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ある少女の物語

 ロディニア王宮の謁見の間。冷たい床に仰向けに倒れたアイリは、自分の胸に手を当てた。漆黒の槍に貫かれた傷から止めどなく血が溢れ、指の間から流れ出て床に血だまりを作って行った。


(わたしは負けたんだ…)


 先ほどまで剣を交えていた相手を見る。黒をベースに色鮮やかな花柄があしらわれたセクシーチャイナドレスの装いに黒のハイヒールを履いたスタイル抜群の女。暗黒の魔女の眷属で高位不死体エルダーゾンビで名を「マヤ」と名乗っていたことを思い出した。その「マヤ」が悲しみを帯びた視線で自分を見下ろしている。


(なんで、そんな悲しそうな目で見るの…。止めてよね、敗者に情けなんて…。それとも哀れみ? そんなの負けた方はどっちだっていいのよ…)


 アイリはマヤから視線を外し、離れた場所で暗黒の魔女と対峙しているマルムト王子を見て心の中で謝罪した。


(王子、わたしの力が及ばず…、すみませんでした…)


 大量出血している事で体温が保てなくなり、急速に生命力が失われて行くのが分かる。


(ああ、わたし…、ここで終わるんだ…。夢、叶わなかったな…)


 アイリの目尻から小さな涙の雫が零れ落ちた。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 わたしには「親」という者がいなかった。いつ生まれたのかもわからない。真冬の大雪の日に教会の前に捨てられていたらしい。だから誕生日も拾われた日にしたのだそうだ。教会のシスターからそう聞かされた。


 その教会には孤児院が併設されており、わたしのように親に捨てられたり、親が死んで身寄りの無くなった子供が育てられていた。ただ、何分教会への寄付でしか成り立たない貧乏孤児院の事、満足に食料を買うお金もなく、服も破れた部分をシスターが直し直し着ているような状態だった。それでも、教会のシスターたちはわたしたちに優しく接してくれ、僅かばかりの食事を与えてくれた。それに、雨露が凌げる「家」があるだけましだと思っていた。


 だけど…


 わたしが10歳になったある日、お天気がいいからとシスターたちが王都の公園にピクニックに連れて行ってくれた。大通りをシスターに連れられて歩いていると、たくさんの親子連れが楽しそうに歩いているのが目についた。大通りを抜けた先の公園に到着するとシスターが自由に遊んでいいと言ったので遊具に向かって駆け出した孤児院の仲間から離れ、気になる場所に行ってみた。そこで目にしたものはわたしにとって衝撃的だった。


(なんて、なんて楽しそうなの?)


 公園の木陰や芝生広場では多くの親子連れがシートを広げてゆっくりと流れる時間を楽しんでおり、優しそうな両親の微笑みに包まれて、お母さんの手作りだろうか、子供たちがお弁当を美味しそうに食べている光景だった。それは自分がどんなに望んでも得られないもの…。


(シスターが、孤児院の子も子供がいない夫婦に引き取られて「親子」になる事があると言ってた。確かにそのような事はあったけど、引き取られるのは生まれたての赤ん坊とか、周りをよく理解できない1~3歳まで。わたしのように大きくなった子は引き取られるなんて絶対にないんだよ。お母さん…か。わたしのお母さんってどんな人だったんだろう。どうしてわたしを捨てたの…。捨てるんだったら生んで欲しくなかったよ…)


「そこのあなた!」


 幸せそうな親子連れが羨ましくなり、その場から離れて公園内をとぼとぼ歩いていると、不意に声をかけられた。目の前に同年代位の身なりの良い男の子と女の子が数人、わたしを取り囲んでニヤニヤ笑っていた。


「あなた、貧民街にある教会孤児院の子でしょう? なんて汚ない恰好なのかしら。服はボロボロ、髪もボサボサ。底辺の子はやはり底辺ですわね。底辺過ぎて笑っちゃいます。オーッホホホ!」

「クスクスクス…」

「オェ~ッ、臭ぇぞコイツ。浮浪者の臭いがする!」

「浮浪者っていうより、濡れた野良犬の臭いよ」

「やーい、野良犬野良犬貧乏にーん!」


(…………) 


「おい、無視すんな!」

「野良犬の癖に生意気よ!」


 如何にも金持ちといった風の少年少女たちは、わたしが無視したのが気に入らなかったのか、いきなり怒り出して突っかかってきた。突然キレるなんて、全員カルシウムが足りないのかしら。干した小魚を食べたほうがいいわよ。


「おい、何とか言えよ野良犬!」

「きゃあっ!?」


 後ろから突き飛ばされて地面にうつ伏せに倒れこんでしまった。誰かがわたしの髪の毛を引っ張り上げた。痛くて声も出せず唸ってると、少年少女たちは暴力を振るってきた。余りの痛みに「止めて」と懇願するが、誰も聞いてくれない。むしろ酷くなる一方だった。


「ど…、どうしてこんなこと…するの?」

「こんなこと? そんなの簡単な理由ですわ。私たちの目に前に転がっているのは人の姿をした薄汚い野良犬ですもの。野良犬をどうしようが私たちの勝手でしょう?」

「ち、違う…。野良犬なんかじゃない…」

「はぁ?」

「わたしだって人間よ。あなたたちと同じ人間よ。わたしとあなたたちの間にどんな差があるっていうの…? 生まれた家や両親がいるかどうが違うだけじゃないの? この世の中に生きる権利があるというのなら、それは全て平等のはずだわ」


「なに言ってんだコイツ」

「意味わかんねぇ」

「野良犬の癖に汚らわしい。平等とは双方対等な位置にいてこそ成り立つ言葉なのですわ」

「コイツの目、気に入らない。やっちゃえ!」


 その後の事はよく覚えてない。気がついたら孤児院のベッドに寝かされていたのだった。側にいたシスターが傷だらけになって倒れていたわたしを見つけ、孤児院に運んだと言っていた。どうしたのかと聞かれたので、心配させると悪いと思い、転んだとだけ言っておいた。ごめんね、シスター。


 シスターが部屋を出て行った後、痛む体を起して窓の外を見た。


「いたた…」


(裕福な家の子と貧しい親無しの子…。同じ人間なのに平等ではない…。どうして?)


 ずっと考えても答えは出ない。


(お金があって、親がいれば子供は幸せになれる。わたしのように野良犬と蔑ませられることもない。だけど、お金を稼げず一生貧乏から抜け出せないと幸せ何て得られないんだ…。お金がなくても幸せは得られるなんてウソだってこと知ってるもの。なら、この底辺より抜け出してやる。そして、わたしをバカにした奴らを見返してやる!)


「そして、あの公園で見た親子連れのように自分の子供と笑いあうんだ!」


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 そのために何をすべきか考えた。考えながら孤児院の庭から外を眺めていると、可愛らしい制服を着た女学生が歩いているのが見えた。あの制服はどこの学校かとシスターに聞くと、王国高等学校の生徒たちだと教えてくれた。


 噂に聞く王国高等学校。ここを優秀な成績で卒業した者は良い職を得られるという。学問なら政府機関に、戦技なら騎士団というふうに。さらに、王立大学や軍事大学への道も開ける。つまり、ここに入学して実力で良い成績を残せれば、人並みの生活ができる。何より、金持ちのバカ共を黙らせることができる。素敵な男の人と出会って結婚して幸せな生活を送ることだって夢ではない…。


 それからの行動は早かった。王国高等学校に入るためにはお金がいる。早速職業斡旋所に登録して、子供でも出来る仕事は何でもした。掃除洗濯子守りなどの家事代行や飲食店の皿洗いだけでなく、どぶさらいから煙突掃除、便所汲みまで何でもやった。当然勉強も疎かにはしなかった。教会には神学だけでなく、歴史や国文、数学、理科、地学等の蔵書があったので、とにかくそれらを読み漁った。

 さらに、空いた時間に木の棒を振って剣術訓練の真似事をした。そんなある日、食堂の皿洗いの仕事を終えたわたしは、夜の暗闇の中、裏通りに面した空き地で日課の素振りを行っていた。


「はっ、はっ、はっ」

「夜遅くにガキがなにしてるんだ?」

「キャッ!?」


 突然かけられた声に振り返ると、酒瓶を持った赤ら顔の中年オヤジが酒臭い息を吐きながらこっちを見ていた。わたしはオヤジを無視してその場を離れようとした。


「まあ、待てよ」


 オヤジは空き地に転がっていた木の棒を拾い上げると、わたしに向けてきた。


「ほら、相手してやるよ。かかってきな」

「……………」


 突然話しかけてきたオヤジに何となくイラついたわたしは、痛い目にあわせようと思いっきり木の棒を叩きつけた。棒はオヤジに命中した…と思った瞬間、カーンといい音がして腕ごと棒が弾かれた。


「…えっ!?」


 と思った瞬間、わたしは地面に倒されていた。一体何が起こったのか訳が分からず混乱してしまう。オヤジは「ヒック」としゃっくりし、酒臭い息を吐きながら悠然とわたしを見下ろしている。


「お前、筋は悪くねぇが基本がてんでなってねぇ。いいか、剣ていうのはこう振るんだ」


 オヤジは剣の型を何通りか見せた。その太刀筋は美しく、とても酔っ払いが振っているとは思えなくて、わたしは思わず見惚れてしまった。オヤジはニヤッと笑うとわたしの体に触れて、剣の振り方を教えてくれた後、「あばよ」と言って去っていった。


(一体、誰だったんだろう)


 それ以来、わたしは仕事が終わると空き地に行って木の棒を剣代わりに素振りをする日々を過ごした。風の日も雨の日も雪の日も…。手の皮が剥け、まめが潰れても布を巻いて素振りをし続けた。また、あのオヤジに出会え無いかなと期待したが、あの日以降、オヤジに会うことはなかった。ただ、何度か不良に絡まれたことがあったが、訓練の成果なのか、簡単に撃退することができた。


 そのような生活を続け、4年が過ぎた。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 働いて稼いだお金の一部は孤児院に寄付し、残りをほぼ全て貯蓄に回した結果、王国高等学校に入学する資金をなんとか確保することができた。入学試験間近となったある雨の日、わたしは朝から王立図書館に来て試験勉強の最後の仕上げをしていた。夕方近くになって一段落したわたしが帰り支度をしていると、少し離れた場所に青い顔をして必死に机に向かっている同年代位の女の子を見かけた。その子は珍しい黒い髪をしていて、女の私から見ても凄い美人で思わず見惚れるほどだった。


(あの子も高等学校の受験者なのかしら)


 何ともなしに見ていると、勉強が苦手のようでかなり苦労している様子だった。本を見ては必死にノートに書き写している。目まぐるしく変わる表情が可笑しくて、思わず笑いが出てしまった。


(くすっ。何だか大変そう。声をかけてみようかな…) 


 黒髪の子に声をかけようとしたとき、身なりの良い別の女の子が彼女に声をかけた。その子はどう見ても貴族か大富豪の子みたいで、過去の事が思い出され、心の中が嫌悪感で満たされてしまった。差し伸べようとした手を引っ込め、そのまま図書館を後にした。雨は弱まることなく降り続いており、頬に当たる雨粒の冷たさがわたしの心を凍らせていくようであった…。


(…友人なんて、いらないわ…)


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 入学試験は筆記と剣術を選択して受験した。そして、合格発表の日…。


(やった! 合格した! しかも、Sクラスだ。よし!)


 わたしは天下の王立高等学校に入学することができた。それも高位成績者だけが入ることができるSクラスにだ(あの黒髪の子はCクラスだったよう。頭悪かったのかな? かわいいのに。まあ、どうでもいい話だけど)。


 クラスに入って席に座って先生が来るのを待っていると、隣に男子生徒が座った。彼は王国第3王子のマルムトと名乗った。この出会いがわたしの運命を大きく変えて行くとは、この時はまだ想像もできなかった。


 席が隣同士だったけど、マルムト様とは必要なこと以外話すことなどなかった。何せ彼は王族、わたしは最底辺の孤児。恐れ多くて話しかけることなんて、とてもできない。しかも、わたしは貴族が大嫌いだったから尚更だ。だけど…。


 たったひとつ気になることがあった。それは、マルムト様の目…。冷たく冷え切った眼差しは人を信じず、近寄らせない孤独な狼のようだった。その一方で、瞳の奥に燃える光は何か強い信念のようなものを感じさせた。少なくともわたしはそう思ったのだった。


 高等学校の1学年上に王国第2王子で王位継承第1位のマクシミリアン様が通われてる事を知ったのは、それから間もなくの事であった。マクシミリアン様は万人に優しく、優れた人格者で男女問わず人気者であった。わたしのクラスでも女子は何かにつけて、マクシミリアン様の噂をしていたけど、わたしはあまり興味がなかったし、顔も好きなタイプでもなかったので、クラスの女子とは距離を置いていた。


(それにしてもおかしい。クラスにはマルムト様もいるのに誰も話題にはしないし、近寄ろうともしない。彼だって結構イケメンと思うのだけどな…。何かあるのかしら?)


 そんな疑問を抱きつつ、ある日の放課後、わたしは校舎裏の人目に付きにくい林の中で日課の素振りを行っていた。


「1人で素振りか?」

「きゃあっ」


 不意に男性に声をかけられ、驚いて思わず悲鳴を上げて木刀を落としてしまった。


「驚かせたか? 君は、隣の席のアイリだったな」


 声をかけてきたのはマルムト様だった。まさか、こんな場所で声をかけられるとは思っても見なかったので、警戒していると彼はフッと笑って木刀を拾って手渡してきた。


「…ありがとう、ございます」


 木刀を受け取ったわたしをマルムト様はじっと見つめてきた。一体、何だろうか。


「手を見せてくれないか?」

「えっ?」

「聞こえなかったのか? 手を見せてくれと言ったのだ」


 訳が分からず、わたしはマルムト様に手を差し出した。彼はわたしの手のひらをじっと見つめた。何年も行ってきた素振りで固くなり、女の子らしくない手だったが、自分の努力の証でもあるので恥ずかしいという気持ちはなかった。


「いい手だ。並の努力ではこうはならない。それに君の目…。赤い瞳の奥に何物にも屈しないという強い決意が見て取れる」

「…………」

「そう警戒しなくてもよい。そうだな、少し私の話をしてもよいか?」

「えっ!? はい」


 マルムト様は自分の家族環境と置かれている立場、今の国政運営に対する不満と自分の考え、そのために目指す目標(野心)について話してくれた。


「なぜ、わたしに話を…?」

「なぜだろうな。私にもわからない。ただ…、クラスメイトと群れることなく、孤高を守る君に何故か私に近いものを感じてね。私の話を聞いてもらいたいと思った。こんな理由ではダメか?」

「いえ。そんなことは…」


 彼の話にわたしは自分自身の心の中で燻る感情と同じものを感じたのも事実だった。彼の瞳に宿る光と思いに強く感銘を受けたわたしは彼の力になってあげたいと思った。そして、いつしかわたしはマルムト様に惹かれていったのだった…。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 視界から急速に光が失われていく。マルムト様は大丈夫なのだろうか…。無事に逃げてくださればよいけど…。


(マルムト様、すみません…。わたしの胎内に宿ったあなたの子を育てることは叶いませんでした…)


 胎内に宿った小さな命の炎が消えた。喉の奥から血の塊がこみあげてくる。ガハッ!と血を吐いた瞬間、私の意識は暗転した。ただ、意識が闇に沈む寸前、一瞬だけ母親になったわたしと、マルムト様に似た可愛い女の子が手をつないで、笑いながらキラキラ光る木漏れ日の中を歩く光景が見えた…。

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