王の側妃 1
部屋を用意してもらうまでの少しの間、友人を床で寝かせる訳にはいかないので、王鳥にソフィアリア達が座っていたベンチソファに運んでもらい、寝顔を見られないように壁側を向かせて寝かせた。少し寝辛いかもしれないが、緊急なので許して欲しい。
ソフィアリアはそんな友人を介抱する為に彼女のお腹の前あたりに腰掛け、手を握る。よほど辛い思いをしたのか、眉根が寄ったままなので伸ばしてあげた。
「――――王がペクーニアの屋敷から直接攫ってきたらしい。空を飛んだ瞬間気を失ったから、遠慮なく全力で飛んできたってさ」
「ですからこんなに早かったのですね……」
席の移動を余儀なくされたオーリムが先程プロディージが座っていた椅子に腰掛けて、そう教えてくれる。今は王鳥が飛び立ってからまだ三十分も経っていない。
ペクーニア領はセイド領の隣なのでこの大屋敷まで馬車で二日、この前ソフィアリア達が王鳥に乗って行った時は二時間掛からないくらい。けれど王鳥が単身全力で飛べば往復三十分も掛からないらしい。その速さに度肝を抜く。
「ピ」
少し得意げに鳴くが、今は誉めていない。気を失ったから恐怖心も何もなく、風圧も揺れも感じないよう魔法を掛けて運んでくれたとはいえ、友人に何をしてくれるのだと、どちらかと言えば怒りたい気分だ。
「……王? 先程の悪い冗談の真意は何なのだね?」
極力椅子で寝転ぶメルローゼを見ないよう、王鳥を見上げてそう尋ねるフィーギス殿下は笑っているが、笑えていない。これ以上の厄介ごとは勘弁してほしいと切々と訴えかけていた。
ソフィアリアも心の奥底に押し込めて考えないようにしていた事を引っ張り出され、ドキリと鼓動が跳ねる。
「――――冗談ではない? いっそ冗談であってくれた方が私は救われるのだけどね? ――――たしかに、王が私を救う理由はないだろうさ。けれど王鳥妃だって無茶苦茶な要望を押し通す為にどれだけ長い準備期間が必要だったか、私がどれほど苦労したかくらい考えてくれたまえよ。なのに唐突に側妃だなんて、本当に何を考えているんだい? ――――たしかに王鳥妃の時ほど難しくはないのかもしれないけどね? だからといって容易という訳ではもちろんないのだよ。それも一方的に攫ってきてしまうなんて――」
フィーギス殿下の言葉から王鳥の言葉を推察するに、どうやらメルローゼを側妃にする話は本気らしい。真意は未だにわからないが、メルローゼと繋いでいない方の手をギュッと握り締めて表情に出ないように耐えた。
――そんなソフィアリアを心配そうに見つめていたオーリムの視線には、気が付かなかった。
王鳥は人間の王族ではないが、それでも位は王だ。側妃を娶ると決めたなら、ソフィアリアには従う事しか出来ない。
そして今は妃が二人だけなのだから、ソフィアリアが管理し、まとめる事になる。――これが三人以上だとソフィアリアは王鳥の隣に並び立ち、王妃の顔役と管理はするが、側妃のまとめ役は妃の二番目……側妃の一番目の子に移る事になるが。
側妃がよく見知った友人であるメルローゼなのは救いだった。人柄をよく知っているし、気心が知れている。それに、彼女は王鳥からの寵愛を望む事はないだろうという安心感がある。
反面、苦痛でもあった。何故恋をした旦那様を友人と共有しなければならないのか。メルローゼにその気がないとしても、モヤモヤした気持ちがどうしても湧き起こってしまう。
本音を言ってしまうと、たとえどんな人であっても、側妃なんて嫌だった。王鳥の妃はソフィアリアだけでありたかった。でもそれは王という立場に立つ王鳥の妃になった以上、我儘でしかないと知っている。
理由はなんであれ、王鳥は側妃を望んでしまったのだ。もう撤回なんてしないだろう。王鳥は一度決めた事は貫き通し、結果を全て背負う覚悟のある王なのだから。
「……俺は嫌だ」
王鳥とフィーギス殿下の言い争いを聞いて、険しい顔でオーリムは言い放つ。
「王が側妃を欲しがるなら好きにすればいい。けれど俺は関係ない。フィア以外誰もいらないし、認めない。俺が王の側妃に関わる事は絶対にない。――――運命共同体だとしても、俺はこれだけは絶対に、何があっても譲らない。フィアを悲しませるような事はもう二度としないって決めているから」
きっぱりとそう宣言してくれたオーリムの言葉が嬉しかった。荒れた心のうちを優しく癒してくれる。少しほっとして、誰にもバレないようにこっそりと震える息を吐き出した。
「ソフィ様。お部屋の準備が整いました」
「ああ、ありがとうアミー。急がせてしまってごめんなさいね」
「いえ。部屋にメルローゼ様付きにご指名いただきましたモード他二名を呼び出しております。今は別館にいるらしいので少々お待ちください」
「ええ、もちろんよ」
メルローゼをソファに移動するまでの間に、ソフィアリアが今寝泊まりしている部屋の隣の空室を使えるように準備をしてもらった。必要最低限のものしか置いていないが、これから好きに揃えてもらえばいい。……そう考えるのは、少し胸が痛むけれど。
ついでにメルローゼと話の合いそうな人を選別し、付いてもらうよう指示を出した。メルローゼは貧乏男爵家でしかなかったソフィアリアとは違い、生まれた瞬間から生粋の貴族として生活していたから、身の回りのお世話をする人が必ず必要なのだ。何人も侍女としての教育を受けさせていたのは幸いだった。
現実に胸が痛んでも、ソフィアリアはこの大屋敷の女主人であり、王鳥の妃として側妃が快適に過ごせるように、きちんと管理をしなければならない。心を押し殺してそうやって動く事は案外出来るのだ。
メルローゼの介抱と侍女達への説明の為にも今日は部屋を出た方がいいだろう。今の話し合いにソフィアリアは必要ない筈だ。
「フィーギス殿下、ラトゥス様。申し訳ございませんが、わたくしはメルローゼの介抱の為に本日は退席してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。それどころではないからね。けれど、ペクーニア嬢が私が帰る前に目覚めたら呼んでほしい。まずは事情を知る為に少し話したいのだ」
「かしこまりました。では――」
立ち上がって、メルローゼを運ぶ為にプロムスの手でも借りようかと思ったがオーリムも立ち上がり、当たり前のようにメルローゼを横抱きにした。
「っ!」
部屋の隅で青褪めているプロディージがそんなオーリムを射殺さんばかりの鋭い目つきで睨む。彼は王鳥の防壁に阻まれて一定以上メルローゼの側には近寄れないらしく、そこに居る事を余儀なくされていた。
そんなプロディージ相手に、勝ち誇ったかのようにニヤリと笑っている。
「余の側妃を他の男に触れさせる筈がなかろう? 当然、余が運ぶ」
「いいけど、リムも必要だから戻ってきてくれたまえよ?」
「わかっておるよ。部屋に運んだらすぐ戻る。行くぞ、妃よ」
「……ええ。フィーギス殿下、ラトゥス様。それでは御前を失礼致します」
軽く挨拶をし、メルローゼを抱えたオーリム――に入った王鳥の後ろをついていく。あまり見たい光景ではなかったので二人からは目を逸らし、廊下では一言も話せなかった。
用意してもらった部屋は話し合いをしていた応接室の近くだったのですぐに着き、部屋に入ってメルローゼをベッドに寝かせた。この部屋はソフィアリアの部屋と同じ作りになっており、魔法で掃除直後の状態を長年維持されていたので、物を運び込み、軽く整えるだけですぐに使えるようだった。
王鳥はソフィアリアと向かい合い、ふっと優しく笑って頬を両手で包み込む。……今はそうやって、優しくして欲しくなかった。
「妃……フィア。余はこれから其方に多大な苦痛を与える事になる。許せとは言わぬが、乗り越えてくれると信じておるよ」
「……ええ、王様。わたくしは大丈夫ですわ。王様が選んだ事ですもの。きちんとメルを、側妃を受け入れて――」
「フィア」
ギュッと強く抱き締められる。ソフィアリアは目を見開き、唇を噛んで耐えた。……そうしないと泣いて、責めてしまいたくなるから。
王鳥はソフィアリアの髪を優しく撫で、耳元で甘く囁く。
「余は島都でデートをした日、其方に言うたであろう? 其方は止めてよいと。それを許すと。だからそう気持ちを押し殺して、全てを受け入れようとしなくてよいのだ」
「……言ったらやめてくださるのですか? 側妃なんて嫌だと、わたくしだけでなければ悲しいと泣き喚けば、王様は考え直してくださるのですかっ⁉︎」
顔を上げ睨みつけ、声を荒げてそんな事を言ってしまう。答えなんて聞かなくても理解している癖に、それで傷付くのは自分だとわかっている癖に。
――王鳥は黙って淡く笑っている。それが答えだった。
くしゃりと表情を崩す。恋しい王鳥相手にこんな醜い表情を見られたくなくて、肩口に額を埋めた。……またほんの少しだけ身長が伸びたんだなと、こんな時に思ってしまった。
「王様は狡いわ。受け入れなくても現実は変わらないのに、否定して責めて、怒ったままでいいなんて甘やかして。今は王様の優しさなんて欲しくなかったのに」
いっそ、我慢して受け入れろと命じてくれた方が楽だった。
相手に望まれたから叶える。そうやって生きてきたソフィアリアにとって、こうして心を押し殺さなければならない事は、相手に願われたからという理由は何よりも救いになった。
なのに王鳥は現実を変える気はない癖に、心のままに振る舞っていいと言う。怒って責めて、愛想を尽かす可能性すらあるというのに、ソフィアリアの心を押し殺すくらいなら、王鳥を見限ればいいなんて言って甘やかす。……そんな事、ソフィアリアが何よりも一番したくない事なのに。
耳に柔らかく温かいものが触れた。それが何か理解する前に、王鳥は甘い声音でソフィアリアに囁きかける。
「それは聞けぬな。余はいつ如何なる時でも其方を、其方だけを愛しておるからな。優しくするのは当然であろう?」
「……その言葉、信じていいの?」
「ラズと同じくらい、が抜けておったな。……信じる信じないはフィアが好きに決めればよい。余は、余の言葉を貫くだけだ」
「……そうですか」
一度ギュッと強く抱き締めて、顔を上げる。ふわりといつものように微笑めば、甘い表情で笑い返してくれた。
「でしたら、わたくしはずっと信じております。そして王様の期待に必ずや応えてご覧にいれましょう。だってあなたはわたくしが恋をした、大好きな旦那様のお一人ですもの」
そう宣言すれば、コツンと額同士が優しくぶつかる。これは王鳥にとって、まだ出来ないキスの代わりの愛情表情だ。
吐息が絡むほど近くでお互いに見つめ合う。照れて赤くなってしまった顔を、王鳥は愛しげに見ていた。
「それでこそ、余の妃だ」
今まで何度も繰り返し伝えてくれた、何よりも勇気をもらえる最強の魔法の言葉を口にして。




