初恋のやり直し 4
「――で、聞きたい事なんだが」
「何? この説教はまだ続く訳?」
「姉離れしろとしか言ったつもりはないが。まあ、好きに受け取ればいい。……ペクーニア嬢を諦めるのか?」
そう言うと、この世の絶望をかき集めたかのような悲痛な顔をする。けれど、これこそ意味がわからない事だった。
「フィアはああ言っていたが、俺はラクトルという男を全く信用出来ない。王妃の権力を使ってフィーを無視してセイドの婚約に介入してきた奴なんかに何故託そうとする? 家を切るのも寝返るのもやるとは思えないが」
それが不思議でならないのだ。ソフィアリアもプロディージも、何故そんな奴なんかを選ぶ余地をメルローゼに残すのか。
王鳥は何も言わないが、メルローゼは王鳥の側妃かこの大屋敷の相談役として多少大鳥に関わる人間なのだから、そんな所と繋がるのは勘弁願いたいと思ってしまう。
首を傾げて問うと、プロディージはふっと自虐的な笑みを浮かべて乱暴に紅茶を飲み干す。そしてポットから新たな紅茶を注ぎ入れていた。……未成年だから呑んだ事はない筈だが、なんだかヤケ酒をしている様子に酷似しているなと思う。
「理由は単純だよ。ローゼが僕よりもそいつの存在に安らぎを感じていて、気持ちがあるってわかってしまったからだ」
無理矢理作った歪な笑みを浮かべてそう言ったプロディージに目を瞬かせる。ますます疑問は膨れ上がるばかりだ。
「……まあ暴言だらけで素直ではないロディと一緒に居るよりは、そうだろうな」
「だったら――」
「けれどそれはラクトルに限った話ではないだろ。ロディと俺なら暴言を吐かない俺といた方がマシだという程度だ。……勿論フィアに誤解されたくないから俺は御免だけど。ああ、王とロディならどっちもどっちかもしれないな」
『どういう意味だ』
抗議されてしまった。けれど横暴さは似ていると思っているので訂正しない。
仲良くなる程当たりの強いプロディージと、期待する程高圧的な態度で突き放す王鳥、似たような性格をしているではないか。
プロディージとオーリムが双生で似たような気を纏っていると言っていたが、王鳥の間違いではないだろうか。……ふと、プロディージが妙に気になるのは王鳥と似ているからかと今更思った。
閑話休題。
「……だとしても、ローゼがあいつに気持ちが揺れているのは確かだよ。姉上だってそれは見抜いているんだ。長年一緒に居た僕と姉上の判断と、昨日会ったばかりのポンコツオーリムの判断、どっちが正しいかなんて明白だよね」
「誰がポンコツだ。……まあ、俺の察しの悪さは否定しないけど。婚約者に辛く当たられた時に優しく慰めてくれる奴が現れたら、つい靡いてしまうのは仕方のない事だろ。それだって別に優しくしてくれるならあの男である必要はない。それともあんたは、そんな事も許さず簡単に捨てるのか?」
「少なくとも嫌な気持ちになるよね。オーリムだってそうでしょ?」
「そもそも俺はフィアに辛く当たる気は全くないが。……一度で懲りたし、あの時別の男に慰められてたら、ムカムカはするが自業自得だと落ち込むだけだ。それを嫌な気持ちと言われればそうだが、そんな事でフィアを諦める程潔くなれない」
セイドでソフィアリアに言ってしまった暴言をつい思い出してしまい、渋面を作る。奇跡的にソフィアリアに許されたが、ずっと嫌われただろうと思って再会までの八年を過ごしてきたのだ。
あんな思い二度とごめんであると思いつつ、それを何度も繰り返して愛情を測るプロディージの行動は心底理解出来ないなと改めて思った。
それに諦めの早さだってそうだ。あれだけ執着じみた態度を取っておいて、何故あっさりと手放そうとするのか。この男は矛盾が多くて理解が難しい。
話せば話す程、二人の間には分かり合えないが故の沈黙が流れる。プロディージはラングドシャを摘みながら、しばし考えて共感を得ようとしたらしい。
「……オーリムはさ、フィーギス殿下と姉上が相思相愛ならどういった行動に出る?」
……ものすごく不愉快な例え話で。
ギュッと眉根を寄せ、けれど仕方がないので乗っかって考えてやる事にする。多少の協力はしてやると思ってしまったので仕方なくだ。
「……フィアには、誰よりも幸せになってもらいたいから……」
「でしょ?」
「俺の犯行だとバレないくらいすごく遠回しな方法でフィーにはフィアの前から消えてもらって、落ち込むフィアを優しく慰めて、こちらにまた気持ちが向いてくれるのを待つな」
「……えぇ〜……」
困惑したような表情を返されてしまった。何故だ。
『はっ、生温いわ! その上でお互いの中からお互いの記憶を抹消するくらいはする。そのくらい当然であろう?』
「王はそのうえでお互いの記憶を消すと言っている。……そんな事出来るのか?」
初耳だ。思わずガゼボの外に居る王鳥を仰ぎ見たが、沈黙が返ってきただけだった。真偽不明である。
ソフィアリア程ではないにしても、フィーギスにも恩義はあるので出来ればやりたくないが、ソフィアリアだけは譲れないので残念ながら不義理だと言われてもそうする。
命までは盗らないし、マヤリス王女を付けて普通に生活出来る程度は餞別にくれてやるので、それで許してもらうしかない。許されなくてもやめるつもりはないが。
まあ、万が一にもない例え話なので深く考える必要もないだろう。ソフィアリアはオーリムと王鳥に恋をしているし、フィーギスはマヤリス王女しか見えていない現状が一番だ。
「……一番の幸せを願って身を引くって選択肢はない訳?」
ジトリと睨まれて言われた言葉に目を瞬かせた。そういえばオーリムはかつて、そんな事も考えていた時期もあったなと懐かしく思う。けれど――
「フィアがこの大屋敷に来る前なら考えなくもなかったが、多分無理だった。そのうち我慢出来なくなっていたと思う。フィアに恋心を向けられる心地よさを知った今は、何があっても絶対に嫌だ。一番の幸せを願ってやれない代わりに、全身全霊で俺達が幸せにする」
きっぱりと言い切るとなんとも言えない表情をされた。それこそ、今オーリムがプロディージに感じている理解出来ないという感覚と同じなのだろう。
オーリムも王鳥も、ソフィアリアの居ない半年前をどうやって生きていたのかわからないくらい、ソフィアリアが側にいるのが当たり前で、三人で幸せに寄り添う毎日がすっかり根付いてしまった。
今更離れろと言われても土台無理な話だ。きっともう、誰が欠けてもまともに生きていける気がしない。だから何があっても、この先も三人で幸せを掴む為に足掻くだけだ。
「……そもそも、何故身を引こうとしてるんだ?」
だから想い合う娘と八年間も婚約者として交流がありながら、あっさり諦めようとしているプロディージの気持ちがわからない。オーリムから見れば、ラクトルという男はプロディージが諦念を感じる程いい物件だとは思えないし、見た事もないはずだ。
ソフィアリアもそうだったが、セイドはペクーニアくらいとしか交流がなく、領地に引きこもっている。それにプロディージはデビュタント前だから、社交界への出入りもまだ許されていないのだ。
オーリムもある程度社交界の情報は得ているが、ラクトルという男はそれほど有名な人物ではない。この国の商会最大手のペディ商会の後継者。そのくらいしか知らないのだから。
不思議に思って理由を尋ねると、プロディージはどこか寂しそうな表情でポツポツと語り始めた。
「……ここ半年間、ローゼの笑顔と僕への気持ちがなくなっていくのを、ずっと見ていたよ」
――どうやらラクトルという男ではなく、プロディージに問題があると思っているらしい。
「見ていただけか?」
「他にどうしろと? 僕はこういう性格だ。姉上に注意されてなんとかしようと思ったが、嫌味を言われれば言い返さなければ気が済まない。愛情を疑えば勝手に辛辣な言葉が口から飛び出て泣かせる。姉上はもう居ないからと我慢したが、完全にはなくならなかったよ。……そんな事をしていれば、愛想を尽かされて当然じゃないか」
テーブルの上で両手を強く握り締めて俯くその表情は見えない。けれど、自分の不甲斐なさに泣いている気がした。……たとえ、涙は流していなくても。
「婚約解消されて、厄介な事に巻き込まれていそうで焦ったよ。だから取り戻したかった。……けれどローゼはここに保護されて、さっきの笑った表情を見たらどこかほっとしたんだ。ああ、僕と離れる事でやっと笑ったって。これ以上気持ちが離れていくのを間近で見ずに済むんだって。……そう思ってしまった僕はもう、ローゼと寄り添う資格はないんだ」
言っている言葉は酷い諦めの言葉なのに、不思議と声音が柔らかいと感じるのは、それが本心だからに他ならない。それほど強く、メルローゼを想っていて、だからこそ傷付ける自分が一番許せなかったのか。
なんだかやるせなさを感じたが、オーリムには到底納得など出来やしなかった。だから――
「馬鹿らしいな」
献身ぶった、らしくない言葉を思わず一蹴した。
「……は?」
「どんな崇高なご高説を垂れる気かと思えば、嫌味ったらしいロディなんかがいい子ぶって、結局何もせず逃げる事を選んだだけか。聞いて損した」
わざとらしく溜息を吐いて肩をすくめる。王鳥も「プピィ」と馬鹿にしたような鳴き声を出すし、同じ意見なのだろう。
プロディージはオーリムと王鳥に期待したような反応が返ってこなかったからか、眉間に皺を寄せジトリと睨んでくる。どんな反応を期待したのかと問うのも馬鹿らしいので無視する事にした。
「他にどうしろとだと? 決まっているだろ。愛しているならそれを示して優しくしてやればいい。本命でもない男に優しくされただけで靡くくらいペクーニア嬢は優しさに飢えているなら、本命のロディに優しくされればすぐ取り戻せる。今からだって充分間に合うはずだ」
それくらい鈍いオーリムにだってわかる。何故そんな簡単な事をしないんだとギロリと睨めば、反対に睨み返されてしまった。意味がわからない。
「あのさ。それが出来れば苦労していない訳。大体婚約解消した途端優しくすると、僕の特性を知ってるローゼは自分に好意が無くなったんだなと勘違いするだけじゃないか」
「それが? 勘違いさせないくらい優しく甘やかして、素直に好意をぶつければいい。こんな簡単な事、苦労する程の事じゃないだろ。それに、そんなろくでもない特性なんて後生大事に抱えてないで今すぐ捨てろ」
「誰のせいでこんなもの抱える羽目になったと思ってる訳っ⁉︎」
「フィアに構ってもらう為だろ? 本当はもっと早くに捨てられたのに、それを持っている限りロディとペクーニア嬢の側からフィアは離れないって気付いていたから未練ったらしく抱えてた。つまりいつまでも姉離れしないロディのせいじゃないか」
それを言ってやると、プロディージはくしゃりと表情を崩す。怒っているのか悲しんでいるのかわからないその表情を見ても、オーリムの主張は変えてやらない。間違っているとすら欠片も思わない。
だからオーリムは、遠慮する事もなく言い放った。
「フィアにはもうロディ達に構う余裕はない。俺と王と幸せになるのに忙しいんだから、他家の人間は邪魔しないでくれ」
そう一番の主張を言い切ると、満足だと言わんばかりにふっと鼻を鳴らした。
オーリムの考えだが、プロディージがソフィアリアを離したがらない理由はもう一つあるのだろう。それはメルローゼがソフィアリアに非常に懐いているからだ。
プロディージとメルローゼが仲違いしても、プロディージから見れば姉で、メルローゼから見れば友人であるソフィアリアが居てくれれば、二人の縁が完全に切れる事はない。何かあれば二人の橋渡しになってくれるし、そういった意味でも居てくれるだけで安心感を感じられたのだと思う。
もちろんそういった打算だけではなく、普通に姉としてもある程度好意を寄せているのだろうが、人の妃を随分と便利に使ってくれるものだと呆れたように睨みつけてしまう。
そう思ってじっと見ていると、溜息を吐きながら目元を手で覆ってまた俯いてしまった。
「…………今更遅いよ。現状を改善したところで、僕達はもう戻れない」
その姿に酷い既視感を感じた。よりによって、こんな嫌なところで双生らしさを自覚したくなかったなと思う。
「ああ、そうだな。やってしまった過去は変えられない」
「なら」
「そもそも戻る必要がどこにある? フィアが間にいないと成り立たなかった関係なんてまた壊れるだけだ。そして俺も王も、フィアをもうセイドに返す気はない。……だからロディも、今からフィア抜きで初恋をやり直せばいい」
そう言うとポカンと呆けていた。いつも詰れる場所を探しているかのような澄まし顔をしていたので、馬鹿面を引き出せて少し気分がいいなと思った。




