騎士の矜持⑦
学校の校庭では騒ぎを聞きつけた大勢の村人が集まり、恐怖に引き攣った顔で目の前で起こっている出来事を見つめていた。最前列には青い顔のルシアが大声で娘の名を叫んでいる。
「リーナ! お願い、リーナを放して!!」
「おかあさーん! 助けてぇーッ!」
「クッ…。ハハハ、アーッハハハハ! お前らに伝達する。今、この時からこのサヴォアコロネ村は我々「ウル民族独立戦線」の支配下に入る。俺は隊長のゼト少佐だ。いいか、これはお願いではない。命令だ。逆らえばこいつらを殺す!」
ゼト少佐の背後には10名ほどの武装した獣人兵が子供たちを集め、いつでも殺せる態勢でいる。また、少佐の隣に1人の獣人兵がリーナを連れて並んでおり、鋭いダガーナイフを首筋に当てていた。強い力で押さえつけられ、制服を切り裂かれて下着姿になったリーナは殺される恐怖で泣きわめき、助けてくれるよう懇願している。女の子特有の甲高い声にイライラした獣人兵はリーナの顔を思い切りビンタした。
「ウルセェ! 黙れ、ぶっ殺すぞ!!」
「キャアッ!」
「リーナ! やめて、娘を傷つけないで!!」
「ハーッハハハ! 人質の命を助けて欲しくば、俺様たちの命令に従え。おい、村長を引きずり出せ!」
「ハッ!」
少佐の背後から獣人兵が進み出て村長のアルベールを村人の前に転がした。地面に蹲ったアルベールは酷い暴力を受け、顔中酷いアザだらけになっている。慌ててルシアをはじめ何人かの村人がアルベールの元に駆け付けて抱き起したが、アルベールは動きも取れず小さく呻くだけだった。
「村長、まずお前が俺に服従し、俺の靴を舐めろ。そして、村人にこの村はウル民族独立戦線に忠誠を誓うと伝えるんだ。お前の口からな」
「酷い…。あなた方はいったい何者なんです!? どうしてこんな惨いことをするんですか! この村は平和な良い村なんです。出て行ってください! 娘を、子供たちを返して早く村から出て行って!」
リーナを守るため、ルシアが精いっぱいの勇気を振り絞ってゼトに出ていくように叫んだ。集まった村人も「そうだ、出て行け!」と叫び始める。
「村長、人質や住民を殺されたくなかったら、こいつらを黙らせろ。そして、早く俺に忠誠を誓え」
「う…うう…。み、皆の衆、この人たちを…し、刺激しちゃいかん…」
「あなた方は何故こんな事をするんですか!?」
ゼト少佐は村人たちを見まわし、ふっと冷たい笑みを浮かべた。
「お前たちが知る必要はない。この村は四方を山に囲まれた人の往来が少ない秘境だ。それでいて食料生産性は高く、経済的にも裕福だ。我が民族独立戦線の力を蓄える拠点としてこれ以上の場所はない。だから、ここを制圧する。それだけだ」
「さて、いい加減返答を聞かせてくれないもんかね。俺は気が短いんだ」
「………こ、断る…のじゃ」
「そうか、断るか…。おい!」
「ハッ!」
服従命令をアルベールはきっぱりと断った。ゼト少佐はすっと目を細めてリーナをとらえている獣人兵に合図した。
「では、うんと言うまでガキどもを1人ずつ殺す。まずはこの娘からだ」
「リ、リーナ!」
「そうだな、ただ殺すんじゃ面白くない。まずは両の乳房を切り落とし、女陰を抉ってから、その細い首を刎ねるか」
「や、やめてぇーッ! 娘を傷つけないでぇーッ!」
「ハハハ、恨むなら村長を恨むんだな。おい、殺れ」
獣人兵はリーナの首に腕を回して胸を張りだすように押さえつけると、ダガーナイフを乳房の上に当てた。既にリーナは恐怖で声も出せずぼろぼろと涙を零している。潤む視界に必死に自分の名を呼ぶ母の姿が見える。次の瞬間訪れる自分の運命に悲しみが止まらない。
(どうして…、どうしてこうなっちゃったの…。怖いよ、レドモンドさん、助けて…)
「さぁて、お嬢ちゃんはどんな声で鳴くのかなぁ。殺す前に味わってもよかったが、少佐の命令だ。死にな!」
「そうはさせん!」
「ぎゃっ!」
「誰だ!?」
何者かが放った小石がリーナを傷つけようとしていた獣人兵の顔に当たった。獣人兵は悲鳴を上げてダガーナイフを地面に落としてしまった。一体何が起こったのか。少佐は戸惑い、小石が飛んできた方向を見た。集まった村人が左右に分かれ、できた通路から現れ出て来たのは…。
「レ…、レドモンドさん!」
リーナが涙でぐしゃぐしゃになった顔で初恋の相手の、最後に会いたかった男性の名を呼んだ。レドモンドは胸の部分に交差した剣と杖、その間に羽を広げた魔獣グリフォンの意匠が刻まれた銀色に輝くフルプレートを装着し、右手には魔法剣ロングソード+8を持ち、左腕に小型の円形盾を装備している。その頼もしい姿に、リーナや捕らえられているメアリ、ソル、マリーたちも歓喜の声を上げた。一方、ゼト少佐は思ってもみない相手の出現に驚いた。
「貴様、一体何者だ。むっ、その胸の意匠は…まさか?」
「へえ。ウルの田舎野郎の癖に知っているってか? なら話が早い。自己紹介させてもらうぜ。オレはラファール魔族国筆頭貴族、アルテルフ侯爵家護衛騎士レドモンドだ」
「…なぜ侯爵家の護衛騎士がこんな村にいる?」
「なに、お前らの国との戦争で功績を上げたんで、ご褒美休暇をもらってな。秘湯と出会いを求めて来ていただけだよ」
レドモンドは努めて彼らから自分に注意が向けられるよう、少々おどけた風に話しながらゼト少佐たちに近づいて行く。
「ここで死にたくなければその子、リーナを解放してもらおう」
「断る…と言ったら?」
「リーナはオレの大切な子…、いや「人」なんだ。何せオレたちは相思相愛の仲で、オレの予定では恋人同士のお付き合いを経て、3年後に結婚することになっているからな」
(えっ!? ウソ…。わたしを助けるための方便? でもそんな事ここで言う?)
「クククッ、ハーハハハハ! 馬鹿かお前は、いい年こいてこんなガキに手を出すってか? ラファールの騎士はとんだロリコン野郎だぜ!」
ゼト少佐が大声で笑いだし、釣られて獣人兵も笑い出した。しかし、村人たちはハラハラしながらレドモンドと少佐たちのやりとりを聞いている。しかし、ルシアは目の前に立つレドモンドの背中に希望の光を見たのだった。
「笑いたきゃ笑え。オレは本気だ。本気でリーナが好きになっちまったんだよ」
「レ、レドモンドさん…」
「おっと、それ以上近づくな。あと1歩でも踏み出したらこの娘を殺す」
「ひっ…」
ゼト少佐は帯剣していたロングソードを抜くとリーナの首筋に当てた。リーナは小さく悲鳴を上げた。しかし、レドモンドは顔色ひとつ変えず、ゆっくりと近づいて行く。
「リーナに1mmでも傷をつけてみろ。てめえら全員地獄に送るぜ」
「…ふざけやがって。お前の浅はかさがどんな結末になるか、よく見るんだな!」
ゼト少佐がリーナの頭上目掛けて剣を振りかぶった。レドモンドは素早く腰ベルトに帯剣していた予備武器のナイフを抜いて投擲した。ナイフは狙い違わず少佐の腕に突き刺さり、少佐を後退させた。その隙に獣人兵との間合いを詰めたレドモンドはリーナを奪い返すと肩口から斜めに斬り裂いた。鉄の鎧を紙のようにやすやすと切断して獣人兵を両断した魔法剣の威力に村人たちは驚いて声も出せない。
「ぐっ…ぬぬぬ。き、貴様…」
「リーナは返してもらったぜ」
レドモンドに抱えられ、顔を見上げたリーナの顔がボーっと赤くなる。
「くそっ…。ここで躓く訳にはいかん。お前たち人質のガキどもとこいつを殺せ! 村人どもを蹂躙しろ!!」
「てめえら、何が目的かわからんが、リーナを、村のみんなを傷つけた報いは受けてもらうぞ! ルシアさん、リーナを頼む!」
レドモンドはリーナをルシアに預けると、今だ捕らえられている子供たちに向かって駆け出した。フルプレートを装着しているにもかかわらず、素早い動きで接近してきたレドモンドに獣人兵は驚愕し、動きを止めてしまった。それが彼らの命取りになる。
「てめえらの血は何色だぁーッ! ヴォルフ様直伝、ラファール剣技の神髄、その身で味わってみろ! うらぁ!!」
日の光を反射して美しく輝く魔法剣ロングソード+8が熊の獣人兵を鎧ごと一刀両断にし、返す刀で狐の獣人兵の胴体を薙ぎ払う。あっという間に一騎当千の屈強な獣人兵が、それも2人同時に倒されたことにゼト少佐は言葉を失った。また、リーナもレドモンドの強さに目を見張っていた。
「な、なんなんだ。アイツは」
「レドモンドさん強い。あれが護衛騎士。本物の騎士というものなんだ。凄い…」
しかし、少佐も数々の死線を潜り抜けて来た猛者である。すぐに気を持ち直すと、残りの兵士たちに指示を出した。
「個々に戦うな。複数で同時にかかれ! 連携して戦うんだ。敵は1人、囲んで一斉に叩き潰せ! お前たちは世界一の強兵、ウルの兵士だ。ウルの兵は何物にも負けん!!」
「ウォオオオオオオオ!」
獣人兵が振り下ろしたハルバードをラウンドシールドで受け止め、ロングソードを下から斬り上げて腕を切断した。両腕を失った獣人兵は悲鳴を上げてたたらを踏む。その獣人兵を止めとばかりに袈裟懸けで切り捨てた。
仲間が切られた事で激高した別の獣人兵がグレートソードを振り上げて襲い掛かってくる。剣と剣が激しくぶつかり、火花を散らしながらせめぎ合う。その隙を見逃さず、別の獣人兵が斬りかかってきたが、そいつの胴体に蹴りを見舞って地面に這いつくばらせた。
「な、なんてヤツだ」
「へん、獣人兵も存外大したことねぇな。巨大芋虫や蛇女の方がよっぽど強くて恐ろしかったぜ。うりゃあ!」
「う、うわ!? がはぁ!」
斬り結んでいた獣人の足を払ってバランスを崩させたところで上段からロングソードを叩き込み、首を刎ね飛ばした。さらに、起き上がろうとしていた獣人兵の背中にロングソードを突き立てて息の根を止めた。
レドモンドの強さに攻撃を逡巡する獣人兵。その間に子供たちに向かって逃げるように叫んだ。
「お前ら、オレがこいつらをやっつける。その間に逃げろ」
「ありがとう、おじちゃん!」
「違う。おじちゃんじゃねぇ。お兄さんだ!」
中学生が小学生を立たせて手をつなぎ、集まった村人の集団に向かって駆け出した。残っている獣人兵が慌てて子供たちに襲い掛かる。
「まずい、逃がすな!」
「キャー!」
「させるかよ!」
「ぐはぁ!」
最後尾を走るメアリに獣人兵が襲い掛かった。恐怖で腰を抜かしたメアリだったが、次の瞬間、ずるりと獣人兵の上半身だけが地面に落ちた。
「大丈夫か、メアリちゃん!」
「う、うん。ありがとう」
「よし、早くいけ!」
「きゃん♡」
メアリを立たせて肉付きの良い尻を叩き、仲間の方に送り出したレドモンドの耳に今度は別の悲鳴が聞こえて来た。見ると、逃げる途中転んで足を痛めたらしいマリーをソルが立たせようとしている。他の子どもたちは上手く逃げ去ったようだ。残るはソルとマリーだけ。その2人に獣人兵が襲い掛かろうとしていた。
「くそ、間に合ってくれよ!」
2人の危機にレドモンドはラウンドシールドを外して獣人兵目掛けて投擲した。ラウンドシールドはフリスビーのように水平に弧を描きながら飛び、マリーを捕まえようとしていた獣人兵の頭に当たって気絶させた。しかし、別の獣人兵がソルを抱えて短剣の鋭い切っ先を喉元に突き当てている。
「武器を捨てろ、捨てねぇとこのガキを殺すぜ」
「武人同士の戦いに人質を取るか。獣人兵は恥っていう言葉を知らんようだな」
「ウルセェ! ようは勝てばいいのよ」
「わかった。置くから、その子を放せ」
レドモンドはロングソードを足元に置いた。
「お、おじちゃん! 俺のことは構わないでこいつらをやっつけて!」
「ウルセェくそガキ! 黙ってろ、ぶっ殺すぞ!」
「やめろ、その子に手を出すな!」
残った獣人兵3名がレドモンドを取り囲んで武器を構える。少し離れた場所では捕らえられたソルが泣きそうな顔でレドモンドの名を叫んでいる。また、遠くからリーナの声も聞こえる。獣人兵はにやにやと卑下た笑みを浮かべて武器を振り上げた。
「ぐわぁ!」
「なんだ!?」
ソルを捕えていた獣人兵が悲鳴を上げた。レドモンドを取り囲んでいた獣人兵が振り返ると、ソルを捕まえていた仲間が巨大な木こり斧で頭をかち割られ、脳みそをまき散らして絶命していた。そして仲間を倒した正体を見て驚いた。なんと、それは身長2mもあるオーガだった。オーガは雷もかくやという大声で叫んだ。
「私の息子を、故郷の村を傷つけた貴様ら、絶対に許さんぞ!」
「う、うわぁ。オーガだ!」
「ひ、怯むな。奴は1人だ。囲んでぶった切れ!」
突然現れたオーガに獣人兵の注意が行ったその隙にレドモンドは足元のロングソードを足で蹴り上げ、空中でつかむとそのまま獣人兵の背中目掛けて振り下ろした。肩口から腰まで斬られた獣人兵は声も立てずに倒れる。倒れた仲間を見て、何が起こったのか理解する間もなく残りの2人も首を刎ねられ、心臓を貫かれて倒れた。
「ユピトさん、助かったぜ」
「遅れてすまん。村の入り口を占拠していた奴らを片付けるのに手間取ってな」
「さて、残るは…」
レドモンドとユピトはゼト少佐を見て唸った。少佐はリーナとルシアを盾にして剣を向けていたのだ。
「ゼト少佐、汚いぞ。それでも軍人かお前!」
「何とでも言え。貴様が現れたのは計算外だった。貴様の強さに俺の計画も無に帰してしまった。だが、俺は負けん。亡きハルワタート様の崇高な目的をこの手で達成するためにはここで終わるわけにはいかん。悪いが、ここで引かせてもらう」
「ハルワタートだと? お前らウルの亡霊か?」
「亡霊? 違うな。我々は再びウルを獣人としての矜持を持った民族として立ち上がらせるための崇高な目的を持った同志の集まりだ」
「ちっ、やっぱり亡霊じゃねぇか。いや、亡霊よりたちが悪いぜ」
「貴様らにはわからんだろうよ。長い歴史を誇るウルが人間世界の軍門に下る惨めさをな」
ゼト少佐は軍服のポケットから球のようなものを取り出すと、上空目掛けて投げ上げた。球は空中で「バーン!」と音を立てて閃光を放ちながら破裂した。
「何の真似だ!」
「建物の中に仲間がいるのでね。撤収の合図をさせていただいた」
「…この野郎」
「フフフ…。ラファールの騎士は口が随分と悪いな。だが、もう会うこともないだろう。この2人は人質として連れて行く。ハハハ、人間の女を我々の性奴隷として使役するのも一興。せめてこのくらいの獲物くらいなくてはな」
「レドモンドさぁーん! 助けてーっ!!」
「リーナ!」




