二人の言い争い 1
身支度が終わったのでモードに応接室に起きた事を伝えに行ってもらい、ソフィアリア達はメルローゼの部屋のリビングルームで待っていた。メルローゼは自分が赴くと言っていたが、失神から起きたばかりでは体調面が不安だったので説得した。フィーギス殿下達が帰る時間まで余裕があった筈なので、おそらくすぐに来てくれるだろう。
「あら、王様?」
話していたらバルコニーの外に王鳥が来ていたので、侍女に扉を開けてさせて、中に入ってもらう。メルローゼがその姿を見て立ち上がりカーテシーをして見せたが、顔はこの上なく不満そうだった。
「お初にお目にかかります、王鳥様。メルローゼ・ペクーニアと申します。……ご招待いただき大変光栄です」
「プピー」
思ってもない事を言っているとバレているのか、王鳥は小馬鹿にしたように鳴いて返事をした。なんとなく声音で馬鹿にされたと感じたらしいメルローゼは青筋が浮かびつつも、引き攣った笑顔で耐えていた。
「ダメですよ、王様? 王様がメルを攫ってきたのですから、もっと優しくしてあげてくださいな」
「ビー」
「嫌ではありません。もう、困った御方ですこと」
「何故普通に会話出来ているの……?」
メルローゼは顔を上げ少し引き気味にそう言うが、恋した旦那様なのだからこのくらいは当然だ。
王鳥は隣に座るメルローゼに触れる事なく、ソフィアリアの背中にいつものように引っ付いていた。ソフィアリア的には嬉しいのだが、側妃にするというわりにそれでいいのだろうか?
そんな話をしているうちに扉が開き、応接室に居たメンバーがプロディージを除き入ってくる。メルローゼは王族を目にしたので、反射的にもう一度綺麗なカーテシーをしてみせた。
「畏まる必要はないよ。ここは公の場ではなく君も目覚めたばかりなのだから、楽にしてくれたまえ」
「……ご高配感謝申し上げます。ペクーニア子爵が長女メルローゼと申します。お会い出来て大変光栄です」
顔を上げ、とりあえず自己紹介だけは済ませる。メルローゼは貴族的な笑みを浮かべていたが、その笑みにどこか棘が含まれていたのでフィーギス殿下は首を傾げていた。
政敵でもない初対面の子爵令嬢にそんな視線を向けられたのだから当然なのだが、理由を知っているソフィアリアは苦笑するしかない。
ふと、オーリムから何かものすごく物言いたげな視線を感じてそちらを見る。不機嫌らしいのだが、応接室で何かプロディージから聞いたのだろうか? 心当たりがあり過ぎてどれの事だか特定出来ない。
ここに居ないプロディージはメルローゼに近寄れないので帰したのかと思ったが、扉が全開な所をみると廊下にでも立って話を聞いているのだろう。部屋に戻れと言われて大人しく引き下がるような子ではないのだ。特にメルローゼの事に関しては。
全員が着席し、紅茶を並べられたところでフィーギス殿下が先立って口を開く。
「さて、あまり時間もないから単刀直入に聞かせてもらうよ。ペクーニア嬢、君、プロディージとの婚約を解消したそうだね?」
「……はい」
「君はもしかしたら知らないのかもしれないけどね。セイドに関わる事業や婚約などのどこかと縁付ける取り決めは、一度全て私を通してもらう事になっているのだよ。セイドに関わると間接的に王鳥妃……もっと言ってしまえば大鳥と縁が出来ると思われてしまうからね。もちろんこの事はプロディージと婚約を結んでいるペクーニア子爵にも通達がいっている。……にもかかわらず、私を通す事なく勝手に婚約解消なんて、何を目論んでいるか知っているかい?」
まるで子供に言い聞かせるかのように説明しつつ、その本質はただの脅しだ。そうやって圧をかけて言い逃れしないようにしているのだろう……たかがデビュタント前の子爵令嬢相手に少々大人気ないとは思うが、ペクーニアはフィーギス殿下の事を嘗めてると受け取られても仕方のない事をしてしまっている。
メルローゼは真っ青になりながら、いつものようにお気に入りの扇子を開こうとして、けれど持ってきていなかったらしい。少し手を彷徨わせた後、ギュッとスカートを握る事で妥協したようだ。
訳を話そうと口を開こうとして、けれど躊躇いがあるのか声にならなかった。
そんな様子を見てもなお、絶対に話せと圧力をかけるよう笑みを深めるフィーギス殿下の様子を見て、ソフィアリアはフォローをする為にメルローゼの手を取ると、両手で包み込む。
「メル。ペクーニア子爵家が何を人質に取られているかはわからないけれど、あなたはもう王様の側妃になってしまうのだから、新しい婚約は結べないわ。だからフィーギス殿下にお話してもいいの。あなたと、あなたが身を盾にして護ろうとしたものをきちんと護ってくださるわ。場合によるけれど、フィーギス殿下でも難しければわたくしが動くから安心してね。まだ婚約中だけれど一応、王族の皆様よりも位は上なのよ?」
「……お義姉様」
ギュッと泣きそうに表情を歪ませる。ソフィアリアは安心させるように微笑みながら頷くと、途方に暮れたような顔をしたメルローゼはようやく決意が固めたのか、コクリと頷いた。そしてもう一度フィーギス殿下の方を向く。
「ふむ。では質問を変えようか? 君はプロディージとの婚約を解消し、誰と婚約しようとしていたのかな?」
新しい婚約、という単語をきちんと拾ってくれたようで安心した。メルローゼはよほど嫌な目にあったのかギュッと眉根を寄せ、一度深く息を吐く。
「打診があったのはほんの四日前ですわ。お相手はイン・ペディメント侯爵家の次男。……ペディ商会の跡取りです」
フィーギス殿下は目元を手で覆い隠し、天を仰いだ。オーリムとラトゥスも渋い顔をしているし、ソフィアリアも名前を聞いて納得してしまう。
イン・ペディメント侯爵家は現妃派……つまりフィーギス殿下の政敵にあたる。それに彼の家が支援しているペディ商会はドレスや装飾品に強い、このビドゥア聖島一のアパレル系の商会だ。服飾の流行はこの商会が生み出していると言っても過言ではないだろう。
爵位で見てもミドルネーム持ちの高位貴族である侯爵家からの打診なんて断れるはずもなく、またペディ商会はアパレル一点絞りとはいえ歴史が長く、右肩上がりではあるが、まだ新参商会であるペクーニア商会とは比べ物にならない大商会だ。
何よりペディ商会は現妃である王妃殿下の御用達で、この婚約の裏にはきっと王妃殿下がいるのだろう。王妃殿下と先の大舞踏会で力を落としたフィーギス殿下の力関係は現在互角。なるほど、フィーギス殿下を通さずにこの話を決行してしまう訳だ。
「ああ、そうかい。よりによって、またそこと繋がってしまっているのだね」
「……厄介な事になったな」
フィーギス殿下とラトゥスの言う繋がりが何かを含むというのはわかったが、それが何かはわからなかった。黒幕は王妃殿下という単純な話でもないのだろう。
けれど、政治の事だと思うのであまり踏み込まないようにする。大鳥関係者はあくまでも国政の傍観者でいなければならないのだから、歯痒いがそのあたりはフィーギス殿下達に任せるしかない。
とはいうものの、現在ペクーニア商会は相当な警戒を余儀なくされているのではないだろうかと心配してしまう。確かにペクーニア商会は繁盛しているが、ペディ商会なんかに睨まれたら一溜まりもない。
商会がなくなっても子爵位は残るが領地としては狭く、資金源を無くしてしまえば緩やかに衰退するのが目に見えている。それに、商会で働く人を路頭に迷わせる事になってしまうのだ。それは何としても避けたいだろう。
「……王様、メルだけではなくペクーニア商会もどうにか護っていただく事は出来ませんか? メルはこちらに居ますし、ペクーニアも大鳥様と繋がっていると知っておいていただかないと、遅かれ早かれ潰されてしまうと思うのです」
「私からもお願いします。私達家族だけならまだしも、全従業員七百八名、その家族も含めたら三千名以上を路頭に迷わせる訳にはまいりませんの。助けていただけるなら側妃でもなんでもお引き受けしますわ」
切実にそう訴えるメルローゼは本当に素晴らしい商売人だ。お金儲けが大好きで、お客様を笑顔にする事が大好きで、けれど従業員も決して蔑ろにせず何よりも大切にする。全従業員数をきっちり覚えているのが何よりの証拠だろう。
だからこそ苦しい。この大屋敷では社交も商売もしないので、彼女の本領が発揮出来ないのだ。まだデビュタントは済ませていないが、商会の営業をする為に小さな頃からお茶会に顔を出したりある程度の社交をしているので顔が広く、その頑張りを知っているからこそ、ここに押し込めてしまうのはもったいないと思ってしまう。
けれどフィーギス殿下と互角の王妃殿下が関わっている以上、今メルローゼを護るには王族より位が上の大鳥関係者だと思わせるしか方法がない。一番手っ取り早いのは側妃なのだ。
オーリムは王鳥の言葉を聞いているのか、じっと王鳥を見ている。やがてソフィアリア達に目を向けると、言った。
「方法はいくつかある。一つはさっさと側妃として迎え、公表してしまう事。手っ取り早く確実だ」
「手っ取り早い訳ないだろう? 王鳥妃だって必要最低限の制度を確立するのに一季かかって、今現在も位ばかり高いが立場はふわふわしているというのに、どんな反発があるかわかったものではないよ。しかも今、私は当時より立場が弱い。少なく見積もっても半年は覚悟してもらわねばならないからね。――――いや、君から見れば人間の取り決めなんてどうでもいいのかもしれないけどね? 神様権限で好き勝手ばかりされるのも国に混乱を招く。私はそれを見過ごせないよ」
どうやら側妃もあまりいい方法ではないらしい。ソフィアリア的にはこれしかないと思うのだが、やはり実際に国政を担うフィーギス殿下から見れば難しいようだ。
それに、王鳥妃と認められて王鳥とは既に結婚しているようなものだが、オーリムとはまだ婚約段階なのもあるのかもしれない。まだ正式に結婚していないのに側妃の話は気が早過ぎる。
オーリムは側妃に関わるつもりがないと言い切ったが、それを通そうと思うとソフィアリアが二人を夫としている事も疑問が生じてしまうような気がする。最悪、ソフィアリアの我儘には蓋をすべきなのだろう。
「次は側妃より弱いが、関係者だと公表する事。客人でもなんでもいいが、大鳥と繋がっていると知られてどうこう出来る奴はあまりいないだろ」
「あっ! でしたら行商や郵便事業の相談役としてお招きした事にするのは如何でしょう?」
まさか昨日話した事が役立つかもしれないと思って浮き足立ってしまった。側妃にしなくてもそれで済むのなら、それに越した事はないと私情半分で期待してしまう。
「なんですの、それ?」
商売の匂いに目をキラリと光らせるメルローゼにニコリと微笑みかける。
「詳しい事は後で説明するけれど、そのうち大屋敷でお金を稼ぎたいなって思っているの。その一環としてこの大屋敷に行商をお招きして販売手数料をとったり、大鳥様のこの国の見回りついでにお手紙の輸送を担えないかなってお話をしていてね。わたくしは商売にはそれほど明るくないし、メルを相談役としてお招きした事にするのはどうかしら?」
結構いい案だと思い、実際メルローゼも目を輝かせていた。なかなか好感触で嬉しい。
「まあ側妃よりは簡単ではあるが、その場合行商と郵便の件まで公表しなければならなくなるから、どうだろうね?」
「あら、そうでしたわね。今はまだ人手が足りないから、それは困ってしまいますわ」
つい期待に気が急いで色々な事が抜け落ちてしまったが、それが当然だった。今公表しても実現出来るのはだいぶ先になってしまう。
「……そのお話、詳しく聞いてもいい?」
「ええ、もちろんよ」
乞われたので掻い摘んで説明する。メルローゼは聞きながら、商人の顔をして何かを考え込んでいた。その間、王鳥とオーリム、フィーギス殿下は何やら相談している。
「……郵便の件はとてもいい案ではございますが、今すぐには難しいですわね。けど行商の件、先行してペクーニアが引き受けてもよろしいでしょうか?」
ニッコリ笑うメルローゼの瞼の裏にはきっとお金のマークが輝いているんだろうなと思った。声音の弾み具合でお見通しだ。
「というと?」
「大屋敷内部での経済の停滞の件は聞きました。ええ、由々しき事態でしょう。幸い我がペクーニア商会の顧客は主に平民で、食品や日用品といった身近なものから珍しい貿易品まで様々な品目を取り揃えております。ですので数多の商会にお声掛けする前に、まずは我らがペクーニア商会をお試しとしてお呼びください。一商会のみでしたら検問のお手間もおかけせずに、すぐお呼びしていただけるかと思いますの。あと我が商会は善良だとお約束致しましょう」
「まあ通行許可証も一商会だけならすぐ終わるし、あとは人も物も通常通り検問所を通せばいいだけだからな。多少仕事は増えるが、新人教育にも都合がいいし、今すぐ始めるのも難しいではない」
「では、それをさっさと公表してしまおうか。今から大屋敷と取引をする商会なんて早々手出しは出来なくなるだろうからね」
「では……!」
側妃の話はなかった事に出来るのではという期待でつい声が弾んでしまい、フィーギス殿下に苦笑されてしまう。少し恥ずかしいが、恋するソフィアリアにとっては重要な事なのだ。
しかし、現実はそう甘くないらしい。
「ただし側妃の話は、まだ候補として残させてもらうよ」




