初代王鳥妃として 3
「――私はちゃんとわかってるのだよ?王がこうして私と言葉を交わすようになったのは、未来を見て私を次代と認めた訳でも王家の威光が戻った訳でもなく、ただ君達の主張を押し通す為に便利だからだって。――――認めてる?だったら少しくらい、私を労って大人しくしてくれたまえ」
止まらなくなってしまったフィーギス殿下と王鳥の言い争いらしきものに置いてけぼりをくらい、王鳥の声が聞けないソフィアリアは二人の間に挟まれたまま、笑顔を保っている事しか出来なかった。現実逃避に廊下でのやりとりを思い返していたが、いい加減表情筋が辛い。
「……王、フィー。今度にしろ。セイド嬢が困ってる」
肘置きに肘をついて傍観していた代行人が呆れたように助け舟を出してくれ、漸く会話の応酬が止まった。フィーギス殿下が誤魔化すように、わざとらしく咳払いをする。
「さて。セイド嬢には書状で先に説明していたが、本来は婚約式をきちんとやるべきなのだが、王が必要以上に君を人目に晒すことに難色を示していてね。むしろ婚約期間もいらないと言われたが、さすがにそれはセイド嬢が不憫だからとなんとか宥めさせてもらったよ」
ここに来る前、迎えの予定日と共に婚約式はしない旨やその他諸々が書かれた書状が届けられた事を思い出した。まあ婚約式は高位貴族しかやらないので、男爵令嬢でしかないソフィアリアには元々縁がなかったものだからやらなくても何も問題はない。
それに、屋敷に移ってすぐに結婚もない話ではない。
「わたくしは別にすぐに結婚でもよかったのですが。でも、お気遣いありがとうございます。せっかくいただいた婚約期間ですもの。王鳥様と代行人様と親睦を深め、より良い結婚生活をスタート出来るように務めますわ」
「……親睦を深め……」
「はいはい。帰ってきなさい、リム。……まあ色々決まっていない事も多いからもう少し待ってくれたまえ。で、味気ないものになるのだがこれが婚約証書だ。立会人が私で悪いね」
そう言ってフィーギス殿下が連れてきた侍従と思しき人に手で指示して証書を机に置く。……侍従のわりには着ている服が貴族並みに上質なのは、やはり王太子殿下の侍従だからなのだろうかと少し引っかかった。
「フィーギス殿下に立ち会っていただけるなんて身に余る光栄ですわ。王鳥様が先に書かれるのですか?」
「いや、王はそもそも婚約に納得していないからね。あとでリムに代筆させるから、セイド嬢が先に書くとよい」
「では、お先に失礼致します」
ソフィアリアの前に証書を置いたのは、後ろに王鳥がいるからだと思ったのだがソフィアリアが先に書くらしい。普通男性からなのに珍しいなと思いつつ、細かい事は気にせずさっさと書く事にした。書き終わってから証書を代行人に回す。
少し気になって、代行人が書いている証書を横目で覗き見ようと思ったのだが、遠過ぎて見えなかった。やはり気になる事は自分で聞くしかないらしい。
代行人も書き終わると証書を侍従に渡し、無事に婚約が成ったようだ。婚約式をやりたい訳ではなかったのだが、記名だけではあっさりしたもので実感が湧かないなと思った。
「婚約おめでとう。ちなみに式は来春だから、それまで言った通りに親睦を深めたまえ」
寂しいと思って気を遣ってくれたのか、フィーギス殿下は手を叩いて祝福してくれた。フィーギス殿下の侍従と隅で控えているプロムスとアミーもそれに続く。これはこれで少し恥ずかしいと思ったが、なんとか笑顔を保っておけた。
「ありがとうございます、皆様」
「……ありがとう」
「ピ!」
お礼を言って隣を見ると、代行人はそっぽを向いているが耳が真っ赤だった。王鳥は婚約に反対していたわりに何故か嬉しそうだ。
「フィーギス殿下。式は来春との事ですが、フィーギス殿下と未来の王太子妃殿下の式と合同でやるのですか?」
「ははっ。まさか。私達の式は一季延期だよ」
思わずピシリと固まった。フィーギス殿下は愉快とばかりに小首を傾げて笑顔でそう言っているが、空気では怒っていると切々と訴えてくる。目の前に座っているソフィアリアは思わず冷や汗が流れた。後ろで「プピィ」と小馬鹿にしたような鳴き声を出す王鳥は自重していただきたい。
「それは、その……申し訳ございません……」
「なに、セイド嬢が謝る事はないよ。後ろの元凶は焼き鳥にしてやりたいけどね」
「ピーピ」
軽口――そうだと思いたい――を言い合う王鳥とフィーギス殿下はよほど仲がいいらしい。この国の未来も安泰だと思わず現実逃避をしそうになったが、ふーっと結局フィーギス殿下が根負けして、むっつり不貞腐れたような表情をしたまま背もたれに深く腰掛け、腕と足を組んだ事で冷たい空気は霧散した。
「まあいいさ。こちらに来る時期は変更なしなのだから、結婚前に少しでもこの国に慣れてもらう期間が出来たと思えばそう悪い話でもあるまいよ。ドレスももっと手の込んだものが作れるだろうしね」
「……美しい王太子妃殿下の御姿、楽しみにしております」
口に出せたフォローはそれだけだった。
「ああそうだセイド嬢。私の妃が来国した際は同じ妃同士、仲良くしてやってほしい」
思わずグッと息が詰まる。王太子妃殿下――他国の王女様とお友達になる事になるとは、本当に人生何があるかわからない。嫁ぎ先によるが、おそらく領地で男爵令嬢をしているだけでは一生目にする機会すらなかった筈の雲の上の人と、今度は友達かと遠い目をしかけて、耐えた。どうも男爵令嬢気分が抜け切らないらしい。
「……わたくしでよろしいのでしょうか?」
「もちろん。おそらく性格も合うのではないかな?マーヤは奥ゆかしく秀才だからね」
「そうですね。年齢も一つ違いで近いですし、文化の違いはありますがお互い貴族らしくない、勉強漬けの生活をしていたという点では話が合うかもしれません。謹んでお受けいたしますわ」
笑顔でそう答えれば、ピリッと先程よりも張り詰めた空気が流れる。が、ソフィアリアはこれには気付かないフリをした。
流してくれれば嬉しかったのだが、こうなるのは少し予想していた事だ。
「……私の妃の事を知っているのかね?」
「もちろんですわ。三年前はお二方の恋の話題で持ちきりだったではありませんか。マヤリス・サーティス・コンバラリヤ王女殿下。海を隔てた隣国であるコンバラリヤ王国の第一王女様で現在十五歳。春になれば十六歳の成人になられてフィーギス殿下とご結婚予定……でした。コンバラリヤ王国では第一王女でありながら捨て置かれ、お城の離れで使用人のような生活をしながら本を読んで暮らしていた才女であらせられるのだとか。あとはプラチナの髪とアメジストの瞳をお持ちな、とても愛らしい方だそうですね。お会い出来る日が待ち遠しいです」
三年前にフィーギス殿下が婚約した際、二人のロマン溢れる恋物語は話題になっていたのだ。多少尾ひれがついて盛られている所もあるが、概ね合っているだろう。もう少し色々と知っているが、今言っても神経を尖らせるだけなので黙っている事にした。そのうちバレるかもしれないが、今でなくてもいい筈だ。
誤魔化しを入れつつそう答えれば、少しは納得してくれたのか空気が軽くなった気がした。疑わしげに細めた目が普通の笑顔に戻っているので良しとしよう。
「セイド嬢は博識なのだね」
「わたくしも勉強が好きなのと、あと情報通の商会の友人兼未来の義妹が居るだけです。令嬢らしくないと言われれば言い返す事は出来ませんが」
「ああ、ペクーニア子爵家の商会か。あそこはいろんな国と貿易をしていて情報が集まるのだったね。なるほど。君のような友人が出来ればマーヤも安心だ。よろしく頼むよ」
「ええ、もちろんですわ」
そう言ってうふふと笑い合っていたら空々しい雰囲気がバレたのか、代行人に胡散臭そうなものを見る目で見られていた。




