第408話 プルメリア
歓迎会から数日経過したある日、ユウキはアンジェリカを伴ってハイデルベルク大宮殿に向かっていた。
歓迎会の翌日、ユウキはアンジェリカと共に宰相家を出て、カストルたちが宿舎にしているラファール国が借り上げた家に住まいを変更した。突然の申し出にエヴァリーナやイレーネ、フォルトゥーナは驚き、理由を聞きたがったが、一緒に冒険をする仲間との意思疎通を図るためと言って納得させた。本当の理由はヴァルターやフランと顔を合わせたくなかったからだったが、それは言わないでおいた。ただ、歓迎会の晩、部屋に戻った後、アンジェリカだけには話をしてたくさん泣いた。アンジェリカは黙ってユウキの話を聞き、ユウキの涙が枯れて泣き止むまで、優しく抱きしめてくれたのだった。
宿舎を出て30分ほど歩くと、大宮殿の正門が見えてきた。アンジェリカはなんとなく不安そうにしている。ユウキは「大丈夫だから」と言って正門脇の通用口に行き、警備兵に以前マーガレットから貰った通行パスを見せた。警備兵はパスと武器の不携帯を確認すると、どうぞと中に入れてくれた。
「ユウキ、なんでそんなもの持ってるんだ」
「むふふ~。わたし、皇室の方と懇意にしてるんだ。今日お会いするのはね、側妃のマーガレット様。私の友人の皇位継承第7位のラピスのお母さんなの。その方からいただいたんだよ。いつでも遊びに来てねって」
「ユウキって、実は大物なんだな。びっくりだよ」
「ほっほっほ、見直したか」
大勢の人が行き来する大宮殿の正門から中に入り、中庭に抜ける通路に向かおうとしたが早速道に迷ってしまった。誰かに中庭への道順を聞こうかときょろきょろしていると、不意に声をかけられた。振り向くと立っていたのは第1皇女セラフィーナだった。
「セラフィ! わあ、助かったぁ」
「宮殿に何か用でも? はっ、まさか、ミュラー兄様のパンツを被りに…」
「違います!」
「アンジェもご一緒だったのですか。貴女のエアギターは見事でした」
「あら、セラフィはアンジェと知り合ってたんだ」
「はい! ユウキさんの歓迎会で意気投合しまして、父上と私とアンジェの3人でエアギターを爆裂させ、歌と激しいセッションで大いに盛り上がりました」
「何やってんのよ…」
「あの…ユウキ、セラフィって…」
「聞いてなかったの!? この国の第1皇女で、皇位継承第2位のお姫様だよ」
「…じゃあ、父上って…」
「皇帝陛下」
「…じゃあ、私は帝国皇帝と皇女と一緒にエアギターを…。確か「やるな、ひげおやじ!」とか言ってど突いてたような…」
アンジェリカの顔から血の気が引いて真っ青…と言うか、真っ白になり、今にも卒倒しそうになった。ユウキは魂を飛ばしたアンジェリカを支えながら、セラフィーナにマーガレットの所に挨拶に来たこと、通路が迷路のようで道に迷ったことを話した。セラフィーナはうんうん頷くと、近くを通りかかったメイドに、案内を頼むと用事があるからと行ってしまった。
ユウキと元気をなくしたアンジェリカはメイドの案内で中庭を抜け、側妃とその皇子皇女が住まう建物に到着した。中に入り、魔道エレベーターで上階に上がって、マーガレットの部屋に着く。メイドがノックをして来客を告げると、中から「入りなさい」と声がした。メイドは出入り口の扉を開けて、ユウキたちに礼をすると下がっていった。
中に入って礼をすると、マーガレットは相好を崩して近づいてきた。
「まあまあ、ユウキさん久しぶり。少し見ない間に益々美人になったわね。いつお戻りになったの? そちらのお嬢さんは?」
「帝都に戻ったのは数日前です。この子はスバルーバルで出会って以降、一緒に旅している、わたしの友人のアンジェリカです」
「ア、アンジェリカ・フェル・メイヤーと申します。よろしくお願いします」
「んん~、アンジェリカさん。元気がなさそうだけど、具合でも悪いのかしら」
「あはは、先程、精神的ショックが大きい出来事がありまして」
「まあ…。あら、私ったら立たせっぱなしで…。どうぞ、お座りになって」
ふかふかのソファに腰かけると、マーガレット自ら温かい飲み物を出してくれた。今日訪問したは帰国の挨拶と、旅の話をしに来たと告げ、帝国を出てからスバルーバル連合諸王国の国々、南の果てオルノス、魔族の国ラファールと旅をした経過と、人との出会いや様々な出来事を話して聞かせた。マーガレットは大いに笑い、時に驚きながらユウキとアンジェリカの話に聞き入った。
「あはははは、本当に楽しい旅をしてきたのね。でも王家の墓のアンデッド退治、私も参加したかったわー。最近、暴れることが少なくてフラストレーションが溜まってるのよね。ラピスもいないし」
「アンジェ、マーガレット様はね、側妃になる前は帝国地下闘技場の無敗のチャンピオン「金色の死神」って言われてたんだよ」
「なに、その経歴…。怖すぎる」
「オホホホ、若い頃はヤンチャだったのよ~。ところでユウキさん、ミハイルの事なのだけど聞いてる?」
「ミハイル様がどうしたんですか?」
「まだ聞いてないのね。ミハイル、地下牢から逃げ出したのよ。1か月前位になるかな。国家憲兵隊が捜索しているけど、まだ見つからないの。もしかしたら国外に逃げたかもしれないって。何者かが手引きしたって話もあるわ」
「そうですか…」
「ユウキ、ミハイルって?」
「ん、ミハイル様は帝国第2皇子で、皇位に最も近いと言われた人なの。その方がわたしに目を付けてね…」
ユウキはミハイルの皇位継承争いに巻き込まれ、危うく命を落としそうになったが、ヴィルヘルムやマーガレットの助けもあって何とか乗り切った事、当のミハイルは皇位継承権を剥奪され、地下牢に閉じ込められたことを話して聞かせた。
「そんな事があったのか…」
「あの男、皇位を諦めてないからね。気を付けておいた方がいいわよ」
「そうですね。気を付けておきます」
ユウキはミハイルの端正な顔と、瞳の奥に隠された蛇にも似た陰湿な光を思い出し、背筋に寒気が走るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ユウキがマーガレットを訪問してから、さらに数日経過したある朝、うっかり寝坊したユウキは遅い朝食を摂っていた。カストルとアルヘナ、ルツミ、クリスタは編入した学園に登校し、食堂ではアンジェリカとラインハルトにサラ、レオンハルトが朝食後のコーヒーを飲んでいる。台所ではミウを始めとする、国から派遣されたメイドと調理人が洗い物をしていた。
「レオンハルトさん、ホントにここに住むの?」
「ああ、宿屋住まいは何かと不便でな。ここだと、ユウキちゃんたちと相談しやすいしな」
「ま、わたしは大歓迎だけどね」
「レオンハルト殿の活躍をエヴァリーナ嬢から聞いたが、相当な実力者だな。見習うべき所も多い。折角の機会だ、色々ご教授願おうかと思っている」
「アンタはぽんこつが過ぎるから、よっく話を聞いた方がいいよ」
「レオンハルトさんにしたら迷惑だと思うがな」
「あんたら…、ラインハルト様に向かって酷い言い草ね。テンプルにパンチ喰らいたいの?」
「お、ユウキちゃん、時間だぞ」
「あ、ホントだ。じゃあ行きましょうか。ぽんこつとサラはお留守番お願いね」
「ああ、気を付けてな」
ユウキはアンジェリカとレオンハルトを伴って家を出た。今日はヴィルヘルムから呼び出しを受け、ハイデルベルク宮殿に向かう。季節は徐々に春に向かい、風も優しく温かく、歩道に並ぶ街路樹も芽吹き出し、道端には早咲きのスイセンが黄色い花を咲かせていた。
「春っぽくなってきたね」
「そうだなあ。ユウキ、今度春物の服を買いに行かないか。帝国のファッションに興味があるんだ」
「お、いいねー。アルヘナちゃんとクリスタも誘って行こうか」
「やった、決まりだな。今から楽しみだよ」
(ユウキちゃん、歓迎会の後しばらく元気なかったが、元に戻ったようだな。ただ、エヴァリーナさん一家と少しギクシャクしてるように感じるのは、オレの気のせいか?)
楽しそうに話しをしながら前を歩くユウキとアンジェリカを見て、レオンハルトはちょっとした違和感を感じていた。フォルトゥーナからはユウキとエヴァリーナは相当仲が良かったと聞いていた。しかし、宰相家を出た事も解せないし、積極的にコンタクトを取る様子もない。
(ケンカしたとは聞いてないが…。別に何か原因があるのか?)
流石のレオンハルトも、一方的に好意を寄せていたヴァルターに想いを伝える間もなく、光の速さで失恋したのが原因とは分らなかった。ヴィルヘルム一家には何の非もないのだが、ユウキは何となく近寄りがたく感じていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
通用門で警備兵にヴィルヘルムから呼び出しを受けたことを申告すると、話が通っていて直ぐに中に入れてもらえた。通用門から宮殿正門に向かう。近衛兵が守備する受付案内で目的の場所を聞き、案内図を貰って中に入る。ユウキは宮殿に入るのは慣れているが、こういう場所は初めてというレオンハルトは挙動不審になっていて、その様子が可笑しくてユウキとアンジェリカは笑ってしまった。
宮殿西棟3階に上がった3人は案内図を見て、この奥が目的の会議室であることを確認した。
「この先だな。一介の冒険者にゃ、敷居が高すぎて緊張するな」
「あははは、レオンハルトさんでも緊張するんだ」
「笑うなよ、アンジェリカちゃん。オレは繊細な男なんだぞ」
「とてもそうは見えんが…」
「うふふ、2人とも先に行ってて。わたし、トイレに寄って行くから」
「ああ、わかった」
トイレに入ってスッキリしたユウキは、手洗い場で手を洗い、手を拭こうとポケットを探したがハンカチがない。仕方なくマジックポーチを探って、予備のハンカチを取り出そうとしたら、エルヴァ島で購入したララの形見と同じ色のリボンを取ってしまった。リボンを見たら急に懐かしくなり、手洗い場の鏡を見ながらリボンを着けてみた。
「えへへ…、自分で言うのもなんだけど、すっごく可愛いじゃない。それに、なんだかララが一緒にいるみたい。ララ、わたし頑張ってるよ。見守っててね…」
「さて、会議室に急ぐとしますか」
トイレを出たユウキは、出会い頭に誰かとぶつかってしまった。慌てて謝るユウキ。
「あっ! す、すみません」
「痛いわね! 気をつけなさいよ、私を誰だと思っているの!」
「本当にすみません(あれ、この人…。確かどこかで…)」
「何よじろじろ見て…。ん、そういえばお前、どこかで見たことあるわね…あっ! お前はミハイル兄さまと決闘をした女!」
「貴様…貴様のせいでミハイル兄様は…、聡明でお優しかったミハイル兄様。次期皇帝として私たちの期待の星であったミハイル兄様は破滅した! お陰でミハイル派の兄弟姉妹は継承順位を下げられ、宮廷内での地位も地に堕ちた。全て貴様のせいだ!」
「そんな、わたしはミハイル様の策謀に巻き込まれただけで…」
「煩い!」
パシーンと鋭い音と共にユウキの頬に鋭い痛みが走った。
「痛い! 何をするの!」
「黙れ! ミハイル兄様の将来を奪った貴様は絶対に許さない! なに、そんな汚いリボンなんかして、目障りだわ」
女はユウキのリボンを毟り取ろうと飛び掛かってきた。取られまいとユウキは激しく抵抗する。女は悪鬼の形相で爪を立て、頭を守ろうとするユウキの手を引っ搔いて傷をつけ、ユウキは痛みに思わず悲鳴を上げた。女はユウキが怯んで手を離した隙に頭からリボンを毟り取る。無理やり髪を引っ張られた痛みで蹲るユウキは痛みに耐えてリボンを返すように女に叫んだ。この騒動に廊下を歩いてた職員や来客が何事かと集まって来る。
「きゃあ! 痛い、痛いよ、何するの!? リボン、リボンを返してよ。大切なものなの!」
「煩い煩い! こんな布切れ、こうしてやる!」
女は奪ったリボンを引き裂きにかかった。布の繊維方向に持ち替えて力を入れると、ビリビリッとリボンが傷つく音がした。ユウキは涙目で止めるように叫ぶが、女は悪魔のような笑顔を浮かべると、高笑いして手に力を入れた。
「オーホホホホ、ざまあないわね!」
「お願いやめて! 返してぇ、大切な、大切なリボンなの! ララのリボン返して!」
「知るか! クソ女!」
周りに集まった人々が固唾をのんで騒動を見ている中、1人の男が進み出て女の手を取って捻り上げた。
「クソ女はテメェだ。プルメリア」




