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第409話 ユウキとミュラー

「痛いっ! 何するのよ。私を帝国皇女と知っての狼藉なの!」

「狼藉を働いたのはどっちだ」


 プルメリアは首を捻って、手を捻り上げた人物を見た。そして顔を青ざめさせ、握っていたリボンを離す。半分に破れたリボンはひらひらと床に落ちた。


「ミュ…ミュラー、にいさ、ま」

「プルメリア、テメェ…、彼女に何をした」


 ミュラーはユウキを見た。ユウキは床に落ちたリボンを握りしめ、わあわあと泣いている。あまりにも痛々しい姿と悲しい泣き声にミュラーの怒りは爆発した。


 プルメリアを掴んでいた手を離すと、その顔ど真ん中めがけて思いっきりパンチを放った。プルメリアは「ギャッ!」と叫んで、通路の壁まで吹っ飛び、壁に背中を打ちつけて床に倒れた。潰された鼻や、切れた口から血がだらだらと流れる。痛みに震え、血を見て絶叫したプルメリアは、血だらけの顔を手で覆い、声にならない声を出して蹲る。


 一連の騒ぎを見ていた人々は、目の前で展開された恐ろしい光景にパニックになった。会議室に集まっていた人々も騒ぎを聞きつけ、何事かと廊下に出てきて仰天した。宮殿の職員や使用人たちが震えながら遠巻きに見る先に、顔を血だらけにして蹲るプルメリアと、怒りに震える顔をし、仁王立ちでプルメリアを見下ろすミュラー、そしてミュラーの足元で破れた布を握りしめ、気を失って倒れているユウキがいたのだ。


「ユウキ! 大丈夫か、おいユウキ!」

「ユウキさん、しっかりして!」


 アンジェリカとエヴァリーナが駆け寄ってユウキに声を掛けるが、何の反応もない。レオンハルトは血だらけで蹲るプルメリアの側に寄り、傷の様子を見てあまりの惨状に驚いた。


「こりゃ酷ぇ…。鼻がつぶれて骨まで折れてやがる。口の中も上の歯茎が骨ごと割れて血が止まらねえ。直ぐに医者に連れて行った方がいい」


 レオンハルトの忠告にヴィルヘルムは周りで見ていた使用人に指示をすると、使用人たちは直ぐに担架を持ってきて、プルメリアを運び出した。


「レオンハルト君、ユウキちゃんをお願い。医務室に運びましょう。私が案内するわ」


 フォルトゥーナがユウキも医務室に運ぶように言った。レオンハルトに担がれて運ばれるユウキを、アンジェリカとエヴァリーナが心配そうに付き添って行った。


「ミュラー様、一体これは何事です」

「お兄様、手が…」


 ヴィルヘルムが問い正すが、ミュラーは答えない。血だらけになった手を見て驚いたセラフィーナがハンカチで手を包む。


「何が起こったのか、事の次第をはっきりさせる必要があります。皇帝陛下にもご報告しなければなりません。皇位継承6位のプルメリア様に働いた狼藉に対して仔細に調査を行いますので、それまで自室にて謹慎なさるようお願いします」


「…………」

「お兄様…、行きましょう」


 セラフィーナに手を引かれ、無言で自室に戻るミュラーの背中を見て、ため息をついたヴィルヘルムは、側に控えていたヴァルターに、今日の会議は延期にすると参加者全員に伝えることと、この場にいた職員たちに何があったか聞き取りするよう指示を出し、皇帝陛下に報告するため、重い足取りで執務室に向かうのであった。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「ん…」


「気が付いたか、ユウキ」

「ああよかった。心配しましたわ」


「アンジェ…、エヴァ…。わたし…」


 ユウキは、半分ぼやけた目で白い天井を見る。しばらくして自分はベッドに寝かされているのが分かった。側ではアンジェリカとエヴァリーナが心配そうに自分を見つめている。


(どうして、自分はベッドに寝ているのだろう…。宮殿に来て、プルメリアという女に出会って…、それから大切な物を奪われたような気がする…)


 段々頭がハッキリしてきた。そうだ、リボンだ。ララの形見と同じリボンはどうなった。そこで自分に起こった出来事を思い出したユウキは、2人にリボンはどうなったか聞いた。


「ねえ、リボン。緑色のリボンはどこ! わたしの大切なものなの!」

「…………」


 アンジェリカとエヴァリーナは顔を見合わせると、そっとユウキの前にリボンを差し出した。破れてボロボロになったリボンを見て、ユウキは猛烈に悲しくなり、毛布の裾を握りしめ、声を殺して泣き出した。2人はユウキの背中を優しく抱いてやる事しかできなかった。



「お兄様、何があったのです。セラフィに話してくれませんか」


 セラフィーナは傷ついたミュラーの手に薬を塗りながら、何があったか問いかけるが、ミュラーは何も答えない。むっつりと難しい顔をして黙り込んだままだ。セラフィーナは、これ以上問いかけても無駄だと悟り、治療を終えると礼をして兄の部屋を辞した。出入口の扉に手をかけたセラフィーナは、退室する前にミュラーに振り返り、


「お兄様、セラフィは何があったとしても、お兄様とユウキさんの味方です」


 と、それだけ言って出て行った。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


数日後…

 目撃者と当事者のユウキの話から聞き取り調査の結果報告を受けたヴィルヘルムは、皇帝陛下に事の仔細を報告した。プルメリア皇女がたまたま出会ったユウキに言いがかりをつけた事が発端であり、ユウキの大切にしていた亡き友との形見とも言えるリボンを破ったところに、通りがかったミュラーがそれを見て激怒し、プルメリアを殴り飛ばした…。


「ふむ、非はプルメリアにあったということか…」

「そのようですな」


「して、プルメリアの容体はどうだ。相当酷い怪我と聞いたが」

「はい、エドモンズ殿にお願いして治癒魔法による治療を行い、傷の方は問題なく完治いたしました。しかし、精神的ショックが大きく、自室から出てこようとはしません。母のエリアナ妃が大分心配しているようですが、こればかりは魔法でも治せませんので…」

「ふむ…、後で見舞いに行くことにしよう」


「それから、いくらプルメリアに非があろうとミュラーの行為は看過できん。当分の間、離れの地下牢で頭を冷やさせるのだ。全く、好きな女の事とは言え、自分の妹を力いっぱい殴り飛ばして大けがさせるバカがどこにいる。命が助かったからよかったものの、プルメリアが死んだらどうするつもりだったのだ」

「まあまあ、その位に…。好きな女性の悲しむ姿を前にして放っては置けない気持ちは、男として分からんでもないかと…」


「それはそうと、ユウキはどうだ?」

「はい、当初は落ち込んでいたようですが、今は普通にしております」


「そうか、彼女への心のケアは忘れるでないぞ」

「ははっ!」


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 ハイデルベルク宮殿の敷地の一角に古びた石造りの建物がある。壁は苔むし、人気は全くなく、冷たく暗い不気味な気配が漂う。見ただけで長い間使用されていない事がわかる。幽霊が出るとの噂もあり、決して人が近づくことはない。しかし、今ここに1人の男、ミュラー第1皇子が収監されていた。


 ミュラーは収監された牢の簡易寝台に腰かけて、天井から落ちる水滴をじっと見続けている。鉄格子が嵌った小さな明かり取りの窓からは雨の降るザーザーという音だけが聞こえてくる。


「外は雨か…」

「怒りに我を忘れたとはいえ、異母妹プルメリアに酷い事をしてしまった…。俺ってヤツは…ったくどうしようもねぇな…。プルメリアを殴った手はバカになってやがる。もう使いモンにならねえな。ハハッ、自業自得だ…」


 薄暗い牢の中で動かなくなった手を見つめていると、上階にある鉄扉が開いた音がして、コツ、コツと石造りの床を歩く音が聞こえてきた。足音は階段を降りてくると、ミュラーの牢の前で止まる。


「ユウキちゃん…か」

「ミュラー」


「ごめんなさい。わたしなんかのために…」

「別にユウキちゃんのせいじゃねえよ」

「でも…」

「いいんだ。気にするなよ。さあ、ここは寒い。早く帰りな」


 ミュラーは視線をユウキから水滴に落とすと、また黙り込んでしまった。ユウキは何も言わず、しばらくその姿を見ていたが、くるっと背中をミュラーに向けると、鉄格子にもたれかかり、明かり取りの小窓から見える雨を見ながら話し出した。


「あのリボンね、ロディニア王国に出たわたしが、初めて知り合った女の子とお揃いのリボンだった…というより、同じものなんだ。その子はね、ララといって、とっても優しくて、他人を気遣う思いやりに溢れた、とてもいい子。わたしの大切な…、宝物のように大切な親友だった…」


「ララや他の友人たちとの生活はとても楽しくて充実してた。でも、そのような日々は続かなかった…。わたし、ロディニアで知らない内にある陰謀に巻き込まれてね、国を亡ぼす「魔女」に仕立て上げられたの。黒い髪は魔女の証って噂を流され、町の人々はそれを信じ、わたしを迫害した…」


(……魔女。やはりそうか…)


「魔女に仕立て上げられたわたしは「魔女裁判」にかけられ、大勢の人々の前で処刑される事になった。首を刎ねられる寸前、助けに飛び込んできたララがわたしを庇って…」

「庇って……。体を真っ二つに斬られて命を落としたの…」


「…もういい」


「血だらけになったララの半身を抱えたわたしは、あの国の人々を凄く恨んだ。憎くて憎くてしょうがなかった。そのうち、心が段々どす黒くなって…」


「やめろ! それ以上は聞きたくねぇ!」


「……ごめんなさい」

「いや、俺も大きな声を出して悪かった…」


「ミュラー。わたしの事、守ろうとしてくれてありがとう…。でもね、そのせいであなたが傷つくのはイヤだよ…。わたしは、もう自分が原因で人が傷つくのを見たくない。それだけ言いたかったの…」


「…………」


「ミュラー、手を出して。ううん、そっちじゃない。傷ついた方」


 ユウキに言われた通りミュラーは動かなくなった方の手を出した。ユウキは自分より大きな手を自分の両手で優しく包み、治癒魔法を発動させた。ユウキの掌が淡い緑色に輝き、治癒の魔力がミュラーの手に流れ込む。時間にして10分ほどだろうか、ユウキは手を離すとフイとミュラーから目を逸らした。


「お礼だよ」


 ユウキは一言そういうと地下牢を去った。ミュラーは再び簡易寝台に腰を下ろし、先ほどユウキに握られた手をジッと見る。


「ん…?」


 思わず手をグッパッ、グッパッと動かしてみた。


「動く…。全く違和感なく動く。一体どうして…」

「…ユウキちゃん、ありがとう」


 暗く冷たい地下牢だったが、ミュラーの心は温かくなった。少しだけユウキとの距離が近づいたような気がして嬉しかった。やはり自分の嫁はユウキしかいない。そう思うミュラーの耳に、雨音は何時しか聞こえなくなっていた。

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