それぞれの道 8
「着いたぞ」
しんと静まり返る真夜中。オーリムは王鳥の背から飛び降りると、王鳥が持っていたバスケットの中を覗き込む。
「もう? さすが王鳥義兄上」
「本当にお前って奴は……」
「ビ」
都合のいい時だけ賛辞を贈るプロディージに、呆れたようにジトリと睨み付ける。彼はそんな二人を気にする事なく大きな欠伸をひとつ溢すと、むくりと立ち上がった。
何故こんな事になったかというと、フィーギスに報告に行って大屋敷に戻ると、私室にプロディージが居た。勝手に入られて言い争いになったのは言うまでもない。
なんでもセイドで確認したい事があるらしく、飛んで連れて行ってほしいと頼まれたのだ。ラトゥスから許可は取ってあるらしい。
プロディージの家であるセイドの屋敷に行くのにラトゥスに許可の必要なのかわからなかったので首を傾げたら、呆れたように溜息を吐かれた。理不尽である。
正直戦闘の後だし、今夜は仕事が残らなかったからゆっくり寝られそうだと思っていたので嫌だったのだが、調査の為と言われれば突っぱねる訳にもいかない。
王鳥はプロディージを運ぶのはいいが背中に乗る事は許可しなかったので、妥協案として巨大なバスケットに乗せて運んできた。ちなみにオーリムはいつも通り王鳥の背に騎乗だ。狭いバスケットに同乗するなんて御免である。
「普通に歩けるか?」
「問題ないけど?」
「……ほんと兄弟三人揃って……」
思わずポツリと呟く。
念の為様子を見たが、初めての長時間飛行を体験したわりには元気そうだった。未成年なので気付け用の酒は呑ませられないし、時間もないので気を失ったらどうしようか思っていたので、平気なら一安心だ。
大鳥に乗って初めて空を飛んだ人間は大抵の場合、気を失うか腰を抜かす。パートナーに誘われて乗った女性なんかは、ほぼ全員気を失うと言っても過言ではないだろう。
ところがソフィアリアもクラーラもそれはもうはしゃぎ、楽しんでいた。そんな姉妹を持つプロディージも、はしゃぎはしなかったがケロッとしている。
これはセイドの血筋なのか……いや、義父はおそらく気を失いそうだが。義母は未知数だが、彼女は嫁いできた身なので、正式にはセイドの血は流れていないはずである。
降り立ったのはセイドの屋敷の開けた庭だ。そういえばオーリムはスラムの孤児だった頃、門前までソフィアリアに手を引かれて連れてこられた事はあるが、中に入るのは初めてだなと思った。
まさかこんな形で中に入る事になるとはと、ついキョロキョロしてしまった。
「何してんのさ? 時間に余裕がないんだから、さっさと入るよ」
当然、プロディージに咎められたが。
プロディージの後に続き屋敷の中に入ると、殺風景だなと思うくらい飾りっ気がない。たまに壁に飾ってある刺繍入りの華やかなタペストリーだけが唯一目を惹いた。あれは刺繍が得意だと話していた義母の作品だろうか?
見た中では一番大きな扉を開けると、中にいた人物も突然の乱入者にギョッとしている。
「はあっ⁉︎ おい、衛へ……」
「呼ばなくて結構です。私はともかく、代行人様の事はご存知でしょう?」
そう言ってプロディージが身体をずらせば、オーリムも中に居た人物に見覚えがあった。
赤髪の長髪の中性的なこの男は、フィーギスの側近の一人だったはずだ。しかし、彼が何故セイドの屋敷にいるのかわからず、首を傾げる。
赤髪の男もオーリムを見てポカンとしていた。
「だ、代行人様? 何故ここに……?」
「……付き添いだ」
「時間に余裕がない為、先に名乗るご無礼をお許しください。はじめまして。私はプロディージ・セイド。セイド男爵家嫡男です。フォルティス卿に許可は取ってありますのでご確認ください、ム・リエブリア卿」
そう言って懐から何か紙を取り出すと、赤毛の男に差し出す。男はそれを取り上げると、ざっと読んだ。
「……なるほど? ラスの字だねぇ。私の事はラスから?」
「いえ。フォルティス卿の周りで赤毛の男性といえばム・リエブリア卿しか存じ上げませんでしたので、勘です」
「あらら、墓穴。ふ〜ん、弟の方も優秀なんだ?」
そう言って赤毛の男はニンマリ笑う。
フィーギスから紹介はされたがあまり会う機会がなかったので半分忘れていたが、プロディージが名前を言ったので思い出した。
彼はルブル・ム・リエブリア。ム・リエブリア侯爵家の三男で、二十歳の男だ。三男なので家業は兄二人に任せ、フィーギスの側近として城に出仕している。
中性的な顔は整っているもののソフィアリアと同じくらい小柄な彼には病弱だと噂の姉がおり、たまに女装をし、姉になりすまして社交をし、女性相手に情報操作をしているのだったか。
ちなみに大舞踏会の日、ソフィアリアとお茶会をしていたメンバーの中にこの男は居た。あそこに混じってソフィアリアを陥れていたのだと思うとはらわたが煮え繰り返るが、過ぎた事なので我慢する。
にしても、面識もなく社交デビューもしていないにも関わらず、それだけの情報でルブルの正体に思い至るプロディージは本当にソフィアリアの弟だなと思う。
正直ここにルブルが居る理由も、実家のセイドの屋敷なのに許可が必要な理由も何もわかっておらず、澄まし顔で知った風な感じを出して誤魔化しているオーリムとは大違いだ。
『ほんと、ラズは色々残念よな……』
聞こえた王鳥の言葉は、当然無視をした。
「じゃあちょっと散らかってるけど、好きに探してよ。私はもう寝るからさ」
「……ここは私の屋敷ですが。家族がここに帰ってくるまでに、片付けておいてくださいね」
「侍従に伝えとく〜」
そう緩く挨拶をして、ルブルは部屋を出て行ってしまった。それを追うように見ていたプロディージは閉まった扉を睨んでいるので、多分イラッとしたんだろうなと思う。高位貴族相手なので、相手には悟られないようにしたのだろうが。
「……手伝うか?」
「オーリムが見てもわからないから、適当に屋敷内で時間潰してていいよ。二時間くらいで終わらせるからさ」
そう言って棚を見て何かを探している。教えてもらう時間も勿体ないので、お言葉に甘えて探索でもする事にした。
本当はいつかソフィアリアに案内してもらいたかったのだが、仕方ない。またいずれ機会はあるだろう。
部屋から出ようと扉に手を掛けると――
「姉上の部屋は左の突き当たり……もう何もないけどね。それと、庭に戻って反対に進んだ離れが、昔姉上がクソジジイと暮らしていた所ね」
そんな事を教えてくれる。案外親切な奴だ。
「フィアの部屋を片付けたのか?」
「いや、姉上が勝手に片付けてた。僕はどうせ部屋は余るから置いておけばって言ったんだけどね」
「そうか」
プロディージと違ってソフィアリアは戻ってくる気はなかったらしい。もう帰す気はないが、ソフィアリアもそう思って大屋敷に来てくれた事が、どこか嬉しかった。
オーリムはさっそくソフィアリアの部屋に向かう。後ろから呆れたような溜息が聞こえた気がしたが、多分空耳だろう。
少し頬を緩ませながらいそいそと部屋に向かえば、屋敷はそう広くないのですぐに辿り着いた。何もないと言っていたとはいえ、少し期待に胸を膨らませながらゆっくり部屋に入ると、室内は本当にカーテン一つない、ソフィアリアの気配が一切感じられない部屋だった。
少しガッカリしながらも部屋の中に足を踏み入れる。何もないが、ソフィアリアが祖父から助け出されてからはここで暮らしていたんだと思うと、思わず笑みが浮かんだ。
木組だけのベッドに腰掛けて、目を閉じて想像する。端から端まで大股十歩もないこの狭い部屋で、ソフィアリアはどうやって過ごしていたのだろうか。
『周りに侍女がついていないだけで、今とそう変わらぬよ』
「……そういえば王はしょっちゅう覗きに行っていたな」
『余達の妃に万が一もあってはならぬのだから、仕方なかろう?』
たしかにその通りだが、狡いと思ってしまう。たまに王鳥から聞くソフィアリアの話が楽しみだったとはいえ、本当はオーリムだって遠目でもいいから様子を見たかったのだ。
結局それが叶ったのは、ソフィアリアがデビュタントを迎えたあの夜会だったけれど。
『見るだけと言いつつ、ラズは我慢出来ずにすぐに会いたがるであろう?』
「まあ、そうだろうけど」
そう言われれば、黙るしかない。神である王鳥がついていたとしても、疎まれているとはいえ代行人という地位を持つオーリムとの接触は、ソフィアリアやセイドに悪影響を与えるだけだった……自由に様子を見に行っていた王鳥は、本当に羨ましいと思うが。
何もない部屋をもう一度見渡すと、離れに行こうと立ち上がり、部屋から出る。
歩きながら、プロディージは何もなくなった姉の部屋を見て動揺したのかもしれないなと思った。
いつか帰ってくると信じていたのに部屋には何もなくて、連れ戻す気でいたのに手紙にはソフィアリアが大屋敷で幸せに暮らしているという話ばかりが書き綴られていていた――見た事はないが、きっとそうだろう。
予定とは違って帰って来ないという現実に寂しさを感じ、不満を積み重ねた結果が今なのだろうか。少し同情するが、だからといって酷い暴言も態度も許すつもりはない。
何にしても、姉離れは絶対に済ませてほしい。オーリムから見れば姉弟揃ってどこか歪な形で依存し合っているように見えるのだ。姉弟仲が良好なだけなら別にいいが、お互いに特別視しているのだけは許容出来ない。
そんな事を思いながら外に出ると王鳥が待っていたので、並んで歩く。すると、すぐ離れは見えてきた。
中に入ろうとすると、当然鍵は閉まっていた。なら、ここは外観でも見るしかないかと諦めたのだが。
「ピ」
カチャリといい音が鳴った。どうやら王鳥がうっかり開けてしまったらしい。だったら入らないともったいないよなと言い訳をして、中へと入っていく。
扉を開けると長年放置されていたのか埃っぽい。吸い込まないように防壁を張りながら中へと足を踏み入れた。
平屋のこの離れはこじんまりとしている。玄関ホールの右手には狭い厨房。左手には先程のソフィアリアの部屋と同じくらいの部屋が二部屋。中には古びて壊れた家具しかなく、数十年単位で使われていないように思えた。
そして奥。一番立派な扉を開けると広々とした部屋には窓がなく、真ん中には立派な絨毯が敷かれ、質の良い机とソファがあるだけ。周りの棚は空だった。
この部屋だけ異質で、なんとなく鳥肌が立った。おそらくここが、親から引き離されたソフィアリアが祖父と暮らしていた部屋なのだろう。当時はもっと物で溢れかえっていたのかもしれない。
奥にも扉があって、開けると白とピンクが主色となった女児向けらしい部屋だった。こちらも窓がない。
一際目立つのは天蓋付きの大きくて豪華なベッド。レースとフリルで華やかに飾られた質の良い寝具が使われており、枕元に並べられたクッションも動物や花、ハートの形でファンシーだ。
周りの棚は今は空だが、たくさんのぬいぐるみの友達と部屋で暮らしていたと言っていたから、ソフィアリアの誕生日のデートで再会したノクステラも、ここに居たのかもしれない。
残る扉の向こうは、水場とクローゼットルームだった。
一通り見終わったオーリムはドカリとベッドに座り込み、華やかで息苦しいこの部屋に眉根を寄せる。小さなソフィアリアがこんな所で暮らしていた事実が居た堪れない。
『まるで貴族牢のような部屋よのぅ』
「……そうだな。ここはきっと、牢屋だった」
たとえソフィアリアと祖父がそう思っていなくても、外の景色すら見えないここは、ソフィアリアを閉じ込めるただの牢屋だ。オーリムはそう判断した。
愛しいソフィアリアがこんな環境で育った事実が悲しくて、思わず拳を強く握る。過去に行けるのなら助けてあげたいとすら思った。
「……王に連れ去られてなければ、俺はここかさっきの部屋で、フィアと暮らせていたのかな……」
小さい頃のソフィアリアを思い浮かべていたら、昔言われた言葉が蘇る。
スラムの孤児だった頃、ソフィアリアはラズの手を引いて一緒に暮らそうと言ってくれた。
この屋敷に連れて来られて一度拒絶してしまったが、あの後王鳥に代行人に選ばれる事なく仲直り出来れば、ここか先程の部屋で、子供時代から一緒に過ごせたのだろうか。
『プーは許さぬだろうがな』
「……まあ、そうだろうけど」
『たとえ運良く一緒に暮らせたとしても、妃の成人までしか一緒には居られぬよ。妃は己の立場や責務を何よりも重んじる。たとえお互いに今のように想い合っていようが、末席とはいえ貴族である妃が、孤児であるラズを選ぶ事はない』
つきりと胸が痛んだ。けれどその通りなので、溜息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
それにソフィアリアが選ばないのと同様に、孤児のラズだって、貴族のお姫さまを求める事は性格上出来ない。絶対に惹かれていたと確信を持って言えるが、それを打ち明ける事なく、いずれ道は違っていただろう。
『……そうだな。だから成人するまで幼馴染のラズとして子供時代を共に過ごすのか、成人してから代行人のオーリムとして未来を共に過ごすのか。結局どちらかしか選べなかった』
「わかってる。なら、今の方がずっといい。それに俺もフィアも、王が側にいない状況なんか、もう考えたくもないしな」
『……其方らは……』
当たり前の事を言っただけだったのだが、王鳥が不思議な声音でそう呟いた事に首を傾げる。呆れか照れか、残念ながら感情の機微に疎いオーリムでは判断が出来なかった。
「なんだ?」
『プーには姉離れしろとしつこく迫ったくせに、ラズは余から自立しようとは思わぬのか?』
「なんで王から自立しなければならない? 王は兄でも親でもなく、俺の半身だろ。ロディとは訳が違う。それに、フィアから王を取り上げるような真似はしたくない」
突然何を言い出すんだと訝しむが、結局黙ったまま答えてくれる事はなかった。こうなったら話してくれないとわかっているので、聞き流す事にする。
ここは幼少期のソフィアリアが過ごしていた場所とはいえ、あまり気持ちのいい場所ではないので早々に立ち去る事にした。一応目に焼き付けておくが、ソフィアリアが来たいと言わない限りは、足を踏み入れる事はもうないだろう。
ソフィアリアにはもっと明るくて、開放的な部屋が似合っている。
王鳥も立ち入る事の出来る大きなバルコニーに陽の光を存分に取り入れる事の出来る大きな窓。クリームイエローとミルクティー色の部屋は王鳥が歩けるほど広くて、三人でくっ付いて座れる背凭れのないソファは必須だ。
部屋の中には王鳥が用意した三人で寝られる巣があって、それとは別に置いてあるキングサイズのベッドの使い道は、まだ深く考えてはいけない。
今はまだそれらとお酒や紅茶などの飲み物とカップやグラスの置かれた棚しかない殺風景な主寝室は、思い出と共にどんどん物が増えていく予定だ。
その記念すべき第一号が、デートの日に誕生日プレゼントとしてソフィアリアの元に帰ってきたノクステラという夜空色のネコのぬいぐるみと、一緒に買ったミルクティー色の垂れ耳うさぎのぬいぐるみ。王鳥のぬいぐるみは現在発注中である。
手を引いて一緒に暮らそうと言ってくれたあの日の夢が叶うまであと一季。場所はセイドの屋敷ではなく大屋敷になったが、オーリムも王鳥も、それにきっとソフィアリアだって、その日を心待ちにしているのだ。
*
パートナーの助言により、自分は騙されていたと知った弟は、絶望感に打ちひしがれました。
自分もパートナーと共に幸せを手にしていたのも忘れ、より上質な幸せを手に入れていた兄夫婦……いや、『弟』夫婦にドス黒い感情が湧き起こります。もしかしたらあの場所に居たのは弟ではなく、自分だったのかもしれません。
だから弟――否、『兄』は、復讐する事を決意しました。
手始めに三人で始めた『あるもの』を――『アーヴィスティーラ』という義賊団体を、徹底的に貶める事にしたのです。
その結果、あの忌まわしい『弟』はいずれ断頭台に立ち、世紀の極悪人と称される事になるでしょう。その日が何よりも楽しみでした。
憎しみに囚われた兄は、最愛のパートナー――侯爵位の大鳥と過ごした幸せな時間の事は、すっかり忘れてしまっておりました。
大鳥はその事に嘆き悲しみましたが、パートナーの願いを叶える為に、協力する事にしたのです。
全てが終わったら、また幸せな時間が戻ってくると最期まで信じていました……結局、そんな日は二度と戻ってくる事はありませんでしたが。
――これは、歴史の闇に葬られた事件のはじまりのお話。今まさに掘り返されそうになっている真実の一端。
悪意の矛先はやがて、一人の少女へと向かう事になる。




