エピソード⑧ 雨と涙と兄妹と
空からポツ、ポツと雨が降って来た。しかし、その場にいる者達は微動だにしない。マクシミリアンをじっと見つめていたエドモンズ三世が口を開いた。
『マクシミリアン。お主もまた戦で深く傷ついた1人。その気持ち、分からなくでもない。しかし、儂の知る者は深く傷つきながらも、それを乗り越えたぞ。だが、お主はどうじゃ、いつまでも引きずりおって、このたわけ! そいで、元々の性質だった優しさまで忘れおったのか、バカモノが! そんなだからフェーちゃんに心配をかけるのだ。兄として情けないと思わんのか。このアホンダラ!!』
「な、なんだ。このアンデッドは? 喋るのか!?」
「この方たちは、お前の良く知る者の眷属であられる。このお方たちはフェーリスと親交を結び、フェーリスこそがこの国の王として相応しいと認め、協力して下さっているのだ」
「俺の…よく知る者?」
「そうです、お兄様。この方々はユウキ様の眷属なのです」
「フェーリス…、貴様…」
『儂はワイトキングのエドモンズ三世。しくよろ』
『吾輩はデュラハンのヴォルフ。常勝将軍のヴォルフだ』
『アルラウネのルピナスよ。よろしく、フェーリスちゃんのお兄さん』
『マクシミリアン、情けないぞ貴様! いいか、艱難辛苦を乗り越えてこそ漢! 貴様には悲しみを乗り越えるという覚悟が足りん!』
『ルピナスのお胸で慰めてもいーよ』
『儂、儂を慰めてくれろ! その巨乳に儂を埋めさせてくれー』
『絶対イヤ♡』
「今、真面目な話をしてるのよ! 止めなさい、このおバカ!」
『す、スマン…』
「マクシミリアン、悪い事は言わん。後事はフェーリスと私に任せろ。お前にはもう無理だ。自分でもわかっているんだろう? もう意地を張るな」
「お兄様。お兄様はお疲れです。先日、お話した際、窓の外を見ていたおられましたよね? その横顔はあまりにも疲れ、寂しそうな顔で、私、胸が詰まる思いでした」
「……………」
「お兄様、ユウキ様を責めてもイングリッド様は帰ってきません。それに、お兄様にはルイーズ様と言う素敵な奥様がいるではないですか。ルイーズ様はいつもお兄様の身を、心を案じておられます。なぜ、お兄様はルイーズ様を頼ろうとしないのです」
「お前に…、何が分かる…」
「私にはお兄様の気持ちは分かりません。でも、お兄様の心が悩み疲れているという事は分かります。お兄様、フェーリスはお兄様を助けたいのです。そして、この国をもっと豊かにしたい。お兄様、どうかフェーリスにお任せ願えませんか…」
「…………」
『マクシミリアンよ。お主の心の中を儂は全て読めている。しかし、儂が話す訳にはいかぬ。お主の言葉で話すがよい。話ができるのは今だけじゃぞ』
雨がパラパラと落ちて来て、マクシミリアン、レウルス、フェーリスの髪の毛を濡らし始める。
「…オレは国王になってから何とか国を立て直そうと、豊かにしようと努力してきたつもりだ。だが、戦争指揮はともかく、政策決定や財政運営、外交の能力はレウルス兄さんに遠く及ばず、気付けば閣議でもオレが意見を出す場は最終決定だけになっていて、閣僚たちからも期待されないことが分かっていたんだ。だから、俺は自分自身を強く相手に見せることで自己の権威を保っていた。最終決定者は誰がなんとあろうと俺自身だと言い聞かせていたんだ。それがストレスになって、自分を追い詰めていたことにも気付いていた…」
「お兄様…」
「それでも、帝国との文化・技術交流を図ることは賛成だった。何なれば俺自ら帝国に赴いても良いと考えていた。だが…」
「暗黒の魔女。この国を破壊し、大勢の国民を殺し、俺の愛する人を殺した女、ユウキ・タカシナが生きていて、帝国皇太子妃になったと知って、忘れかけていたあの記憶が呼び起されてしまった。公式発表では死んだことになっていると、アレは別人に違いないと何度も自分自身に言い聞かせても、心が搔き毟られて苦しかった。この手で殺したくなる衝動が押さえられなくなったんだ。どうしようもなかったんだよ…」
「ユウキが生きている事を知って以降、ベッドに入っても、うなされて飛び起きる事も多くなった。心配したルイーズが声をかけて話しかけてくれたが、俺はそれがうっとおしくて暴力で答えてしまった。彼女には申し訳ない事をしたよ。俺を心配してくれただけだったのに…」
雨が徐々に強くなる。周囲は静まり返り、ザーザーと本降りとなった雨が地面に落ちる音だけが聞こえてくる。マクシミリアンの目尻に光るものが流れた。それは涙か雨粒なのか、フェーリスはきっと前者だろうと思った。
「こんなんじゃ…、こんな気持ちじゃ国王の仕事なんて勤まるわけないよな…。自分でも分かってるんだ。ハハ、情けない。ユウキ君は偉いよ。過去に立ち向かって乗り越えたんだからな…」
「…マクシミリアン」
「分かってるよ、兄さん。王位はフェーリスに譲る。近日中の閣議で皆に話す。ただ、根回しだけはしておいてくれないか?」
「…ああ」
レウルスはマクシミリアンを優しく抱擁し、雨で濡れた頭を撫でる。フェーリスはそっと自分の目に浮かぶ涙を指で拭くと、エドモンズ三世たちに目で合図してその場から立ち去ろうとした。フェーリスたちの背中にマクシミリアンが小さく声をかける。
「エドモンズ殿、あなたの言葉、心に響きました。感謝します」
「ヴォルフ殿、漢なら艱難辛苦を乗り越える力を持て。正にその通りです。俺にはその覚悟も力も無かった。恥ずかしい限りです」
「ルピナスさん。貴女の申し出、有難かった。だが、俺には妻がいるので遠慮いたします。もうこれ以上妻を悲しませたくないのでね」
「フェーリス」
「はい」
「頑張れよ。お前ならいい王になれるだろう」
フェーリスは黙ってマクシミリアンの背中に礼をした。
「エドモンズ殿、最後に一つ」
『なんじゃな』
「魔女戦争でユウキ君に対しての対応、俺は間違っているとは思ってません。あの時、国を守るためにはあれが最善だと思ったからです。ただ、ユウキ君の心に真摯に向き合わなかったのは間違っていた。だから…」
『マクシミリアン。もう終わった事じゃ。儂は当事者ではないので、お主の判断に対し何も言う事は出来んし、ユウキもお主の謝罪など求めておらん。後は今後の自分の身の振り方と、奥方と子の幸せだけを考えればよい。ではな、さらばじゃ』
「…お心遣い、ありがとうございます」
フェーリスとエドモンズ三世、ヴォルフ、ルピナスは林の中に消えて行った。マクシミリアンはレウルスの胸に顔を埋めた。
「やっぱり、お前は自慢の弟だったよ」
「兄さん…。兄さん、にいさーん、うわあああああっ! うぁああああっ!!」
「泣け、思い切り泣くんだ。今までの苦しみを涙と共に流してしまえ」
「うわあああああーっ!!」
大声で泣くマクシミリアンをレウルスはずっと抱き続けた。弟の辛さ、悲しみを初めて知り、それに思い至らなかった自分を恥じた。いつしか自身の目からも大粒の涙が零れ、降り続く雨と混ざって顔を濡らしていった。
林の中を歩いていたフェーリスは雨音に混じって兄の泣き声を聞き、その声に堪えきれなくなって大声で泣き出した。人型モードにチェンジしたルピナスがギュッとフェーリスを抱きしめた。エドモンズ三世とヴォルフは泣きながら震える小さな体を優しく撫でてあげるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
兄妹の話し合い後、雨に当たったせいで3人は熱を出してしまったが、エドモンズ三世の治癒魔法で直ぐに全快した。
さらに数日後の閣僚会議の席上でマクシミリアンは心身の不調により、このまま王として仕事を続けることができないと退位する意向を示し、後継者にフェーリス王女を指名した。宰相レウルスが事前に根回ししていたこともあり、特に異論もなく、フェーリスが王位に就くことが認められた。
王位継承及び戴冠式は半年後の気候の良い初秋に決まり、それに向けた打ち合わせやドレスの新調など行う事が多くなるとレウルスから説明され、既に頭が痛いフェーリスだった。ただ、嬉しい事もあって、戴冠式には帝国皇太子夫妻も招こうとレウルスが言ってくれ、ユウキに会えるかも知れないと思うと、それだけで頑張れるのだった。
ある休日、王宮を抜け出したフェーリスは、リースの家に遊びに来ていた。
「いいんですか? 次期国王が城を抜け出してこんな所に来て」
「いいのよ、万事レウルス兄様に任せとけば。なんせ言い出しっぺは兄様なんだから」
「そう言えば、マクシミリアン様はどうなされたのです?」
「うん。ハウメアー市の王室別荘を改築して、そこに移り住むことになったわ。あそこには広い王室農場もあるから、今から何を作ろうかって楽しみにしているみたい。ルイーズ様も昔のお兄様に戻ったって、とても嬉しそうだった」
「良かったですね♡」
「ホントよ。でも、悩みもあって…」
「悩みですか? 胸がどうしても大きくならないとか? それは仕方のない事では」
「違うわよ! 悩みってのは、あのド変態の双璧の事よ!」
「ああ…」
「ルピナスちゃんはいいんだけどね…。ルピナスちゃんは」
果たし合いのためにエドモンズ三世とヴォルフ、ルピナスを預かったはいいが、帰す手段が無い事に今更ながら気づき、レウルスと話し合った結果、戴冠式にユウキが来るまで預かることになったのだった(来ない場合は帝国の出席者に預ける予定)。結局、自由になった3体の魔物は真理のペンデレートをフェーリスから奪い、常時出ずっぱりで王城の中を闊歩しまくり、城で働く人や所用で王宮に訪れた人たちを驚かせたり、メイドさんや女性職員の3サイズや秘密の性癖、恋心などを暴きに暴き、泣かせまくって迷惑をかけ通しなのだった。苦情と抗議は当然フェーリスやレウルスに行くのだが、恩もあるので強くを言えず困惑しまくり。
ただ、ルピナスは王宮庭園の花々と楽しく遊び、アルラウネの力で花々もいつも以上に美しく咲き乱れたことから、庭師や訪れた人々に感動を与え、大人気となって庭園は大勢の見物客でに賑わっていた(アルラウネ大好きルミエルが、ニーナとともにルピナスと見物客の間に入って威嚇するため、ルピナスに実害がなく助かっていた)。
なお、フェーリスがアルラウネの蜜をルピナスからこっそり採取し、王都のスイーツショップに高額で売りさばき、大金を稼いでほくそ笑んでいたのは秘密だ。
「あのド変態ども、「儂らはフェーリスちゃんを守る義務がある」とか何とか言ってさ、私の後ろに常について歩くから、お城で働く人たちがビビっちゃって、私、陰で「アンデッドマスター」とか呼ばれてんのよ。なによ、私はなんらたモンスター使いじゃありませんっての。しかも、2人とも忠誠の証だとか言って、私のお気に入りのパンツを被って歩いてんのよ。もう最悪よ」
「ゼクス(軍務大臣)や警備兵は渋い顔するし、親衛隊の女性兵は逃げ出すし、ビッグス(第1騎士団長)やユーリカさん、オプティムス侯爵様(財務大臣)も笑ってからかってくるし。それに、明日から久しぶりに学校に行く(王位継承問題で休んでいた)のに、あいつらついてきたらどうしようと思うと、不安しかないわよ」
「それは酷い。あ、でも…(ピコーン! いいこと思いついた!)」
「フェーリス様、私急用を思い出しました。ちょっと出かけますね!」
「あ、リースちゃん。私はどうするのよ!?」
「シャルロット義姉さまとお茶でもしててくださーい!」
「リースちゃん! 行っちゃった…。仕方ない、シャルロット様とお茶でもしようかな。お時間大丈夫かしら」
しかし、この時リースを追いかけなかった事を、フェーリスは深く後悔するのだった。




