それぞれの道 4
幸せな時間を数年間過ごし、計画も大台に乗った頃、三人は無事、学校を卒業しました。
学校を主席と次席で卒業した双子の兄弟は、次席だったものの長子だった兄は家業を継ぎ、主席の弟はその補佐をする予定でした。
そして女の子は学校でたくさんの事を勉強をした結果、弟ではなく兄に好意を向けるようになっていたのです。
兄は戸惑いましたが、昔から好きだった女の子に将来を望まれて、嬉しくないはずがありません。その好意を受け入れる事にしました。
反対に弟は嘆き悲しみました。学校を主席で卒業する程優秀になれたのは、女の子にカッコよく見られたかったからだったのです。
学校に入学する前は自分を愛してくれていたはずなのに、今は兄に夢中で、自分の事なんて忘れてしまったようでした。
弟は兄のように優しくなれませんでした。だから卒業後は二人の前から姿を消して、力自慢だったので、傭兵として旅立ってしまいました。
家業を継いだ兄は女の子を妻に迎え、けれど消息を絶った弟の事もずっと気がかりでした。
だからせめて、三人で大切にしてきた『あるもの』だけは必死に守り、動かしていました。
いつかまた三人で笑い合う、そんな日が来るのを願って――
*
「そんな理由があったなら先に言えよ! ただでさえ忙しいのに、気がついたら外に居るなんて驚くだろ! というか、どうせならフィアが側にいる間に解放しろ!」
『うるさいのぅ。妃が側にいれば、ただでさえ忙しい時間を更に削る事になるだろうと気を利かせてやったまでの事。むしろ感謝してもよいのだぞ?』
「誰がするかっ!」
オーリムは大股で歩きながら、執務室に向かっていた。
書類と格闘していたはずが、畑で大鳥達がやらかしたらしく、王鳥に勝手に身体を使われたのだ。
畑にはソフィアリアも居て会話をし、セイドベリーも一つ摘んだらしく、羨ましくて妬ましい最悪な気分だ。
オーリムに残ったのは、口の中に微かに残るセイドベリーの甘酸っぱい残り香だけだ。自分は食べていないのに食べた後の香りだけ残るのだから、悔しくて仕方ない。
「だいたい、少し茶休憩する時間くらいはあったのに!」
『おい、ラズ』
「今度は何だっ!」
そう言って叫んだ後に見慣れたミルクティー色が目に飛び込んできて、思わず立ち止まる。
けれど相手も一人で大声を出していたオーリムを見ていたのか、頰に手を当てて目をパチクリとし、不思議そうな顔をしていた。
ソフィアリアがよくするその仕草はこの人譲りだったのかと冷静に分析しながら、固まる事しか出来ない。だって今のオーリムは、一人で大声を出していた不審者だ。
せめて印象だけは良くしたかったのに、色々台無しである。背にダラダラと冷や汗が流れた。
『余は止めたぞ?』
くつくつ笑う王鳥に、ならもっと早く止めろと心の中で悪態をつきながら、ゴクリと唾を飲み込む。
そして、お互い驚いたように見つめ合う現状を打開する為に、オーリムから口を開く事にした。
「……驚かせてしまい申し訳ない、夫人」
見慣れたミルクティー色だったが、相手は愛するソフィアリアではなく、その母のレクームだった。呼ばれた彼女はゆったりとした動きで、ふわりと微笑む。
「ソフィとお茶にしようと思ったのだけれど、生憎留守でしたの。代行人様、よろしければお茶休憩の時間を、わたくしにいただけないかしら?」
オーリムはソフィアリアに似た優しい表情に見惚れて、気がつけばコクコクと頷いていた。そうさせる魔性が、レクームにはあった。
『……其方、意外と浮気者だな?』
あまり時間もなかったので近くの応接室に案内し、備え付けてあった紅茶を淹れようとしたら、レクームに取られてしまった。なんでも、紅茶を淹れるのは得意らしい。
魔法でお湯を出せば驚かれた後、散々褒めちぎられて顔を真っ赤にしながら、オーリムはソファで待っていた。
「こちらに来てから紅茶を何度かいただきましたが、ここで使われている茶葉はとても美味しいですわねぇ」
「あっ、えっと。土産に持って帰、りますか?」
「どうかいつものように砕けた話し方をしてくださいな。それに、実はもうソフィに持って帰る分はいただいているのです。ありがとうございます、代行人様」
「……なら、私の事もオーリムと」
義母相手にどういう態度を取るのが正解なのかよくわからなかったので、とりあえず代行人モードの澄まし顔をする事にした。……初日に散々プロディージと言い争いをしていたので、澄ますのも今更な気がするが。
柔らかく微笑むレクームが紅茶を飲んだのを見て、オーリムも礼を言って一口貰う。
「……美味しい」
そして驚いた。備え付けの茶葉はいつも飲む物と同じはずだが、味に疎いオーリムでも全然違うとわかるくらい圧倒的な美味しさをしていたのだ。何故こんなにも違うのか不思議で、思わずポカンと見つめてしまった。
「この茶葉だとどうすれば一番美味しく淹れられるのか、パチフィーさんに教えていただいたのです。その後、自分なりのアレンジを加えました。侍女の皆様にも教えましたが、ソフィにも伝えておくので、オーリムくんはそちらをお召し上がりくださいな」
気を遣われた事に真っ赤になり、コクコクと頷く。紅茶をもう一口飲みながら、チラリとレクームを覗き見た。
義母相手にこう評するのはどうかと思うが、レクームは凄まじく美人だ。社交界で美姫と評される人物を何人も見てきたが、オーリムの欲目では圧倒的だと思う。……多少、いや多分に、ソフィアリアの母でソフィアリアに似ているという色眼鏡をかけているが。
三十五歳と資料で見たが、ソフィアリアの姉と言っても充分通用するだろう。ソフィアリアの父は常に慌てていたが、彼女は落ち着いていて所作も乱れがない。
……いや、彼と並ぶとレクームも落ち着きをなくすのだ。不自然な程に、まるで夫に同調するかのように。もしかしてあれは、夫だけ恥をかかせないように、わざとやっていたのだろうか?
まあ、その辺りは特に何も言うまい。ただレクームを見て、未来のソフィアリアを夢想してしまうのは許してほしい。
ソフィアリアよりずっとゆったりしているがそっくりなのだから、将来的にはこうなるのだろうなと、こっそりデレデレしていた。
代行人モードになっていなければ、表情がだらしなく緩んでいただろう。
『……ラズは本当にどうしようもないな』
その言葉にはうるさいと一蹴し、ふと名前を呼ばれた事で思い出した事があった。懐から大切な宝物を取り出し、レクームに見せる。
彼女はそれを見て、ひどく驚いていた。
「あら、それは」
「昔、セイドに居た頃にフィアにもらった。……私は元々薄汚れた孤児で、汚かったから綺麗にするんだって言って、これで手を拭いてくれたんだ」
取り出したのはまだオーリムがセイドにあったスラムの孤児だった頃、ソフィアリアから借りたままになっていたハンカチだった。説明をしながら当時を思い出し、ついふわりと目元を和らげてしまう。
側に寄るのも躊躇うようなラズに引っ付いて座り、当たり前のようにこの綺麗なハンカチを使って手を拭いてくれた。
残念ながら手が綺麗になる前にハンカチが汚れてしまったが、少しでも綺麗にしてほしいと願って渡されたまま、返す機会を失くして以来ずっと手元にある。
「これを見てフィアと過ごした短い時間を思い出し、元気をもらった宝物だ。そのっ、このハンカチに入れられているセイドベリーの刺繍は、フィアから母が刺したのだと聞いて、いつか夫人にお礼を言いたかった。……ありがとうございました。私はこれに、ずっと慰めてもらっていた」
そう言って頭を下げると、レクームはハンカチを手に取り、刺繍の施された表面を優しく撫でている。その表情は優しい、母の顔をしていた。
「わたくしはソフィにこれを作ってあげただけで何もしていないけれど、オーリムくんの助けになっていたのなら、なによりですわ。お礼はたしかに受け取りました」
「ああ」
「では、もうこれは必要ないですわね」
そう言ってポケットにしまおうとするからギョッとして、思わずハンカチを取り上げて、それを阻止する。
「な、何をっ⁉︎」
まさか取り上げられるとは思わなかったのだ。それだけは絶対に嫌だったので、全力で縋り付く。無様だろうが知ったことか。
レクームはそんなオーリムを、きょとんと見上げていた。
「あら、ダメですよ? オーリムくん。だってそのハンカチはわたくしが刺繍を入れたものですもの。懐から取り出したという事は、ずっと持ち歩いているのでしょう?」
「そ、そうだが……」
「どうしても手放せないなら、せめて机の引き出しにしまってくださいな。そしてソフィから刺繍入りのハンカチを新しく貰って、次からはそれを持ち歩きなさい。……好きな殿方に自分の刺した刺繍入りのハンカチを持ち歩いてもらうのって、女の子の憧れなのですよ?」
そう言って困ったように微笑むレクームの言葉に驚いた。だって初耳だったのだ。
言われて思い返してみると、フィーギスもプロムスも持ち歩いていた気がする。あれにそんな重要な意味があったなんて知らなかった。
「そんな事、フィアは一言も……」
「オーリムくんがあまりにもそれを大事にしているから、あの子は飲み込んでしまったのね。でも、もうダメよ? わたくしのハンカチを持っていていいのは、夫のミードさんと、娘のソフィとクーだけですもの。あと、お嫁に来てくれるメルちゃんもね。……ああ、そうだ。オーリムくん、あまり時間はないのでしょう? さっそく今から頼みに行きなさいな」
レクームの言葉にグッと胸が詰まった。ソフィアリアが自分を蔑ろにする事は知っていたのに、教えてくれなかった事を責めた自分が嫌になる。
深呼吸して表情を引き締めると、バッともう一度レクームに頭を下げた。
「教えてくれてありがとうございました、夫人。……今から頼んでくる」
「ふふっ、いってらっしゃい」
「その、これは貰ったままでいいだろうか? 決して、もう持ち歩かないと誓おう」
「ええ、もちろんですわ。……あともう一つだけ」
了承をもらったのでさっそく駆けようとしたら、最後に呼び止められたので振り返る。
「夫人じゃなくて、お義母さんって呼んでくれると嬉しいですわ。もちろん夫の事はお義父さんと。……だってオーリムくんはもう、わたくし達の息子なんですもの」
柔らかく微笑む表情は、ソフィアリアに本当によく似ている。思わず目頭が熱くなり、誤魔化すように不恰好に口角をあげた。
「……私、いや、俺は両親というものがいないし、どういうものか知らない。……だから嬉しいよ、義母さん」
そう呼ぶと満足そうに笑ってくれたから、オーリムはもう一度頭を下げ、走り出した。
「王、フィアは今どこにいる?」
『今は中庭を歩いてきておるな。このまま行けば鉢合わせる。……のう、ラズ。よかったな』
そう言った王鳥の声が柔らかかったから、思いっきり首肯してやった。
――まさか孤児のラズに、母まで出来るとは思わなかったのだ。結婚しても自分はこの立場だ。ソフィアリアの両親は、遠い存在になると思っていた。
全力で走っていたら、中庭のいつも夜デートをするベンチ付近でソフィアリアの姿を見つけて、思わず笑みが浮かんだ。
「フィアっ‼︎」
「えっ、ラズくん……よね? おかえりなさい、どうしたの?」
全力で走ってくるから驚いたらしい。レクームと似ていて、けれど彼女よりまだ少し幼い、唯一無二の大好きな婚約者だ。
側に寄るとその指先を取って、ギュッと握り締める。いきなり触れたからか、尚更驚いていた。
「ラ……」
「フィア、俺に刺繍入りのハンカチをくれないか?」
目を大きく見開いていた。その瞳が揺れているのを見て、やはり気持ちを押し込めていたらしいと察してしまう。
「どうして……だってラズくんはあれが……」
「義母さんから聞いて、注意された。あのハンカチも俺の宝物だから手放せないけど、今日から宝箱にでも入れてしまっておく事にする。次からは、フィアの刺繍入りのハンカチを持ち歩きたい。図案はフィアに任せる」
そう言いながらさり気なく指を絡めると、くしゃりと表情を崩していた。どうやらこれで正解らしい。義母に感謝だ。
教えてもらってなかったら、きっと一生気付く事はなかったのだと思うとゾッとする。危うく、ソフィアリアに一生我慢させてしまうところだった。
「……いいの? わたくしも刺繍はそこそこ出来るけど、お母様より下手よ?」
「勿論。フィアに貰ったものならなんでも嬉しい」
「わたくしも、そう言ってもらえて嬉しい。……少しだけ待っていてくださいな。初めてのハンカチだもの。せっかくだから、いいものを作りたいわ」
そう言って嬉しそうに笑った顔があまりにも綺麗だったから、心臓が早鐘を打つ。思わずギュッと抱き締めてしまったのは仕方ないだろう。
幸せな気分に満たされていたオーリムは見逃したのだ。ソフィアリアと二人で居たのに、いつものように近くに王鳥が寄って来ない違和感を。
遠く、大屋敷の屋根の上から微笑ましげに二人を眺めている、王鳥の姿を。




