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廃嫡姫の夢⑦

「うぎゃああっ! いてぇ、いてぇよう!」

「しっかりして! 傷はそんなに深くないわ」

「プリム、あたしが体を押さえるから、傷の方をお願い」

「わかったわ」


 腕に刀傷を受け、喚き散らす男性の体をシトリが押さえている間に、傷に酒精をかけて消毒して清潔な布で血を拭き取り、血止めの薬を塗ってガーゼを被せ、その上から包帯を巻く。このような光景が公民館の中でいくつも繰り広げられていた。


(これで何人目なの…)


 公民館には次から次と怪我人が運ばれてきて傷の治療を受けている。今のところ死者はいないが、明らかに重症な人もいて、シャロンとシスターが付きっきりで治療を行ってる。このため、軽症者は動員された女たちが対応していた。しかし、怪我人は多く、プルメリアやシトリは休む間もなく治療を続けていた。


「プリム、食料品店のおかみさんが…」

「えっ…」


 次の怪我人を治療しようとしていたプルメリアをシトリが呼び止めた。振り向くと青い顔をしたおかみさんがいた。


「おかみさん? どうしたの?」

「プ…、プリムちゃん。ナナミ…、ナナミちゃんが…」

「ナナミがどうしたの!?」


「ごめんよ、プリムちゃん! あたしがちょっと目を離した隙にナナミちゃんがいなくなってしまったんだよ」

「何ですって!」


 近くで話を聞いていた村の女性達がざわざわし始めた。おかみさんが言うには、子供たちに何か食べさせるため、荷物を取りに少し離れた、ほんの数分の間に姿が見えなくなってしまったとの事だった。


「プリムちゃん、本当にごめんなさい。あたしが油断したせいで…」

「ナ、ナナミはどこにいったのかしら…」

「それが、家の子供は外に出たのを見たっていうんだよ」

「外に!?」

「あたしも直ぐに外に出てみたんだけど、姿は見えなくて…。どうしよう。ナナミちゃんにもしものことがあったら、あたしはスバルにどう顔向けしたらいいんだよ…」


(外…、どうして外なんかに…。何か気になる事でもあったんだろうか…。思い出せプルメリア。ナナミとの会話で何かなかったの? あ、そういえばナナミは随分とヤギを気にしていたっけ。ま、まさか、ヤギを見に行ったの!?)


「おかみさん、シトリ。ナナミの行き先が分かったわ!」

「えっ!?」

「きっと家に戻ったんだわ。ナナミ、家のヤギの事、随分と気にしていたから」

「ヤギ!?」

「うん。わたし、ナナミを連れ戻してくる!」

「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


 シトリが止めるのも聞かずプルメリアは公民館から出た。広場では村人たちがゴブリンと戦っていて、剣戟の音は一層激しさを増している。プルメリアはゴブリンに見つからないように、物陰に隠れながらバリケードを乗り越え、スバルの家に続く細い1本道を駆け出した。


(ナナミ…お願い、無事でいて)


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 公民館の中で、シトリやおかみさんがどうしようかと話し合っていた時、バーンと勢いよく扉が開けられ、怪我をしたウォーレンを抱えたスバルとミッキーが入って来た。


「ウォーレンがやられた! 治療を頼む!」

「くそったれのゴブ公が。こんなの痛くも何ともねえぞ、離せ、ぶっ殺してやる!」

「落ち着けウォーレン!」


「ウォーレン!? スバル、ミッキー、あそこのベッドにウォーレンを寝かせて。おかみさん、治療を手伝ってください」

「ああ、任せな」


 スバルとミッキーがウォーレンを寝かせていると、シトリが顔を曇らせてスバルに声をかけた。


「スバル…、ナナミちゃんとプリムちゃんが…」

「どうした、何かあったのか」

「うん。ナナミちゃん、飼ってるヤギが無事か見に行ったらしくて、プリムちゃんが追いかけて行ったの…」

「なんだって!? いつだ!」

「10分くらい前…」

「くそ、なんてこった…」


「おい、スバル。マズいんじゃないか。もし、ゴブリンに見つかったら…」

「………………」


 スバルはギリッと奥歯を食いしばった。ナナミとプリムがゴブリンに蹂躙される…。その光景を想像しただけで背筋が凍り付く感覚に襲われる。スバルはハルバードを手にすると公民館を飛び出した。


「おい、スバル待て! 俺も行く!」


 飛び出したスバルを追ってミッキーも槍を取って公民館から出て行った。シトリはスバルとミッキーを見送ると、全員の無事を祈りながらウォーレンの治療に取り掛かるのであった。


「待てよスバル!」

「放せ、ナナミとプリムが危ねぇんだ!」

「落ち着け、バリケードの外はゴブリンだらけだ。見つかって囲まれたら、助けられる者も助けられられねぇぞ」

「くっ…」

「スバル、何も助けに行かねぇって訳じゃねぇんだ。慎重に行こうって話だ」

「…そうだな。わりぃ、気が動転して焦っちまった」

「ああ、まずはバリケードを超えようぜ。ただし、慎重にだ」


 スバルとミッキーがバリケードに手を掛けようとした時、背後から声が掛けられた。驚いた2人が振り返ると軍服を着て帽子を被った女兵士がこっちを見ている。


「あなたたち、どこに行こうって言うの。バリケードの向こうにはゴブリンがうようよいるのよ。広場に戻りなさい」

「そんなの知ってる。だから行くんだよ!」

「はぁ!? なに言ってるの。殺されるだけよ、バカなの?」

「バカで結構。オレの妹と大切な人が、ここから出て行ってしまったらしいんだ。だから連れ戻しに行く」

「そういうこった。じゃあな、女兵士さん」


 そう言うが早いか、スバルとミッキーはバリケードを乗り越えて行った。その後を女兵士も慌てて追う。


「もう! 待ちなさいよ、待てったら!」

「なんなんだ、着いてくるなよ」

「そうもいかないでしょ」

「まあまあ、スバル。手は多い方がいい。それに彼女は軍人だ。頼りになると思うぞ。俺はミッキー、こいつはスバル」

「私はシルディ。レードン軍の見習い士官よ」

「なんだ、見習いかよ」

「なんだってなによ、なんだって!」

「騒ぐなよ。ゴブリンに見つかるぞ」

「むう…」


 闇の中を走るスバルとミッキー。頬を膨らませながら2人を追いかけるシルディ。しかし、プルメリアの姿は見えない。不安ばかりがスバルの胸を支配する。


(プリム、ナナミ。頼む、無事でいてくれ…)


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「はあ、はあ、はあ…。つ、着いた…」


 何とかゴブリンに見つからずに家まで辿り着いたプルメリアは、息を整えると周囲を確認した。家は破損した様子はなく、周囲にゴブリンの足跡は見られない。どうやらゴブリンはここには来ていないようで少し安堵する。しかし、闇の奥から耳障りな鳴き声が聞こえてくる。それほど離れていない場所にゴブリン達はいるようだ。何としてもナナミを見つけなければ…。プルメリアは焦った。


「ナナミは家畜小屋にいるはず。行ってみよう」


 家の裏に回って家畜小屋の方に行くと、小屋の出入り口の前で1人の女の子が体育座りで蹲っていた。一瞬ゴブリンにやられたのかと思ってドキッとしたが、そうでない事がわかって安心する。


「ナナミ!」

「…プリムちゃん…」

「無事なの!? ああ…良かったぁ~。もう、危ないじゃないの。心配したのよ!」

「…ごめんなさい…。でも、どうしてもユキちゃんと赤ちゃんが心配で…」

「ナナミ…」

「でも、出入り口の戸にカギがかかっていて、入れないの。あたし、頑張って開けようとしたんだけど、無理で…どうしようもなくなって…。ぐすっ…」


 出入り口の戸には大きな南京錠が掛けられている。ゴブリンの侵入を防ぐため、特に頑丈な鍵を閉めたのだ。


「カギはわたしが持っている。開けてあげるから、ヤギが無事なのを確認したらすぐに逃げるわよ」

「…プリムちゃん」


 プルメリアは腰ベルトに着けていたウェストポーチから鍵束を取り出し、1つの鍵を選ぶと南京錠にはめ込んだ。ガチャリと音がして鍵が開いた。


「ナナミ、鍵が開いたわ」

「ありがとう、プリムちゃん」


 出入り口の戸を開いてナナミが中に入った。ヤギは全頭無事で餌として与えていた干し草をもぐもぐと食べている。ナナミはホッとしてユキちゃんの頭を抱きしめた。


「…よかったぁ。みんな無事で。ユキちゃん、よかったよぉ~」

「ナナミ、戻るわよ。早く!」

「う、うん。ユキちゃん、みんな。また戻ってくるからね。大人しくしてるんだよ」


 ナナミはユキちゃんの頭をポンポンすると、出入り口の戸に駆け寄って、驚いた表情で立ち止まってしまった。


「どうしたの、ナナミ。早く小屋から出て」

「…あ、あ…ああ…」


 言葉にならない声を上げて、ナナミがプルメリアの背後を指さした。プルメリアは訝しげに後ろを振り向いて驚愕した。


「ゴ…、ゴブリン…」


 いつの間にかゴブリンの群れが音も無くプルメリアの背後に迫っていたのだった。距離はもう20mもない。


(まずい…。きっと女の匂いを感じて寄って来たんだ。ナナミだけは助けなきゃ…)


 プルメリアはナナミをどんと突き飛ばして小屋の中に押し込むと、出入り口の戸を閉めて南京錠を掛けた。内側からどんどんと戸を叩く音と、ナナミの悲痛な声が上がる。


「プリムちゃん、プリムちゃん! どうして一緒に入らないの!? このままじゃプリムちゃんが食べられちゃうよ! そんなのヤダ! プリムちゃんが死んじゃうのヤダ! 早く、早く中に入ってよぉ~!」

「ナナミ…。わたしも小屋に入ったらゴブリンどもは小屋を壊しにかかるわ。そうしたら、わたしも、ナナミも、ヤギも全部殺されてしまう。ううん…わたしやナナミは死ぬより辛い目に遭わされるかも…。だから、ここはわたしがこいつらを引き付けるわ。必ず守ってあげるからね、ナナミ」

「そ、そんなぁ~。プリムちゃん、逃げて! 逃げてよぉー、死んじゃダメだよぉ~」

「ナナミ、今までありがとう。一緒に暮らしてきてとても楽しかった…。スバルにはごめんねって言っておいてくれないかな…」

「ダメ、死んじゃダメだよおー、プリムちゃーん。うわああああっ!」


 出入り口の向こうから、戸を叩く音とナナミの泣き声が聞こえてくる。プルメリアは心の中でもう一度ナナミに謝ると、ゴブリンの群れに向かい合った。


(…これはきっと罰だ。この世界の人々を…、優しい人たちを危機に陥れたわたしに、神様が課した罰なんだ…。わたしはどうなってもいい。でも、ナナミだけは助けなきゃいけない。それがせめてもの罪滅ぼし…)


 数十頭にもなるゴブリンの群れがじりじりと近づいて来る。人間の女という最上の獲物を前にして興奮が隠せないようだ。


(武器はない…。持っていたとしても使えない…。使えるのは風魔法のみ。それも初級中級程度…。セラフィーナやラピスのような最上級の攻撃魔法は使えない。悔しいけれど、彼女たちには終ぞ敵わなかった…)


「でも、わたしにはこれしかない!」


 プルメリアが叫ぶと同時に、群れの先頭にいたゴブリンが短剣を振り上げて襲い掛かってきた! プルメリアは精一杯の魔力を振り絞って魔法を放つ。


「ウィンドカッター!」


 真空の刃がゴブリンを捉え、ズタズタに切り刻んだ。ゴブリンは絶叫しながら地面に転がる。それを見た他のゴブリンが数頭まとまって飛びかかって来た。大切な人を守る戦いにプルメリアは生まれて初めて身を投じるのだった。

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