旅行へ行こう!
ユウキの無二の親友アンジェリカ。ウルとの戦争後、イザヴェル王国王子リシャールの妻となった彼女の何気ない想いから始まった艱難辛苦の物語。始まりです!
イザヴェル王国首都ウール・ブルーン市は、いつも通り美しい風景を求めて大勢の観光客で賑わっていた。市の中心部を流れる大河アナヒタ川を見下ろす高台の高級住宅街の一角にある、2階建ての瀟洒な屋敷のベランダに置かれた椅子に座りながら、一人の女性が眼下に広がるアナヒタ川の雄大な流れと行き交う観光船を眺めながら物思いに耽っていた。
「どうしたんだアンジェリカ。ぼんやりと川を眺めて」
「リシャール様…」
「何か悩み事か?」
「…………」
「どうやら当たりだな。どうした? 話してくれないか」
「…………」
「アンジェリカ。オレ達夫婦だろ」
「…はい」
アンジェリカはぽつぽつと話し始めた。自分は実家のメイヤー家では愛されてはいなかった。ただ、公王家との政略結婚の道具としての存在。それでもジュリアス殿下との結婚を夢見て家族の冷たい態度も我慢できた。また、学校での孤独も辛かったがこれも耐えれた。しかし、ジュリアス殿下は他の女性と相思相愛になり、自分はきっぱりと拒絶された。結果、メイヤー家の権威を失墜させたと実家から放逐されてしまった。
「アンジェリカ…」
「でも、こんな事はどうでもいいんです。ユウキと出会って、様々な体験と出会いをして、邪龍戦争の功績で女王陛下からお褒めの言葉と勲章までいただきました。そして、リシャール様という心から愛するお方から、生涯の伴侶として選んでもらえた。こんなに幸せでいいのかなと、夢じゃないのかなと思ってしまう程です」
「じゃあ、何で悩んでいるのだ?」
「実家の事です…。放逐されたとはいえ、実家には父も母も兄妹もいます。ユウキと一緒に旅をしてからは、実家との連絡を絶っていたため、両親や兄弟たちは私が生きていること、リシャール様という素敵な旦那様を得て、イザヴェル王国の貴族になった事は知らないのです」
「つまり、ご両親に今の自分を見てもらいたいと?」
アンジェリカは小さく頷いた。しかし、直ぐに首を横に振る。
(どっちなんだ?)
「両親や兄妹に今の私の姿を見てもらいたい。でも、私は家名に傷をつけて放逐された身。今更国に戻れる訳が…」
「はあ…」
項垂れる妻を見てリシャールは小さくため息をついた。
(そういえば、エドモンズ様が言ってたなぁ。アンジェリカは気が強いように見えて、実は臆病者で怖がりだと。彼女は親に会うのが怖いのだ。しかしまた、会いたいという気持ちも強い。それが心の葛藤を生んでいるのだ。ここはひとつ後押ししてやるか)
「なあ、アンジェリカ」
「…はい」
「行くか」
「え?」
「君の故郷に行ってみようかと言っているのだ」
「ど、どうしたんですか、急に」
「邪龍戦争が終わってこの方、損害が大きかった軍の再編に亡くなった兵の恩賞手続き、逃亡した魔物の討伐やらでずっと忙しかった」
「リシャール様も王国軍大将に叙されましたし、その分お仕事も増えましたしね」
「そうそう、それだよ」
「アンジェリカだってA級冒険者としてギルドから度々仕事を頼まれるだろ? 結婚してからもずっと忙しかったじゃないか。新婚旅行にも行けてないし。だから、ここらで二人ゆっくりと休暇を取って新婚旅行がてら旅をしてみないか?」
「軍務の方は大丈夫なのですか?」
「各軍団長に任せていれば問題ない。優秀な軍官僚もいる。何より今の世の中、国家間の紛争は無いし、魔物の集団程度なら軍が出るまでも無いしな」
まだ迷っている様子のアンジェリカにリシャールは、
「せっかく旅をするんだ。帝国でミュラー殿とユウキを訪問して、オーガの里で噂のオレンジ豚を食べて、アレシア公国を訪問しよう。そして、君の実家でオレを自慢するがいいさ。君の婚約者だった王子より、オレの方がよかったと思って悔しがるぞ、絶対に」
と言って笑った。アンジェリカは釣られて笑顔になると、リシャールにそっと抱きついて言った。
「リシャール様と他の男性なんて比べようもありません。世界一の伴侶に決まってますから。本当の私を見てくださった、ただ1人の男性ですもん。ですね、両親にリシャール様と結婚したこと、目いっぱい自慢してやるんだ。」
「ははは、その意気その意気。そうだ、アレシアに行くなら足を延ばして聖都まで行くか。可能なら聖女スバル様にお会いして邪龍戦争で協力してくださった礼を言いたいな。それと、君が行ったという南の果て…、オルノスとか言った場所も見てみたい」
「ふふっ、いいですね。楽しくなりそうです」
「じゃあ、早速母上に了解を取りに行くか」
「はい!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グレイス女王からのお許しはあっさり出た。何せリシャールは邪竜戦争では連合軍を率いて戦い、アンジェリカもまた、持てる力を振り絞ってリシャールを助け、勝利に貢献した英雄だ。二人が結婚してからもリシャールは軍の再編と戦力強化、ウルの残党の対応に追われ、アンジェリカは忙しい夫の代理として王国貴族会の仕事やA級冒険者として戦場から逃亡した魔物の討伐まで行い、気が休まる暇もなく働き詰めており、子供を作る暇もない。そろそろ二人だけの時間が必要だとグレイスも感じていたのだった。
「いい機会だし、ゆっくり旅してくるといいわ。当面、リシャールの力を必要とすることは無いし、何かあればジョゼットもいるから、期間を気にせず色々な場所を見てきなさい」
「ありがとう、母上」
「感謝します。女王様」
「そうね、帝国と連合諸王国に行くのなら、皇帝陛下と聖王様に手紙を書きますので、お二人にお願いしてもよろしいかしら」
「ああ。どうせ、ミュラー殿とスバル様にお会いしようとも思ってたから、問題ない」
女王の私室のドアの陰に隠れてそっと話を聞いている者がいた。リシャールとアンジェリカが退室すると、その人物は背後から二人に声をかけた。
「お兄様…」
声をかけられ振り向いたリシャールとアンジェリカの前に、第二王女のシェリー(17歳)と第二王子のジャン(15歳)が立っていた。
「どうした、二人とも。何か用か?」
「………あの」
シェリーとジャンは何か言いたそうにしているが、言っても良いものか逡巡して言い出せないようだ。廊下を通る城の職員やメイド達が不思議そうに見て来る。このままでは埒が明かないと考えたアンジェリカは、リシャールにどこか静かな場所に移動することを提案した。
「リシャール様、どこか話せる場所に移動しませんか? ここでは人目があり過ぎて話しにくいと思います」
「そうだな。ん…、それなら私の執務室に行くか」
リシャールはシェリーとジャンに付いて来るように言うと、自分の執務室に向かった。
執務室に入ると、ドアの鍵を閉め誰も入って来られないようにして、二人にソファに座るように言った。アンジェリカが湯沸かし室でお茶を準備して全員の前に置き、自分もリシャールの隣に座る。早速二人に問いかけてみた。
「何か相談事なあるのではないのか?」
「…………」
「黙ってても分からないわ。遠慮なく話して。ね?」
二人は暫く黙っていたが、シェリーは顔を上げると、意を決したように口を開いた。
「お兄様、お二人の旅行に私たちも連れて行ってくださいませんか?」
思っても見ない話にリシャールと、アンジェリカは驚いた。
「突然何を言うかと思ったら…。理由を聞かせてくれないか?」
「…はい」
シェリーが話すところによると、邪竜戦争前、彼女とジャンには海外留学の話が出ていて、留学先の選定まで進んでいた。
「そう言えばそうだったな」
「はい。でも、先の戦争で全てお流れになってしまいました」
リシャールやジョゼットと異なり、二人は海外に出たことは無く、せいぜい年1、2回国内行事に来賓として参加するだけ。外交や招待などで海外に出かける機会が多く、見分を広めている兄と姉をとても羨ましく思っていたことを話した。
「それで、先程お兄様達がお母様と話をしているのを聞いてしまいまして…。あの…、お兄様とお姉さまは新婚旅行に出かけられるのでしょう?」
「ああ。帝国とスバルーバル連合諸王国を回ろうと考えている。2週間後位には出発する予定だ。諸王国に行くのはオレも初めてだからな。アンジェリカの故郷でもあるし、今から楽しみなんだ」
「図々しいとは分かっていますが、私とジャンも旅行に連れて行ってくれませんか?」
「頼むよ兄さん。ボクも姉さんも外国を旅してみたいんだ。学校も長期休みだし、一緒に連れて行って欲しい」
「もちろん、二人だけの時間は邪魔しませんし、御迷惑はかけませんから」
真剣に頼み込んでくる二人の瞳にグッとくるリシャールだったが、愛する妻との二人旅に妹弟を連れて行くのもどうかと悩む。ここは心を鬼にしても断らねばならないと考えた。しかし、リシャールが答えるより早く、アンジェリカの方が口を開いた。
「お二人は、自分の知らない世の中を見て何かを感じ取りたいと、そう思いたいのですね」
シェリーとジャンはこくんと頷いた。
「リシャール様、お二人も連れて行きましょう」
「だが…しかし…」
「以前の私も世間知らずのワガママ箱入り娘でした。でも、ユウキやポポと旅をして、また、ガルガに関した任務を通じて見分を広げ、様々な人たちと出会い交流した事で人として成長しました。これからの世では広い視野と知識、人との交流が必要になります。お二人もそのような体験が必要なのではないでしょうか」
「アンジェリカ…」
「それに、ユウキが初めて旅をしたのは14歳と聞きましたし、私は17歳でした。年齢的にも丁度良いのではないでしょうか。ね、シェリー様、ジャン様」
「そ、そうです。年齢的にも丁度いいです。お願いします、お兄様!」
「わかった。済まんなアンジェリカ。新婚旅行だけど、この二人も帯同させてもよいか?」
「ふふ、もちろんです。楽しい旅になりそう」
「やりましたー! よかったね、ジャン!」
「うん!」
「そうとなれば護衛とか旅の手伝いをしてくれる者も必要だなあ」
「誰かいい人がいます?」
「うーん。能力的にはドゥルグ特務少尉がいいのだが、奥さんが臨月だし、国を離れるのは無理だろう」
「お兄様、ラビィさんではどうですか?」
「ラビィ? 確かにアイツはいつも暇そうではあるな。でも大丈夫か? アイツのドジさ加減は半端ないぞ」
「でも、私とジャンとはお友達ですし、絶対に楽しくなると思うんです」
「シェリーがそこまで言うならいいが…。どうなっても知らんぞ。しかし、ラビィだけじゃ護衛は務まらんな」
リシャールはパチンと指を鳴らした。次の瞬間、スッと音も無く二つの影が降りて来た。
「ジェス、リム。私らの護衛としてお前らも来い」
「ハッ。承知しました」
「お任せください」
「ユウキの所にも行くけど大丈夫?」
「えっ!?」
「だ、だだだ、大丈夫ででで、す」
ユウキと聞いて脂汗を流し始め、呂律が怪しくなったリムにアンジェリカはプフッと噴き出した。
(よっぽど、トラウマなんだな。まあ、分からんでもないけど)
 




