廃嫡姫の夢②
「うん、もう足の傷は大丈夫ね。ほとんど跡も残さずに治ってよかったわ。栄養も摂れて顔色も良くなったし、体もふっくらしてきた。もう起き上がってもいいわよ」
「……ありがとう」
「じゃあ、あたしは帰るわね。お代は銀貨1枚だけど、ま、いつも通り現物でもいいわ」
「朝からわりぃな、シャロン先生」
にかッと笑ったスバルに見送られて、医者のシャロンはひらひらと手を振って出て行った。入れ代わりにナナミが服を持って部屋に入って来た。
「プリムちゃん、服を持ってきたよ。服は死んだお母さんのなの。これしかないからなんだけど、いいかな?」
「問題ないわ」
「じゃ、着替えよ。さ、お兄ちゃんは出てって!」
「お、おい!? 押すな、出て行くから押すなって」
スバルが出て行った後、ナナミから受け取った服を着ながら外を見た。窓の外ではヤギがのんびりと草を食んでいる。スバルに助けられて2週間、ずっとベッドの上から眺めていた風景だった。
ここはスバルーバル連合諸王国に属する小国レードンの最南端に位置する人口500人程の小さな村だった。スバルが言うにはこの村の周辺には同じような規模の村がいくつかあるが、ここが一番南に位置し、ここより南はオルノスといって不毛の荒野が広がり、人っ子ひとり住んでいないとのことだった。
この周辺は村が広大な麦畑を所有しており、村人は共同で管理作業を行い収穫の一部は国に税として納め、残りを売って得た収入のうち半分は村に、残り半分は世帯ごとに平等に分配されるとの事だった。その他、村人の多くは個人所有の畑も持っており、豆類やトウモロコシ、葉物野菜を育て、自家消費や他の作物と物々交換したり、レーマン市場で販売して収入を得たりしている。また、鶏や牛豚などの家畜を飼っている家も多く、スバルの家でもヤギを10頭ほど飼っていた。
「プリムちゃん、座って」
服を着たプルメリアをナナミは鏡の前に座らせ、櫛で髪を梳かし始めた。ぐしゃぐしゃの髪の毛が綺麗に梳かれていくのを見て、宮廷生活でメイドに髪の毛を整えてもらっていた事を思い出し、慌てて首を振った。
「ほい、できたよ。わあ、凄く美人!」
「…………」
鏡に映った自分。地味な色のロングスカートのワンピース。髪の毛を後ろでまとめ、大きな赤いリボンで結んだ姿。宮廷生活で煌びやかな髪飾りとシルクのドレスを着ていた頃とは比べもつかない。でも、ボロボロの姿でゴミを漁っていたのを思えば、随分とまともな姿になった。プルメリアはナナミたちの好意が有難かった。
「あれ? 気に入らなかった?」
「…いえ、そんなことはないわ。ありがとう」
「そお?」
着替えが終わった頃を見計らってスバルが「終わったか~」と部屋に顔を出した。そして、部屋の中に佇むプルメリアを見て言葉を失った。服を着て綺麗に髪を整えた姿にややつり目がちの整った顔立ち、神秘的な赤みがかった瞳をした彼女は村の女たちとは次元が異なる美しさを持っていた。
「どうしたの~。プリムちゃんが美人だから見惚れちゃったの~。顔が赤いよ。ぷくく」
「はっ! ち、違う! それより学校に行く馬車の時間だぞ。それを言いに来たんだ!」
「え~、もうそんな時間!? あわわ、準備しなきゃ。じゃあね、プリムちゃん」
ナナミはプルメリアにバイバイすると、慌ただしく部屋を出て行った。
「…学校?」
「ああ。この周辺の村々で金を出し合って、共同で小中学校を建てたんだ。ただ、学校はここから5km離れた隣村にあるから、村が送迎馬車を出しているんだよ」
「そうなんだ」
「さて、腹減ったろ。朝飯できてる。こいよ」
「…うん」
台所のテーブルにはパンとチーズ、湯気の立っている根野菜と鶏肉のスープが置かれている。スープの美味しそうな臭いにプルメリアのお腹が「グ~」と鳴った。
「や、やだ…」
「ははは、さあ食べようぜ」
プルメリアはスプーンでスープを掬って一口飲み、熱々の小さなカブのような野菜を食べてみた。ホクホクの野菜は味が良くしみ込んで美味しかった。
「お…美味し…」
「そうか、よかった」
2人は会話も無く黙々と朝食を食べる。パンとチーズを食べ終え、スープも半分ほど飲んだところでプルメリアはカタンとスプーンを置いた。スバルは急に暗い顔をして俯くプルメリアが気になり、声を掛けた。
「どうした? 腹でも痛くなったか?」
「・・・・の?」
「なんだって?」
「…どうして、わたしの事を聞かないの?」
「聞いてほしいのか」
「………………」
「話したくねぇんだろ、だったら聞かねえ。いいじゃねぇか、そんな事」
「だって、助けられてもう2週間も経ったのよ。道端で干からびて死にそうになっていた得体の知れない女なのよ。気にならないの? 助けて何の得になるの? もしかしたら厄介者を抱えたのかも知れないのよ」
「助けて欲しくなかったのか?」
「…わたしなんて生きていても、仕方ないのよ…」
スバルはグッとスープを飲み干すと、立ち上がってプルメリアと自分の食器を片し始めた。プルメリアは下を向いたまま俯いている。スバルは冷めた鍋を温め直すと、別なお椀に野菜と鶏肉のスープをたっぷり入れてプルメリアの前に置いた。
「なあプリム。お前に何があったか知らねぇが、生きていても仕方ない命なんてこの世界には無いんだぞ。それに、そんな事ナナミの前では絶対に言うなよ」
「……………」
「オレの両親はナナミが4つの時に流行り病で死んだんだ。両親の死を間近で見たナナミはそれ以来、死というものに敏感になってしまってな。命の尊さ、大切さに異常に執着するんだ。オレがお前を連れて来た時、アイツは寝る間も惜しんで看病したのは知ってるだろ」
「…うん」
「ナナミはプリムを助けたくて一生懸命だったんだ。あちこちの家を走り回って栄養のある食べ物を分けてもらったり、シャロン先生を手伝って薬草集めをしたり。絶対にプリムを助けるんだって言ってなぁ」
「……………」
「オレにはナナミの気持ちはよくわかるんだ。それにさ、この世の中にいらない命なんて無いんだ。この世に生まれた命は必ず何かしらの役割があるんだと思う。それに…」
「…?」
「死んだらそこで終わりだが、生きてりゃ必ずいい事もあるって。ははは、偉そうに言ってゴメンな。オレは仕事に行って来る。ゆっくり飯を食ってくれ。じゃあな」
そう言うとスバルは家から出て行った。1人残されたプルメリアはスバルの言葉を何度も頭の中で繰り返した。
「……………ぐすっ」
プルメリアはお椀とスプーンを手に取ってスープを一口啜った。スプーンに涙がぽろぽろと落ちる。
「…しょっぱい。でも…、とても美味しい…」
◇ ◇ ◇ ◇
家近くの豆畑で草むしりをしていたスバルの所に、プルメリアがおずおずと近づいてきた。スバルは草むしりを続けながら声をかけた。
「どうした?」
「…あの、ありがとう」
「何が? オレ、なんかしたっけ」
「…ううん。ねえ、しばらくわたしを置いてくれない…かな? 行くところが無くて…」
「しばらくもなにも、好きなだけ居てくれていいぞ。ナナミも喜ぶ」
プルメリアはスバルの隣に屈むと、畑の畝に生えた雑草をむしり始めた。生まれて初めて行う草むしり。最初はどうしても上手く取れなかったが、スバルがコツを教えてくれたおかげで、なんとか上手に引っこ抜けるようになった。
「やったわ! 根っこまでキレイに取れた!」
「やったじゃん。ん? へぇ~」
「な、なによ」
「いや、笑うと凄く可愛いな、お前」
「なっ…!」
思わぬところで可愛いと言われ、顔がカ~ッと熱くなったプルメリアは、真っ赤な顔をスバルに見られないように下を向いて草むしりを続けたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
3人で夕飯を囲んだ席でスバルはプルメリアがここに住むことになったと言うと、ナナミはものすごく喜んでくれ、プルメリアはほっと胸を撫で下ろした。
食事を終えて、プルメリアとナナミが並んで食器を洗っているとスバルが風呂が沸いたことを知らせてきた。この地域では薪は貴重なので1日おきに沸かして入る家が多い。
「おーい、風呂が沸いたぞー。誰から入るんだー」
「プリムちゃん、一緒に入ろう!」
「えっ、あっ…」
食器洗いを途中で放り出してプルメリアの手を引いて風呂場に駆けて行ったナナミを見て、スバルは仕方ないなあと苦笑いを浮かべ、残った食器を洗い始めた。
台所の片づけを終え、お茶を飲んで休んでいたスバルの元にお風呂から上がり、寝間着に着替えたナナミとプルメリアが戻ってきた。2人ともよく体が温まったようで、顔が上気し、リラックスした表情をしている。
「ねえねえお兄ちゃん、聞いて聞いて」
「なんだ?」
「プリムちゃんて、おっぱいが凄く大きいんだよ!」
「ブーーーッ! げほっげほっ!!」
「ち、ちょっと!?」
思わず口に含んだお茶を吹き出し、盛大に咽るスバル。ナナミは真っ赤な顔であわあわしているプルメリアの胸を指さして、
「プリムちゃんって着痩せするタイプだよ。お風呂で見たらバインバイ~ンって凄い迫力なの。ナナミ、びっくりしちゃった。ナナミ、今はぺったんこだけど、大きくなったらプリムちゃんみたいに、おっぱい大きくなるかな~」
と言ってニシシと笑った。思わずスバルはプルメリアの胸をガン見し、服の下を想像して股間を固くしてしまった。それを察したプルメリアは冷ややかな視線でスバルを睨みつける。そんな男の生理現象を知らない無垢なナナミはプルメリアの手を取った。
「ねえねえ、一緒に寝ようよ。いいでしょ、プリムちゃん」
「…え、それは…」
「いいでしょ、お願いっ!」
「…うう」
キラキラした目で見上げてくるナナミを見て、断れなくなったプルメリアは、仕方なく頷いた。ナナミは「やったー!」と満面の笑みを浮かべると、プルメリアの手を引いて寝室に引っ張って行った。その背中を見てスバルは大きくため息をついた。
「ったくナナミのヤツ…。しょうがねぇ奴だな。でも、まあいいか。アイツのあんな顔見るのも久しぶりだしな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深夜、ふと目を覚ましたプルメリア。隣ではナナミがすやすやと寝息を立てている。その可愛い寝顔を見ていると、今はもう会うことも叶わない妹や弟の事を思い出した。
(あの子たちと決別したのは自分の意志なのだから、未練はないわ…。ただ、元気でいてほしいと願うだけ…。それだけでいいのよ…)
窓の外を眺めると大きな月が朧げに光を放ち、その遥か上を星々の集まりが川のように光の帯となって流れている。赤や黄、白に煌めく星々を見ているとミハイルもあの中の星のひとつになったのかなと思った。プルメリアはそっとため息をつくと、ナナミの寝顔を見ながら小さく呟いた。
「もう一度だけ、頑張ってみようかな…」




