それぞれの道 6
運命に出会った弟は、幸せの絶頂にいました。
当時は何よりも大切だと思っていた女の子も、広い世界を知った今は魅力的に思えず、それよりも今は自分の事を何よりも大切にしてくれる新しく出会ったパートナーに夢中で、女の子の事なんて忘れていました。
パートナーと二人で支え合って共に切磋琢磨し、いつしか頂点を極めた頃、ふと弟は故郷と兄、女の子の事を思い出します。
今なら全て受け入れられる気がしました。あの日々は自分にとっては既に過去の出来事でしかなく、怒りも悲しみも忘却の彼方です。
故郷を懐かしく思い、また最愛のパートナーを二人に紹介するのも悪くないと思い始めました。だから一度、帰る事にしたのです。
――それが悲劇の引き金になるとは思わずに。
*
とある夜会へと出席する為に馬車で移動中のプロディージは、車内で思い悩んでいた。
昨日の夜会で集めた情報とフィーギス殿下から託されたアーヴィスティーラの事に関する資料の写し、それに今の状況とプロディージの知る情報を照らし合わせた結果、非常に嫌な予感がしたからだ。
これに気付いているのは今の所プロディージだけだろう。他の人はまだ情報が足りず、辿り着く事は出来ていないはずだ。
これを全て暴き、曝け出した暁には、果たしてどうなるのか見当もつかない。その事につい溜息が出る。
が、いつまでも黙っている訳にはいかない。どうせ明日には全てが明かされる。なら、さっさと証拠を揃えて提示したほうが、自分の実力を最高権力者に知らしめられるので好都合だ。
その為には――
「……フォルティス卿」
「どうした?」
馬車の斜め前で資料を読んでいたラトゥスは名前を呼ばれたので顔を上げる。
「今日、夜中のうちにオーリムに頼んで一度セイドに戻ります。ですので、屋敷に入る為の許可証を書いていただけませんか?」
セイドは今、家主が誰もいない。他の貴族だと当たり前のようにいる家令すら雇っていないので、留守の間はフィーギス殿下が派遣してくれた代官がセイドを見てくれていた。
まあ十中八九そうやって家中を隈なく探られているのだろうが、別に屋敷を検めた所で何も出てこないのだから黙認している。強いて言えば、コソコソ探られるとイラッとするくらいか。
なので自宅に帰るだけといえども、代官に提示する為の許可証が必要になると思った。おそらくその代官はラトゥスの部下なので、上司の許可証だけあれば充分だろう。
そう思っての発言だったのだが、ラトゥスに微妙な顔をされた。
「……やはり気付くか」
「隠す気ありました?」
「いや……わかった」
そう言うと手帳を取り出し、サラサラと何か書いてくれる。首から下げている認印を押して、紙を千切って差し出してくれた。
「ありがとうございます」
受け取って、決して落とさないように内ポケットにしまうと、無表情なラトゥスから視線を感じた。
「……何か?」
「いや。君は明日、島都学園の入学試験があるだろう? 夜中に遠出なんかして大丈夫か?」
「心配していただかなくても入学試験程度、半分寝ていても解けますよ。必ず主席で入学してみせるので心配は無用です」
「……君の歳から入学する為に行われる試験は、そこそこ難しいはずだけどな」
「所詮そこそこでしかありません。官僚試験程度を求められるならまだしも、ただの学園の入学試験です」
何を身構える必要があるのかと怪訝な表情をしていたからか、渋い顔をされてしまった。生意気だと思われただろうか。でもこのくらいの実力は示しておきたい。
せっかくなので今後の付き合いを円滑にする為にも、前もって宣言しておく事にした。
「フォルティス卿。私は主席で入学した後、試験は全て一位を取り、主席のまま卒業するつもりですよ。それ以下は決してありえない」
「本気か?」
「当然です。――たとえ同級生に第二王子殿下がいらっしゃろうが、手を抜く気はありませんよ。彼に媚びた所で、私には何の利点もないでしょう?」
きっぱりそう言い切ると、心配そうな顔をされた。
プロディージと同じ歳で同級生には、第二王子殿下――フィーギス殿下の腹違いの弟で、現妃の第一子――が居る。噂によると、なかなかの暴君なのだそうだ。
最低学年の頃から学園に通い、以来ずっと試験では一位に居座っているのだと聞いた。
でもそれは、彼が優秀だからではない。自分より上に出た者は蹴落として追い出すからだ。本人の実力は、そこそこ出来るだけの並程度らしい。
最高の教育を学園以外で受ける環境にある王子でその程度とは、情けないにも程がある。プロディージが長年頭を悩ませていた血税を何だと思っているのだと憤慨するばかりだ。
そんな調子なので、プロディージが一位を宣言するのは彼に目をつけられにいくと言っているのと同義だった。相手は王族、プロディージは男爵家の更に末席。ロクな事にならないのが目に見えている。
だからと言ってプロディージは引くつもりはない。元来負けず嫌いであるし、権力しか持っていない王子なぞ敵にもならない。そういう自信はあるのだ。
「……わかった。期待している」
「ええ、必ずや成し遂げてご覧に入れましょう。なんなら第二王子の失脚を手土産にするのでフィー……次代の王の側近に入れていただけますか?」
少し考えて、あえてそう言い直して挑むように口角を上げて見せると、ラトゥスは一瞬目を見張った。
けれどすぐにいつもの無表情に戻ると、納得したように頷く。
「君が必要以上にフィーに楯突いて、存在をアピールしていたのはその為か?」
「ええ。姉上の事がなくても、僕は第二王子殿下を使ってフィーギス殿下に近付くつもりでしたので。まあ姉上のおかげで、こうして早々に機会に恵まれましたが。少々癪ですが、使えるものはなんでも使いますよ」
「君はなかなかの野心家だな……」
呆れとも感心とも取れる声音でそう言われるが、悪い気はしない。だって
「どん底の男爵領をたった一代で伯爵領に押し上げようなんて企む僕が、野心家じゃなくて何なんですか」
それはどうしようもなく、事実なのだから。
だからそう、セイドの汚泥なんて早々に濯がなければいけない。過去に足を引っ張られるだなんて、まっぴらだ。
「言っておくが、フィーのお眼鏡にかなうかどうかだ。僕に決定権はないし、推薦するような真似はしない」
「……そうですか。いえ、結構です。僕の実力を示すまでですので」
言い切ると苦笑された。大した自信家だとでも思われただろうか。
別にプロディージは自信家ではない。実力以上の物は決して手を出さないし、早々に見切りをつける。どちらかと言えば臆病な部類だろう。……そんな自分が腹立たしいが。
ラトゥスは浮かべていた苦笑をやめると、スッと表情を正す。妙に威圧感のあるそれに思わずゴクリと喉を鳴らし、プロディージも姿勢を直した。
ああ、やはり彼はそうだと内心ほくそ笑む。
「聞きたい事がある」
何を言われるのか予想が付くが、押し負けないように視線を逸らさなかった。負けず嫌いなのもあるが、これだけはどうしても譲る事が出来ない。
「……なんでしょうか?」
「君達姉弟をそこまで育て上げたのは誰だ?」
ほらきた。予想通りだ。
「僕が五歳の時に出会った先生です」
正直に答える。その答えが欲しいのならば、ラトゥスは質問する相手を間違えた。それだけが残念だ。
ラトゥスは呆れたように溜息を吐き、腕を組む。
無表情でありながらその威圧感はなかなかのものだが、彼は無意識なのだろうか。……本人も気付いていないのかもしれない。
「セイドで子供達に勉強を教えている先生という人物は存在していたが、簡単な読み書き程度しか教える術を持たず、君達のような聡明な人間に仕上げる事は不可能だ。少し進んだ教育はソフィアリア様とペクーニア嬢が教鞭を取っていたそうだな」
「ええ。領地を視察するついでに、そんな事をしていたそうですね」
それは頼んだ訳ではない。気がつけば勝手にそうしていたのだ。
昔、メルローゼと慰問に行った際に孤児院で優秀な子を見つけ、その子に勉強を教えていたら、だんだんとその人数が増え、気が付けばそうなっていたと言っていた。
どうやらこの大屋敷でも似たような事をしているらしい。こちらは故意らしいが、本当に姉はどこに居ても姉だ。自然と人望を集める巧みな手腕を持っている。おかげで姉こそを領主にと望む声は、決して少なくなかったのだ。
それを崇拝するオーリムの気がしれない。大屋敷の主の座を奪われやしないかと危機感を抱かないのだろうか。――まあ、真の主は王鳥という圧倒的な存在だから、平気なのかもしれないが。
閑話休題。
「君が五歳の時に出会った先生というのは、一体どこにいる?」
「さあ? 僕は外国という事しか存じ上げておりません。友人に会いに行ってそれっきり。ちなみに、出て行ったのは一年程前ですよ」
「なら、僕達から逃げた訳ではないのだな。……その先生の名は?」
そうくるだろうな。当然だ。だから、プロディージに聞くのは間違いなのだ。
「……存じ上げておりません」
「ふざけているのか?」
「いいえ、本当に知らないんです。……五歳で出会った時に言われました。詮索しないなら、勉強を教えてやると。頭さえよくなれば、君もみんなに慕われるようになるよと。……それは半分甘言でしたけどね」
頭が良くなってみんなに慕われたのは結局姉だけだ。プロディージはそんな事にはならなかった。――まあこれは、性格の問題なのだろうが。
真剣な目をしたままそう言えば、嘘は言っていないと判断してくれたのか、困ったように眉根を寄せる。
「……君ほどの子が、それを今まで怪しまずに受け入れていたと?」
「怪しいとは思っておりましたよ。実際、ある程度の知恵を身に付けて、姉に側妃を勧めたと聞いたあたりからは国家転覆でも目論んでいたのかと眩暈がしました。話を聞けば杞憂でしたがね。それでも、多大過ぎる恩があったので、私は約束通り詮索しませんでした」
事実を包み隠さず伝えると、ますます眉根を寄せている。顎を指で支え、何か考え込んでいた。
考えても無駄だろうにと思いつつ、せっかくなのでもう一つ、大事な情報を開示しておく事にする。こちらに詮索が向かなくなるのなら易いものだ。
「姉は知っています」
「本当に?」
「ええ。ですが、聞き出すならフィーギス殿下にした方が無難かと思いますが。……おそらく姉も口止めされていて、聞いてものらりくらり躱すと思いますので骨が折れますよ。出来るのなら、姉より位が上の王鳥様に聞き出すように頼み込むのもアリなんじゃないですか?」
そう言えば心底嫌そうな顔をしていた。昨日も思ったが、ラトゥスは王鳥と何かあるようだ。
提案してみたが、まあ王鳥の性格を考えれば引き受ける事はしないだろう。どちらかと言えば、ラトゥスのその反応が見たかったから、あえて言ってみただけだ。
「リムではダメか?」
「あれは姉を崇拝していて口も上手くないので無駄だと思いますが」
「……だな」
深く溜息を吐いていた。ラトゥスも長年一緒に過ごしてきたらしいので、オーリムの性格はよく知っているのだろう。最近会ったばかりのプロディージですら、そんな事はわかる。
「……どちらにせよ長期戦になるか。まあいい」
どうやらプロディージから聞き出す事は諦めてくれたらしい。無表情のまま、心の中だけでホッとしておいた。
――実は最近、先生の正体を知る機会があったのだ。本人に聞いた訳ではないので確定ではないが、貴族名鑑も見たし、それで正解だろう。
まあ今話さなくても、近いうちに知る事だ。ラトゥスは長期戦を覚悟しているようだが、そうでもないとプロディージは思っている。
「もう一ついいか?」
「なんでしょうか」
まだ何かあっただろうか。いくつか心当たりを吟味して身構える。もうそれほど欲しがりそうな情報はないと思うのだが。
「ラーラがもう少し成長したら、トー様という呼び名は改めてくれるだろうか……」
今日一番思い悩んだ表情をして言われた言葉に、どう返すのが正解かわからず、困惑する。多分目元は動揺に揺れているだろう。
何故、今このタイミングでそれを尋ねられたのだろうか? まだラトゥスの人となりを理解していないせいか、何か深い意味が隠されているのではないかと混乱するばかりだ。
――言葉通りでしかなかったが、深読みをし過ぎたプロディージはそれに気が付かなかった。
「元々結婚する気はなかったのだが、思いがけず婚約者が出来て、でもまだ五歳の幼子で、けれど優秀過ぎるくらいの子だから少し混乱している。……そしてまるで父親になったような呼び名に、双子の子連れだ。ちょっと自分の身に何が起きているのか、理解が追いついていない」
無表情で淡々と言われた言葉だが、多分困惑しているのだろうか。もしくは場を和ませる為の彼なりの冗談か。
まだどちらとも判断がつかないが、とりあえず助言だけは返しておく事にした。
「クーはああ見えてかなり優秀ですが、兄弟の中で一番破天荒ですので、これからご迷惑をおかけする事が多々あるかと。申し訳ございません。それと呼び名は多分、改めないかと」
「そうか。なら、仕方ないな。助言に感謝する、義兄上」
義兄呼びが軽口なのか本気なのかわからず、曖昧に流す事しか出来なかった。




