二人の言い争い 9
「今更遅いよ。ペクーニアはセイドと関係があったと広く知れ渡っているし、たとえ僕との婚約がなくなっても、ローゼは王鳥妃である姉上の一番の友人だよね。実際に貴族でありながら、ここに入る事を許されたし。どのみちペクーニアは後ろ盾がないまま、もう大鳥様と関わっている事には変わりないじゃないか」
「そうね、今更ね。……だからといって、セイドと繋がりを持つ必要もないわ。言ったじゃない、わたくしが面倒見るって。わたくしはロディの言う通り王鳥妃よ、セイド男爵令嬢ではないわ」
ピシャリとそう線引きをすると、動揺に瞳を揺らめかせ、けれどそれを隠すように忌々しげに睨んでくる。……そんな顔をされても、ソフィアリアの主張は揺るぎないけれど。
だから王鳥妃として、王鳥の代わりにソフィアリアはプロディージに教えてあげる事にする。
「王様がメルを側妃にするって言ったのは、一時的な保護と、その後下賜という形で手放せるからよ。王様から賜ったのだから、受け取った家は神様の寵愛を受けたも同然になるわ。王家以上の強力な後ろ盾だもの。きっと誰だってその栄誉を欲しがるでしょうね」
何故王鳥は側妃なんて言い出したのだろうかと考えた時、思い出したのがこの制度だった。
側妃は一定期間その立場に収まった後、王の判断で臣下に下賜する事が出来る。
下賜された家には王から大切な妃を与えられる程、目をかけてもらえているという栄誉も付随してくるのだ。王鳥はきっとそうしてメルローゼの価値を高めて外野から護り、手放しても問題ないように取り計らっていた。
王鳥はソフィアリアの言葉を肯定するように「ピ」と短く鳴く。どうやら合っているらしい。一度笑みを向け、再度プロディージと向き直る。
どこに下賜するかはソフィアリアが決めていいという。ならば思うがままに行動しても許してくれるはずだ。
「今はお互いが力を持っているんだもの。もう無理に一緒にいる必要はないでしょう? だから何の心配もしなくていいし、わたくしが二人の主張を汲んで、望みを叶えるお手伝いをしてあげるから安心してね」
――だからソフィアリアは、セイドには下賜する事はないと決めていた。
「……本気で言ってる訳?」
「わたくし、あまり冗談を言わないのだけれど。それくらいロディも知っているじゃない。……もう戻りなさい。傷付けるばかりのロディに、メルと会う理由も資格もないわ」
事実を突きつけると、酷く傷付いた表情をしていた。プロディージにしては珍しいその表情に笑みを向けたまま無言の圧力を掛けると、絶望感を漂わせたまま、客室棟の方に踵を返す。
オーリムはそんなプロディージの様子が気になるのか引き止めようとして、けれど思い留まった。悲しみを背負ったプロディージの背中に心配そうな目を向けるだけだ。
「――ペクーニア嬢」
プロディージから今まで発せられなかったその呼び名に、メルローゼは痛みを堪えるように指にますます力を込める。縋り付かれた背中に感じる痛みくらい、甘んじて受け入れようと思った。
だって今痛いのは、ソフィアリアであるはずがないのだから。
「今まで世話になった。礼を言うよ。――それと、姉上」
メルローゼを見ないようにしながら背中越しにソフィアリアを見るプロディージの視線はひどく懐かしい。ソフィアリアはずっと昔、この目で見られ続けていた。
「あんたはやっぱさ、あの時、クソジジイと一緒に始末しておくべきだったよ」
――侮蔑と殺意のこもった、その目で。
「っ‼︎」
激昂するオーリムの腕を掴んで引き留める。眉を吊り上げて怒鳴りかけているオーリムは振り返ってくれたので、首を横に振ってやめさせた。
プロディージはそうしている間に行ってくれたらしい。その背が哀愁が漂っていたが、彼を慰める相手はもういないのだから、自力で這い上がるのを待つしかない。きっと今日は大荒れだろうなと思った。
オーリムはあまりにも酷い暴言に瞬間沸騰した怒りが鎮まらないのか、ハーフグローブの隙間から見える手が白くなるほど強く握り締めてしまっているのを見た。
その手を両手で包み込み、解くようにゆっくりと撫でる。
「ありがとう、わたくしの為に怒ってくれて。そしてロディを怒らないでくれて」
「……怒っていない訳じゃない」
「それでも、我慢してくれただけでも充分だわ」
ふわりと微笑み掛けると、幾分かオーリムの張り詰めた気配が和らぐ。今はこれでいいだろう。
「……なんで、お義姉様……こんな……」
背中に縋り付かれた手が震えて、そう言った声も涙を含んでいたのでようやく振り返る。
メルローゼは案の定、大きな目に涙を溜め込み始めていた。
微笑んで、頬を優しく包み込んで顔をあげさせる。精一杯の慈愛を表情に浮かべて、優しく伝える事にした。
「メル、大丈夫よ。もうロディの酷い暴言なんて我慢なんてする必要はないし、わたくしが大切な友人であるあなたを助けてあげるわ」
メルローゼはゆるゆると首を振る。本当の望みと正反対の事をするソフィアリアの「助ける」なんて、なんの説得力もないと思っているのだろう。
「嘘よ、だって……」
「嘘ではないわよ。ずっと昔から二人を助けてきたつもりだったけれど、それが間違いだったってようやく気が付いたの」
「間違い……?」
信じられないとばかりに呆然と目を見開く。傷口に塩を塗り込みながら、それを更に浸透させるかのような酷いやり方で、じっくりと言い聞かせる。
「ええ、そうよ。間違いだったの。だってロディはメルに酷い言葉を投げかけるだけで優しくないし、メルはロディといると穏やかではいられなくて、思わず辛くあたってしまうのよね?」
「…………それだけじゃ……」
「わたくしもね、自分が恋をしてやっとわかったの。反発ばかりで傷つけ合うあなた達のそれは恋じゃないって。誰かが間に居なければ成立しない関係しか築けないのなら、結ばれる運命なんて、最初からなかったんだって」
信じられない、否、信じたくないと言わんばかりに強張ってしまったその表情に、決定的な言葉を突きつけようと思った。……それがどれほどメルローゼを傷付けるのか、わかっていながら。
「メルはあの時、一時的でしかない感情でロディと婚約なんてするべきではなかったのよ」
途端、メルローゼはその言葉を拒絶するかのようにソフィアリアから距離を取る。
震えて、涙目になるその表情は絶望に染まっていた。けれどソフィアリアはもう、この事に関してだけは助けてあげる事はしないと決めている。
「酷いっ……酷いわっ、お義姉様っ! 私の本当の気持ちを知っていながら、なんでそんな事言うのっ⁉︎」
「だってわたくしが居なくなっても、二人は何も変われなかったのでしょう? あなた達は長い間一緒に居て、所詮その程度の関係性しか築けなかったってだけよ」
「そんな事っ……!」
「わたくしね、王様とリム様に恋をして半年経つけど、二人の事を知れば知るだけ、一緒に過ごした時間の分だけ、どんどん好きになっていくわ。もう半年前に感じた恋心では小さ過ぎて全然足りない。きっとこの気持ちはこれからも大きくなっていくってわかるの」
二人の事を想って思わず甘くなってしまった表情で微笑めば、何故かメルローゼは痛そうに顔を顰める。
自分では感じた事がないこの気持ちが、羨ましくて妬ましい。そう思っているのだろうか。
でもソフィアリアは手を緩めずに、尚も追い打ちをかける。
「メルの恋心はあの時から何も変わっていない。むしろ婚約当初の方が、まだ好きだって気持ちが大きかったのではないかしら?」
何故ソフィアリアが責められるのかと問うような眼差しを送ると堪えきれなかったのか、くしゃりと表情を崩して涙を流し、駆けて行ってしまった。その背中をぼんやりと見送る。
きっと二人はまたいつものように、ソフィアリアに仲を修復する手助けを望んでいたという事は察していた。
プロディージはメルローゼを誘って、二人でソフィアリアに会いに行こうと、こんな時間に訪ねたのだろう。早く仲直りしたい、その一心で。
けれどソフィアリアにだって限度があるし、二人がここにきてまだ甘えてばかりなのを良しとする程、優しくしてあげられない。……それはもう優しさですらないと思っている。
だから、これでいいのだ。この行動こそが本当に正しかった。
……そう確信しているはずなのに、この胸に広がる虚無感はなんだろうか。
「フィア」
優しい声音と共に温もりに包まれる。抱きしめられたと気が付いて顔を上げると、オーリムの心配そうな表情とぶつかった。
心配ないと言わんばかりに淡い微笑を浮かべて、首を横に振る。
「一番痛いのはわたくしじゃないから大丈夫よ。心配しないでくださいな」
「三番目だとしても、痛い事には変わらないだろ」
ポンポンと背中を叩かれる感触が心地いい。王鳥も後ろから肩にすりすりと頭を擦り付けて慰めてくれるし、そういう人がいるソフィアリアはあの二人と違って幸せだ。
二人がああなった原因は、根本的にソフィアリアにあるのだ。その元凶がこうして悲劇ぶって一番の幸せを感受しているのだから、本当に救えない話である。
「ねえ、王様、ラズくん。予定通り少し飛んでもらってもいい?」
「勿論」
「ピピー」
快諾してくれる二人にニコリと笑って、甘える事にした。……本当に今日は、色々な事が起こる一日だ。
「ありがとう。少し聞いてくださいな。二人の……ロディの事と、今になって思い知ったわたくしの間違いを」
オーリムはそんなソフィアリアを慰めるように優しく笑って、いつものように横抱きにされる。ふっと魔法で優しく浮上して王鳥に乗り込むと、三人は冬の澄んだ空へと飛び立った。




