愛情の歪み 2
『ていうかさ、何でうちなんかに婚約の打診をした訳? ペクーニアからしたら格下も格下、何の旨みもないはずなんだけど?』
婚約の署名を済ませ、当主である父親同士が話し合いをしている隣の部屋で、婚約した二人は机を挟んで座っていた。
腕を組んで見据えると、斜め向かいに座る彼女はふふんと得意げに笑い、ビシッと手に持つ扇子を突きつけてくる。行儀が悪いなとジトリと睨み付けてやるが、気にした様子はない。
『旨みがなかったらお父様は話を持ちかけたりしないわよ。ここは誰にも見向きされていないけど、かつてはセイドベリーという特産品があって、陞爵手前の栄華を誇っていたと聞いたわ! お父様はそれを誰かが見つける前に、独占したいんですって』
それを聞いてどこかガッカリしたのだ。ペクーニアの屋敷で会った時に気に入ってくれたのではないかと期待した。気にいるも何も、二人は激しく言い争いをして、最後は泣かせて別れたのだけれど。
だからそう、思ってもいない事が口に出る。こういう時ばかりするすると口が動くのだから嫌になった。
『ふーん? なるほど。僕達は完全な政略結婚って訳ね。なら、そのセイドベリーとやらを復活させてみせるから、お互いに干渉はなしにしよう。僕だって泣き喚くうるさい女と夫婦なんてごめんだし』
そういうと婚約者は絶句して、傷付いた表情をしていた。けれど目に涙を溜めて、ふるふると震えながらキッと睨み付けてくる。
――その事に心が喜ぶのだから、本当に救いようがない。
『わ、わかってないわねっ! 商売は協力も大切だってお父様は言っていたわっ! あなたは領地を管理する、私は社交でセイドを売り込む。稼いだお金はあなたが領民に還元する。その為に、あなたは嫌でも私を大切にしないといけないんだからっ!』
必死にそう言い募る婚約者に笑みを浮かべた。彼女にとっては意地悪く見えるだろう笑みは、けれど自分にとっては心からの笑みだったのだ。――当然、伝わるはずもないのだけれど。
『はいはい、ちゃんと義務は果たしますよ、婚約者殿?』
本当はあの時の女の子と婚約出来て嬉しいクセに、優しく大事にしたいクセに、性格の歪んだ自分は素直にそれを言えるはずがなく、その大義名分があれば婚約者に優しくする言い訳が出来たと安堵したのだ。
――それがどれほど相手を不安にさせるのか、考えもしないで。
『……義務……?』
その言葉にひどくショックを受けたのか、そう呟いてポロポロと泣き出すのだからギョッとして、けれど目にまだ自分が映っている事にほっと息を吐いた。――まさか呆れた溜息だと誤解されているとは思わなかったけれど。
『あー! ロディくんがメルちゃんを泣かせたー! もうっ、めっ!よ』
と、自分の対面でずっと二人をニコニコと見ているだけだった悪魔が、隣に座る婚約者をギュッと抱き締めてハンカチで目元を拭う。何故あんたがそこに座るのか、何故あんたが婚約者を慰めるのかとイライラして、キッと睨みつけてやった。
婚約者を慰める悪魔はそんな事全く気付いていなかったけれど。いや、この悪魔はそれを見ても平然としているだろう事は想像出来るのだけれど。
『泣かないで、メルちゃん。綺麗なおめめが溶けてしまうわ。ロディくんはね、照れているだけなのよ。お手紙が来た時に嬉しそうに笑って、記念のプレゼントまで用意したのよ?』
『……プレゼント?』
涙目できょとんとこちらを見る婚約者に思わず真っ赤になる。この悪魔はなんて事を勝手にバラすのだとますます強く睨むが、相変わらず能天気にニコニコしているだけだった。プレゼントを渡せとせっつかれているような気分になる。
渋々と、背中に隠すように置いた箱を取り出して婚約者に突きつける。手のひらサイズの小さな箱は包装紙もなく剥き出しで、申し訳程度にリボンで結ばれているだけだった。
記念品というには見窄らしいが、貧乏なうちではこれが限界だ。市販品ですらないのを恥ずかしく思いながら、言われた通りに渡してやる。
『……いらなかったら捨てるけど?』
そんな事する気もないクセに、すぐ軽口を溢してしまうのだから本当にどうしようもない。
けれど婚約者は慌てて受け取ると、箱をじっと見て、おずおずと上目遣いでこちらを見た。
『……開けてもいい?』
『そのくらい自分で判断しなよ』
『っ! あっ、開けるわよっ!』
減らず口ばかり。でも自分の意思で開けると言ってくれた事は嬉しかったから、今のはよかったかなと判断した。
蓋を開けて出てきたのは二本の赤いリボンだ。両親に無理を言って買ってもらったそこそこいい布で、同色の糸で薔薇の刺繍が入っている。
そして裏面は琥珀色。こちらも同じように刺繍が入っているが、柄はセイドベリーの花だ。
二枚を縫い合わせて出来たリボンは、メルローゼのような裕福な貴族に贈る記念品だと、胸を張れるものではない。公の場では使えないが、屋敷の中で普段使い出来る程度のものだった。
持ち上げてじっくりと眺める表情は呆然としている。なんだか居た堪れなくなって、そんな婚約者からふいっと視線を外して溜息を吐いた。
『……文句ある? 言っておくけど、貧乏貴族のうちじゃそれが限界だから』
『そんな事言ってないじゃないっ!』
真っ赤になって頰を膨らますのは、いいのか悪いのかわからない。資産家のペクーニアに贈るのは無謀だったかと後悔してきて、ギュッと眉根を寄せた。
そもそも婚約した記念品なんて贈る習慣はないのだから、やめればよかったのだ。なんとなくそうしたいと思ったのが間違いだったのかもしれない。何故、こんならしくない事をしてしまったのだろう。
『メルちゃんメルちゃん。このリボンね、刺繍を入れたのはお母様だけど、ロディくんが自分で布を選んで、刺繍の図案もいっぱいご本を読んで考えたのよ? メルちゃんの瞳の赤と名前の薔薇、ロディくんの瞳の琥珀色とセイドの名産セイドベリーのお花。二人はずっと一緒の仲良しさんだって言っているみたいで可愛いねぇ』
『ちょっと黙ってて、姉上』
『そ、そうなんだ。ふーん、あなたにしては上出来なんじゃないかしら?』
余計な暴露をした悪魔を一蹴して、可愛くない物言いだが、多分悪くなさそうな反応が返ってきたので、まあいいかと息を吐く。
婚約者からすれば安物だし大事に使えとは言わないが、好きに使えばいいと投げやりな気分になって紅茶を飲んだ。来客用の為、いつもより香り高い。
『じゃあロディくん、次は頭に結んであげよう!』
『『っ! はあっ⁉︎』』
危うく吹くところだった。突然何を言い出すのだ。
だがうっかり婚約者と声を揃えてしまい、顔を見合わせてしまう。お互い耳まで真っ赤だった。
『記念品だもの。婚約者が身につける贈り物は、渡した人が付けてあげないとダメよ? メルちゃん二つ結びだし、良かったねぇ』
この悪魔は空気も読まずリボンを婚約者から取り上げると、当然のように手渡された。それをつい受け取ってしまうのは、そうしたいからと思った訳では絶対ない。ないったらない。
けれどニコニコ笑う悪魔はやらないと許してくれないだろう。婚約者はどこか期待しているような気がするし、意を決して立ち上がると婚約者に近付く。
『ひぅっ⁉︎』
『何その反応。やらないと収拾が付かないんだから我慢してよね』
『いっ、嫌じゃないけどっ!』
『頭振らないでよ』
ついでに耳を赤くするのもやめてほしい。なんだかこちらまで恥ずかしくなってくるではないか。
耳の上で小さく括られた二つの髪に、赤を上にして結んでやる。さすがに婚約者の黒髪に琥珀色を飾る勇気はない。
さっさと終わらせて席に戻る。婚約者はリボンを弄ってソワソワと落ち着きがなく、そんな様子を見ていられなくて俯いた。頰が熱いなんて、気のせいだ。
『はいっ! 鏡だよ、メルちゃん! ロディくんの贈ったリボンが世界で一番似合うねぇ』
『そ、そうね、うん。これはもう私のだもの。えっと、ロディ……いえ、ディー』
名前を呼ばれたから顔を上げる。名付けてくれた婚約者にだけ呼ばせる愛称は、なんだか擽ったいと思った事は認めよう。
『……何?』
『ありがとう』
頰を薔薇色に染めながら嬉しそうに微笑むその表情が可愛かった、なんて言ってやれなかったけれど。
*
「わたくしがお祖父様から買い与えられた物を換金する際にお世話になったのが、ペクーニア商会だったの。そこでロディはメルと出会って、どういう状況かはわからないけれど、わたくしが見つけた時はお互い顔が真っ赤だったわ」
当時は領地を立て直す為の準備金が早急に必要で、溢れかえるほどあったソフィアリアの私物を売る事にした。
物を換金出来るところが隣領のペクーニア商会しかなく、両親は没落しかけだが一応貴族だったので、メルローゼの父であり当主で商会長のペクーニア子爵が直々に対応してくれたのだ。
子供は庭で遊んでいていいと言われたが、売る物はソフィアリアが祖父から貰ったものだったのでソフィアリアは同席して、プロディージは勧めもあり庭へと向かった。
事情を説明し終えたら大人同士で話があるからとソフィアリアだけやんわりと追い出され、渋々プロディージのところに向かい、見つけたのがお互い激しく言い争っていたプロディージとメルローゼだったのだ。
当時を思い出して思わず笑みが浮かぶ。している事は口喧嘩だったが、綺麗な顔をしたプロディージと可愛い顔をしたメルローゼが並ぶと、一対のお人形のようでとてもお似合いだと思った。
「それからすぐにペクーニアからロディに婚約の打診が来たけれど、あまりにもペクーニアに利点がなかったから、メルがあの時ロディに恋をしたんだなって思ったの。ロディも両親に頼み込んで婚約記念のリボンを贈りたがるくらい、満更でもなさそうだった。お互いに両想いだったのよ?」
「婚約記念なんてあるのか?」
「いいえ。する人もいるかもしれないけれど、絶対ではないわ。要するにロディの気持ちの問題ね」
少しソワソワしてしまったオーリムに否定しておく。まだ婚約中なのに既に色々と受け取っているのだから、わざわざ贈ろうとしなくていいのだ。
当時の微笑ましい光景を思い出してふっと笑みを浮かべ、けれど今となってはチクリと胸が痛む。
「ロディは話した通り厄介な特性があるし、メルもあまり素直ではないから顔を合わせばすぐ言い争いになって、酷く拗れそうになると二人の仲をわたくしが取り持っていたわ。……それが甘えを増長させてしまったのでしょうね」
思えばソフィアリアは、二人に対して必要以上に出しゃばり過ぎたのだ。
「わたくしが二人の仲を取り持つのではなくて、言葉足らずだったのなら、自分達でぶつかりあって真意を聞き出させる。心にもない事を言ったのなら、自分から本心を伝えられるよう見守って、自主的に謝らせなければいけなかった」
些細な事ですぐ喧嘩になる二人には、お互い傷付けあっても自主的に仲直りをさせるという過程をもっと踏ませて、繰り返して学習させてやるべきだったのだろう。
それをずっと繰り返していれば、いずれは学習する。そうやってお互いに意見を擦り合わせて、自分達の力だけで解決に導いてもらうべきだった。
「ロディとメルの間に、わたくしという異物は不必要だったのよ」
なのに二人に介入して、過度に橋渡しをした結果、何を言っても最後はソフィアリアが仲介してくれるという安心感を植え付けてしまった。……ソフィアリアはいずれ嫁いで、二人の間には居れなくなるのに。
その事にようやく気が付いた。あれだけ言っても結局メルローゼに優しく出来なかったプロディージにも失望したが、それ以上にソフィアリアは自分の浅はかさを呪った。
本当に、何故ソフィアリアは無意識のうちに人に厄災を振り撒いてしまうのだろうか。自分で自分が嫌になる。




