第450話 ミュラーの涙、ユウキの気持ち
「どうしたの? 何かあったの?」
憔悴して戻ってきたミュラーに駆け寄り声をかけるユウキたちだったが、ミュラーは何も答えず押し黙ったままだ。ふと見るとミュラーの手に1羽の死んだカラスが載せられている。
「このカラスは…」
「イールだよ…」
ぼそりと答えたミュラーの目に涙が浮かんでいる。その悲しげな表情にユウキは心の不安が大きくなる。兄に寄り添うラピスも心配そうにミュラーとイールの死骸を見ている。
「何があったの? 良かったら話してくれない?」
「兄様…」
ミュラーは地面にドカッと座ると、イールの死骸を抱き、小さな声でポツ、ポツと話し出した。ジル・ド・レに飛ばされた部屋でイールと戦ったこと。イールの戦う意味と兄妹間の確執、兄妹愛に飢え、兄からの愛を求めて望まない戦いに身を投じていたことなど…。
「本当のイールは優しくて可愛らしい子だった。アズルから暴力を受けてもなお兄からの愛を求めていた可哀想な子でもあったんだ…」
「イールはオレに勝てばアズルから褒めてもらえると言って必死に向かってきたよ。でも、俺に負けて泣きじゃくりながら、兄への想いを話すイールを見てたら、可哀そうになってしまって、つい言ってしまったんだ…」
「なんて言ったの?」
「オレの妹になれって」
「兄様!」
「仕方ねぇだろ…。あんな涙を見せられてしまったら、そう話すしかなかった。だが、俺も本気だった。イールを抱いて頭を撫でながら顔を見ていたら、セラフィーナやラピスの幼い頃を思い出してしまってな。この子にも兄の愛ってヤツを与えたくなっちまったんだよ…」
(ミュラー…。あなたって…)
「イールは俺の提案を受け入れてくれた。俺の事をお兄様と呼んで嬉しそうに笑った。そして、安心したのか、俺の膝の上で眠ってしまったんだ。笑みを浮かべてスヤスヤ眠るイールの頭を撫ででたんだが…」
(まさか…)
「突然イールがカラスに変化して、そのまま死んじまった!」
「何故だ! なんでこうなった! どうして死んじまったんだ! この子はこれから幸せになろうとしていたのに。どうして…、どうして死んだんだ…。死ななくちゃいけなかったんだよ…。ううっ…」
ミュラーの涙が1粒、2粒とイールの体に落ちる。ラピスも腕を目に当て声を殺して泣き出しだ。アンジェリカとポポはお互いの目頭をハンカチで押さえている。
「…………。ごめんなさい…」
ユウキはボソッと小さな声で謝った。
「わたしがジルを倒したから…。彼女はジルが作り出した眷属だった。ジルが消滅して魔力の供給が失われたため、体を維持できなくなって死んだのかも…」
ユウキはミュラーに向かって何度もごめんなさいを言った。確かにジル・ド・レは倒さなければならない相手だった。だが、彼もジャンヌ・ダルクへの愛に苦しんだように、その眷属たちも愛に苦しんでいた。しかし戦いは非情だ。ユウキは今更ながら思い知らされる。そして、ミュラーとイールはその非情な戦いの犠牲になってしまった…。ユウキの心に暗い悲しみが紙にインクを落としたように滲む。
ユウキはミュラーを立たせて、彼の手の上で眠るイールの亡骸を見て言った。
「ミュラー、イールを埋めてあげよう。このままでは可哀そうだよ」
「…ああ。ユウキちゃん、お願いがあるんだが…」
「なに?」
「イールは日の当たる暖かい場所、1人でも寂しくない場所に埋めてあげたい。こんな薄暗いダンジョンでは可哀そうだ。申し訳ないが地上に戻るまでマジックポーチに入れてあげてくれないか」
「いいよ」
ユウキは即答すると、マジックポーチから1枚のハンカチを取り出した。色とりどりの花柄が刺繍された可愛らしいものだ。
「これに包んであげよう。イールの可愛らしさにピッタリだと思うの」
「ありがとう、ユウキちゃん…。よかったな、イール。良く似合うぞ…」
ミュラーからハンカチにくるまれたイールを受け取り、マジックポーチに入れた。ミュラーは軽くなった自分の手を見てボロボロと涙を流し始めた。
「うっ…、うう~っ…ぐっ…ぐうううっ、うぉおおっ…」
先ほどまでイールを感じていた手を見ながら男泣きに泣くミュラー。ユウキはそっとミュラーを抱き、優しく頭に腕を回して胸で受け止めた。その柔らかさと暖かさを感じながらミュラーはいつまでもユウキの胸の中で泣き続け、仲間たちはそっとその場を離れて2人だけにしてあげた。2人だけになったダンジョンにミュラーの泣き声だけがいつまでも響くのであった…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「すまねえユウキちゃん。みっともないトコ見せちまった…。はは、情けないぜ」
「いいんだよ」
涙で腫れぼったくなった目をこすりながら、ユウキに謝るミュラーだった。ユウキはミュラーの恥ずかしそうに笑う顔を見て、この男に対して今まで感じていた悪感情がすっかり消えていることに気づいた。むしろ、好感さえ抱いてさえいる。
(ミュラーの本質ってこれだったんだ…。一見無作法で人の心にずかずかと土足で入り込むように見えて、実は相手の気持ちを深く思いやる優しさを持っている人…。自分を慕う人を大切にし、自分が慕う人も大切にする。簡単そうで難しいことなのに、ミュラーはワザと愚か者を装いながら実践しているんだ…。市井の人々に慕われるのもわかる気がする)
(今まで出会った王族の男性たちとは違う…。ヴィルヘルム家の人々やマーガレット様が次期後継者に推す理由が今ならわかるよ)
(そういえば、ミュラーはわたしが好きって言ってた。冗談かと思っていたけど、今までの行動、言動は本心ってこと!? イールに対する感情を見てると彼は人を騙すタイプではない…。真摯に人に向かうことが苦手なだけなような気がする。でなきゃ、自分の立場も省みずプルメリア皇女からわたしを助けてくれる訳ない…。え!? ヤダ、わ、わたしドキドキしている。ウソでしょ…)
じいっと自分を見つめていることに気づいたミュラーがユウキに話しかけてきた。
「ど、どうしたユウキちゃん。俺の顔に何か付いてるか?」
「ううん。何でもない。えへへ…」
「何だよ気味悪いな」
「何でもないったら何でもないよ」
「ん~? ハッ、もしかして俺に惚れたとか。はは、まさかな…」
「~~~!!」
「ゆ、ユウキちゃん!?」
急に真っ赤になって俯いたユウキに驚いたミュラーは、一体何が起こったのかと動揺してしまった。
「そそそ、そんなことない! さ、さあ早くみんなの所に行こう。きっとダンジョンコアの所にある秘密の扉を開けている頃だよ。え…えと、さあ早く!」
「お、おう…」
ぱたぱたと走るユウキを追ってミュラーも駆け出した。ユウキの態度の変化に戸惑いながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ユウキとミュラーはジル・ド・レの屋敷裏に移動し、ダンジョンコアが設置された部屋に入ると、高さ1.5mほどの台座に据えられた直径1mほどの球体が金色の光を放ちながら静かに佇んでいる。ユウキは球体に手を触れ、もう片方の手で真理のペンデレートを握り、中のアース君にコアの状態は正常か聞いてみた。ユウキの手を通じてコアを確認したアース君は、コアに問題ななく、魔物を呼び出す気配もないと教えてくれた。きっとコアの守護者であるジル・ド・レを倒したことにより、一時的にコア自身が機能を休止させたのだろうということだった。
「このコアは問題ないみたい。魔物を呼ぶ気配もないよ」
「おい、あそこ見てみろ!」
ミュラーが指さした方を見ると、部屋の一角に人ひとりが通れるような隙間が空いていた。2人はその隙間を潜り抜けると、先行していたアンジェリカやラピス、ポポたちがいたが、様子がおかしい。何かあったのか…、ユウキは部屋の中を見て驚いた。
「ア、アンネマリーさん!」
「テメェ、何やってやがる!」
ユウキとミュラーが同時に叫ぶ。部屋の奥の一段高くなった場所に設えてある女神像の前でアンネマリーが虹色に輝く球体と小型の機械装置を手に取ってユウキたちを見下ろしている。
「悪いんだけど、この邪龍の起動システムはいただくわ」
「バカ野郎! そいつは危険なモノだ。帝国で厳重管理、封印しなくちゃならねぇんだ。今すぐこっちに寄越せ!」
「嫌よ。これは私が貰う」
「なんで!? 理由を教えて!!」
「理由…ふふふ、そうね。理由は…」
ぼんっと音がしてアンネマリーの体が煙に包まれ、その中から現れたのは年齢12歳位で大きな金色の狐耳、ふさふさの尻尾が9本生えた亜人の少女だった。その少女はユウキたちに向かってニヤッと笑いかける。
「ハハハハッ! 儂はウルの妖狐「タマモ」じゃ。この珠と装置はウルの未来にとって必要なもの。儂が貰い受ける!」
「タマモですって!? ウルの建国の祖で1000年以上生きているっていう…。とてもそうは見えない…」
「疑うのも仕方ないな。こんな美少女が1000年も生きてるなんて信じられんのも道理。しかし、儂は間違いなくタマモじゃ。儂はハル坊の手助けをすると決めたのでな。こうして遥々こんな場所まで来たって訳じゃ」
「タマモ、それがどんなに危険なものか分っているの」
「承知している。その上でハル坊は邪龍を復活させ、その力をもって世界を一度清算し、ウルによる新たな秩序をもって新たな世界をつくろうとしているのじゃ」
「バカげている…。邪龍がそう簡単にコントロールできると思うの」
「できる、できないは関係ないのじゃ。ハル坊はそれを成し遂げようと本気で考えている。衰退するウルの将来を憂えてな…。あ奴はバカじゃが、国を憂える気持ちは本物じゃ。バカじゃからこそ可愛い。だから、儂はハル坊の願いを叶えると決めた」
「本物のアンネマリーさんはどうしたの?」
「そんなに怖い顔をするでない、暗黒の魔女よ」
「…!!」
「ふふふ、お主の正体はとうに気づいておったわ。その巨大すぎる魔力、さすがロディニアで暴れまわっただけの事はある。お前とて世界を滅ぼそうとしたのではないか?」
「黙れ! それ以上言うな!」
「おお、怖い怖い…。アンネマリーとやらはウルに拉致した。あの頭脳はウルに必要じゃからな。ただ…」
「ウルの獣人共は人間嫌いが多い。慰み者にされて壊れてなければよいがのう」
「貴様…」
「そう怖い顔をするな、暗黒の魔女よ。なあどうだ、儂と一緒にウルに来ぬか? その力を儂らに、ハル坊に貸せ。悪いようにはせぬぞ」
「な、何を言ってるの、この狐耳のロリババア! ユウキがウルに行くわけないでしょ! 絶対に渡さないんだから!!」
「ユウキに手を出してみろ。私らは容赦しないぞ!」
「ラピス、アンジェ…」
「儂は魔女に聞いておるのじゃ。お主らは下がっておれ」
「何だと…」
いきり立って前に出ようとするアンジェリカを手で制し、ユウキはハッキリと言った。
「お断りよ。わたしはわたしの居場所を見つける旅をしている。そして、その場所が分りかけてきた。その場所はとても暖かくて素敵なところ…。わたしはその場所を守る。その場所に住む人々を守る。絶対に破壊なんてさせない。タマモ、ハルワタートに伝えなさい」
「…何をじゃ」
「この世界を破壊しようとするなら、ハルワタート、わたしはお前と戦うってね!」
「そうか、相容れぬか…。残念じゃ」
「儂はもう行く。暗黒の魔女よ、お主の想いはようわかった。じゃが、強すぎる力は人々に恐怖と疑念を与え、排除の対象となる。また迫害されぬように気を付けるのじゃな」
「それでも…、わたしは…」
「さらばじゃ!」
「待て! この女狐野郎!」
タマモはぴょいと台座から飛び降りるとボンという音と共に煙に包まれた。その煙をミュラーが魔法剣で斬り裂いたが、そこにはもうタマモの姿はなかった。




