廃嫡姫の夢①
※これは帝国でユウキとミュラーの結婚式が行われる前後頃の話。
ここは、ラミディア大陸スバルーバル連合諸王国最南端の国レードン。人口僅か30万人の小さな国だ。首都(といっても人口5万人程)レーマンの商店街にその人物はいた。ボサボサの髪、乾燥しきったカサカサの肌にやつれて生気のない顔、薄汚れたボロボロの服を来た浮浪者が人ごみの中をふらふらと歩いていた。
「なんだ、コイツ! イテェじゃねーか!」
「あっ…」
「きったねぇ奴だな。あっちに行けよ!」
「臭い…、なにこの人…。浮浪者?」
「邪魔だ、どけ!」
「キャッ」
道行く人にぶつかって、地面に倒れた浮浪者に周囲から侮蔑の声が掛けられる。さらに蹴飛ばされて道路端まで転がされた。邪魔者を排除した街の人々は横目で浮浪者を見ると何事もなかったように歩き出した。
「……………」
浮浪者はずるずると地面を這いつくばって狭い路地に入り、建物の壁に背を預けて座り込んだ。
「お腹空いた…。喉乾いた…。もう何日食べてない? 数えるのも忘れちゃった…」
浮浪者は自分の手を見た。やせ細って骨と皮だけになった手と指…。健康的で美しかった頃とは雲泥の差だ。思わずため息をつくと、お腹が大きくグ~と鳴った。
お腹を押さえて周囲を見回すと、少し離れた場所にゴミ捨て場があった。浮浪者はよろよろと立ち上がり、ゴミ捨て場に手を伸ばしてゴミを漁り始めた。
(何か無いか…、何か…。あ、あった…!?)
傷だらけの手で拾い上げたのは、腐りかけた小さなリンゴ。浮浪者は腐っている部分を手でむしって捨て、何とか食べられそうな部分だけにすると、夢中でかぶりついた。リンゴは全然甘くなく、酸っぱい味しかしなかった。それでも美味しいと、どんな御馳走よりも美味しいと感じた浮浪者の目から涙がツーっと流れ落ちた。その涙は久しぶりの食事にありつけたという理由だけではなかった。
(…情けない。何て情けないの…)
泣きながらゴミ捨て場でリンゴを食べる汚い浮浪者を、街の人々は眉を顰めて見るだけだった。リンゴを食べ終えた浮浪者は、ふらふらと通りに出ると当てもなく歩き始めた。
どのくらい歩いたのだろうか、壊れた靴はとうにどこかに投げ捨て、ずっと裸足にボロ布を巻いて歩いている。その布も破れて血で染まっており、既に足の感覚も無い。浮浪者は周囲を見た。いつの間に町を抜けたのか人家は無くなり、麦畑がずっと広がっている。野菜畑があれば、野菜を取って食べられたのにと思った。浮浪者は再び重い足を引き摺って歩き始めた。
(わたし…、どこに行こうって言うんだろう…。当てなんかないのに…)
歩いても歩いても麦畑が続く。空を見上げると雲ひとつない青空が広がっていた。西に傾きつつある太陽の光が目に眩しく突き刺さり、思わず眩暈がしてフラつき、地面に膝をついた。
(…の、喉が渇いた…。そういえば朝から水を飲んでない。み、水…が欲しい)
畑の脇には用水路があるかもしれないと思い、浮浪者は地面を這いつくばって、畑の畔に移動した。しかし、用水路らしきものはない。がっかりして項垂れると、草むらからひょっこりミミズが顔を出してコンニチワしてきた。浮浪者は一瞬びっくりしたが、力無く笑い、ちょんと指でミミズを突いた。
「ふふっ…。わたしが欲しいのは水で、君じゃないのよ」
仰向けに倒れた浮浪者の少女は空を見上げ、そして目を閉じた。栄養失調と水分不足で体力が失われ、起き上がる気力がなくなって意識も朦朧としてきた。
(もう、だめ…。お、お兄…さま…。わたしも…、今、いきま…す)
少女の意識は闇の中に吸い込まれて行った。太陽が地平の彼方に沈み、茜空が麦畑と農道に横たわる浮浪者を真っ赤に染めた…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
わたしはカルディア帝国の皇女だった。皇位継承順位も第6位と上位で、兄弟姉妹も大勢おり、一部の兄妹を除いて仲は良かった。特に第2皇子のミハイル兄様は美丈夫で学もありながら決して奢らず、帝国貴族や家臣の信頼も厚く、兄弟姉妹にも優しかった。年も近いわたしとは仲が良く、2人でお出かけしたり、よくお茶会をしたのだった。
わたしはミハイル兄様が大好きだった。ううん、好きという言葉では言い表せない感情を抱いていた。ミハイル兄様に会う度に胸の奥がキュンキュンし、心臓はドキドキ、顔がカーッと熱くなる。そして、わたしは気付いた。わたしがミハイル兄様に抱く感情が「愛」というものであったのだと…。
兄様は次期皇帝と噂されるほどの人格者だった。皇帝陛下の信頼も厚く、内政に関わる仕事も数多くこなされていた。わたしは日々そのお手伝いができる事に幸せを感じていた。本当に幸せだった…。そう、あの女が現れるまでは…。
生意気な妹のラピスが連れて来た黒髪の女「ユウキ」。その女が現れた事でミハイル兄様はおかしくなってしまわれた。ミュラー兄様との継承権争いにケリをつけるという理由をこじつけ、あの女を手に入れようと画策した。わたしは止めるように兄様に言ったのだけど、全然聞いてはくれなかった。そして結果は…、最悪だった。ミハイル兄様は醜態を晒し、皇位継承権争いから外され、薄暗い監獄に幽閉されてしまったのだった。
あの女…、ユウキ・タカシナ。ミハイル兄様の好意を無下にし、人生を狂わせたあの女をわたしは絶対に許せない。
幽閉されたミハイル兄様は面会が制限され、わたしは兄様に会う事が出来ずに悶々とする日々が続いた。そんな時、偶然に宮殿内でユウキと出会った。あの女の顔を見た瞬間、頭に血が上って思わず飛び掛かってしまった。生意気にも抵抗してきたので、滅茶苦茶にしてやろうと思った。でも、その場に現れたミュラー兄様に殴り飛ばされてしまった。その後の記憶はない…。
ユウキの眷属による治癒魔法でわたしの傷は治ったけれど、心に受けた傷は治らなかった。何もする気力も無く、部屋に閉じこもる日々。そんな時、何者かが部屋に侵入してきた。その侵入者はウルの密偵「草」と名乗った。わたしを殺しに来たのかと問うたら違うという。「草」は言った。帝国と始める戦争に帝国内部を知る人材が必要で、ミハイル様を是非招聘したいとウル国王子ハルワタート様が申している。我々が手引するから、ミハイル様を監獄から救い出してほしい。ウルはミハイル様を賓客として迎える用意がある…と。草は連絡先をメモした紙をわたしに手渡すと、風のように消えた。
なんとかミハイル兄様を救い出したわたしは、草の手引きに従って兄様と一緒にウルに逃れた。また兄様のお役に立てる。兄様と一緒に居られる…。わたしは幸せだった。どんな形であれ、愛する兄様の隣に立てることが…。本当に…。
ミハイル兄様はハルワタート様の片腕として、その能力をいかんなく発揮した。そして邪龍ガルガを有するウルと帝国を中心とする連合国軍との戦争が始まったが、結果はわたしを裏切った。暗黒の魔女…あの「ユウキ」という女がガルガを倒した事で全てが狂ってしまった。
結局、ハルワタート様もタマモと言う妖狐も死んだ。ミハイル兄様はわたしを助けるために降伏の道を選んだ。その時の兄様の瞳…。慈愛に満ちた視線でわたしを見つめて来た。あの温かな瞳をわたしは忘れない。忘れられない…。
その後、ミハイル兄様は自ら命を絶ち、わたしは皇籍と皇位継承権を剥奪され、僅かなお金を持たされただけで辺境に放り出された。大勢の使用人にかしづかれ、何でもしてもらった生活から自分で何とかしなければならない生活は、わたしにとって難しかった。今までのプライドが邪魔をして人に頭を下げることができないわたしは、仕事に就いても長続きせず、やがて路頭を彷徨い始め、ゴミを漁りながら当てもなく歩き続けるしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「う…、ううん…。こ、ここは…?」
目を覚ますと古びた木の板で出来た天井が見えた。確か自分は道端でミミズに見守られながら気を失ったはず…。
「あ…、温かい…。これ、毛布…?」
改めて周りを見回すと、どうやら小さな部屋の中で、自分はベッドに寝かされているようだった。
「ここは…どこかしら…。どうしてわたし…。うう…、の、喉が渇いた…み、水を…」
少女は起き上がろうとしたが、体は限界まで弱っており、体を起こすことができない。それでも何とか起き上がろうと藻掻いていると、部屋の扉が開いて、甲高い女の子の声が聞こえて来た。
「あーっ! 無理に起きちゃだめだよーっ!」
10歳位の髪の毛をツインテにした女の子が少女の体を押さえて、ベッドに寝かせる。少女は女の子に水を飲ませてくれるように懇願すると、女の子は「わかった!」と言ってパタパタと部屋から出て行った。暫くして水差しとコップを携えて女の子が入って来たが、一緒に20歳位の男性も中に入って来た。
男性が少女を抱き起こし、女の子が水がなみなみ入ったコップを渡す。少女は震える手でコップを受け取ると、ごくごくと一気に水を飲み干した。
「も…、もう1杯…」
「いいよー」
女の子が水差しでコップに水を注ぎ、いっぱいになると少女はごくごくと水を飲む。都合3杯飲んだところで少女は「はう~」と大きく息を吐き、落ち着いたようだった。
「落ち着いたか? いや~、道端に傷だらけの干からびた女の子が倒れてるのを見つけた時はびっくりしたぜ。息があったので抱き上げたら鳥の羽みたいに軽いしさ。とりあえず、家に連れて来たけど、目を覚ましてよかったぜ」
「あ…、あなたが助けてくれたの?」
「ああ! オレはスバル。こいつは妹の…」
「ナナミだよ!」
「プルメリア…。わたしの名前…」
「プルメリア~? 随分とけったいな名前だなぁ」
「おにいちゃん!」
「あ!? わりぃ…」
「でも、プルメリアちゃんじゃ長くて呼びにくいよね…。そうだ、プリムちゃんって呼んでいい?」
「え!? ええ…。好きに呼んでくれて構わないわ」
「じゃ、プリムちゃん!」
随分と馴れ馴れしい人たちだとプルメリアは思った。でも、どこか憎めないという事も感じていた。プルメリアの名前で盛り上がってた2人を見ていたら、お腹がグ~と大きな音を鳴らした。スバルが「ははっ!」と笑って真っ赤な顔のプルメリアに声をかけた。
「あ…、あの…」
「大分元気になったようだな。食べ物を持ってくるか」
「じゃあ、あたし、シャロン先生呼んで来る!」
2人は軽く手を振って部屋を出て行った。プルメリアは、ぱたんとベッドの上に倒れて天井を見上げて大きく息をついた。
「死ななかった…んだ。わたし…」
登場人物の年齢
プルメリア 18歳
スバル 21歳
ナナミ 10歳




