初恋のやり直し 6
オーリムが行ってしまってからはなんだか食欲も失せたプロディージは、テーブルの上で行儀悪く肘をつきながら、ぼんやりと考え事をしていた。
考えるのは姉であるソフィアリアの事だ。オーリムはプロディージが殊更姉を好いていると言っていたが、プロディージにその自覚はなく、本当にずっと嫌っているのだと思っていた。
けれどそう言われて初めて、冷静になって考えてやる事にする。姉の事を考えるだなんてとても癪だが、いつまでもモヤモヤを抱えていたくはない。
――祖父が死んだ後の姉は異常なほど能天気で、夢見がちな花畑の住人だった。その頃は確かに現実を見ない姉の発言にイライラさせられていたし、本気で関わりたくないと思っていた。
『ねえねえプーくん、今日は何のご本を読んでいるの?』
『プーって呼ばないでって何回も言ってるよね? なんで聞いてくれない訳? 耳聞こえてる? 大体、言ってもあんたは全然理解出来ないでしょ』
『わっ! 文字がいっぱいだ〜! プーくんはえらいねぇ〜』
『……頭撫でないでってば』
そんな姉が話しかけてくるようになり、また距離なし人間だったのでベタベタ引っ付いてくるし、追い払っても遠くからニコニコ見て、ほとぼりが冷めた頃にまた話し掛けてきてを繰り返していた。一緒に過ごすうちに、多少情が湧いたのは否定しきれない。……些細な事でもたくさん褒めてくれて、頭を撫でられるのが心地よかった、なんて死んでも認めたくないけれど。
そうやって日々を過ごして一年が過ぎた頃、あの事件を引き起こした。心底軽蔑したが、勝手に廃人になって死にそうになっている姉の姿にまたイライラして、無理矢理叩き起したのだ。
本当に死ぬかもしれないと思わなかった訳ではないが、あのまま辛うじて生きている状況よりはその方がマシだと思った。
『勉、強! あの、ね、ソフィにも勉強、教えてっ! ソフィは奪ったか、ら、返さないとっ、ダメな、のっ!』
叩き起こした事で何か思うところがあったのか、姉は目が覚めて改心し、そう言って一緒に先生のもとで勉強をするようになった。
『まずはやっぱり食べ物よね! アヌーム領のお芋が安くてお腹が膨れるからそれを仕入れて、お金の代わりに報酬として支払うの』
『そこは給料の方がいいんじゃない?』
『お金も後々は大切になるけど、まずは現物支給の方が嬉しいんじゃないかしら? スラムにはお金の事を知らない子も多いし、使い道のわからないお金より、今すぐ食べられる物の方が嬉しいと思うわ』
『……まあ、働けばとりあえず食べ物にはありつけるっていうのもアリかもね』
『でしょ? 収穫が安定してきたらお勉強を教えて、お給料にするのはそれからにしましょう?』
『そのまま畑の一角渡して、自分達で売買する方法を教えた方がいいんじゃない?』
『あっ、そうね! ロディくんは頭もいいねぇ〜』
『……別に』
姉の物覚えの良さは凄まじく、焦りと嫉妬心を感じながらも一緒に勉強をし、領地を改善する事を考える時間は不思議と嫌いではなかったと思う。
そしてメルローゼに出会った。ペクーニアの屋敷の庭園で出会った二人の間に割り込んできた姉は、その日のうちにメルローゼとすっかり仲良くなり、その事に嫉妬して帰ってから激しく罵ったのを覚えている。……姉は相変わらず能天気な顔をしていたが。
『まずは何と言ってもセイドベリーの増産よ! 甘くて美味しくて、普通のラズベリーと違って日持ちするセイドベリーは絶対ぜ〜ったい売れるんだから!』
『お父様がセイドベリーの栽培は比較的簡単だって言っていたわ』
『なら、あとは場所だね。地図のこの一帯をセイドベリー用に開拓して』
『お・馬・鹿! あと五倍は必要よ!』
『あらあら、今のうちにそんなに増やして大丈夫かしら?』
『まだ知名度だってそんなにないんだけど?』
『だって絶対売れるとわかっているもの。本音を言えば十倍は欲しいわ。知名度は私が広めてくるから、お義姉様とディーは場所と人手をよろしくね!』
メルローゼと婚約してからは三人で勉強をして、領地や商売の事を話し合ったりして過ごした。三人でそうやって過ごす時間は結構気に入っていたが、婚約者だからと二人きりにする為に、姉は遠慮する事も多かった。
『っ! ひどいっ、なんでそんな事言うのっ⁉︎ 私はただ……!』
『そうやって喚けば主張が通ると思ってるんだから、ほんとおめでたい頭してるよね。淑女教育ちゃんと受けてないの?』
『受けてるわよっ! どうせ、どうせっ……! 〜〜っ! お義姉さま〜!』
『あらまあ。もう、ロディ。もう少し言い方を考えなさいって、いつも言っているでしょう? ……泣かないで、メル。ロディはね、メルを心配してるのよ。だってメルの言う通りにすると、メルが大変な思いをするのよ? 気持ちは嬉しいけれど、メル一人に大変な思いをさせたくないの』
『……本当?』
『……別に。他にも方法はあるってだけだし』
メルローゼとはお互いに素直ではなく、つい言い過ぎてしまい、最終的に泣かせる事が多かったのだ。けれど姉が必ず間に入って、お互いの本当に言いたかった事を汲み、いつも仲直りをする手助けをしてくれた。……これを習慣化したのが、そもそもの間違いだったのだろう。
『まったくもうっ! 私が許してあげなかったら、困るのはディーの方だったんだからねっ!』
『そうねぇ。メルが来てくれなかったから、そろそろお手紙を出すべきかって、最近ずっとソワソワしていたのよ?』
『手紙を出すと、おやつを諦めなきゃいけないからだし。別にローゼの事は』
『メルの顔も見られて、一緒におやつを食べて、来てくれて嬉しいわねぇ〜』
『ふふっ、そうでしょ? 私にもっと感謝しなさい!』
『あー、はいはい。美味しいお菓子のお土産をありがとうございましたっと。お菓子がやって来てくれて、僕は幸せだよ』
『ちょっと、私はっ⁉︎』
三人で過ごす時は、プロディージがつい言い過ぎても姉が気持ちを察して通訳してくれたおかげか、プロディージとメルローゼはお互い軽口は言い合いつつも酷い喧嘩になることはなく、穏やかに笑い合う事すらあったように思う。
だから二人きりで過ごす時間よりも、本当は三人で過ごす時間の方が幸せだったのだ。
……けれどプロディージは、姉がいずれ居なくなる事はわかっていた。他でもない、プロディージが言ったのだ。「他家に嫁いで領地を立て直す資金源になれ」と。このままではよくないと思いつつ、この関係を改善する事を怠ってしまった。
『もうっ、もうっ! ほんとディーは可愛くないっ! あなたなんかお義姉様の代わりよ!』
『そうやっていつまでも姉上贔屓。この調子じゃ、姉上が居なくなった先が思いやられるよ』
『うっ、そ、それは……』
『……まあ、嫁ぎ先から金を引き出すだけ引き出してから、不正でも暴いて国に告発して、姉上は出戻らせるけどね』
『えっ、そ、そうなの?』
『まあね。そうなったら次は望めないから、うちで面倒見るしかないかな。まあセイドに居たままでも多少役には立つでしょ』
『ほんとっ⁉︎ じゃあ四人でず〜っと居られるのねっ! だったら早めに連れ戻してよね。私達が学園を卒業して、結婚するまでによ!』
『はいはい』
――思い出した。きっとろくな所に嫁がない姉を金を引き出すだけ引き出した後にセイドに連れ戻そうと最初に言い出したのはメルローゼではない、プロディージだったのだ。
メルローゼもそれには大賛成で、三人でセイドで暮らす未来を信じて疑わなかった。――本当は隣国の不遇の姫も入れて四人がよかったらしいが、彼女は三年前、フィーギス殿下に見初められて諦めざるを得なかったと残念そうな顔をしていた。
そうやって冷静に自分達の事を思い返してみると、全て無意識だったのだが、何を言ってもその裏に隠された言葉を読み取り、気持ちを汲んで絶対嫌わないと分かっている姉の存在に随分と頼りきっていたらしい。それを本気で嫌っていると思い込んでいたプロディージは、オーリムの事を馬鹿だと言えないではないか。
姉にこれ以上甘えるなとオーリムに指摘されるのも納得で、姉が居なければメルローゼとの穏やかな会話もままならないのだから、気持ちが離れてしまうのも自業自得だ。この関係が楽だからずっと三人のままがいいと、何も変えようとしなかったプロディージが全て悪かったのだろう。
オーリムは姉の居なくなった今からメルローゼと二人でやり直せと言っていたが、とてもそんな気にはなれなかった。
メルローゼに愛想が尽きた訳ではない。今でもペクーニアの庭園で夢見た、百八本の薔薇を贈る未来を本当は望んでいる。
けれど同じくらい怖いのだ。プロディージは自分が自覚している以上に自分に甘いと知ってしまった。
それに、メルローゼにはもう他に気持ちを寄せている人がいる。そんな人と既に出会っているのに、最低な自分ともう一度やり直してほしいと願えるほど、プロディージは自分に自信なんかない。また繰り返して泣かせるくらいなら、まともな男と新しくやり直して、今度こそ幸せになってほしいと願ってしまう。そんな姿を遠くから眺めている方が、胸は痛むがきっとお互いに穏やかに過ごせるはずだ。
オーリムが何があってもソフィアリアの事は絶対に手放せない、諦めようとするプロディージを理解出来ないと言っていたが、そう思うにはある程度の自信と傲慢さが必要だとわかっていないのだろうか。
後ろに王鳥が寄り添っているせいか、オーリムは卑屈で後ろ向きだが、結構厚かましい性格をしている。多分あれはそういう性格だと自覚すらしていないのだろう。
プロディージはそうはなれない。あらゆる事から向き合う事を逃げて、自分に甘いプロディージは、口ではいくらでも強気に出られるものの、その実相当ヘタレで逃げ癖がついている。だからメルローゼとやり直す事を自分からは望めそうもなかった。
しかし、やり直す事を自分から望めなくても、メルローゼにやり直す事を望んでもらえるように行動する事くらいは出来るだろうか? まだ少し未練の残るプロディージに出来る最後の悪あがきはそれくらいだ。
上手くいく気はしないし、実際問題時間もない。姉が三日後の夜会までにメルローゼに決めろと言っていたので、それまでになんとかせねばならないが、プロディージは今回の事件の調査に協力したいと自ら申し出ていた。今日の夕方、フィーギス殿下達が資料を手に入れてくる以降は、夜会の日まで多忙を極める予定だ。
あえて言えば今だが、今のメルローゼは楽しく商談をしながら気分を落ち着けている最中だろう。今行っても心を乱し、また気分を害してしまうだけなのは目に見えている。
諦めるにしても、出来る事は精一杯やりきったとせめて悔いを残さないように。オーリムの言った通り悪癖を捨て去って、最後の足掻きとしてプロディージは何が出来そうか、しばらく頭を悩ませていた。




