二人の言い争い 8
夜食のベーコンとチーズのケークサレを食べ終え、今日を最後にしばらく夜デートが出来ないので、軽くひとっ飛びしようかと話していた時だった。
「――今更なによっ! もう私達の間には何もないのだから、放っておいてっ‼︎」
静かな星空の下、甲高い叫び声が聞こえたので三人はそちらに目を向けると、二階のバルコニーで人影が二つ見えた。
「いつまでそうやってつまらない意地を張ってる訳? 毎回毎回、ほんっと飽きないよね。少しくらい相手の言葉に耳を傾けようって気持ちもないの? 僕はただ――」
「知らないっ! 知らないったら知らないんだからっ! そうやっていつまでも面倒見てくれなくてもいいわよっ! 私はもう、ディーとはなんの関係ないんだからっ‼︎」
「呼び名を改めもしない癖によくそんな事言えるよね。そのツメの甘さでどれだけの人に迷惑掛けてると思ってるのさ。ともかく、いい加減話を」
「ええ、ええっ! 私が悪いのよ。だから学園に入る前に離れてあげるって言ってるの! あなただってそれがお望みなんでしょう? セイド卿!」
「――ほんと、いい加減にしなよっ!」
周りを気にする事もなくこんな遅い時間に声を張り上げる見知った二人――メルローゼとプロディージの姿を見て、額に手を当て溜息を吐く。
オーリムも苦笑して「空はお預けだな」なんて言うものだから、関わらない訳にもいかないだろう。どのみちこんな時間に騒がれたら、家政を任されているソフィアリアが無視する訳にもいかないのだが。
諦めてバルコニーの下まで歩いて行くと、オーリムもついてきてくれた。王鳥は何やら二人の元に飛び立って行ってしまう。
「――っ⁉︎ 王鳥様?」
「きゃあああ‼︎」
王鳥は背中に優しくメルローゼを乗せ、プロディージはぞんざいに嘴で腕を咥えると、こちらに戻ってきた。
バルコニーの下に下ろされただけだが、軽く飛行した事によってメルローゼは意識はあるものの真っ青で、プロディージは腕を掴まれただけで宙ぶらりんだったのにも関わらず、歯を食いしばって堪えていた。その様子を見て、プロディージは大鳥から声を掛けられて応えれば、鳥騎族になれそうだなと呑気に思う。軽い現実逃避だ。
「ここから人が住んでいる場所は遠いけれど、こんな夜遅くに外で騒ぐものではないわよ」
そう声を掛けると二人はハッとして、ようやくこちらに気付いてくれたようだ。まずプロディージがすっと目を細め、冷ややかな視線を投げかけてくる。
「……姉上こそ、こんな時間に何をしてるのさ? ここに来て淑女の自覚すらもなくしたって訳?」
「そんな時間に赤の他人であるご令嬢をバルコニーに追い詰めていた人間が言う事ではないわね。……ロディこそ、メルの部屋で何をしているの? あのお部屋はこの国の王族より上の位に立つ、王様のご側妃のお部屋よ。その価値を知っていて、男爵令息如きが忍び込んだというのかしら?」
「……フィア?」
らしくない冷たい物言いをしたからか、オーリムは心配そうな表情でソフィアリアを見る。その気持ちは嬉しいが、ソフィアリアだってどうしても言わなければならない事があるのだ。
メルローゼは姉弟で対峙している隙に、こちらに駆け寄ってきて背中に隠れる。ソフィアリアの方が身長が高いので、辛うじて収まっていた。
それも含めてプロディージは恨みがましい目で睨み付けてくるが、自業自得だ。仄暗いその表情を見てまた溜息を吐くと、憂鬱さを払うように首を横に振った。
「この大屋敷の主である王様とリム様も望んだ夜デートなのだから、外野にとやかく言われる筋合いはないわよ」
「へえ? 少し見ない間に随分とふしだらな女に堕ちたもんだね」
「言い訳はしないけれど、煽って思い通りになるわたくしじゃないってロディなら知っているでしょう? 何をそんなに焦っているの?」
不必要に攻撃的な言葉を投げかけてくるプロディージに淡々と事実を突きつけると、グシャリと表情を崩してより強く睨み付けてくる。
オーリムはそんな視線からソフィアリアを守るよう、少し前に出て背に庇ってくれた。
「ピィ」
「フィア。ペクーニア嬢の事はフィアに一任するって王が言ってる」
王鳥の言葉をオーリムが通訳した途端、プロディージの瞳に微かに希望の光が宿るのだから、この弟も弟だ。一体今の台詞のどこに希望があったのかと思わず笑ってしまう。
だからその通り、ふわりと笑って見せた。優しい姉の表情で安心してもらう為に。少しでも警戒を緩めてもらう為に。
――こんな見え透いた嘘に引っ掛かり、肩の力を抜いたプロディージにより一層失望を感じながら。
「そう。なら、わたくしは二人をあるべき姿に戻したいと願うわ」
「っ! お義姉様っ⁉︎」
悲痛な声で叫ぶメルローゼは、だがその実、この膠着状態を誰かが打破して元に戻してくれる事を何よりも願っているとわかっていた。悲痛な叫びの裏側に隠された喜色を見逃さない。
こうやって二人が言い争いを始めてどうしようもなくなった時、それを解いて元に戻してきたのは他でもないソフィアリアだった。きっと今回もそれを望まれているのだろう。
だからソフィアリアは二人の願いを叶えてあげようと思った。――二人が言い放ったであろう言葉を、ソフィアリアは素直に受け取る事にして。
「ロディ、安心して。学園で新たな婚約者を探したいあなたの邪魔にならないよう、メルの嫁ぎ先はわたくしがきちんと面倒を見るわ」
「……姉上?」
目を見開いて強張ったプロディージに笑みを浮かべ、不思議だと言わんばかりに首を傾げる。
何をそんなに怯えているのだろうか。詳細は知らないが、自分でメルローゼ本人に言った事だ。学園で別の婚約者を見繕うつもりだと。
ソフィアリアは頰に手を当て、まいったように溜息を吐く。
「ごめんなさいね、今まで気付かなくて。わたくしはずっと二人で幸せになってほしいと、自分勝手な願いを押し付けてしまっていたわ。けれどあなた達は違ったのね」
「……お義姉様?」
その不安げな声音と、ギュッと背中に縋り付いてくる指に力が籠ったから、きっとメルローゼはプロディージと同じ表情をしている。見なくてもそのくらい手に取るようにわかっていた。
「ロディ。あなたは望み通り学園で新しい婚約者を探せばいいわ。学園で見つからなくても、今セイドには多くの縁談が持ち込まれている筈だから、きっとペクーニアより好条件で、気も合わず喧嘩ばかりのメルより理想通りのお相手が見つかるはずよ。もうセイドはペクーニアだけに固執する理由はない、むしろセイドの為には切り捨てた方がいいって、賢いロディならわかっているのでしょう?」
そうはっきりと言ってやると、憎悪を帯びた表情で睨まれる。でもソフィアリアに反論はしない。――そういう事なのだ。
七年前、セイドとペクーニアが婚約という形で繋がりを結んだ理由は、第一がペクーニアがセイドの特産品を独占する利権を欲しかったからだ。
物のなかったセイドも物を仕入れ、セイドの特産品を売ってもらう為の販路が欲しかった。そういう契約の政略結婚だった。
あとは半分隣領で子供同士の仲の良さを汲み、セイドの困窮を救う手助けをする為の、ペクーニアからの慈悲のつもりだったのだろう。実際、とても助けられてきた。
けれど政略結婚と考えた場合、今のセイドと渡り合うにはペクーニアでは些か後ろ盾が弱い。商会持ちの貴族はペクーニアだけではないし、そのペクーニア商会も繁盛しているとはいえ、まだまだ歴史が浅く弱いのだ。王鳥と関わりを持つセイドとは、もう釣り合いが取れていなかったと言えるだろう。
「今まで世話になっておいて、必要なくなれば切り捨てる。そんな不義理な事が出来るとでも?」
「義理立てするなら、むしろ離してあげるべきね。セイドに関わる以上、ペクーニアにどんな火の粉が掛かるかわかったものではないわ。今回がいい例じゃない」
子供を宥めるようにそう言い聞かせると、少し離れたこちらにも聞こえそうな程、ギリっと強く奥歯を噛み締めるのだから不思議なものだ。何をそんなにペクーニアに――メルローゼに執着する理由があるのだろうか。
恋愛結婚というには、二人は顔を合わせれば喧嘩ばかりでお互いに歩み寄って仲良くなろうとしない。ソフィアリアが仲介をしなければ成り立たない関係なんて、とっとと見切りをつければいい。二人だって毎回離別を仄めかした言い争いをするのだから、これぞ好機ですらあるだろう。
それがたとえ本心ではなくても、お互い素直になれず強がりと意地で咄嗟に出てしまった言葉でも、口に出して相手に投げかけた以上責任が伴うのだから、いい加減それを受け入れるべきだ。いつまでもなあなあで許されるなんて間違っている。




