第465話 懐かしのリーズリット
幽霊船が消えると、あれ程濃かった霧も消え、穏やかな海が戻ってきた。我に返ったユウキたちは皆一様に驚きの声を上げた。
「ワシも50年海に出ているが、噂に聞いたものの、幽霊船を見たのは初めてじゃ」
「噂?」
「ああ、何でも昔、ある大型外航船の船長が嵐に会い、その激しさに神を罵って呪われた。その後、船は幽霊船となり永遠に海をさまよい続けることとなったいうものじゃ。眉唾もんと思っておったが、本当の話だっとは…」
「幽霊船を見たら何か悪いことが起こるのかな?」
「そんな話は聞いたことがないな」
「そう…、ただ永遠に海を彷徨うか…。なんか可哀想だね」
「うう…ぐすっ…。ふぇええん…」
「おい、アンジェリカしっかりしろ。もう幽霊船は消えたぞ」
「ほ、ほんとうに?」
「ああ、本当だ」
「うわあああん! 怖かったよう~」
アンジェリカはリシャールに抱きついて、子供のように大泣きし始めた。普段の様子から想像できない豹変にリシャールは困惑した。その様子にユウキは笑いながら、
「アンジェはねぇ、気の強そうな見た目に反して、お化けが苦手ですっごい怖がりなの。リシャール様、慰めてあげて」
と言った。自分の胸の中で、子供のようにえぐえぐ泣いているアンジェリカに、リシャールは思わずカワイイと思ってしまった。そして自分も気づかないうちに、愛しいという感情が芽生えてしまうのであった。
「ユウキちゃんも怖かったんじゃねぇか? オレの胸も空いてるぞ」
「あらそう。そこの樽でも抱いてたら?」
「そりゃねぇぜ…」
そんなほのぼのとした空気を破って、船体の点検をしていたパルックが慌ててペラミスのもとに走ってきた。
「じいちゃん、まずいぞ、パラアンカーが切れて船が漂流している」
「なんじゃと! どのくらい流されたんじゃ!? パルック、儂は天測をする。お前は帆を張って航走の準備をするんじゃ!」
「わかった!」
ペラミスはブリッジから天測儀を持ち出して、2つの月と北極星、目印にしているという別の明るい星の位置を測り、海図に書き込んでいく。こうなると、ユウキたちは役立たずなので、2人の邪魔にならない場所で見守るだけだ。
「う…む、大分東に流されたな…。パルック、進路変更じゃ、北北西に進路を取れ!」
「じいちゃん、だめだ。風がないし、潮が早くて流される一方だ!」
「ど、どうするの?」
「まさか幽霊船の呪いか」
「心配するな。こんなこともあろうかと、新装備があるのじゃ!」
「新装備?」
「そうじゃ、かつて激浪の中で翻弄され、さしものレッツ爆漁号も手も足も出なんだ。その教訓を生かし、ワシが開発した究極マシンを搭載したのじゃ! その名も…」
「魔導エンジン!」
「じいちゃん、やるのか!」
「魔導エンジンって?」
「超電導魔法石を装備した魔力モーターでスクリュープロペラを回して推進するのじゃ。航続距離が短いのが欠点じゃが、ここはこれに賭けるしかない! パルック、機関室じゃ!」
「わかった」
(あれぇ~、この世界、地球の近世あたりの世界観じゃなかったっけ?)
ユウキがどう思おうが、そんな設定は無視して話は進む。ペラミスはブリッジの操作盤のスイッチを入れた。船底からブーンと小さな機械音が聞こえてきた。
「魔道エンジン内圧力上昇。魔力エネルギー充填率100…110…120%! フライホイール接続…始動!! じいちゃん、いつでもいいぞ」
「うむ! Nーレッツ爆漁号、発進じゃ!!」
ペラミスがアクセルレバーをガクンと入れた。モーター音が一層高まり、船尾側の海が物凄い勢いで搔き回され、爆漁号が急加速し始めた。
「うわわ!」
「うひょーっ!」
速度が上がるに従って船首側が上向きに持ち上がり、ユウキたちは甲板上を滑り落ちてブリッジの壁に折り重なるように倒れ、下敷きになったミュラーとリシャールの顔にユウキとアンジェリカの胸と尻がギュッと押し付けられ、幸せそうな悲鳴を上げた。
ユウキたちがいなくなった事で軽くなった船首がさらに持ち上がり、水面と接触する部分が少なくなって抵抗が減り、Nーレッツ爆漁号は水面を跳ねる様にぐいぐい加速していく。
「お…おじいちゃーん! スピード、スピード落としてぇえええっ!!」
「きやあああっ! 怖いよーっ、おしっこ漏れちゃうよー!!」
「スマン、アクセルハンドルが取れちゃった…てへ」
「じいちゃん、水の抵抗で舵が吹っ飛んだ!」
「ぎゃああああー! 助けてーっ、死にたくないぃーっ!!」
加速が止まらないNーレッツ爆漁号は舵を失い、めちゃくちゃに蛇行しながら激走し、ユウキとアンジェリカの悲鳴だけが風の向こうに消えていったのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、あの後Nーレッツ爆漁号は1時間以上爆走し続け、ついに船体が加速に耐えられず、大きな爆発音とともにバラバラになって吹っ飛んだ。ユウキたちは奇跡的に無事だったが、板切れにつかまって漂流する羽目になり、再び現れた幽霊船に救助される始末。マッハの恐怖でえぐえぐ泣くユウキとアンジェリカに、意識を宇宙まで飛ばして呆然とする男たちを不憫に思ったのか、幽霊船の骸骨船員たちは温かい飲み物を出してくれ、リーズリット近くの海岸まで運んでくれたのだった。
リーズリットの海岸に呆然と佇み海を見つめるペラミスとパルックに残りの金貨1枚を渡して別れを告げ、全身濡れ鼠のままリーズリット市内に入ったユウキたち一行。道行く人々に好奇の視線を浴びながら温泉付きホテルに宿を取って風呂に直行した。
「うう…、身も心も温まる…。生きているって素晴らしい…」(アンジェリカ)
「お風呂に入っただけで生を実感するって、一体どんだけよって感じだね」(ユウキ)
久しぶりに入るリーズリットのしょっぱい温泉(塩化物泉)は体を芯から温めてくれ、ビフレストのダンジョン探索以降、ゆっくりと体を休める事がなかったユウキやアンジェリカの心身を癒してくれるのであった。
風呂から上がって、普段着に着替えたユウキたち(旅装はホテルの洗濯屋に出した)は、ホテル併設のレストランで夕飯を食べながら、明日の予定を話し合っていた。
「ユウキちゃん、これからどうするんだ?」
「うん、明日は1日休養ということで自由時間にしましょう」
「その後は? まさか王都に向かうのか?」
「ううん、王都には行かない。あそこは悲しい思い出が多すぎる。それに、まだ暗黒の魔女を恨みに思ってる人が多いと思うから…」
「じゃあ、どうするんだ?」
「王都を迂回して北に向かうのが一番なんだけど、わたし、西の町ハウメアーに行きたいの」
「そこに何かあるのか?」
「うん、どうしても会いたい人がいるの。わたしの大切な…大切な人がそこにいるから…」
「…いいぜ、ユウキちゃんの好きにしろよ。オレたちは着いて行くだけだ」
ミュラーの言葉にアンジェリカもリシャールも頷いた。
「ありがとう、みんな…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、ゆっくり睡眠をとって疲れを抜いたユウキたちは、朝食を摂った後、各自の自由時間とした。アンジェリカはリーズリット観光をしたいということで、リシャールを誘って出かけて行った。ユウキはアンジェリカの頬に赤みがさしていた事に気づき、心の中でニヤッと笑う。
「ユウキちゃんはどうするんだ?」
「わたし、行ってみたい場所があるの。ミュラーも行く?」
「そうだな、行くか」
金髪のかつらとつば広の帽子を被って変装したユウキと、普段着のラフな格好をしたミュラーは連れだってホテルを出た。ちなみにユウキはカワイイ花柄のワンピースにサンダル姿。腰のベルトにはいつものマジックポーチをつけている。お互いいつもと違う服装を見て「中々イイじゃん」と思う2人であった。
大通りから市内循環馬車に乗り、1時間ほどでリーズリット市の外れに出て、綺麗な砂浜海岸に到着した。2人はここで降り、浜に向かって歩いて行く。長さ2kmほどの海岸には小さな波が打ち寄せ、心地よい波音を立てていた。また、青く透きとおった空が遠く水平線に溶け込む風景も美しく、ミュラーはラミディアの海岸とはまた違う美しさに感心するのであった。
「キレイな海岸だな。帝国の海岸とも違う感じでいいな。ユウキちゃんが来たかったのはここか?」
「うん。ここはね、王国高等学園に通っていた頃、夏の臨海学校で遊んだ海岸なんだ…」
「楽しかったな、臨海学校…。海水浴にビーチバレー、地曳き網、バーベキュー。みんなで騒いでホントに楽しかった。ふふ、楽しかった思い出のハズなのに涙が出てきちゃう…」
ユウキは波打ち際まで歩いて行き、当時の事を思い出す。しかし、思い出せば出すほど心の中には悲しみが渦巻いてくる。フィーア、ユーリカ、シャルロット、そしてララ…。もう二度と会うことがない友人たち。瞼を閉じれば皆の顔が、過ごした日々が思い出される。
「うう…、ぐすっ…、ううっ」
「ユウキちゃん…」
海岸線に立ち尽くし、小さく嗚咽を漏らすユウキをミュラーはそっと抱きしめた。ユウキは温かい胸の中に抱かれると安心したのか嗚咽は止んだ。
「ユウキちゃん、もう忘れろ。暗黒の魔女は死んだんだろ、ユウキちゃんはユウキちゃんだ。今はエヴァやアンジェ、その他たくさんの友人がいるじゃねぇか。みんなユウキちゃんが大好きな奴らばかりだ。もちろんユウキちゃんを一番好きなのはオレだがな。なあ、昔の事は忘れて今を大切にしろよ。オレはユウキちゃんが悲しむ姿は見たくねぇんだ。いつものように笑ってくれ」
「うん…」
ユウキは小さく頷くと、瞼を閉じてミュラーに顔を向けた。この思ってもみないユウキの行動にミュラーは心臓が爆発しそうになる。
(こ、これはまさか…、キッスのポーズってヤツじゃねえか!? キ、キター! ついに来た! あの難攻不落の要塞のようなユウキちゃんが落ちた! くうぅ~、何てカワイイんだ! 落ち着け…、落ち着くんだミュラー、焦るな…焦ったら負けだ。そーっと、そーっと…。いただきま~…)
ユウキのカワイイ唇まであと数センチ、はやる気持ちと鼻息を抑えつつ、ミュラーはユウキを抱き寄せ、キスの成功を確信した。しかし…、
「ひゅーひゅー、よう兄ちゃん。イイ女連れてるじゃねぇか。オレらにも貸してくれよ」
「ひゃっはー! この女、いいパイオツしてるじゃねえか。モミモミしてぇ~」
「ようネーチャン、そんな男よりオレたちと遊ばねぇかぁ、楽しいぞぉ~。ギャハハッ!」
ミュラーとユウキの前に数人のチンピラが現れた。ユウキはささっとミュラーの背中に隠れる。一方ミュラーはというと、ブルブルと震え、カッと目を見開いて男たちに叫んだ!
「てめえら…」
「てめえらの血は何色だあーーっ!!」
「な、なんだこいつ」
「なぜだ、なぜもう少し待てん! あとちょっと、ほんの少しでユウキちゃんとキ…キ…キッスが出来たというのに!」
「長かった…ここまで来るのに長かった…。セクハラかましては嫌われ、着替えを覗いて暴言を吐かれ、何かにつけて無視され続けた日々…」
「それ、アンタが悪いんじゃないのか?」
「耐えて、耐えて、耐え抜いてアタックし続け、やっと、やっと難攻不落の要塞のようなユウキちゃんが陥落したというのに!」
「陥落はしてないよ」
「てめえらが邪魔しやがった!! 千載一遇のチャンスを潰しやがった! 全てぶち壊しやがった! ウォオオオーッ!!」
ミュラーは跪くと大声で吼えながらバンバンと砂浜を拳で叩く。ドン引きした男たちはミュラーの顔を見てぎょっとした。
「血だ…、血の涙だ…」
「漢が心の底から慟哭した時だけ流すと言われる血の涙だ…」
四つん這いになって慟哭するミュラーに男たちが駆け寄る。
「兄ちゃん、すまなかった。アンタがそれほどまでにキッスに命をかけていたとは知らなかったんだ」
「アンタは本物の男だ。尊敬に値する男だ。軽い気持ちで声をかけたオレたちが愚かだった。くそっ、オレたちは1人の男の夢と希望と欲望を打ち砕いてしまったというのかッ!」
「本当に悪かったよ。さあ立ってくれ、イイ店を知ってるんだ。飲みに行こうぜ、オレたちのおごりだ」
「兄ちゃん、もう泣くな。元気出そうぜ、飲んでパーッと行こうぜ!」
男たちは号泣するミュラーを立たせるとリーズリット市街の方に歩いて行った。1人残されたユウキは男たちの背中を見送りながら波打ち際に佇む。
「え…、えっと、わたし、もう帰ってもいいのかな…?」
ユウキの頭の上を数羽のカラスが「アホー、アホー」と鳴きながら飛び去っていった。




