聖都オフィーリア
アレシア公国に別れを告げ、次に訪れたのはスバルーバル連合諸王国の中心国家聖王国。その首都オフィーリアだった。
オフィーリアは聖王国のみならず、連合諸王国の最大の都市で人口約50万人を数え、商業、文化、芸術の中心地でもある。
「聖王国の政治形態は聖王を頂点とする立憲君主制で、貴族を中心とした元老院が合議制をとって統治しています。諸王国に属する国々も元老院の決定には従う義務を負っています。外交的には国境を接する帝国やラファールとは友好を結んでいて、外寇の心配もなく内政は安定していますね。また、聖王様の居城である聖王宮や聖女様が住まう大聖堂、歴史博物館、美術館など観光地としても見どころが多いです」
移動する馬車の中でアンジェリカは聖王国について説明した。シェリーやジャンは窓の外に流れる景色を見て歓声を上げ、難しい話についていけないラビィは鼻息を立てて眠っている。
オフィーリアでの宿泊場所であるホテルに到着してフロントで受付していると、マネージャーらしい人物が2通の手紙を渡してきた。リシャールが差出人を確認すると聖王ジギスムント一世と聖女スバルの署名がある。中を開くと会談の日時場所が記載されてあった。
「ふむ…。聖王様との会談は明日の昼に決まったようだ。昼食会を兼ねて会談すると記されている。これにはオレとアンジェリカ、シェリーで行こうと思う。護衛はリムだ。ジャン達は市内観光を楽しんでくれ」
「聖女スバル様とは明後日の午後だ。こちらは全員でお邪魔しよう。スバル様は気さくなお方だから、大勢で行けば喜んでくれるだろう」
方針が決定したところで各々部屋に行き、夕食までの休息を取ることにした。アンジェリカは部屋のベッドに腰掛けて大きなため息をついた。ちょっと沈んだ表情が気になったリシャールはアンジェリカに声を掛けた。
「どうしたアンジェリカ。疲れたか?」
「いいえ。そうではなくて、その…実は聖女にはあまりいい思いが無くて…」
「ほう? 聞かせてくれないか?」
アンジェリカはこの国で起こったアンゼリッテとの出会いからアンデッド化までの一連の話を聞かせた。
「…まあ、そういう訳でどうにも聖女という存在が好きになれないんですよ」
「アンゼリッテが元聖女とは聞いていたが、そんな事があったとはなぁ。でも、スバル様は大丈夫だ。オレは連合軍の指揮を任された際に彼女とも話をしたが、ユウキみたいな感じの人柄の良い女性だったぞ。きっとアンジェリカも気に入ると思うな」
「はあ。リシャール様がそうおっしゃるのなら…」
とは言ったものの、何となく嫌な予感というか、不安感が心の底にわだかまる感じがするのだった。それは後日、別な意味で的中する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、リシャールとアンジェリカ夫妻、シェリー王女は聖王宮で聖王ジギスムント一世と王妃マーリア、王子王女らに謁見し、戦争における連合諸王国軍の尽力にあたっての礼を述べ、グレイス女王からの友好親善の申し出を伝え、女王の書状と贈り物(イザヴェルの伝統工芸品)を手渡した。ジギスムント一世との会談は終始和やかに行われ、王室同士の交流を積極的に図ろうとの話になり、国王の末子シャルル(12歳)をイザヴェルに留学させる方向で検討することとなった。
一方その頃、市内観光に出ていたジャン、ラビィ、ジェスの3人は大通りから路地を抜けた裏町街にいた。街で有名なドワーフの武器工房に入った3人はそれぞれ気に入った武器を買った(ラビィの分はジェスが立て替えた)。
「ジャン王子、ご機嫌ですねー」
「うん! 見てよラビィ、このグラディウス。凄いよこの剣、軽くて扱いやすい。ただの鋼じゃなくて純度の高い砂鉄を高温のコークス炉で鍛造して何度も何度も叩いて作り上げたんだって!」
「ほえ~、キレイな紋様の刀身ですねぇ~」
「ラビィとジェスは何を買ったの?」
「あたしはコレです! サバイバルナイフと何でも開けられる万能鍵!」
「おまえ、ちゃんと貸した金返せよ。オレはジャン様と同じ材質の短剣です」
良い品を手に入れ、満足して店を出た3人は次はどこに行こうかと通りを歩きながら相談していると、離れた場所から女性の甲高く大きな声が聞こえて来た。
「なんだろう、ケンカかな?」
「ジャン様、お気を付けを」
「この先に人だかりができてますよ。どうもアソコのようですねぇ」
人だかりを掻き分け、最前列まで進むと冒険者らしいムキムキマッチョの大男数人に向かって神官服を着た12~13歳位の美少女が何やらギャンギャン喚きながら詰め寄っている。相手が女の子ということで大男達は手出しはしていないが、イライラとした表情をしながらも我慢している様子がありありと見てとれる。
「何があったんですか?」
ジャンが周りで見ていた人に聞いたところ、あの冒険者達は屋台メシを食べながら酒を飲んで大声で騒いでいたのだが、それを見咎めたあの女の子が、「昼間から酒を飲んで騒ぐなんて迷惑!」といいがかりをつけたのが発端とのこと。
「あの人達、誰かに迷惑でもかけてたんですか?」
「いいえ~。仲間同士で楽しそうに話をしていただけよ」
「そうそう。昼から酒飲むヤツなんてざらにいるのになー、ツイてねぇな、あの冒険者」
「あの子、ここらでは有名な問題児なのよ」
「そうなんですか?」
「ああ、とにかく自分が正しいと言って聞かないんだ。オレも路上でタバコ吸ってたら滅茶苦茶突っかかって来られたぞ。受動喫煙がどうとか言ってな。ありゃあ参った。あの子、正義厨ってヤツだな」
「なんですかそりゃ…」
ジャンと町の人がそんな話をしていると、何やら不穏な雰囲気になってきた。大声で騒いではいたが、別に他人に迷惑をかけた訳でも無く、屋台の売り上げにも貢献していた男達を、攻撃的な言動で責める女の子にイラついたのか、指の骨をポキポキならしながら半円包囲し始めた。成り行きを見守っていた人達もざわざわし始める。
「お、王子、なにやらヤバいですよぉ…」
「ジャン様、まずい事になりそうです」
男達の様子にラビィはビビり、ジェスは何かあってもジャンに危害が及ばないよう警戒をする。
「このメスガキ…。こっちが大人しくしてりゃあ、つけ上がりやがって…」
「躾のなってねぇガキは、お仕置きしねぇと分んねぇようだなあ」
「なっなによ…。脅したって怖くないんですからね、このザコザコザーコ!」
「言わせておけば、このガキ!!」
「ヒッ!?」
頭にきた大男の1人が拳をつくって振り上げた。女の子は血の気が引いた青い顔をして後退るが、男達のうち、二人ほど背後に回り込んでいて逃げられない。
「危ない!」
「あっ、ジャン様!」
女の子が殴られる! その瞬間ジャンの体が動いた。大男の拳が女の子に迫る。周囲の人達から悲鳴が上がり、女の子は恐怖で体が竦み、目をギュッと閉じた。しかし、拳が直撃する寸前、何かの影が飛び込んできて、その拳をまともに受けてしまった。バキッ!という打撃音に続いてドサッと人が倒れる音がした。
「あ…っ、いたたた…」
「ひゃあああっ! ジャン様ぁ!?」
倒れこんだジャンに駆け寄ったラビィは、頬を腫らして鼻血を出しているジャンを見てパニックになった。集まった人の中からも何人か集まってタオルで鼻を抑え、水で濡らした布で頬を冷やし始めた。茫然とする大男の背後に音も無く近づいたジェスが短剣を男の首に当てた。
「キサマ…、誰に何をしたのか分かってるのか。死んでもらう」
ギラリと光る短剣の鋭い刀が大男の首を掻き切ろうと動いた。男は訳が分からないまま懇願する。
「ひぃ…や、止めてくれ。ま、まさかこのガキが割り込んでくると思わなかったんだよ」
「…ガキだと。ジャン様に向かって重ね重ねの不敬。殺す」
「ひゃあああーーー!?」
「だ…、だめだよジェス。その人は何も悪くないんだ。その人を離してあげて」
「しかし、ジャン様…」
「いいんだ。殴られたのはボクが急に割り込んだんだから。それに、彼らにボクの事なんてわからないよ」
「ハッ…。ふん、命拾いしたな」
解放された大男と仲間の冒険者達はジャンにしこたま謝ると、大慌てでその場から去り、人混みの中に消えて行った。泣きべそをかいているラビィに手伝ってもらい立ち上がったジャンは、殴られた衝撃でくらくらする頭を抑えながら、いまだ茫然としている女の子に向かい合った。
改めて見る女の子はかなりの美形だったが、ややキツめの顔つきでジャンの好みの範疇外、胸も膨らみがあるのかすら怪しいぺったんこで、年相応の色気も何もない。弟のアンリの婚約者であるステラの方が女性として遥かに女らしい。このため、ジャンは冷静に相手に向かい合うことができた。
「君、大丈夫? 怪我とかはないかい?」
「…え? あ…ああ、うん。だいじょう…とゆーか、あなた誰!? 助けてくれなんて言ってないわ!」
「ちょっとぉ、助けてもらったのに、その言い方はないんじゃないですかー」
女の子の言い様に、珍しく頭にきたラビィがぷんすかしながら怒りの口調を向けるが、ジャンはそれを抑えて冷静に話を続けた。
「それは悪かった。だけど、ここにいる人達に話を聞くと、君が文句を言っていた彼らは、お酒を飲んで楽しんでいただけというじゃないか。お酒を飲めば、酔って声が大きくなるのは当たり前だし、特に迷惑をかけていなければ、それに文句をつけるのはどうかと思うよ。むしろ、楽しんでいた彼らの邪魔をした君の側に非があるように思えるけど」
「ふ…ふん! 公共の場であのように大声を上げて騒ぐこと自体が周りの人の迷惑なのよ。わたしは分からせてあげただけよ!」
「彼らは君か誰かに迷惑をかけていたの?」
「…………」
「周りの人にも聞いたけど、彼らは誰にも迷惑をかけてないって言ってたよ。君がただ難癖をつけているようにしか見えなかったって。ボクが思うに、君は自分の正義を人に押し付けたんじゃないの?」
「ち、違うわ! そんなんじゃない! わたしはわたしの正しいと思っている事をしているのよ。他の人達だってそう思っているはずよ。彼らの声は迷惑だった。ただ、相手が怖いから言えないだけなのよ。それをわたしが代弁して、彼らに公共のマナーというものを教えてあげたの!」
「それってなに? 自分のことを正義の味方と思い込んでるってことだよね? ボクには独りよがりの正義感に酔って暴走している身勝手な子供にしか見えないけど。今日はたまたま大丈夫だったけど、このままじゃ、いつか痛い目を見るよ」
「うう…、うるさいうるさい、うるさーい! わたしは常に正しいの! あんたウザイ!男の癖に屁理屈をこねて説教するとか最低ね。アンタ嫌い!」
女の子は顔を真っ赤にしてジャンを怒鳴りつけると、プリプリと怒った様子で人混みをかき分けてどこかに行ってしまった。周りにいた人達もため息をついたり、「ダメだこりゃ」とか言いながら散らばって行った。
「すごい子でしたねー。王子にあんな暴言吐くなんて、絶対に許せないです。ってか、最後のセリフ、そっくりそのまま返してあげたいです」
「月夜の晩だけじゃないってこと、思い知らせる必要があるな」
「へぇ、ロリコンむっつりスケベのジェスさんには、あの子はストライク外ですかぁ」
「誰がロリコンでむっつりスケベだ! 誤解を招くことを言うんじゃねぇ!」
「街を歩く制服姿の女子小中学生に、こっそり熱い視線を送ってるくせに。ラビィは何でも知ってますからねー」
「違う!」
「あははは…。二人ともその位にして、どこか食事に行こうよ。お腹がすいたよね」
「待ってましたー! あたしの分はジェスさんの奢りで!」
「お前…。少しは場の空気を読めよ」
ジャンとラビィ、ジェスは、悪い雰囲気を捨てようとオフィーリアで一番のレストランに入り美味しい食事を堪能した。しかし、食事の間もジャンは何となく先程出会ったあの女の子が気になって仕方ないのであった。
その晩、ジャンは昼間の出来事を王宮から戻ったリシャールとアンジェリカ、シェリーに話した。リシャール達はジャンに大きな怪我が無かった事に安堵し、危ない真似をしないように注意した。そして、昼間出会った女の子とはもう会うことはないのだから忘れるように言った。ホテルの部屋に戻ってベッドに入ったジャンは、それでも中々寝付けずにいた。
(兄さんの言った通り、もう会うことも無いし忘れよう。ただ、強烈な子だったなぁ。あんな子が恋人だったら、きっと男の人は苦労するだろうな。気が休まる暇が無いよ思うよ。ボクはちょっと無理だなあ。シェリー姉みたいな優しくてお淑やかな女性が好みだし。さあ、寝よ寝よ。明日は聖女スバル様と面会だ。どんな人なんだろう、楽しみだな)
そんな事を考えているうちに、いつしかジャンは深い眠りにつくのであった。しかし、真の恐怖は翌日にこそ待っていたのだ!




