言えば嘘になる。今でもこれが悪い夢なのではないかと現実逃避したくなるけれど、これが現実だ。逃げる訳にはいかないし、もう覚悟は決めている。
だから、この選択で間違いはない……けれど
「ねえ、ディー。あなたはずっと、私からの愛の言葉が聞きたかったんでしょう? そしてお義姉様みたいに居なくならず、私はずっと一緒に居るって誓いの言葉が欲しかった……お義姉様から送られてくるお手紙があまりにも幸せそうで、もう帰って来ない事が寂しかったのよね? わかるわ、私もそうだったもの」
ソフィアリアが居なくなってからというもの、日増しにキツくなる言葉。プロディージの暴言は相手に期待して、何かを求めるが故だと知っていたのに、何を求められているのかわからず、言葉をそのまま受け取って反発した。期待はずれもいいところだったのだろう。
……違う。本当は気付いていたのだ。ソフィアリアから貰っていた分の愛情と甘く優しい言葉を、メルローゼが補ってくれるのを期待しているのだと。そしてずっと側にいるという言葉が、何よりも一番欲しかったのだと。
そうやって残された二人で傷の舐め合いをして、絆を育んで、お互いの気持ちを再確認したがっていた。
けれどメルローゼは照れが強くて素直になれず、そしてメルローゼだってソフィアリアが居ない事、帰ってこない事が寂しかった。その現実を受け入れるのに毎日必死で、プロディージの願いまで受け止められなかったのだ。
愛情も側にいるという願いも持っていたのだから、恥ずかしがらずにきちんと伝えていれば、プロディージはもっと穏やかになれたのではないかという後悔はある。せめて素直になれてさえいれば、確かめるような暴言も必要なかっただろうと思うとやるせない気持ちでいっぱいだ。
「七年も婚約しておいて一度も言った事なかったけれど、私はそんなディーの事、ちゃんと愛していたわ。ずっと側に居たかった。……ごめんね、今まで言えなくて」
最後にそう、伝えた。思い知った今でもこうして寝ている時にしか素直に言えないメルローゼでは、きっと隣に立つ資格なんて、最初からなかったのだろう。
次にプロディージと共に歩む人は、好意を素直に伝えられる人でありますようにと願うばかりである。
ポタリと一粒、ルビーから透明な雫が溢れたのを最後に、メルローゼは過去に縋って泣くのをやめる事にした。
*
ひどく懐かしい夢だ。ほんの少しだけ幸せな未来が見えた、あの頃の夢。
長く一緒に居たが、一番輝いていたのがはじまりのこの時だというのだから、愚かさに笑うしかない。
――当時八歳だったプロディージは、ペクーニアの屋敷の薔薇が咲き誇る庭園で、真っ白なドレスを着て白い薔薇を頭に飾った可憐な女の子を見つけた。
パチリと大きな丸い目は姉が見せてくれたルビーという宝石のようにキラキラしていて、身につけたドレスや頭の薔薇とは対照的な色の波打つ艶やかな黒髪は、プロディージは初めて見た髪色だ。
そんな異国の妖精のようだと思った少女はプロディージと目が合うと、首を傾げる。
『誰、あなた。お客さま?』
つい見惚れていたらそう声をかけられて、でも全身値踏みするような視線にムカついて、短気なプロディージは思ってもない暴言が口から滑り落ちていた。そんなどうしようもない性分だった。
『客だけど? 君こそ何さ。真っ昼間から影が死装束着て立っているものだから、幽霊でも見たと冷や汗をかいたよ。まったく、まぎらわしい真似しないでよね』
『はあっ⁉︎ 影⁉︎ 死装束っ⁉︎ あなた、こんなかわいい女の子に向かって幽霊とか、目が悪いんじゃないのっ? もしくは頭!』
『視力はいいけど? 頭だって君よりずっといいよ。僕は将来領主になるんだって、もう三年も勉強しているからね』
『領主ってあんたが? うわー、領民がカワイソ〜』
その言葉に酷くカチンときて、お互い言い争いが止まらなくなってしまったのだ。
やがて言葉で押し勝ったが、ボロボロ泣く姿にやってしまった感に苛まれたのを覚えている。というより、何を言っても泣かない姉が近くにいたので、泣く姿に動揺したのだ。
――そういえば、プロディージとメルローゼの出会いは言うほど綺麗なものではなかった事を思い出した。今思えば、いつも通りの二人だ。何を美化していたのだろうか。
『だって、だってぇっ! 白いドレスも薔薇も、いつか旦那さまに好きな色をつけてもらいなさいってお母さまに言われたんだもんっ! 死装束じゃないもんっ!』
そう言っていてしゃくりを上げて泣く女の子に途方に暮れて、もっと泣かせれば涙が枯れるかとロクでもない事を考えていたけれど、ふと女の子の後ろに咲いていた赤い薔薇がその黒髪に映えて、なんとなく綺麗だと思った。
だから女の子を素通りし、その薔薇を一輪手折って泣いている女の子の髪から白い薔薇を無断で抜き取ると、同じ場所に赤い薔薇を挿してやった。
『白い薔薇なんかよりもさ、あんたはこっちの赤い薔薇の方が合ってるよ』
今思えば無断で人の家の庭園の薔薇を手折るのだから、結局ロクでもない事をしていた。運命なんて綺麗な名前はつけられない、こういう出会いだったのだ。
けれどプロディージは、メルローゼの髪に赤い薔薇を飾れた事に満足していた。
そんな事があったからだろうか。婚約してからのメルローゼは赤色を好むようになったし、積極的に身に付けていた。
出会った時は白を身に付けていたメルローゼがプロディージの選んだ赤色に染まったのを、ずっと嬉しく思っていたのだ。
――けれど、これは忘れていた過去を振り返るだけの夢ではなかったらしい。
メルローゼは髪に挿された赤い薔薇を抜き取ると、プロディージの手にそれを乗せて返却される。返された薔薇にはいつの間にか、プロディージが婚約した時に贈ったリボンが結ばれていた。
薔薇を目で追い呆然とした後ゆるりと顔を上げると、今のメルローゼがあまり見た事がない、穏やかで優しい笑みを浮かべてプロディージを見ている。そしてプロディージも、今の姿になっていた。
メルローゼは側に寄ってくると、プロディージの両頬を優しく包み込む。姉のような慈愛の眼差しを――それより熱を含んだ甘美な眼差しをプロディージ相手に向けてきながら、本心を語りだした。
『ねえ、ディー。あなたはずっと、私からの愛の言葉が聞きたかったんでしょう? そしてお義姉様みたいに居なくならず、私はずっと一緒に居るって誓いの言葉が欲しかった……お義姉様から送られてくるお手紙があまりにも幸せそうで、もう帰って来ない事が寂しかったのよね? わかるわ、私もそうだったもの』
思わず目を見張る。メルローゼは愚直で、あまり察しがいい方ではないので、プロディージの気持ちなんて一生察する事はないと思っていたのに。
ふわりと微笑むメルローゼは綺麗で、ずっとこんな表情こそを見たかったのだと今更気付かされる――本当に、今更だ。
『七年も婚約しておいて一度も言った事なかったけれど、私はそんなディーの事、ちゃんと愛していたわ。ずっと側に居たかった。……ごめんね、今まで言えなくて』
それだけ言うとメルローゼは立ち上がり、何色にも染まっていないウエディングドレスのような真っ白なドレスを着て、プロディージの元から去っていく。
その道筋には、ルビーから溢れたようなキラキラした赤い薔薇の花びらが落ちていた。
――ああ、そうか。メルローゼはプロディージのわかりにくい気持ちを察するくらい、本当はちゃんと側で見ていてくれたのか。
今になってその事に気付かされる。何が愚直で察しがいい方ではない、だ。ただ素直になれないだけで、存外そうやって察してくれていたではないか。
素直な言葉を口に出来ないのはお互い様、むしろプロディージの方がずっと酷かったのに、最後になってずっと欲しかったその言葉を、惜しみなく言ってくれるのか。プロディージから返される事を望まなくなった、今になって。
嬉しさか寂しさかわからない感情で、くしゃりと笑みを浮かべてそんなメルローゼの背中を見送る。清算を済ませた彼女に縋る事はもう出来ないし、返したかった言葉も、もう二度と口にする日はないだろう。
手元に残ったのは、贈ったリボンで結ばれて返された一輪の薔薇だけ。
そんな優しい現実の夢だった。
一輪の赤い薔薇の花言葉:一目惚れ




