第464話 夜の海の幻影
「どう? これ。結構イケてると思うんだけど」
マッサリアに到着し、宿泊したホテルのロビーでアンジェリカたちに姿を見せたユウキ。肩から胸元まで大きく開いたワンピースドレスにパンプスはちょっぴりセクシーでユウキの可愛らしさにピッタリマッチしている。しかし、何よりみんな驚いたのが髪の毛が金髪になっていた事だった。
「ユウキ、それって…」
「うん、カツラ。トゥルーズの衣装店で買ったの。これなら黒髪を誤魔化せるでしょ」
「なるほど…。意外と似合ってて可愛いな。いつもと雰囲気が違ってて、これならユウキとは直ぐにはわからないな」
「ありがと、アンジェ」
くるんと1回転してポーズを取り、ミュラーに向かってウィンクして見せたユウキ。あまりの可愛らしさにミュラーはドキュンとハートを討ちぬかれてしまい、悶絶する。
「ウォオオオオ-ッ! カワイイ! 可愛すぎる!! ユウキちゃんマジ天使ッ。胸の谷間も最高ッ!!」
「えへへー。わたし、かわいい?」
「カワイイッ! 可愛い過ぎるぞぉーっ!!」
「騒がないでよ。他のお客さんに迷惑だろ。もう…」
はしゃぐ2人に呆れるアンジェリカだった。そこに、朝から港に出かけていたリシャールが戻ってきた。
「戻ったぞ」
「お帰りなさい、リシャール様。どうでした?」
ロビーのソファに座ったリシャールの対面に座ったアンジェリカが首尾はどうだったか訊ねた。
「リーズリットに向かう客船は満席でダメだった。他には貨物船ばかりで、乗船出来ないか交渉したが全て断られてしまった」
「そうですか、困りましたね。他の手段を考えなければ…」
アンジェリカは何か手がないか考え込むが、リシャールはニヤッと笑って大丈夫だと言った。
「ここはスクルド最大の港町。海を渡る船は客船だけじゃない」
「どういう事です?」
「漁港に行って、漁船でリーズリットまで運んでくれる漁師を探してきた」
「見つかったんですか!?」
「ああ、見つかった。この道50年のベテラン漁師だ。直ぐにでも出られるそうだ」
「さすがリシャール様。早速行きましょう!」
「おい、ユウキにミュラー殿、いつまで遊んでるんだ、行くぞ」
「アイツらは何してるんだ?」
ロビーの真ん中でドヤ顔でセクシーポーズを取るユウキに、片膝を着いて拍手するミュラー。周囲の客とホテルの従業員は非常に迷惑そうにしている。呆れたアンジェリカが2人の首根っこを掴んでホテルの外に引きずって行った。その様子が可笑しくてリシャールは思わず笑ってしまった。
「ははは、面白いな。無理言って着いてきたかいがあるってもんだ。さて、私も行くか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マッサリア港に隣接する漁港に来たユウキたち。大小様々な漁船が係留されている。魚市場への水揚げは終わったのか人影は少なく、次の出漁に備えて漁具や漁網の手入れをしている漁師がちらほら見えるだけだ。
「こっちだ」
リシャールの案内で到着した係船場所では1人の青年が待っていた。リシャールが近寄り、二言三言話すと青年は頷いて近づいてきた。
「あんたらがリーズリットまで行きたいってモンか」
「え、ええ。そうなの。船に乗せてくれるって聞いたんだけど…」
「任せとけ。なんせ金貨2枚も貰ったんだからな。ちゃんと連れてってやるよ。来な、こっちだ」
青年がくいっと手で合図して歩き出した。ユウキたちは黙ってその後に続き…、
「乗りな。準備はできてる」
船を見てドン引きした。案内された船は全長約15m、幅3mと大きさは充分であったが、どう見ても船齢50年は経っていそうな木造の老朽船で、船体を構成している板は変色し、少し力を入れただけで壊れてしまいそうな感じがする。あまりのオンボロ船にユウキとアンジェリカは引き攣ってしまい、ミュラーは素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい。大丈夫なのか、この船」
「大丈夫なのかとは失礼じゃな、この小僧」
ミュラーの声に反応したのか、ブリッジから胡麻塩頭の老人がぬうっと姿を現した。精悍な顔には深く皺が刻まれているが、肌は健康そうに赤銅色に焼けていて、正に海の男といった感じだ。
「この「レッツ爆漁号」はワシの親父の代からここの荒海で漁をしてきた船じゃ! ちゃんとアンタらを目的地まで届けてやるわい!!」
「ご、ごめんなさい、おじいちゃん。大事なお船をバカにして。わたしはユウキって言います。何としてもリーズリットまで行きたいの。何とかお願いできませんか?」
「むう…、えらい別嬪さんじゃのう。ワシは美人に頼まれると弱いんじゃ。よっしゃ、任せろ。リーズリットなんぞワシに取っちゃ散歩に行くようなもんじゃ!」
「わあ、頼もしい!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。ちなみに、アッチの方もまだまだ頼もしいぞ」
「ドスケベ!」
「わっはっは! ワシはこの船の船長でペラミスじゃ。漁師一筋50年、この海の全てを知り尽くした海の漢! マッサリアのキング・オブ・フィッシャーマンとはワシのことよ」
「よ! じいちゃん世界一!」
ゴゴゴ…と炎のオーラを背負って気勢を上げるペラミスの脇で、パチパチと拍手する孫のパルック。流石のユウキも引き気味だ。
「そろそろいいか?」
リシャールはパルックに前金として金貨1枚を渡すと、ペラミスが船に乗るように合図してきた。岸壁からレッツ爆漁号に乗り移ると、板張りの甲板が「ギィ~」と嫌な軋み音を立てる。ユウキたちは思わず不安になり、アンジェリカは何となく泣きそうな顔をしている。しかし、この船に乗る以外に選択肢がなくなったユウキは、船が無事保ってくれる事と海を知り尽くした漢、ペラミスの腕を信じ、運を天に任せるのであった。
マッサリア漁港を出港して半日。空は雲一つなくどこまでも青く晴れ上がり、水平線の向こうで海と一体化して美しい。ユウキとミュラーは水面を跳ねる魚に歓声を上げたり、気持ちよさそうに空を飛ぶ海鳥に手を振ったりして船旅を満喫していた。ただ、天気は良いものの、少し風があってうねりが高めのため、船の揺れが大きかった。そして、揺れに耐性のない者はというと、
「ウゲェエエエッ! オェエエエッ…!」
「ゲロゲロゲロ…ゲェエエエッ…プ」
船縁から身を乗り出し、海に向かって胃の内容物を思いっきりぶちまけていたのだった。
「よお、コーヒー飲むか? インスタントだけど」
パルックがスチールカップにコーヒーを淹れて持ってきた。ユウキとミュラーは礼を言って受け取って飲む。コーヒーの香りが心を落ち着かせてくれる。ちなみに、アンジェリカとリシャールはそんな余裕がなく、生ける屍のようにぐったりしていた。
「アンタらスゲエな。普通はあの2人のようになるもんだが…」
「いや~、以前船旅をしていた時、物凄いシケに遭って、酷い船酔いを経験してから全然酔わなくなったんだよね」
同意とばかりにミュラーも頷く。
「そりゃ慣れたんだな。漁師も体が慣れるまでは船酔いをするもんさ」
「へえ、漁師でも船酔いするのか」
「そりゃそうさ。慣れて体に揺れを覚えさせるんだ。シケといえば、以前エルヴァ島に人を運んだ事があったぞ。中年のオッサンと若いエルフだったか、変なコンビだったな。あん時も物凄いシケに遭遇してな、船が壊れるかと思った」
パルックは当時の様子を面白可笑しく話して聞かせた。じいちゃんが腰を痛めてダウンし、中年オヤジに操船させ、エルフの娘に浸水した場所の排水をさせ、自分は帆のコントロールを行って何とか乗り切ったなどなど…。
「あん時のエルフっ娘の顔ったらなかったな。死にそうな顔してさ、わんわん泣きながらバケツで水汲み上げてんの。思い出したら、くくっ…笑いが止まんねえ」
「いや、笑い事じゃねぇと思うぞ」
「同じ立場だったらわたし、発狂してると思う…」
「そうか? まあ、夕飯までまだ時間がある。ゆっくり景色でも眺めてな」
カップを回収して船室に戻るパルックを見ながら、ユウキはエルフの女の子が感じた恐怖を思い浮かべた。その時、船が大きく揺れて「ギギィ~、ミシミシッ…」と船体から嫌な音が鳴り、先程までの楽しい気分が無くなって、スーッと血の気が引くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕食後、ペラミスとパルックは、パラシュートアンカーを使って船を漂泊させると全員に夜明けまで眠るように言った。ユウキとアンジェリカは船室で、男たちは甲板にシートを敷いて毛布を被って横になった。空は満天の星空、いつしか風も止み波も治まって鏡のような海面の様になっていた。
深夜…
アンジェリカは尿意を催して目を覚ました。船酔いは大分良くなったものの、まだ頭の中が揺れているような気がする。しかし、耐えがたい尿意に体を起こした。ユウキは良く眠っている。その寝顔は天使のように可愛らしく、とても暗黒の魔女としてロディニアを滅ぼそうとした娘には見えない。
船室を出たアンジェリカは船尾に向かった。そこには甲板の蓋を外して船側をシートで覆った簡易トイレがある。シートを捲って入ると海側はオープンで甲板の開口部を見ると下は海。開口部に跨りパンツを降ろして屈んで放尿すると、ジョボジョボと水音を立てて海に落ちる音がする。その音に思わず顔が赤くなった。
(もう…、海からは丸見えだし、全然慣れないな…。解放感は凄いけど)
お股を拭いた化粧紙を海に落として立ち上がり、パンツを穿こうとしたアンジェリカだったが、海の様子がおかしい事に気づき、はたと動きを止めた。先程まで晴れていた海に深い霧が立ち込め始めた。
「どうしたんだろう、急に霧が出てくるなんて…」
周囲を見回すが霧が深く見通しがきかない。静まり返った不気味な雰囲気にゾクッと背筋に寒気が走った。
「せ、船室に戻ろう…」
そう呟いたアンジェリカの耳に「ギィ~、ギィ~ッ」と木が擦れ合わさったような耳障りな音が聞こえてきた。ビクッとして音のしてきた方を見ると…、
「ヒッ…」
深い霧の中からスーッと音もなく現れ出たのは1隻の古びて朽ちかけた木造帆船。風もないのに音もなく前進し、レッツ爆漁号に向かって来る。しかも、甲板上には船員服を着た多くの骸骨が並び、じいっとアンジェリカに視線を向けてきた。気は強そうに見えても本質は怖がりで臆病なアンジェリカは余りの恐怖に絶叫した!
「ギャーーーーーーッ!!」
「わあっ! なになにーっ! きゃあっ、いったーい!」
静寂を引き裂いた絶叫にユウキは驚いて船室の寝台から転げ落ち、
「おわぁ!」
「うわぁ!」
「じいちゃん、霧が…」
「なんじゃ、ウルサイのう。うん、いつの間に霧が出たんじゃ?」
甲板で寝ていた男性陣もビックリして飛び起きた。そこにバタバタとアンジェリカが駆け込んできて、リシャールに抱きつくと、船尾側を指さしてガタガタ震える。
「おお…おば、おばおば…」
「どうした、アンジェリカ。おばさんがどうした?」
「ちがーう! お化けーーーーっ! キャアアアアーーッ!!」
リシャールとミュラーは顔を見合わせる。そこにユウキが悲鳴を上げながら転がり込んできた。
「ふぎゃああーーーっ! おっ、おばっ…ちがっ、違う、幽霊船だぁあああっ!!」
「なんじゃと」
「幽霊船…。やべえぞ、じいちゃん!」
いつの間にかレッツ爆漁号の横に朽ちた巨大な帆船が並走している。ユウキたちがその大きな船体を見上げていると、舷側から多くの骸骨がじいっとレッツ爆漁号を覗き込んでいる。また、船尾のブリッジの上に1体の海賊服を着た骸骨がマフラーを靡かせながら、腕組みをしてユウキたちを見下ろしていた。
ユウキ、ミュラー、リシャールは呆然と幽霊船を見上げ、アンジェリカはリシャールの背中に隠れて震えている。また、海の漢ペラミスも唖然とするばかり。
やがて幽霊船はレッツ爆漁号を追い抜くと、音もなく霧の中に消えたのだった。




