初代王鳥妃として 1
すっかり長く話し込んでしまい、代行人はプロムスに催促されて渋々執務室に戻っていった。恨めしげに王鳥を睨む瞳が忘れられない。
ソフィアリアは引き続きこの温室で王鳥と引っ付きながら読書をした。やはり領地では得られなかった知識がたくさんあり、とても有意義だった。
その後は一度部屋に戻って昼食を摂り、破かれたドレスを着替える。裁縫が得意なメイドがいるらしく、今から着るドレス以外は王鳥の希望通りに、急拵えではあるが、リメイクしてくれるらしい。それを聞いて、ドレスが無駄にならずほっとした。最悪自分でやろうと思っていたのだ。
身支度を整えていたら代行人が迎えに来て、執務室の隣にある応接室へと案内してくれた。初めて知ったが、執務室はソフィアリアの部屋からそこまで離れていなかった。
入った応接室は大きなバルコニーに全面ガラスの開放的な明るい部屋で、壁紙の白と紺の絨毯の組み合わせがとても爽やかだ。
部屋には王鳥が背もたれのないベンチソファの後ろで待ち遠しそうにしていた。ソフィアリアを見つけると鋭い目を柔らかくして「ピ!」と嬉しそうに鳴くのが可愛い。
「お待たせしました、王鳥様。……こちらに座ればよろしいのですか?」
「ピィ」
やんわりと不思議な力で押されたのでそういう事らしい。上座なのが少々気になるが、王鳥の前が定位置なのだからと割り切る事にする。王太子殿下の正面に座る事になるのは精神衛生上よくないので今は考えない。
「そんなに緊張する必要はない。フィーがここに来る時はほぼプライベートのようなものだ。いつも自由に寛いでいるからな」
腕と足を組んで左隣に座る代行人はソフィアリアの緊張に気付いたのか、気を抜くようにそう言ってくれた。
「フィーギス殿下はよくいらっしゃるのですか?」
「ああ。しょっちゅう執務室のソファで行儀悪く寝転んで持ち込んだ仕事をしているし、食事もしていく。身構えるのもそのうち馬鹿らしくなるぞ」
「あらまぁ」
ここでは随分と気楽にしているらしい。まあこの大屋敷の特性を考えればそれもそうかと思ってしまう。
この大屋敷には大鳥にはもちろんの事、人間同士であっても一定以上の害意や悪意がある、又はそういう人物と繋がっていると見做されると、それが解消するまで入れないのだ。その為にこの大屋敷のある丘の下にはもう一つ屋敷があり、人も物もここに入る前にその検問所を通らなければならない。ここも大鳥が見張っている。
昨日は入れたのに今日は入れないなんて事もままあるくらい徹底した管理がされているので、この大屋敷は世界一安全と言っても過言ではないだろう。ちなみに大屋敷で働いている最中に害意を抱いた場合、文字通り飛んできて追い出されるのだから本当に徹底している。
悪口や足を引っ掛けるなど小さな悪戯程度だと見逃されるようだが、それが長期的に続いたり大怪我を負う可能性があるような度の過ぎた行為になると途端ダメらしい。ちなみに人を使ってそのような行為をしようとしても、命令した人が追い出される。何故わかるのか不思議なものである。
そんな訳で悪意も毒も心配がないこの場所は常に身の危険を感じて暮らす王太子殿下にとっては天国のような場所なのだろう。そういう事なら、いくらでも寛いでいただきたいと思った。
先程読んで得た知識の事を考えていたら、ガチャリと扉を開けるような音がした――隣の部屋から。すぐにバンと閉めるような音が聞こえ、しばらくしてこの部屋の扉が勢いよく開けられる。
「いやぁ〜、ついいつもの調子で執務室に入ってしまったよ! 遅れてすまないね」
笑顔でやってきた人物の一人を見てソフィアリアは思わず立ち上がり、腰を落としてカーテシーをしてみせた。
「ああ、待ったセイド嬢。君は私に傅いてはいけないよ? むしろこちらがせねばならぬので、ここでは楽にしようではないか」
つい反射でやってしまったがそうだった。冷や汗をかきながら顔を上げ、手をお腹の前で重ねる。頭は下げないまま目礼だけに留めた。
「申し訳ございません。臣下気分が抜けておりませんでした」
「いいとも。ここでは誰も見ていない事だし、お互い気楽にいこう」
フィーギス殿下はわざとらしくドカリと乱暴に座り、ヒラヒラと手を振った。どうやら気を使わせてしまったようだ。
フィーギス殿下――フィーギス・ビドゥア・マクローラ殿下は今年十七歳になる、この国の第一王子で王太子だ。
この国一番の艶やかな黄金色の髪と水色に近い青い海のような美しい瞳は、代々王族にのみ現れ、身分を確固たるものにする象徴の色である。背は女性の中でも少し高めなソフィアリアよりも頭半分は高い。
甘く優しげな二重の目にスッと通った高い鼻、スッキリとした顔の輪郭に薄い唇を持つ彼は、まるで世界一の彫刻師が長い歳月をかけて至極丁寧に作ったかのような素晴らしく端正な顔をしていた。貴族や王族はほとんどが整った顔を持っているが、ここ数代で一番完璧に整った顔を持つという噂だ。
そんな素晴らしい顔を見せつけるかのような、少しクセのついたセンターパートのアップバングも清潔感がありよく似合っている。少年と青年の間特有の中性的な色気を放つ目の前のフィーギス殿下こそ、間違いなくこの国一番の美男子だ。ソフィアリアは人の容姿に頓着しないが、それでも綺麗な顔の正面に座らされるのは目に眩しく居心地が悪い。
一季前までは二度と間近で見る事はないと思っていた筈なのに今ではテーブルを挟んで向かい側に居るなんて、本当に人生何があるかわからないものだ。
「まずは婚約おめでとう、王、リム、セイド嬢。心から祝福するよ」
「……ありがとう」
「ありがとうございます、フィーギス殿下。王鳥様に選んでいただいたこのお役目、精一杯務めさせていただきます」
何やらとても気になる単語が出てきたが後回しにして今は笑顔で礼を述べておく。ついでに決意表明もしたが何か不味かったのか、フィーギス殿下は笑みを浮かべたまま遠い目をしていた。
「お役目ねぇ。……ほどほどに頼むよ」
「申し訳ございません。出過ぎた真似でしたでしょうか?」
「いや、むしろその気持ちは嬉しいとも。ありがとう。――――そうは言うが王。私は今までも散々キミの無茶振りの尻拭いをさせられたのだ。手放しで全て受け入れるほど、私は出来た人間ではないよ」
ソフィアリアから見れば急に一人で話し出したように見えるのだが、フィーギス殿下は何を隠そう、鳥騎族でもないのに王鳥と話せる唯一の人間なのだ。
というのも遥か昔に迫害の末にこの国に流れ着き、大鳥と契約を交わしたのがフィーギス殿下達王族のご先祖様で、契約の一部に王族と王鳥は直接対話が出来るようにするというものがあったらしい。
が、数代前から何故かそれが途絶えており、原因は国王陛下と王鳥の喧嘩だと言われているが、真実は定かではない。王鳥もその事については口を噤むので未だに原因不明なのだそうだ。
王鳥と王族の、代行人を介さない直接の言葉の交流が途絶えて久しかったのだが、今になって突然、それもフィーギス殿下とのみ直接対話が出来るようになったらしい。
――そしてそれはフィーギス殿下にとっては幸運で、ある意味不幸の始まりだった。




