廃嫡姫の夢⑥
「マズいぞ…。あの村には兵士の1人も冒険者もいない。村人だけでは対抗しきれない。くそ、ゴブリンどもの恰好の餌場になるぞ…。しかも、日が大分傾いている。夜はヤツらの時間だ…」
「ど、どうしてそれほど多くのゴブリンが…」
「半年ほど前、ウルと大陸国家連合軍の戦争があったろう。その時、ウル側は100万単位の魔物を使役したという。ほとんどの魔物は討伐されたが、一部は逃れて大陸中に散ったそうだ。各国は魔物の群れを見つけては掃討戦を展開しているが、追いついていないのが現状だ」
「それが、この国にも流れて来たと…」
「そうだ。そして極めて不味い状況になっている。もし、村の女どもが捕まってゴブリンの子袋なんかにされたら、一気に数が増えるぞ。何としても阻止しなければならん!」
「徴税官、君はこのまま輸送任務に着け。兵の半分を与える。レードンに到着したら私の名で軍の派遣を要請するんだ。伝令兵、君は先行して村に知らせろ! あとの者は私に続け、村に戻る!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あ~、美味かったな。プリムの料理は最高だぜ!」
「ほんとだね~。料理洗濯掃除は完璧、しかも器量良しときた。あたしもプリムちゃんみたいになれればいいな~」
「無理だろ」
「お兄ちゃん、ひどい~」
「くすくすくす…」
「プリムちゃんまで笑う~」
「ご、ゴメン…」
ぷんすか怒るナナミを見てプルメリアは笑いながらテーブルの食器を片づけ始め、スバルは風呂を沸かすため立ち上がった。その時…。
カンカンカンカンカン! カンカンカンカンカン!
村の鐘楼の鐘が甲高い音を立てて村中に鳴り響いた!
「一体なんだ!?」
「何か起こったのかしら」
「お兄ちゃん…」
「とにかく何かがあったのは間違いねぇ! 役場前に行ってみようぜ!」
スバルは不安そうな顔のナナミの手を取り家を出た。プルメリアもしっかり戸締りをして後を追った。走りながらプルメリアは空を見上げた。空は厚い雲が覆っていて月も星も見えない。闇に包まれる村に不気味な気配を感じ、心がざわざわするのだった。
スバルとナナミ、そしてプルメリアが役場前の広場に到着すると既に村の住人全員が集まっていた。誰もが不安そうな顔をして何事かと話している。スバルを見つけた友人たちが近寄ってきた。
「スバル、来たか」
「プリムちゃん、ナナミちゃん!」
「ミッキーとシトリか。いったい何事だ、これは?」
「わかんねぇ。なんだろうな」
「怖いわね。プリムちゃん一緒にいようね」
「…うん」
「お兄ちゃん、村長さんが話をするみたいだよ」
ナナミが指差した方を見ると、並べた箱に乗った村長のレオンが現れた。村人は一斉に静まり返る。レオンは村人全員が揃ったのを確認すると、大きな声で話し出した。
「みんな聞け! 詳しい説明はしねえ。事実だけを話す。今、この村にゴブリンの群れが南から迫っている。数はおよそ300。あと1時間もすれば村に着く」
ゴブリンと聞いて村人が動揺し、女たちから悲鳴が上がる。ナナミはスバルにしがみ付き、シトリは真っ青な顔をしてガタガタ震えている。プルメリアもまた呆然としていた。
(い…いったいなぜゴブリンの群れが…。ま、まさか、あの戦争の影響!? そしたら、わ…わたしのせい…なの?)
レオンが話を続ける。
「皆落ち着け、聖王国のグリフィン王子が10名の兵を率いて到着された。それに、レードン軍に兵を出してもらうよう依頼済みとの事だ!」
「10名の兵で300のゴブリンに勝てる訳ねえじゃねえか!」
「そうよ、軍が来るまでに私たち、ゴブリンに食べられちゃうわ!」
村人たちから悲痛な声が上がり、喧騒が酷くなった。
「静かにしろお前ら! 騒げば物事が解決するってのか! オレの話をよく聞け、軍が来るまでには半日、いや1日はかかるだろう。何もしなけりゃこの村はゴブリンに蹂躙されて、男は食われ、女はゴブリンに犯されて子を産む道具にされてしまう」
「じゃあどうするんだ! 逃げるのか!?」
「今から逃げる余裕はない。だから戦うんだ!」
「た、戦う…だと…」
「そうだ、戦うんだ。村や家族を守るにはそれしかない!」
村長が箱から降りて、今度はグリフィン王子が立った。
「いいか、この中央広場で奴らを迎え撃つ。広場に繋がる道は全てバリケードで塞げ。軍が来るまで迎撃戦を展開し、守りに徹するんだ。指揮は私が取る。若い男は武器を取れ、年寄りは家具や木材を持ち寄ってバリケードを作れ。女たちは全員教会に避難しろ!」
村役場の職員が剣や槍、長柄斧が入った箱をいくつも運んできた。非常時にと用意してきたものだが、今初めて使われる時が来たのだ。グリフィン王子がもう一度檄を飛ばすが武器を手にしようとするものはいない。
「オレは戦うぜ。プリム、ナナミを頼む」
「スバル。危ないわ、ゴブリンは狡猾で恐ろしい魔物なのよ。あなたに何かあったら…」
「だからだよ。そんな魔物にプリムやナナミを襲わせる訳にはいかねぇ。オレは2人を守りたいんだ。だから行くよ」
「スバル…」
スバルが武器が入った箱に近づいてハルバードを手にした。ミッキーやウォーレンも頷き合うと箱から武器を取り出した。それを見た男たちも次々に箱から武器を手にした。その数100人。ちょっとした中隊規模になった。また、その他の村人たちはバリケードを作るため、家の家具を持ち出したり、材木として切り出していた丸太を運んだり、それでも足りないため、役場倉庫の荷物を持ち出し、さらには倉庫を破壊し始めた。
一方、女たちは全員教会の中に押し込まれた。広い教会内も200人以上入ると狭く感じる。プルメリアとナナミ、シトリは隅の方で不安に押し潰されそうになっていると、教会の扉を開けて医者のシャロンが入ってきて、女たちに向かって声を上げた。
「公民館を臨時の野戦病院にするよ! 教会の机をベッドにするから、皆で運び出してちょうだい。急いで!」
女たちはシャロンの指示通り公民館に机を運び、カーテンをシーツ代わりにして机にかぶせる。作業が終わると公民館に看護の手伝いをする数名のシスターを残し、プルメリアたち女と子供は教会に戻った。全ての作業が終わって間もなく、ギャアギャアと耳障りな鳴き声が聞こえて来た。プルメリアにしがみ付くナナミの力が強くなる。プルメリアはナナミに優しく声を掛けた。
「大丈夫だよ。スバルが守ってくれるから」
「うん…」
プルメリアは教会の窓から外を眺めた。グリフィン王子の指示で男たちが配置に着くのが見えた。ぎゅっと胸の前で手を組んだプルメリアはスバルの無事を神様に祈るのだった。
(スバル…気を付けてね。絶対に死なないで…)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中央広場に気味の悪い声を上げながらゴブリンの第1波が押し寄せて来た。しかし、バリケードが効果を発揮し、集団での突入を防ぎ、散発的にしか侵入してこない。村人たちは入り込んだゴブリンを複数で取り囲んで倒していく。最初は優勢に戦いを進め、村人たちの士気も上がるが、パワーのあるホブゴブリンが進み出て、バリケードの薄い部分を破壊すると、形勢は一気に苦しくなった。
ゴブリンは破壊された部分から強引に突入してくると、数に物を言わせて村人1人に対し数頭で襲いかかって来た。パニックになった村人は抵抗らしい抵抗も出来ず小剣で斬り付けられて悲鳴を上げる。
『ギャギャギャッ!』
「た、助けてくれ~っ!」
「待ってろ、今助ける!」
傷を負った村人に襲い掛かろうとしたゴブリン目掛けてスバルはハルバードを振り回した。ザシュッと肉が引き千切られる嫌な音がしてゴブリンの首が飛び、胴体が地面に倒れた。続けて襲ってきたゴブリンも頭から両断して倒した。
「はぁはぁはぁ。ぐっ…はぁはぁ…。だ、大丈夫か…」
「助かった…。スバルありがとよ」
「スバル、危ない!」
「うぁ!?」
危険を知らせる声にスバルが振り向くと、ゴブリンが短剣を振り上げて襲い掛かって来るところだった。
(ヤバい、殺られる! プリム…)
「うぉりゃあああっ!」
『ギャヒッ!』
スバルに襲い掛かったゴブリンの胸に、繰り出された槍が突き刺さり、汚い悲鳴を上げてゴブリンは仰向けに倒れた。
「大丈夫かスバル」
「あ…ああ、助かったよ。ミッキー」
「プリムちゃんを嫁にするまで死ねねえだろ。しっかりしろ!」
「あっ、ミッキー! 後ろだ!!」
今度はミッキーにゴブリンが襲い掛かってきた。スバルを起こそうと手を伸ばしていたため、対処ができない。そこに奇声を上げてウォーレンが突っ込んできた。
「ヒャッハァー! シトリ好きだぁあああっ。この戦いが終わったら結婚を申し込むぞーっ!!」
愛を叫びながら長柄斧をぶん回し、ミッキーに襲いかかろうとしたゴブリンの胴体を両断し、吹っ飛ばした。
「助かったぜ、ウォーレン。だが…」
「フラグを立てんじゃねーよ」
「ふん、オレはフラグには負けん!」
「そーかよ…」
「おい、それよか、あれ見て見ろよ。すげぇぞ」
ミッキーが顎で示した方を見ると崩されたバリケードから侵入したゴブリンを物凄い勢いで屠っている3人の人物がいた。
「ふんぬっ!」
「…死ね、下郎」
「オラオラオラオラオラオラッ!」
重量のある大型長柄斧を軽々と振り回し、ゴブリンを斬り裂く髭面筋肉マッチョの村長レオン。グレートソードを小型剣のように自在に操り、絶対零度の冷徹な眼差しでゴブリンの首を次々と刎ねて行く食料品店のハゲ親父ボース。ゴブリンの間を高速で動き回り、パンチキックでゴブリンを叩き潰す、雑貨屋の不気味ババア。その圧倒的戦闘力にスバルたちは驚いた。
「なんだよ、ありゃ…。戦闘民族か?」
「君たち知らないのか?」
声をかけて来たのは村役場の男性職員。手にした槍や服はゴブリンの血で真っ赤に染まっている。
「村長は元レードン軍の100人隊長で「レードンの狂犬」と呼ばれた猛者だぞ。食料品店のオッサンは元Aクラス冒険者で「死神ボース」の二つ名があったらしい。今は波平頭のスケベオヤジだがな。雑貨屋のババアは知らん」
「なんだよそれ。全然知らんかった…」
「それより君たち手伝ってくれ。あの3人がゴブリンを抑えている内にバリケードを修復するんだ。手の空いてる人も手伝ってくれ!」
「わかった!」
役場職員の男性の指示に従って、スバルたちは丸太や端材の運び出しにかかった。バリケードを修復しながら様子を見るが、ゴブリンは数にモノを言わせて次から次とバリケードを乗り越えて襲い掛かって来る。そして、ついにはバリケードそのものが役に立たなくなってしまった。スバルたちは修復を諦め、再び武器を取ってゴブリンと戦い始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、教会の中で外の様子を窓から伺う女性たちは、外で戦う村の男たちとゴブリンの叫び声や金属がぶつかり合う音を聞いて、皆一様に怯えた顔をしていた。プルメリアはシトリと教会内に置かれている神様の像に村人たちの無事を祈っていたが、急にナナミが不安そうな顔で話しかけてきた。
「ねえプリムちゃん」
「なに?」
「家のヤギさんたち、大丈夫かな…」
「どうしたの、突然…」
「大丈夫かな…?」
「一応、家畜小屋に入れて戸締りしてきたから、大丈夫だと思うけど…」
「ゴブリンってヤギも食べる?」
「そうね…。アイツらにとって家畜も人間もただの食料。見つかったら食べられてしまうかも知れないわね」
「ユキちゃん、心配だな」
「ユキちゃん?」
「うん。お腹の中に赤ちゃんがいるヤギさん」
「ああ…、あの子。きっと大丈夫よ。小屋の窓も扉もしっかり閉めてきたし、この騒ぎが収まったらきっと会えるわ。だから、わたしたちはここで大人しくしていましょうね」
「…うん。わかった…」
プルメリアはナナミをしっかりと抱きしめた。小さな肩が震えているのを感じる。自分自身も怖くて仕方ないだろうに、ヤギの心配もするなんて、なんて優しい子だろうとプルメリアは思った。そして、早くこの戦いが終わってほしいと願うのだったが…。
「怪我人が多くて、看護してくれる人が少ないの! 誰か手伝って!」
教会の裏口から息を切らせた年配のシスターが教会内に飛び込んできた。見ると怪我人の血で服も手も真っ赤に染まっている。プルメリアはシトリに声をかけて立ち上がった。
「わたし、手伝います!」
「あたしも!」
プルメリアを始め、10人ほどの若い女性が手を上げた。シスターは感謝の言葉を述べ、直ぐに公民館に来てほしいと言った。プルメリアは居合わせた食料品店のおかみさんにナナミを預けると、頭にポンと手を置いた。
「ナナミ、わたし怪我人の看護を手伝ってくるわ。ここで大人しくしてるのよ」
「…わかった」
「おかみさん、ナナミをお願いします」
「ああ、うちの子たちと一緒に見ているから、早く行っておいで」
「ありがとう、おかみさん。ナナミ、行ってくるわね」
プルメリアはシトリや他の女性たちと一緒に教会を出た。外に出ると村を襲ってきたゴブリンの耳障りな声や村を守るために戦う男たちの怒号と悲鳴が聞こえて来た。長い夜はまだ始まったばかりだった。
 




