アレシア公国②
リシャールとアンジェリカはすぐさま貴賓室に通され、ソファ席の上座に着座を促された。下座に侯爵と長男のステファンが座った。他の妹弟は退席している。
「するとなんですか、アンジェリカは帝国皇太子妃ユウキ様の親友であり、ユウキ様と冒険の旅をしただけでなく、邪龍捜索に協力し、助けたとおっしゃられるのですか?」
「そうです。また、今次戦争においては連合軍を率いた私の側にあって、魔法によって多くの魔物を屠り、勝利に貢献した英雄でもある。アンジェリカが側で私を励まし、守ってくれたからこそ、私は最後まで軍の指揮に専念できたのです」
「そんな…。あのアンジェリカが…。信じられない」
「あなた方がアンジェリカを冷遇した事は彼女から伺っておりました。どうしてなのかは家庭の事情なのでしょうから聞きは致しませんが、アンジェリカは素晴らしい女性ですよ。強い信念を持ち冒険者としても一流で、子供に優しく草花、動物を愛でる美しい心を持っている。それでいておっちょこちょいで、お化けが怖くてすぐ泣いちゃうとかカワイイ面もある。そして何より美人だ。本当に私には過ぎた女性だと思っています。彼女と出会えた事をエリス様に感謝しなければならないと思ってます」
リシャールがこれでもかと言う位アンジェリカを褒めるものだから、彼女は恥ずかしくて真っ赤になって照れてしまう。
「リ、リシャール様…。褒め過ぎです。恥ずかしいです…」
「そうか? オレは素直な気持ちで話しているんだけどな」
「も…もう。私がリシャール様を自慢するはずだったのに、逆じゃないですかぁ~」
「ははは。まあまあ」
「そういう訳です。お父様、お兄様。アンジェリカはイザヴェルで幸せに暮らしています。夫だけでなく、義母である女王様にも、義妹のジョゼット王女、シェリー王女、義弟のジャン王子やアンリ王子とも仲良くさせていただいてます」
「妻は、冷遇され放逐されても実家の皆様を随分と気にかけておりましてね。戦争のお陰で、結婚後、妻に何もしてあげられていなかったので、新婚旅行を兼ねて訪問させていただいた次第です。ご報告が事後になって本当に申し訳ない」
「あ…いや…。結婚したことについては良いのです…」
メイヤー侯爵は困惑した表情のまま、しどろもどろになって返答するのが精一杯だった。兄も複雑な顔で二人を見つめている。リシャールはニヤッと悪い顔をした。アンジェリカは夫のいたずらっ子みたいな顔に心の中で笑いながら感謝した。
(結局、父上も兄上も変わっていなかったな。ジュリアス殿下との婚姻が破棄されたのは、確かに私にも非があった。でも、当時は殿下を愛していたし、愛されようと必死だった。結局は私の思いは届かず、全ての行動が裏目に出て学校の同級生や公国の貴族界に敵を作っただけだった。それによって、家名に泥を塗ったという事実は消えない。だから、私は改めて謝罪したかったし、リシャール様と結婚できたことを報告して喜んでもらいたかった。まさか、会う早々謝罪する間もなく罵られ、貶められるとは思わなかったけど)
(リシャール様がフォローしてくれなければ、悲しくて悔しくて大泣きしちゃうところだったよ。私には勿体ない位できた人。ありがとう、素敵な旦那様…)
「認めていただけて安心しました。さて、大分長居をしてしまいました。アンジェリカ。そろそろお暇しようか」
「はい、リシャール様」
リシャールに圧倒されて言葉を失い、ソファに座ったままのメイヤー侯爵達に礼をして二人は立ち上がった。出入口に控えていたジェスが扉を開ける。廊下に出る直前、アンジェリカは侯爵と兄に、改めて別れの礼をした。
「お父様、お兄様。アンジェリカは結婚をしてからずっと、もう一度お父様達と関係を修復したいと、結婚を祝福していただきたいと、幸せになった私を見ていただきたいと思っておりました。しかし、お父様もお兄様も全然変わっていなかった。体面ばかり気にして実の子の幸せを喜んではくださらなかった。私の存在はただそれだけだったのですね。公王家との繋がりを作るだけの道具…。これで諦めがつきました。もう二度とメイヤー家に関わることはありません。皆様の御健勝をお祈りしております。さようなら」
それだけ言うと、リシャールに続いて貴賓室から出た。扉を閉めるジェスはチラっとメイヤー侯爵達を見てほくそ笑む。
(バカが…。リシャール様を敵に回しやがって。真正のアホだぜ)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「待って、待ってください。アンジェリカ!」
アンジェリカは屋敷の玄関ホールに到着したところで背後から呼び止められた。振り向く母と妹が息を荒くして急ぎ足で追いかけて来ていた。
「お母様、アイリス…」
「はあはあ…。良かった、追いついて…」
3人の目の前に現れたのは母親のマリアンナと妹のアイリスであった。アンジェリカは二人にリシャールを紹介した。マリアンナは嬉しそうな、それでいて悲しそうな曖昧な笑顔を浮かべ、リシャールに挨拶をした。
「素敵な男性と出会えたのね。本当によかった…。それに、とても美しくなって。ご結婚おめでとう、アンジェリカ。貴女の幸せ、母は本当に嬉しいです」
「お姉様、おめでとうございます」
「お母様、アイリス…」
「貴女がこの家を追われるように出てからというもの、音信不通になってしまい、アイリスともども本当に心配していたのです。でも、元気そうな顔を見て安心しました。お父様やステファンはあの通りでしたが、私達は貴女の訪問を心から喜んでおります」
「ありがとう、お母様。アイリス。二人の顔を見られただけでも、この地に来た甲斐があったというものです。それに、お母様に私の素敵な旦那様を見ていただくこともできました。これだけはどうしても叶えたかったのです」
アンジェリカは母親と妹をだき抱えてぽろぽろと涙を流した。学校でも街でも味方と呼べる者はおらず、孤独に健気に頑張っていたアンジェリカ。誰にも評価されず、婚約者のジュリアスとその仲間もアンジェリカを蔑ろにしていた中、彼女が心を折らさずに頑張れたのは唯一母親と妹が支えてくれたからに他ならない。この国で唯一アンジェリカの幸せを願っていたのは母親と妹だけだった。
しかし、かつての勢いはなくなったとはいえ、公国の大貴族である夫のメイヤー侯爵に逆らえる訳はなく、彼らが虐げるアンジェリカを陰ながら応援するしかできなかった。アンジェリカが出て行ってしまった後は、助けてあげられなかったという後悔の念で苛まれていたと話してくれた。
とつとつと語る母親の目にも涙が浮かぶ。アンジェリカはハンカチでそっと涙を拭いて、悲しい中でも母親と妹に励まされたことが嬉しかったと感謝の言葉を述べるのであった。
「そろそろ、行こうか」
「はい。お母様、アイリス。お元気で」
「アンジェリカ、もっと良く顔を見せて。貴女はもうこのお屋敷には来ないのでしょう? 瞼の裏に貴女の姿を焼き付けておきたいの」
「お姉様、私にも顔を見せてください」
「お母様、アイリス…」
「このまま別れるのでは、確かに悲しいな。アンジェリカ、お義母様とアイリス殿は君の味方のようだ。オレとしても交流を深めたい。どうだろう、折を見てお二人をイザヴェルにご招待しては」
「えっ!? それは嬉しいですけど、お父上は許してくれないと思います」
「なーに、如何様にもやり方はあるさ。女王の名前を使ってもいいし、なんならそこに控えるジェスに任せれば大丈夫だ」
「ハッ! ご命令があれば、必ずやご期待に応えて見せます」
「嬉しい…。お母様、アイリス。イザヴェルに来ていただけますか?」
「もちろんです。その時を楽しみに待っていますね」
「私も!」
3人は手を取り合って喜ぶ。その姿を見てリシャールも嬉しかった。リシャールの頭の中ではマリアンナとアイリスを、イザヴェルに永住させるための方策を練っている。その顔を見てジェスは思った「悪い顔をしてるな」と。母と挨拶を済ませたアンジェリカはふと気になったことを聞いてみた。
「そういえば、ジュリアス殿下はお元気なのですか?」
アンジェリカの問いにマリアンナとアイリスは顔を曇らせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アンジェリカ達と別行動をしていたシェリーとジャンは、ラビィとリムを連れてオルディス市内を観光していた。
「博物館に美術館、デパート…。目ぼしい場所は大体見ましたね」
「そうだね。同じ大陸の国なのに、イザヴェルと歴史文化がかなり違うのに驚いた。凄く勉強になったよ」
「……。(全然分らなかった)」(ラビィ)
「……。(激しく同意)」(リム)
「ところで、お昼も大分過ぎたし、お腹が空いたわね」
「そうだね。ラビィが空腹で死にそうな顔してるよ」
「そうなんですよぉ~。もうお腹ぺっこぺこなんです~。ごはん食べたいっす」
「ラビィ、少しは遠慮しろ!」
「うふふっ。そうだ、大通りの串焼き食べ比べ第2弾でもしちゃう?」
「お、いいね!」
「賛成賛成です!」
大通りに隣接している噴水公園に並ぶ屋台で思い思いに好みの串焼きを買い、ベンチに並んで腰掛けて、熱々の焼き肉を口いっぱいに頬張った。じゅわっと口内に広がる肉汁の美味しさに、シャリーもジャンも顔をほころばせる。
「う~ん、やっぱり美味しいっ!」
「シェリー姉、すっかり串焼き気に入ったみたいだな」
「ちょっとラビィ! 一気に8本も買って欲張り過ぎよ! わたしの財布なのよ、少しは遠慮しなさいよ!」
「だって~。損害賠償でおサイフ取り上げられちゃって無一文ですもん。リムさんかジェスさんにたかるしかないんですよー。もぐもぐ…ごっくん。うまっ! 人のお金で食べる串焼き、最高に美味しいですー!」
「こ、このクソウサギ~。もう、信じらんない!」
「ははは、さすがのリムもラビィには敵わないね」
「うう…。王子も笑わないでください~」
諦め顔のリムも串焼きを食べ始めた。シェリーとジャンも旅について語らいながら2本目、3本目に手を伸ばした。両手いっぱいに串焼きを持ったラビィは一心不乱に肉を頬張っていると急に目の前が暗くなった。なんだと思いながら顔を上げて大きな悲鳴を上げた。
「ギャアーーーッ! おっ、おばけぇーッ!!」
その声に素早く反応したリムは串焼きを捨てて立ち上がり、腰を抜かしたラビィの前に立って「お化け」を突き飛ばして、短剣を抜いて構えた。
「貴様、何者だ!」
「シェリー様、ジャン様。ラビィを連れてお下がりください!」
「は…、はい」
シェリーとジャンはラビィを立たせてリムの背中に隠れた。公園にいた人々も何事かと集まってきたが、男性も女性も恐怖の表情を浮かべて「お化け」を見つめている。リムは目の前の「お化け」を観察した。それは魔物でもアンデッドでもなく、人間の男性ようだった。しかし、その姿は酷いものだった。
(人間? 衣服はかなり上等なものだ。しかし、この姿は…)
目の前にいる「人間」は左半身が酷く焼けただれており、左側の髪の毛は失われ、右側も僅かに焼け残っているだけだ。頭から顔面、首にかけて6割以上がケロイド状で醜く焼けただれ、左の眼球は白濁し、右目も瞳は灰色に濁って焦点があっていないようだ。鼻も失われて鼻腔だけになり、唇も無くまばらに残った歯がむき出しになっていた。恐れを知らない暗殺者のリムもその姿に怖気づいた。
「お…、お前は一体何者だ!」
「お…ぁ…ぁぅ…。く…く…しや…き…、ぉおお…ぁぉ…」
目の前の男性は言葉にならない声を発すると、地面に這いつくばり、ラビィが落とした串焼きを拾おうとした。しかし、火傷で手の指がくっついており、上手く拾えない。それでも、悲しそうな泣き声を発しながら土塗れになった串焼きをぎこちない動きで拾おうとする。
「おお…おぉぉぉ…ぅが…く、く…やき…あがぁ…っ」
その様子をリムを始め、周囲に集まった人々が茫然として見守っていると、人垣の向こうから大勢の声が聞こえて来た。
「ジュリアスさまー、ジュリアスさまー。どこですかー!」
「ジュリアス殿下、返事をしてくださーい!!」
「あっ! ジュリアス様!」
人垣をかき分けてきたのは、年齢が20歳位の、素敵なワンピースドレスを着た若い女性と侍女らしい女性に兵士が数名だった。女性は地面に這いつくばっている男性に気づくと驚いた声を上げ、侍女と一緒に肩を抱いて立たせた。
「あ…あう、あ…うが…」
「もう、ダメじゃないですか。急にいなくなっては。すみません、皆様。驚かせてしまって。この方は連れて帰ります。本当にご迷惑をおかけしました」
ジュリアスと呼ばれた男性は、侍女と兵士に連れられて宮殿の方へ帰って行った。シェリー達はおぼつかない足取りで去っていくジュリアスを見て、何とも言えない気持ちになった。リムも短剣を鞘に収めると「はあ…」とため息をついた。
「あの…。もしかして、この串焼きはあなた方のですか?」
一人残った女性が地面に落ちた串焼きを指して聞いてきたので、リムが代表して「そうだ」と答えた。女性は暗い顔で財布からお金を取り出すと弁償だと言って渡してきた。そして、あの人物について話して聞かせてくれた。
「あのお方はジュリアス殿下。アレシア公のご子息です。わたしは殿下の妻で、名をクラリスと申します」
その名を聞いてシェリーは気づいた。ジュリアスについて、以前アンジェリカから聞いたことがあったからだ。しかし、努めて表情に出さないようにした。
クラリスが話してくれたことによると、先の邪龍・ウル戦争において、ジュリアス率いるアレシア騎士団もスバルーバル連合諸王国軍として参加した。アレシア騎士団は魔物との激しい戦いの中、火竜のブレス攻撃を浴びて大きな被害をだしてしまい、ジュリアスも瀕死の重傷を負ったとのことだった(火竜はラファール国の魔道兵団によって倒された)。
「体に大きな火傷を負った殿下は長い間生死の境を彷徨い、何とか命を取り留めたものの、あのように体は醜く焼けただれ、体の機能に障害を受け、精神的ショックで記憶も失ってしまわれました。お医者様が言うには内臓にも悪い影響が出ていて、もうあまり長くは生きられないだろうと…」
「そうですか…。あの、ジュリアス様は串焼きに随分と執着されていたようですが、それは何故ですか?」
クラリスは寂しそうに小さく笑うと、自分とジュリアスとの出会いについて話して聞かせた。全ての記憶を失っても、二人を結びつけた串焼きの美味しさの記憶だけは残っているらしく、時折宮殿を抜け出してここに来るのだという。
クラリスはシェリー達に礼をして宮殿の方へ戻って行った。その背中は悲しみに満ちており、心にギュッとくるようであった。それが義姉の追放される原因を作った二人であっても…。
(仕方ないこととはいえ、余りにも悲しい出来事です。お義姉様がジュリアス様とご結婚されていたら、殿下の運命は違っていたのでしょうか…。そんな「もしも」を考えても意味がないと分かっていますけど…)
俯いて考え込んだシェリーにリムが寄り添い、宿に戻ろうと促した。シェリーはリムと一緒に歩きながら、最後にもう一度宮殿の方を振り向いた。そして、ジュリアスの残されたわずかな人生が平穏でありますようにと祈らずにいられなかった。




