第441話 魔眼の恐怖
『グギャァアアアッ!!』
「ぐっ…あああっ…」
魔獣デビルズ・アイの魔眼を避けたラインハルトたちに耳をつん裂くような獣の咆哮と人の唸り声が聞こえてきた。身を起こしたラインハルトとサラの目に、全身の毛を逆立てたポチがその大きな口でルツミを咥えているのが入った。ルツミは口から血を流しながら弱々しくラインハルトたちに手で来るなという仕草をしている。
「く…来る…な。に、逃げて…ください…、サ…ラ…様」
「ル…ルツミーーッ!」
『グルルル…ガァッ!』
「ぎゃあああああっ」
ガシュッ!という肉と骨が砕ける音とポチの強靭な顎がルツミの体を噛み砕き、口から切断されたルツミの体がどさりと地面に落ちた。ポチは主人の…いや、先ほどまで主人だった男の体にかぶりつき、肉を食い千切り、咀嚼して飲み込む。その姿は先ほどまでみんなのペット的存在だったポチではなく、狂暴な魔獣シルバーウルフそのものの姿だった。そして、その様子をじいっと見つめる巨大な単眼の怪物…。
「い…一体なぜ…?」
呆然と立ち竦むラインハルトとサラ。その2人の頭上に目を真っ赤に光らせたリザードが接近し、青龍刀を振り下ろした。
『危ねぇ!』
「クルクルクルクル…キシャーッ!」
青龍刀の一撃をメイメイの剣が防ぐ。ギリギリと刀と剣の鬩ぎ合いが続く。そこに異変を察知したクリスタが駆け寄ってきた。
「リザード、一体どうしたの! わたしよ、クリスタよ。正気に戻って!」
「メイメイは仲間よ。やめてリザード、刀を引きなさい。命令よ!」
『クリスタ、無駄だ。クッ…ウラァ!』
フルパワーでリザードの青龍刀を弾き返し、がら空きになった胴体に蹴りをお見舞いしたメイメイ。リザードは吹っ飛ばされて地面に叩きつけられるが、直ぐに起き上がって向かって来た。
「やめてリザードォーッ!」
『無駄だ、トカゲはデビルズ・アイの魔眼を喰らっちまった。あの魔眼を喰らったら精神を支配され、本能のままに全ての生き物を殺し、喰らう獣になり下がるんだ。そして、そうなったら最後、もう元には戻らねえ。あのトカゲも死ぬまで目の前の獲物を喰らうだけの魔獣になり下がってしまった。トカゲを救うには…、殺すしかねぇ!』
「そ…そんな…。リザードォー、正気に戻ってぇー」
『グ、グググ…。クリ…クリス…』
「リザード!」
『グアァアアアッッ!』
リザードは青龍刀を振り回しながらクリスタに襲い掛かってきた。クリスタの頭上に青龍刀が振り下ろされるが、ラインハルトの剣が直撃を防いだ。
「うぬぬ…、クリスタ、逃げろ。あまり長くは抑えられん…」
「リザード、わたしよ、クリスタよ。わからないの、リザード!」
『ク、クリス…』
「そうよ! あなたの友達、クリスタよ!」
『クリス…タ、ニ…ゲロ。グアァアアッッ!』
「きゃあっ、なにをするのリザード」
リザードはクリスタを突き飛ばして自身から遠ざけ、大きく吼えると青龍刀を逆手に持ち、大きく振りかぶって自分の腹に突き刺した!!
『ゲフッ…』
「リ…、リザードォーーッ!! いやあああああっ!」
口から大量の血を吐いてリザードは倒れた。デビルズ・アイの魔眼に支配されてもなお、主人であるクリスタを想い、最後の最後で自分の命を絶ってクリスタを守ったのであった。
『だぁりゃあっ!』
『ギャイン!』
一方、魔獣と化したシルバーウルフ「ポチ」は主人であったルツミを喰いつくした後、今度はサラに襲い掛かったものの、助けに入ったメイメイの剣で首を刎ねられた。
危険な未知のダンジョン。多くの危険や罠、様々な出来事があった。しかし、メンバー全員で力を合わせて突破してきた。そして、最終階層を目前として、ルツミとポチ、リザードがたった1体の魔獣によってあっという間に命を落とした。その現実に仲間たちは意識がついていかない。
『すまねえ…』
メイメイがポチに謝り、毛をひとつかみ切り取って腰の麻袋に入れた。それをじっと見ていたデビルズ・アイ。その瞳が再び妖しい光を宿す。それに気づいたラインハルトがメイメイに警告を発した!
「メイメイ! ヤツの瞳が光るぞ!!」
『なにっ! そうはさせるか!』
メイメイは自分とデビルズ・アイの間に貧乳爆裂破を地面に叩きつけた。爆発によって土や石が爆煙となって巻き上がり、デビルズ・アイの視界を塞ぐ。その間にメイメイは仲間の元に戻った。
『へっぽこ、爆煙がヤツの魔眼を遮断しているうちに一旦下がったほうがいい!』
「し、しかし…ルツミが…」
『ヤツはもう駄目だ。犬っころに喰われてしまった。骨も残ってねえ』
「そ、そんな…」
「王子! 見てください!!」
ラインハルトとメイメイは、サラが指さした方を見て驚いた。爆煙が晴れたその先に、デビルズ・アイが半目になってラインハルトたちを睨んでいる。始めて見せた魔獣の表情に驚いたが、それ以上に驚いたのは階層奥から無数のゴブリンが現れ出てきたのだ。よく見るとゴブリンだけじゃなくオークやトロールといった上位種もいる。
『へっぽこ!』
「あ、ああ。撤退だ。サラ!」
「全員撤退! 無数のゴブリンが襲ってくる! 戻れー、力の限り走れーっ!!」
サラは奥で待機していたカストルとアルヘナ兄妹たちに状況を説明し、早く逃げるように指示した。
『大変だわ! 旦那様、妹ちゃん。早く逃げましょう』
『あわわ…、カストル様、アルヘナ様。早く早く!』
『逃げるのは性に合わない。でも、命令には従う』
カストルが最終階層の方を見ると、ラインハルトとメイメイが逃げ戻って来る。しかし、もう一人の人物が見えない。カストルは最終階層に向かって走り出した。
「お兄ちゃん、どこ行くの!」
「アンゼリッテ、パール、アリエル、アルヘナを頼むよ」
『旦那様どこへ!』
「クリスタ先輩を助けに行く!」
奥に向かって走るカストルの背中を見てパールとアリエルは顔を見合わせて頷いた。そしてアンゼリッテに、
『旦那様は私たちに任せて。アンゼリッテ、妹ちゃんを頼むわよ!』
と言ってカストルを追って走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『兄ちゃんどこへ行く!』
「カストル、危険だ戻れ」
「クリスタ先輩がまだあそこにいます! 僕は先輩を助けに行きます!」
『行っちまった…。へっぽこ、アルヘナちゃんたちを頼む。オレ様は兄ちゃんを連れ戻す!』
「わかった。たのんだぞ、メイメイ」
『おう! オレ様の活躍、アルヘナちゃんにちゃんと伝えてくれよ』
「クリスタ先輩!」
カストルはリザードの遺骸の前で蹲って泣いているクリスタに声をかけた。
「う…、うああ…。リザードが、リザードがぁ…、うわぁあああん」
「とにかく逃げましょう。ゴブリンが迫ってる」
「イヤ! リザードと離れたくない。構わないで…ぐすっ」
「ダメです! 早く起き上がって!」
「イヤ、イヤよ。リザードォ…、うあああっ」
「先輩!」
カストルは強引にクリスタの体を起こして自分に向けさせると、パシーンとクリスタの頬を平手で打った。
「しっかりしてください! ここであなたが死んでしまったらリザードの想いはどうなるんです! 自ら命を絶ってあなたを守ったリザードの死を無駄にするんですか!」
「…………」
「さあ、僕の手を取って。生きるんです、リザードの分も、そして…、ルツミ先輩やポチの分も。僕たちは生きなければいけないんです!」
「…ごめんなさい。そうね…君より年上なのに、情けないよね…。わたしが間違ってた」
「よかった。クリスタ先輩、早く逃げましょう」
立ち上がった2人だが、ゴブリンたちはギャアギャアと喚きながらナイフや斧などの得物を振り上げて至近まで迫って来た。この距離ではとても逃げられそうにない。カストルは唇を噛みしめ、クリスタはカストルを抱きしめて「ごめんなさい」と小さく呟いた。
『そうはさせない!』
諦めかけた2人の前に黒い影が疾風のように飛び込んできた。
『旦那様に仇名す者ども、死ね、烈風斬!!』
「パール!」
風の魔力を纏わせたブラッドソードの薙ぎ払いによって、十数体ものゴブリンの胴体が切断され、血しぶきを上げて倒れる。
『カストル、助けに来たわ! ヘブンズ・バースト!!』
「アリエルも!」
光の光弾が魔物の群れに着弾し、爆発とともに肉の破片がちぎれ飛ぶ。アリエルは連続して光弾を放ち魔物の足止めを図った。その間にメイメイがカストルとクリスタの側に来て両脇に2人を抱え、翼を広げて飛び上がった。
『パール、バカ天使、撤退だ! 奴らの足止めを図りながらお前たちも後退しろ!』
『わかったわ!』
『バカ天使ってなに。このロリコン悪魔!』
2人を抱えたメイメイを追ってパールとアリエルも駆け出した。後ろを振り向くとゴブリンたちがしつこく追ってくるのが見えた。アリエルは魔法の翼を広げて飛び上がり、パールは極大魔法を放つため魔力を練る。
『ええい、しつこい! ヘブンズ・レイ、拡散モード!』
『しつこい男嫌い! サンダー・レイン!!』
アリエルは2本の剣を交差させた。剣から発射された光線が途中で何十条にも分裂し、魔物の群れに突き刺さる。さらにパールの放った高威力の電撃魔法が広範囲に降り注いだ。魔物たちは光線に貫かれ電撃を浴びて絶叫しながら黒焦げになっていく。魔法攻撃が終った後には、ゴブリンやオークたちの死体が無数に転がっていた。
『ザマアみろ!』
『パール、行こう』
『わかった。旦那様たち無事かな』
パールとアリエルは逃げたラインハルトたちを追って奥に向かって走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はあ、はあ、はあ…。ここまで来れば大丈夫か…。みんな無事か」
「うう…、ルツミさんが…」
「泣くなサラ。泣いてもルツミは戻ってこない」
「でも…」
「副官がそれでどうする。私たちは彼の分まで頑張らねばならない。そのためにはヤツを倒し、任務を果たさねばならんのだ」
「王子…。すみません、めそめそして…」
「いいんだ。サラは優しいな…」
『へっぽこ、これからどうするよ』
「そうだな…。パールとアリエルが戻ったら、何か手がないか考えよう」
暫くすると「おーい」と声がしてパールたちが戻ってきた。全員ラインハルトを中心として集まる。しかし、カストルやアルヘナ、クリスタの表情は冴えない。仲間の死をまだ受け入れられないのだ。主人たちの沈んだ顔を見てメイメイ始め従魔たちも心配そうだ。
(マズいな…。何とか立て直さなければ。しかし、どうすれば…。打開案があればいいのだが、全く思いつかん…)
ラインハルトはすっかり困ってしまった。その時、メンバー全員の足元に金色の光が走り、瞬く間に魔法陣を形成した。
「な、何だ、これは!」
ラインハルトが叫ぶと同時に、金色の光がまばゆく輝いた。
気が付くと、そこは20m四方の四角い部屋だった。壁や床、天井全体は濃い青色をしており、縦横に金色のラインがマス目状に入っている。また、ライン自体が淡く光を発して部屋全体を薄明るく照らしている。
「みんな、大丈夫か」
「はい。不思議な空間ですね。一体ここはどこなんでしょう…」
全員無事であることは確認できた。しかし、先ほどまでダンジョンの通路にいたはず。この空間は今まで通ってきた各階層に比べて異質な感じがする。メイメイ、パール、アリエルはラインハルトたちを囲むように移動し、各々武器を手にして警戒態勢をとる。
「お兄ちゃん、あれ見て!」
アルヘナが何かを見つけて指を差した。全員その方向を見ると、そこには高さ1.5mの台座の上に直径1m程の金色に輝く球体が浮かんでいる。
『お前たちを呼んだのは儂じゃ』
「きゃあああーーっ!」
「うわぁ!」
突然背後から声をかけられてビックリした女性陣の悲鳴が上がり、つられてラインハルトとカストルも大きな声を上げた。ドキドキを抑えて後ろを振り向くと、長い白髪頭と床まで届きそうな白い顎髭を生やし、薄汚れたローブを着て木の杖を持ったよぼよぼの老人が立っていた。
『ほっほっほ。驚かせてしまったかの』
「い、いえ、大丈夫です。あの、あなたは?」
得体の知れない人物の出現にブラッドソードを構えたパールを手で制し、ラインハルトが一歩前に出て老人に問いかけた。
『ほほほ。儂はこのダンジョンの心臓…。ダンジョン・コアの具現体じゃよ』
柔和な顔に笑顔を浮かべた老人の答えにラインハルトたちは言葉も出せず、唖然としてその顔を見つめるのであった…。




