二人の言い争い 3
「ペクーニア嬢はマーヤの知り合いなのかい?」
フィーギス殿下は不思議そうに首を傾げる。ここ半年程の反応でなんとなく察していたが、どうやら本当に知らなかったらしい。
まあ普通、隣国とはいえ海を隔てた向こうの国の王女様と鎖国気味のこの国の子爵令嬢が顔見知りなんて夢にも思わないだろうが。
メルローゼは「知り合い」の言葉でピクリと頬を引き攣らせ、ますます眉間の皺を深くして、言った。
「知り合いではなく大親友ですわっ! むしろ姉妹、いえ、伴侶であると言っても過言ではないのではっ⁉︎」
「ははっ、過言だねぇ。マーヤの伴侶は私だ」
笑っていない笑みを浮かべながらメルローゼを牽制するフィーギス殿下も、デビュタント前のご令嬢相手になかなか大人気ない。その牽制を受けてメルローゼはますますフィーギス殿下への威嚇を強くするし、堂々巡りだ。
マヤリス王女を愛し過ぎている二人が出会えばこうなる事は目に見えていた。とりあえず、公の場でやらかさなかっただけ良しとしよう。
「……ペクーニア嬢はどうやってマヤリス王女殿下と……大、親友に?」
ラトゥスは言葉を選びながら疑問を投げかける。ここで言い方を間違えればまた修正に時間を取られかねないと察したのだろう。流石の洞察力だ。
質問されたメルローゼはキラリと目を輝かせ、ドヤりと得意げな顔で語り始める。
「私とリースの馴れ初めですわね! いくらでも語れましてよっ!」
「馴れ初めではなく出会いだから間違えないように。あと時間には限りがあるのだから、手短に頼むよ」
どうも無視しきれないフィーギス殿下がいちいち訂正を入れるも、メルローゼは聞こえていないフリで話を続けた。
「あれは九年前、我が商会がコンバラリヤ王城にお招きいただいた時の事でした」
「……ペクーニア商会がコンバラリヤの王家と取引があったという事から初耳だが」
「直接お招きいただいたのはそれが最初で最後でしたもの。大国であるコンバラリヤの王家に呼ばれたというのはこの上なく名誉な事でしたが、どうもあちらの王族の方々とは反りが合わず、またあちらも気まぐれだったらしく、結局それっきりですわ。待ち時間の異常な長さのわりに商談自体は記録すら残らない短さでしたし」
はぁーと溜息を吐く。
隣国のコンバラリヤ王国は大国ではあるが、あまりいい噂を聞かない。ペクーニア商会は平民には分け隔てないが、大口になると顧客の質もある程度見るので、合格点は出さなかったようだ。
「――長い待ち時間で退屈になった当時七歳の私は、一般解放されている庭園で時間を潰す事にしました。けれどうっかり奥まで入り込んでしまったのです。そして王城の離れにあった小さな教会に暮らす、運命の天使であるリースに出会いました」
「……そこはかとなく私と似ている状況なのが気に食わないが、あそこはそんなに昔からそうだったのだね……」
遠い目をするフィーギス殿下に同意する。もう何十何百と聞かされたので今更突っ込むのも面倒だが、何故第一王女であるマヤリス王女が王城の離れの教会で暮らしているのだとか、一般開放されている庭園に子供のうっかりでも迷い込める王城のセキュリティ面とか、色々引っ掛かる所が多いなと思う。
「そこで愛くるしい天使であるリースと仲良くなった私は、コンバラリヤに度々赴いてはリースに会いに行っておりました」
「……呼ばれたのは一度ではなかったのか?」
「リースの住む離れの教会の裏手の森を抜ければ城壁の崩れた場所があり、王都に出られるのですわ。それを教えてもらい、そこから出入りしておりましたの」
「ちょっと待ってマーヤはそんな危険な場所に住んでいたのっ⁉︎」
フィーギス殿下はそれは初耳だったらしい。ソフィアリアも今思えば大変危険だとわかるが、初めて聞いた時はむしろお城の抜け道なんてワクワクしたものだ。別段のんびりしたお国柄という訳でもないのだし、忍び込み放題なセキュリティの甘さは他国とはいえ心配になってしまう。
「そういう訳で、秘めやかな逢瀬を重ねた私達は友人から大親友、大親友から伴侶へと急接近し、ゆくゆくは王城からリースを攫って我がペクーニアに招待するつもりでした。……ところが悲劇が起こりました。そう、私達が共に十二歳になったあの日、美しく可憐な私のリースが、あろう事か我が国の王太子殿下に見初められ、仲を引き裂かれてしまったのですっ!」
わっと顔を手で覆うメルローゼに反して、フィーギス殿下は機嫌良さそうにニコニコと、珍しく心からの笑みを浮かべていた。どこか勝ち誇っているような雰囲気を纏っている。
「それからは密かな手紙のやり取りしか出来なくなり、もう四年近く顔を見ておりませんわっ! 将来的にはペクーニアに連れてきて私の秘書として共に過ごし、お義姉様も何とか出戻らせて、ゆくゆくはセイドで三人、幸せ生活を送るのが夢でしたのに、どうしてこうなってしまったのでしょうっ……!」
「あら? わたくしの出戻りも画策していたの?」
「どうせ変な所に嫁がされるのは目に見えておりましたもの。適当に不正でも暴いて、連れ戻す気満々でしたわ」
「出戻りなんかさせない」
「ビ」
いつかマヤリス王女を連れてくる気だったのは知っていたが、出戻りの話はソフィアリアも初耳だ。頰に手を当て、目をぱちぱちと瞬かせてしまった。そして、ソフィアリアの事は即座に突っ込んでくれるオーリムと王鳥の気持ちがとても嬉しい。
「色々チェックしているが密かな手紙は私も初耳だし、マーヤからも君の事は何一つ聞かされていないのだけどね?」
「当たり前ですわ。理由はどうであれ我が国の子爵令嬢がコンバラリヤ王城に忍び込んでいたなんて問題になりますもの。私からも頼みましたし、リースが私を売るような真似をする筈がないではありませんか。私達にはフィーギス殿下には入り込めない、絶対の絆があるんですものっ!」
「ははっ、今すぐしょっぴいてやりたくなってきたよ」
バチバチと火花を散らす二人に苦笑していると、ラトゥスからの視線を感じた。目を合わせて首を傾げる。
「だからソフィアリア様はマヤリス王女殿下の事を詳しく知っていたんだな」
「ふふっ、わたくし言いましたわよ? 情報通の商会の友人兼未来の義妹が居ると」
ニッコリ笑ってそう返す。そういえばフィーギス殿下と初めてこの大屋敷で会った時、そう言って誤魔化したんだったなと思い出した。
別に何も嘘は言っていない。ただ、その子がマヤリス王女と大親友だとは言っていないだけだ。
「セイド嬢も水臭いではないか。何故こんな大事な事を教えてくれなかったんだい? 私はマーヤの事ならなんでも知りたいと、君ならわかっていたはずだろう?」
ムッとしているフィーギス殿下に苦笑を返し、首を横に振った。
「わたくしが勝手にメルとマヤリス王女殿下の事を話すのは憚られるのと、フィーギス殿下とマヤリス王女殿下の会話に割り込む気は全くなかったからですわ。お二人にはこれからたくさんの時間があるのですから、きっとそのうちマヤリス王女殿下の方から打ち明けてくださる筈ですもの。わたくしが割り込む理由がないではありませんか」
一番の理由はメルローゼとマヤリス王女達が隠している事を、部外者であるソフィアリアが勝手に話す訳にはいかなかったからだ。友人兼義妹を売るような真似はしない。
あと、間接的とはいえマヤリス王女殿下の情報を握っていると知られれば、フィーギス殿下はきっと根掘り葉掘り聞きたがるだろう。別にソフィアリアの知る情報が欲しいなら渡すくらい訳はないが、どうせなら二人には会話によって親睦を深めて欲しかった。
ソフィアリア達三人も夜デートの時に、質問タイムと称して色々お互いの事を話し合ってきた。今ではいい選択だったなと思っていて、フィーギス殿下達もそうやって、これから仲を深めていってくれればいいと思ったのだ。わざわざソフィアリアからの情報提供なんて必要ない。
そう思っての発言だったのだが、男性陣から何か物言いたげな表情を向けられてしまい首を傾げる。先程から何度かこんな表情を向けられるのだが、一体何なのだろうか。
「あー、うん。そうだね。マーヤに直接聞こう」
「? ええ、そうなさってくださいませ」
微妙に声を上擦らせてそう〆ようとするから、ソフィアリアも不審に思いつつ、問い質さなかった。気にしていても仕方ないので忘れる事にする。
気を取り直す為か軽く咳払いをし、今回の話し合いのまとめに入った。
「とりあえず、ペディ商会の夜会……確か四日後だったね? それまではペクーニア嬢は大屋敷で過ごしてもらう。滞在目的はこちらで側妃か相談役かという曖昧な噂を流して、その夜会で発表するとでも言えば注目は浴びるだろう。その夜会には王妃殿下も参加していて、夜会そのものが政敵の巣穴のようなものだから警戒は怠らないように。他に何か気になる点はあるかい?」
四日後……思っていたより時間がないんだなと思った。まあソフィアリアはついて行って適度に社交を熟しつつ、警戒するだけだ。特に聞きたい事もない。
「……私、三日後に島都学園の入学試験がありますの。それはどうすればよろしいでしょうか?」
「ペクーニア嬢は今の時期に学園に入学する気だったのか?」
「ええ。……今となっては、もう少し早くても良かったのかもしれませんが」
そう言って酷く寂しげな表情をするメルローゼにギュッと胸が締め付けられた。同時に申し訳なくなってくる。
島都学園の入学義務があるのは貴族の十二歳から十八歳までの令息だけだ。特に十六歳から十八歳までの最低二年は通う必要があり、卒業までに一定以上の学力が必要で、特に次期当主になる者はこれをクリアしなければ当主の座につく事は認められない。当主にならない令息達の文官武官などの就職先もここで決める。
義務があるのは令息だけだが、令嬢も任意ではあるが通う事が出来る。学力向上というよりは社交や嫁ぎ先を探す目的が主な理由で、特に高位貴族は半分義務で入学しているのだそうだ。
メルローゼがここに通うのは社交目的であり、残り二年という最短の今の時期に入学するのは、プロディージがそうするからと合わせたのだ。本当ならもっと早く入学したかったのかもしれないが、そうしなかった。……今となってはその気遣いも虚しいだけだろう。
「試験は予定通り受けに行けばいい。やらないと入学出来なくなってしまうからね。ペクーニア嬢の夜会後の扱いについては王に決めてもらうよ。一応、どう転んでも困らないように話だけは通しておくから安心したまえ」
「ありがとうございます。そうさせていただきますわ」
少し浮かない顔だが、どこかほっとしたような表情を見せていた。
けれど情報過多で疲労が溜まってきているのだろう。あらかた用は済んだだろうし、そろそろお開きにしてもいい頃合いかもしれない。
「フィーギス殿下、わたくし達はそろそろ下がらせていただいてもよろしいでしょうか? 色々やりたい事があるのです」
「ああ、長居をしてすまなかったね。私もそろそろペクーニアに書状を届けてもらいたいのだ。セイド嬢の言っていた大鳥便、お先に使わせてもらうよ」
「まあ! ふふっ、ご感想、ぜひお聞かせくださいませ。メル、あなたもご家族にお手紙を書く?」
「そうね。カードでも届けてもらおうかしら?」
「あと一時間程で王城に帰るからそれまでに頼むよ。ああ、そうだ、ペクーニア嬢」
ふと、笑みの向こうに真剣さを感じた。それを感じ取ったメルローゼは目を見張り、何を言われるのかと姿勢を正す。
「君とプロディージの婚約解消の書類は私ではなく、おそらく王妃殿下の元に届けられるだろう。手は尽くすが、残念ながらそれを回収するのは難しいかもしれない」
途端、痛みを堪えるようにくしゃりと表情を歪める。手を握って俯くメルローゼは、けれど首を横に振った。
「……そこまでしていただかなくても結構ですわ。ディー……いえ、セイド卿も学園で別の方を見繕うつもりらしいので、遅かれ早かれこうなっていたのでしょう。どうぞお気になさらないでくださいませ」
ふっと目を逸らしたメルローゼの言葉にすっと目を細め、フィーギス殿下も目を眇めていた。ああ、それでかと溜息を吐く。
「そうかい? なら、私は何もしないよ」
「ええ。お気遣い、ありがとうございました」
「構わないとも。……今、プロディージがこの大屋敷に来ているのだよ。王の魔法で君に近付くのは良しとしていないみたいだが、何か言いたい事があるなら滞在中に言っておくといい。婚約解消が成立してしまえば、外で君達が会う事は、もう叶わないだろうからね」
「――っ!」
その悲痛な表情の奥に隠された本心を、ソフィアリアはずっと見ていた。




