王の側妃 5
時は少し遡る。
ソフィアリアはベッドサイドの椅子に腰掛けて、眠るメルローゼの右手を両手で包み込みながら、王鳥が彼女を側妃にしたい理由を色々と考えていた。
ソフィアリアから気持ちが離れた、或いはメルローゼも好きになった可能性は絶対ないと言い切れる。残念ながら人から向けられる好意に鈍感になれるような可愛らしさは持ち合わせていない。王鳥もオーリムも間違いなくソフィアリアを……ソフィアリアだけを愛してくれている。
では理由は何だろう? わざわざ側妃として、二番目の妻として迎えなければならない程の何かがあるのだろうか。
王族が側妃を迎える理由は一番は政略だ。けれど唯一無二の王鳥と代行人に政略は不要。
次は身分違い故の寵愛だが、これも先程の理由で否定出来る。
他は、かなり稀だろうが保護目的だろうか。この中だと一番当てはまりそうな気がする。
理由が不明なら目的はどうだろう。側妃に求められる事は王妃ほど多くはない。
政略として居てくれる事が第一、王妃の補佐、王を癒し慰める事、王妃の代わりに世継ぎを産む事……。
最後二つは考えなくていいだろう。少しでも考えていたらソフィアリアが沈んでしまう。
あえて言えばソフィアリアの補佐だろうか。そういえば行商や郵便の事を相談したいと思っていたけれど、わざわざ側妃にしなくていい筈だ。相談役として招くだけで充分解決出来る話である。
やはり何かしらの保護目的という理由が一番しっくりくるが、王鳥は多大な苦痛を与える事になると忠告してくれたから、それだけではないのだろう。だから少し不安だった。
けれど王鳥と必ず期待に応えると約束したのだ。さすが余の妃と褒めてもらえたのだから、何としても叶えてみせたかった。全て終わったらご褒美として存分に甘えさせてほしいと願っていた。
ふと、そこまで考えた時にある制度の事が頭に浮かんだ。最終的にこれをする気なのかもしれないが、やはり過程はわからないままだ。
――今、応接室ではどんな話し合いが行われているのだろう。なんとなく内容は教えてもらえない気がした。残念だが、ここに逃げて来たのはソフィアリアなのだから贅沢は言えない。
「うぅ……」
脳内で考えをまとめていると、メルローゼが微かに呻いて動き始める。うっすらと開いたルビーのような綺麗な目を半年振りに見たなと思いながら、ギュッと手を握った。
「メル? 気が付いたかしら?」
「お……義姉……様……?」
無理もない話だが、状況が把握できていないようで薄目を開けてぼんやりとしている。意識が覚醒するのを微笑みながら待っていると、やがてはっとしたように大きくまん丸な目を、限界まで見開いた。
「えっ、な、なんでいるのっ⁉︎」
ガバッと起き上がり、けれど力が入らないのかヘロヘロと倒れ込みそうになったところを、肩を掴んで支えてあげる。可哀想な事に、掴んだ肩と握ったままの手がカタカタと震えていた。
「急にお空に攫われて怖かったわね? 大丈夫、大丈夫よ」
「ぅあっ……お義姉様っ……!」
ベッドに腰掛けて抱き締め、ゆっくりと背を撫でる。メルローゼは腕の中で震えてばかりだった。
ソフィアリアも大屋敷に来てから何度か見てきたのだが、大鳥に選ばれても背に乗って空を飛んだ途端に気を失ってしまったり、地上に降りてきてそのまま失神したり、今のメルローゼのように震えが止まらなくなってしまう人がわりと多い。体感八割くらいの人はこうなってしまう。
鳥騎族希望の人は大体が成人男性なので、こういう場合は気付けにお酒を呑ませるのだが、メルローゼは未成年の女の子だ。時間を掛ければいいのだろうが、震えたままの現状が可哀想だと思ってしまう。
どうにか出来ないかと思案して、一ついい案が思い浮かび、ダメ元で試してみる事にする。
耳元に口を近付け、内緒話をするようにその一言を囁いた。
「実はね、今季は赤字なの。わたくしでは力及ばずだから、一緒に儲け話を考えてくれると嬉しいわ」
「赤字っ⁉︎ 大変っ、どこっ⁉︎」
そう言った途端バッと勢いよく顔を上げ、目を爛々と輝かせるのだから可愛い子だ。すっかり震えも収まり、腕の中でキョロキョロと帳簿を探している。……背中で顔を洗う為の洗面ボウルを持ったアミーから変な目で見られている気がするが、気にしないでおこう。彼女は根っからの商売人なだけだ。
落ち着いたようなので手だけは握ったままベッドに座らせ、ソフィアリアは椅子に腰掛けた。
「久しぶりね、メル。元気そうでよかったわ」
「……あれ? そういえばお義姉様、本当に何でいるの? というかここはどこ?」
「ここは聖都の大屋敷。今はわたくしの家でもあるから、居て当然なの。メルは王様に連れ去られてここに来たのを覚えているかしら?」
そういうとピクリと反応したが、もう取り乱す事はなくコクリと頷く。いい子と慰めるようにふわりと笑い、握ったままの手を優しく撫でた。
「私、次の婚約のお話中に攫われて……あっ」
気まずそうにつーっと視線を逸らす。ソフィアリアは目をパチパチさせ、首を傾げた。
「ロディとの事は聞いたわ。けれど、もう次の婚約が決まったの?」
「それは……」
ギュッと下唇を噛み締め俯くメルローゼの髪を、慰めるように撫でる。どうやらそうだったらしい。
メルローゼの実家であるペクーニア子爵家は成り上がりとはいえ、経営する商会は国内だけではなく他国とも貿易をし、大成功を収めているかなりの資産家だ。
家は兄が引き継ぐとはいえ繋がりが出来るのは悪い話ではなく、特に財政難に喘ぐ貴族にとっては良物件だろう。
八歳の頃からプロディージと婚約していたが、その枠が空いた今、新しい縁談が舞い込むのはそうおかしな話ではない。けれど少し早過ぎないだろうか?
プロディージとの婚約を破棄だか解消だかは知らないが、おそらくそう日は経っていないのではないかと思っている。下手をすればプロディージがセイドを離れる直前ではないかと疑っていた。
だってあの弟が何もしないまま婚約をなかった事にするとは思えない。素直ではないうえに困った悪癖があるのだが、あれでもメルローゼが一番好きなのだと知っているのだ。……それが伝わっていたかは不明だが。
少なくとも五日以上は経っていない筈だ。経っていたらそれはそれで別問題になるので、今はその考えを除外しておく事にする。なのにメルローゼに新たな縁談とは随分と早い。彼女の兄もまだ婚約者すらいないし、ペクーニア子爵家は結婚による他家との繋がりなんか気にしない雰囲気だったのにだ。
ふと、もしかしてと思う。
「新しい縁談が来たから、ロディとの婚約を解消したの?」
「…………」
ますます俯いて泣きそうな顔をしているところを見ると、図星らしい。
ソフィアリアはなんとなく状況が読めてきて、ふーっと重苦しい溜息を吐いた。
詳しい事情は聞いてみないとわからないが、十中八九ソフィアリアが王鳥妃になった事と関係があるのだろう。
実家のセイドと繋がりを持つ為に嫡男であるプロディージの婚約者の座に居座っているメルローゼに別の婚約者を充てがい、空席になったプロディージの婚約者の座に座り、王鳥妃の義妹という地位を得たいというところか。
けれどセイドの事業や婚約など、新しい事を始める、もしくはやめる為にはフィーギス殿下の許可が必要だった筈だ。当然ペクーニアにも通達が行っている筈で、それを無視して婚約解消を強行出来るとなると、よほど厄介な相手が関わっているとしか思えない。その厄介な相手とペクーニアが結びついてしまう前に、王鳥が横から割り込んだというところか。
タイミング悪く喧嘩別れしたままそんな事になったせいで、お互い仲直りも出来ず、すれ違ったまま婚約解消となって縁が切れてしまった。
だからプロディージは喧嘩が原因で婚約解消されたと思っていて、脅された側であるメルローゼは何も言えなくて、こうなってしまった訳だ。
原因はソフィアリアとはいえ、けれどと思う。少し考えて、仕方ないかと思いギュッとメルローゼの右手を両手で包み込んだ。
「メル、まずは謝らせて? ごめんなさい、わたくしのせいで辛い思いをさせてしまって」
「お義姉様のせいではないわ。けれど、仕方なかったの。私にはこうするしかっ……!」
ポロポロ泣いてしまったメルローゼをベッドに腰掛けて優しく抱き締める。こうなってしまうと少し長いので、今のうちにアミーに氷水で冷やしたタオルとお湯で温めたホットタオルを用意してもらうよう指示を出す。用意してもらっている間、耳元で「大丈夫」「何とかする」「助けるから」と言い聞かせるように繰り返し囁いていた。
タオルが用意出来た頃にようやく泣き止んでくれたので、目元をアイスタオルとホットタオルで腫れを落ち着かせていたら、余裕が出てきたメルローゼは今更な質問をしてくる。
「そういえば私、なんで王鳥様に連れてこられたの?」
ソフィアリアはそれを聞いて少し気持ちが塞ぎ、けれど言わないといけないので伝える事にする。
「王様がね、メルを側妃に迎えたいんですって」
「……は?」
それを聞いたメルローゼはポカンと信じられないと言わんばかりの表情をしていた。無理もない話だし、こうなった原因になっておいて随分と勝手な話だが、ソフィアリアも出来れば嘘だと言ってほしいと思ってしまう。
「いや、無理……すっごく困るんだけど。大好きなお義姉様と旦那様を共有するとか何の冗談?」
すっぱり言い切ってしまうメルローゼに少しの安心感とどうしようもない胸の痛みに、淡く微笑む事しか出来ない。そんなソフィアリアの気持ちを察してしまったのだろう。
「……お義姉様、本当に王鳥様を愛しているの?」
「わたくしね、ここに来て初めて恋をしたの。王様と、代行人であるリム様のお二人に」
じっと目を見つめられて、少し気恥ずかしさと居た堪れなさでつい視線を逸らしてしまった。メルローゼはそんな様子に溜息を吐く。
「お義姉様のそんな顔初めて見たわ。誰にでも慈愛を振り撒く人だったけれど、普通の女の子みたいな表情も出来たのね」
「わたくしも驚いているわ。自分が人に対して執着して、こんなに欲張りで我儘になる事なんて想像していなかったもの」
「前のお義姉様は高みにいる女神様って感じだったけれど、なんだか今は人間らしくて、もっと近くに感じるわ。いいお相手に巡り会えたのね」
「ええ、とても素敵な旦那様達よ」
自然に出た幸せいっぱいだという笑顔でそう返すと、どこか眩しそうに笑みを返してくれる。けれど辛そうに下を向いて、ベッドの上で膝を抱えて顔を埋めてしまった。
「……嫌だなぁ、お義姉様がようやく自分の為にって見つけた幸せに割り込むの。王鳥様の側妃なんて、なりたくない」
「メル……」
優しい友人であるメルローゼに何も言えず、上からギュッと抱き締める事しか出来なかった。そんな自分が、とても嫌だった。
「ねえ、メル。実は今、この大屋敷にフィーギス殿下がいらっしゃっているの」
途端、ガバリと顔を上げる。彼の名前を聞くと少しムッとしたような表情をするのは相変わらずで、ついくすくすと笑ってしまった。
「メルの……ペクーニアで起こった出来事について、いくつかお話を聞かせてほしいのですって。出来そう?」
「……する。ついでにずっと言いたかった事、今日言ってもいいと思う?」
「余裕があれば。ここに来られるフィーギス殿下はほとんど私人だから、多少の無作法もきっと許してくれるわ」
それだけ言って頭をひと撫でしてから立ち上がり、部屋の隅に控えてもらっていたメルローゼ付きの侍女達に、彼女の身支度をしてもらうよう指示を出す。
「……ねえお義姉様?」
ちょんちょんと袖を引っ張られ、伺うように見上げてくるメルローゼを振り返る。
「なあに?」
「お義姉様、まだフィーギス殿下の事を想っているの?」
その質問に少し目を見張って、けれどふわりと微笑む。そして当然のように答えた。
「ええ、ずっとね」




