二人の密偵(前編)
これは、第5章第463話に出てきた、イザヴェル王国の二人の密偵、ジェスとリムのお話です。
「よし、行っていい。次!」
「よろしくおねげぇしますだ…」
ここは獣人国家ウルが魔族の国ラファールと唯一接する街道にある国境の検問所。この街道は狭く、周囲は深い山々に囲まれた険しい山岳路であるのだが、長い国境線を接している帝国との国境は全て封鎖されているため、国外と交易する商人や買い出しのためラファール国やスバルーバル連合諸王国に出かけた人々が行き来するため、街道は相当混雑していた。
「荷物はなんだ?」
「村に運ぶ食料品ですだ。小麦粉、野菜に果物、塩漬け肉などですだ」
「ふむ…。おい、改めろ!」
獣人の警備隊長が書類と通行手形を確認しながら、部下に荷物を改める様に命令した。獣人兵は馬車に積まれた荷物を改め始めた。小麦袋や木箱を開け、不審なものが無いか確認する。持ち主である熊耳のオヤジはハラハラしながら、
「村のモンが待ってる食料だで。手荒に扱わんでくんろ」
と警備兵に声をかけた。警備兵はオヤジの声を無視し、荷車に積まれた数個の大きな樽に手をかけようとした。
「あ、それは…」
「なんだ? 何かあるのか?」
「…いえ何でもないですだ。ただ、開封されると困るんで。肉が悪くなってしまうだでな」
「…怪しいな。何か隠しているのか?」
「めめ、滅相もないですだ…」
不審な眼差しでオヤジを見た警備兵は無言で樽に手をかけ、蓋を開けようとした。その時、警備隊長から声がかかった。
「おい、そっちはもういい。ゲート前が大渋滞になってる。次の番を見てくれ!」
「ハッ! 了解しました!」
「おい、行っていいぞ」
「あんがとさんよ。感謝感激雨あられだっぺ」
通行手形を受け取った熊耳オヤジは馬車を街道沿いに移動させた。国境検問所から大分離れた場所で街道から外れ、林の中に馬車を停止させると、ふたつの樽のふたを開けた。
「もう大丈夫だっぺ」
樽の中から出てきたのは2人の男女。男は懐から金の入った小袋を出すとオヤジの手に乗せた。
「これは約束の礼だ」
「ん。確かに。あと、ここからゼノビアまでは大分距離があるっぺ。馬を1頭連れてくがいいっぺよ」
「助かる。これは馬代だ」
男はピンと指で銀貨を弾いた。オヤジは金を受け取ると「気を付けるんだっぺよ」と言って街道に戻っていった。残された男女はケモ耳ヘアバンドを装着し、ケモ尻尾を尻の上のベルトに結びつけて亜人に変装すると、人間とバレないようにスカーフで眼から下を覆い、フード付きマントを身に纏った。
「行くか」
女の方がこくんと頷いた。男は荷物を馬に載せてから鞍に跨り、女の手を引いて後ろに乗せると街道に出た。街道は荷物を積んだ馬車が列をなしている。男は器用に馬を操って馬車を脇から追い抜いて行った。
「検問はかなり厳しかったわね」
「ああ、危ういところだった」
「帝国との国境は封鎖されたという話だし、いよいよ戦争が始まるのかしら」
「間違いないだろう。出来れば始まる前に任務を遂行したいところだが…」
「そうね。リシャール様には恩があるし、何よりあの黒髪の女が絡んでいるとなれば、必ず成功させなくてはいけないわ」
「だが、ゼノビア王宮に忍び込むのはいかにオレたちでも容易ではない。慎重に慎重を重ねなければ命取りになりかねん」
「わかってる」
「…行くぞ」
この2人はイザヴェル王国王子リシャールの命を受けた密偵で、男はジェス、女はリムといった。2人は元々暗殺ギルドのメンバーで、マルドゥーク公爵に雇われ、グレイス女王とジョゼット王女の命を狙ったが、ユウキとエドモンズ三世に撃退され、処刑されるところをリシャールが自身に仕えることを条件に助命したのだった。
ジェスとリムは極めて自然に、そして目立たないように街道を進む。傍から見ても人間とは思えず、亜人の夫婦にしか見えない。途中、いくつかウル国軍の検問があったが、偽装した通行手形と鼻薬(少額の賄賂)を使い、問題なく通過した。
「こんな街道にも検問とはな」
「そうね。きっと各村々にも警備兵がうようよしてるかも知れないわね」
「目立たないように村は迂回して山道を行くぞ。ゼノビアまでは野宿だ」
「あ~あ、仕方ないか」
ジェスは手綱を操って馬を山道の方に向けさせた。やがて2人の姿は深い森の中に消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ウル国首都ゼノビアに夜の帳が降りる。普段なら賑わう歓楽街も戒厳令が敷かれた今、人っ子ひとり歩く者はおらず、しんと静まり返っている。ウル国民も迫る戦争の足音を敏感に感じ取り、息をひそめて家々に閉じ籠っているのだ。
ゼノビア市の一角、高級住宅街にある大きな屋敷では、主人である熊の亜人がイライラを隠そうともせず、明かりを消した部屋の中をうろうろと歩き回っていた。
「一体ラサラス様とアルテナ姫はどうされているのだ? 帝国からの連絡も途絶えて久しい。ご無事ならよいのだが…」
部屋の主は窓から市内の様子を眺める。
「ハルワタート様はウルの全軍を率いて国境に向かった。いくら邪龍がいようと戦争が始まればウルも大きく傷つく。勝ったとしても世界中の恨みを買い、負ければ国そのものが滅ぶ。大勢の国民が苦しむことになる。止められなかった儂の責任は大きい…」
その時、背後に何かゾッとする気配を感じた。
「国務大臣のシェルタンだな…」
「だっ、誰だ!?」
振り向いたシェルタン大臣の目に、いつの間に侵入したのか2人の人物が立っているのが見えた。
「いつの間に…。何者だお前たち! 武闘派の輩か!? 儂の命を狙いに来たのか!」
「騒がないでもらおう」
2人はフード付きマントを脱ぎ、変装セットをはずして顔に巻いたスカーフを降ろした。その姿を見てシェルタン大臣は驚いた。目の前に現れたのは人間の男女だったからだ。
「人だと。お前たち何者だ」
「名乗る訳にはいかん。ただ、あんたの敵ではないことだけは言っておく」
「…何が目的だ?」
「わたしたちは、ある方の命によりこの国に囚われている帝国の言語学者を救出に来たの。ただ、どこに囚われているかわからない。教えてもらいたい」
「何故、儂に?」
「あんたは穏健派なのだろう? 協力してくれるだろうとラサラス王女から聞いている」
ジェスとリムはウルの情勢に疎かったため、帝国にいるラサラス王女から話を聞くよう、ユウキから紹介状を手渡された。そして、ラサラスに会った二人は帝国の現状と二つの勢力の話を聞き、国務大臣のシェルタンに協力を求めるよう伝えられたのだった。
「ラサラス様からだと!? ラサラス様は、アルテナ様はご無事なのか!?」
「ああ。両名とも帝国に庇護されている」
「そうか、ご無事か…」
「それで、教えてくれるのか、くれないのか、どっちだ」
「…………。誰の命でここに来た?」
「それは言えないわ」
「まあ、そうだろうな…。いいだろう。帝国の女性のいる場所を教える。ただし条件がある」
「条件?」
「そうだ」
ジェスとリムは目線でお互いの意志を確認した後、シェルタン大臣に頷いて見せた。
「アンネマリー女史と同時に国王を救出し、儂共々帝国に亡命させてもらいたい。これが条件だ」
「難しいな…」
「条件を飲まなければ女史の居所は教えられん。それに、儂の協力無くば女史の救出は困難だぞ」
「わかった。条件を飲もう」
「アンネマリーはどこにいるの?」
「王宮の地下牢だ。ただ、相当酷い目に遭わされていると聞いている。必ず助け出してくれ」
「王宮内か…。それだけ分かれば十分だ。行くぞ」
「まあ待て」
部屋を出ようとしたジェスたちを手で抑えた大臣は、顎を手でさすりながら待つように言った。
「戦争前ということもあって、今は王宮の警備が厳重だ。しかも、獣人兵は鼻が利く。忍び込んだところですぐに見つかるぞ」
「…………」
「明日、儂が警備を薄くするよう何かしらの命令を出そう。そうすれば少しは忍び込み易くなるだろう。脱出路も確保しておく」
「助かる」
「それと…」
「?」
「お前たちは臭い。生ゴミが腐ったような臭いがする。これでは獣人兵に見つけてくださいと言っているようなものだ。今夜はここに泊れ。風呂も貸してやる。服は使用人に渡せ、洗濯させてやる。明日の夜までには乾くだろう。いいな」
「あ、ああ…。スマン」
「お風呂入れる!? やった! 結構きつかったのよね」
シェルタンは使用人を呼び出すと色々言いつけた。使用人に連れられて2人が部屋から出て行き、再び1人になる。
「命令したのは帝国の誰かか? まあ、誰でもいい。国王様とラサラス様さえいればウルは救われる。誰だか知らんが、感謝するぞ」
さすがの老獪なシェルタンも、2人がイザヴェル王国の密偵とは想像もつかず、後でそれを知って大いに驚いたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日深夜、ゼノビアの王宮を囲う城壁に沿って疾走するふたつの黒い影、ジェスとリム。2人は無造作に積まれた資材を見つけると、その陰に身を潜ませ、紙片を取り出して月明かりを頼りに目を通し、城壁上に置かれた監視哨の位置と死角を確認する。
「大臣の提供してくれた情報に間違いはないようだな」
「あたしから行くわよ」
リムはベルトからフック付きロープを外すと、手元でくるくる回して城壁の上に投げ上げた。城壁の角にフックが引っ掛かると、リムはぐいぐいと引っ張って固定されたのを確認し、するすると城壁を登り始めた。その間、ジェスは周囲を警戒する。
やがて城壁を登り終えたリムはジェスに登って来るようにハンドサインを送ってきた。ジェスが城壁の上に到着するとリムはフックを外してロープを束ねてベルトに吊り下げた。
「いいわよ」
「…行くぞ」
二人は城壁を飛び降りると中庭の植込みの陰に隠れながら城に接近した。城まであと少しとなった時、複数の足音と話し声がかすかに聞こえてきた。素早く植込みの陰に身を潜ませる。足音は段々近づいて来た。どうやら人数は3人。城の警備兵のようだ。やがて警備兵はジェスとリムの潜む茂みの近くまで来た。二人はそっと短剣を握った。
「しかし、ここだけの話、俺たち前線部隊に編入されなくてラッキーだったな」
「ホントそれな」
「オレなんて嫁さんもらったばかりだぞ。戦争行って死んだ日にゃあ、死んでも死にきれねぇよ」
「俺だってそうよ。やっと子供が生まれたばかりなんだぞ」
「でもまあ、前線行った師団の連中に悪いと思うとこもあるがな…」
「だな…」
そんな話をしながら警備兵は二人に気づかないまま、中庭の向こうに去って行った。リムは警備兵の背中を見ながら小さく呟いた。
「あんな話を聞かされたんじゃ、殺すに殺せないじゃない…」
「オレたちも変わったもんだな。以前は問答無用に殺ってたところだ」
「少しはまともな人間になってきたって事かしら」
「さてな…。目的の入口はあの角の向うだ。行くぞ」
植込みから出て走り出したジェスを追って、リムも闇の中を駆け出すのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
警備兵を物陰に隠れてやり過ごしながら、二人は城壁に沿って進み、角を2つ曲がった先に目的の窓を見つけた。
「あそこね」
「ああ。今は使われていない倉庫の窓だそうだ」
「シェルタン大臣が鍵を外しているハズだけど…」
「ここは信じるしかない。オレが踏み台になる。お前が窓を開けろ」
窓は1m四方の大きさで、地面からの高さは2m近くある。ジェスは壁に手を付いて姿勢を低くするとリムに肩に乗るように言った。リムは跳び箱を飛ぶ要領でジェスの背中に手をかけて跨ると、素早く肩に足をかけて立ち上がった。ジェスは壁に手をついたまま姿勢を戻して、肩車のようにリムを持ち上げた。
「よし、いいわよ。もう少しその姿勢でいて…」
「早くしろ」
「待って…。よし、開いたわ」
跳ね上げ式の窓の狭い隙間からリムはするりと中に入った。倉庫は5m四方の広さで、良く分からないガラクタや木箱が無造作に積み上げられている。リムは木箱のひとつを窓の下に移動させると、その上に乗ってロープを窓の外に下ろした。すぐにぐっとロープが引っ張られ、ジェスが上がってきた。ジェスは窓を潜り抜け、木箱に足を下ろすと窓の外を覗いて周囲を警戒した後、そっと窓を閉じた。月明かりで薄明るい部屋の中で、今後の行動を確かめ合う。
「再確認だ。まずはアンネマリー女史を救出し、この倉庫に匿う」
「この倉庫はいいわね。目立たないし」
「次に国王を救出した後、ここでシェルタン大臣と合流。大臣が教えてくれる脱出ルートを使い、アンネマリー女史を連れて脱出する」
「言葉だけなら簡単なんだけどね」
「王様救出というミッションが加わったせいで、難易度が跳ね上がった。慎重はもちろんだが、時間もかけられん。速やかに任務を行う必要がある」
「今回ばかりは時間は敵ね…」
「そう言う事だ。いくぞ」
ジェスはそっと倉庫の扉を開け、周囲に人気が無い事を確認する。リムに問題ない事を合図すると、明かりが落とされ薄暗い王宮の廊下を音もなく駆け出したのだった。




