第398話 地底の怪物
エヴァリーナたちは廃鉱山の中の深い谷の底をひたすら歩いている。どの位歩いただろうか、景色が全く変わらないので距離と時間の感覚が失われて久しい。足も痛くなってきて靴擦れが酷くなってくる。
「ここらで休憩しよう」
エヴァリーナとアルテナの辛そうな顔を見たレオンハルトとミュラーは休憩をとることとした。谷はどこまで続いているかわからない。休める時には休んだ方がいいと、レオンハルトは長い冒険者生活で学んだ。
荷物袋からシートを取り出して敷き、女たちとリューリィを座らせ、レオンハルトとミュラーは適当な岩を椅子にして座った。簡易魔導コンロを出してエヴァリーナの魔法で水を出してもらい、ポットで湯を沸かす。エヴァリーナは靴と靴下を脱いで足を解放した。
「うう…、はぁ~あ、何という解放感。もう靴がムレムレです…。う、凄く臭い…」
「わらわもなのだ」
「ふふ、レオンハルトさんからお湯を分けてもらいました。はい、温かいタオルです。これで足を拭きましょう」
気配りの男リューリィが、ホカホカのタオルを2人に渡すと、自分もブーツとソックスを脱いで足を拭き始める。
「ああ、温かいタオルが心地いいです…。うっ! いたた…靴擦れが出来てる」
「どれ、見せてみろ」
「きゃあ!」
レオンハルトがサッとエヴァリーナの足を取って見る。エヴァリーナは突然の行為にドキッとして、顔が真っ赤になる。しげしげと足を見ていたレオンハルトは踵の部分に靴擦れでできた傷を見つけ、バックから軟膏を取り出し、傷に塗った。
「くう…、染みます…」
「我慢してくれ。冒険者ご用達の薬草で作った傷薬だ。よく効くぞ」
薬を塗り終えた後、清潔な布で傷を覆って軽く包帯を巻いた。その手際の良さに流石冒険者とエヴァリーナは感心する。それを見ていたアルテナも、
「おい、得体の知れない男。わらわにも薬を塗ってくれ」
「あのな、名前…もういいわ。ほら、足を出せ」
「ほい」
「くっせぇな…、腐った雑巾のような臭いがするぞ」
「むぅ~っ。レディーに対して酷いのだ!」
レオンハルトは、ふくれっ面で頭をポカポカ叩いてくるアルテナの傷にも薬を塗り、包帯を巻き終えると、元の場所に戻ってお茶を口にした。ふと見るとミュラーの元気がない。
「どうしたんだ。元気ないぞ。いつものお前らしくない」
「いや、何でもねえよ…」
「……まあ、何考えているかくらい分かるけどな」
「…………」
「きっと出口はあるさ。前向きに行こうぜ」
「…だが、オレのせいで」
「まだ言ってるのかよ。そんな女々しいんじゃユウキちゃんに嫌われるぞ」
「ユウキちゃんは関係ねぇだろ!」
「ははは、その調子だ。さあ、そろそろ行くか」
「ああ…って、ちょっと待て」
「どうした?」
「何か聞こえねぇか」
ミュラーが急に立ち上がり耳を澄ます。レオンハルトの耳には少し離れた場所で楽しそうにお喋べりするエヴァリーナたちの声しか聞こえない。ミュラーを見ると真剣な顔で谷の様子を伺っている。レオンハルトはもう一度耳を澄ませてみた。すると、なにやら地面を這いずるような音が聞こえる。しかもそれは、徐々に近づいてくる。
「おい、ミュラー!」
「ああ! みんな、魔物だ! 戦闘準備!」
ミュラーとレオンハルトがそれぞれ武器を構えて、トーチの範囲外、漆黒の暗闇の中を見る。エヴァリーナとリューリィも魔法の杖を携えて2人の背後に待機する。アルテナは離れた場所の岩陰に身を潜めた。
「ミュラー、どうしたんですの」
「しっ…。来るぞ」
ズル…ズル…と引きずり音が大きくなる。リューリィがトーチを唱え、音の方向に飛ばした。エヴァリーナたちの前方が一気に明かるくなる。そして、その下に現れたものは2対4本の短い前足と2対5本の後ろ足に長い尾を持ったイモリに似た怪物だった。黒い皮膚はザラザラし、背中側は黒で、腹は赤地に黒の斑点模様になっている。何よりも大きさがデカイ。体の長さは3m以上あり、尾の長さも含めると5mは超えるだろう。
「ヒッ…」
「な、何だ、コイツは」
巨大な怪物にエヴァリーナが小さく悲鳴を上げた。怪物はミュラーたちを覚知すると餌と認識し、真っ直ぐに向かってくる。距離が少しずつ縮まり、10m程まで近づいたところで大きく口を開け、エヴァリーナ目がけて矢のような速度で舌を伸ばしてきた。
「きゃああっ!」
「危ねぇ!」
怪物の舌がエヴァリーナを捉えようとしたとき、咄嗟に反応したレオンハルトがエヴァリーナを突き飛ばした。地面に倒れたエヴァリーナが見たのは舌に捉えられ、怪物の口に飲み込まれようとしているレオンハルトだった。
「きゃああっ、レオンハルトさーん」
「レオンハルト!」
エヴァリーナの悲鳴とミュラーの叫びが谷底に木霊する。
「ぬぉおおおおお!」
怪物の巨大な口に飲み込まれる寸前、レオンハルトは上顎と下顎を両手両足で抑え、飲み込まれるのを防いだ。怪物は捉えた獲物を離すまいと、巻き付けた舌で胴をギリギリと締め付け、顎を閉じようと力を入れる。レオンハルトの全身の骨がミシミシと悲鳴を上げ、強烈な舌の力で呼吸も思うように出来ず、苦悶の声を上げる。
「レオンハルトさん、今助けます! ファイアボール!」
リューリィが火球を放ったが、厚い皮膚に弾かれ、表面を少々焦がしただけで怪物は全くダメージを受けた様子がない。
「まだまだぁ! これでどうだ、ファイアランス!」
火球に代わって炎の槍を連続で放つ。今度は効果があったようで、怪物は苦しそうな唸り声を上げた。しかし、レオンハルトを離そうとはしない。リューリィは魔力を高め連続でファイアランスを発射し続ける。そのタイミングでミュラーはレオンハルトが落としたハルバードを拾い上げると、怪物目がけて突進し、前足目がけて叩きつけた!
「うぉおおおおっ! 喰らえイモリ野郎!」
ハルバードの鋭い刃が怪物の前足の1本を捉え、ズシャアと肉を切裂く音とともに切り飛ばした。怪物は痛みに体を激しく捩り、レオンハルトを吐き出すと、長い尻尾を振り回してミュラーに叩きつけた。遠心力による加速度を得た尻尾がミュラーの胴に入り、猛烈な力で弾き飛ばされ、崖に叩きつけられる。
「ぐはぁ…っ」
「ミュラー! レオンハルトさん!」
エヴァリーナが2人の許に駆け寄ろうとしたが、リューリィがそれを止める。
「待ってエヴァリーナ様。まずこの怪物を倒すのが先です」
「で、でも2人が…」
「今怪物を倒さなければ、みんな殺られてしまいます。あの2人なら大丈夫!」
「エヴァ、ミュラーと得体のしれない男はわらわに任せるのだ!」
岩陰から出てきたアルテナが、倒れているミュラーとレオンハルトに駆け寄り、なけなしの治療薬を飲ませる。
「エヴァリーナ様、危ない!」
危険を知らせる声にエヴァリーナがハッとして見ると、怪物が大口を開けてエヴァリーナを飲み込もうとしていた。
「きゃあっ!」
「エヴァリーナ様!」
既でのところでリューリィが服の袖を引っ張って引き寄せた。怪物は地面すれすれで口を掬い上げたが、獲物を捉えていなかった事に一瞬戸惑う。リューリィはその隙を見逃さなかった。
「エヴァリーナ様、奴には魔法が効きにくい。ここは一発勝負に賭けます。奴に向かってトルネードを放ってください」
「トルネード…ですか? あ、もしかして…」
リューリィはこくんと頷く。意図を察知したエヴァリーナは大地の杖を構えた。怪物は鋭い嗅覚で獲物を察知すると、倒れているミュラーと介抱しているアルテナに体を向けた。このままではレオンハルト共々食べられてしまう。2人はミュラーたちを巻き込まない位置に素早く移動して魔法を放った。
「させません! トルネード」
「ファイアストーム!!」
大地の杖によって威力を増幅させた竜巻にリューリィは炎の渦を乗せた。高速の風で酸素を供給された炎が猛烈な勢いとなって燃え上がり、炎の嵐となって怪物に突き進む。
『風よ炎よ、灼熱の暴風となりて全てを焼き尽くせ! 合体魔法ファイア・ブラスト!』
背中合わせとなって怪物に杖を向け、全ての魔力を注ぎ込んだ「ファイア・ブラスト」が怪物に直撃した! 魔法は怪物の固い皮膚を切裂き、炎が肉を焼き尽くす。さらに炎は怪物を包み込み、酸素を奪い取って窒息させる。怪物は大きく口を開けて酸素を取り込もうとしたが風に乗って暴れ狂う炎は、口から内臓に入り込み、内部からも焼き尽くす。
やがて、力尽きた怪物はズシンと地響きを立てて倒れ伏すと動きを止めた。ファイア・ブラストの炎は怪物を焼き尽くして消え、黒焦げになった残骸だけが残されたのだった。
「うう…、くそ、体が痛ぇ…」
「大丈夫か、ミュラー」
「アルテナか…。大丈夫だ、骨も折れてねえし、少し休めば動ける」
「レオンハルトさん、しっかりして! 目を開けて!」
「……う、ぐっ」
「ああ、気が付いた。痛いところはありませんか?」
「あ、ああ、エヴァリーナさんか…。大丈夫だ…」
「良かった、良かったですわ。うう…グスッ…。うわぁああん!!」
レオンハルトが無事だと知り、ほっとしたエヴァリーナ。安心したら涙がぼろぼろ零れて止められなくなった。思わずレオンハルトの胸に飛び込んでワンワン泣き出した…が、急にぱっと離れた。
「生臭い…。おえっぷ…」
レオンハルトの体は怪物の唾液で強烈な異臭を放っていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「しかし、こんなバケモノがいるなんて、この先、油断できないですわね」
「ああ、だがバケモノがいるって事は、どこからか入ってきたと言う事だ。希望が見えてきたな」
「そうですわね。俄然元気が出てきました」
「それはそうと、リューリィはなにしてるんだ?」
リューリィは黒焦げになった怪物の体をナイフで削って小袋に入れていた。ミュラーとエヴァリーナが不思議そうに訊ねると、
「これ、イモリの怪物でしょう? イモリの黒焼きは万病に効くといいますよね。だから少し持っていこうかなって」
「お前は相変わらず抜け目がないな」
黒焦げになった怪物の周りで話をしているエヴァリーナたちにレオンハルトが近づいて声をかけた。
「もう行こうぜ」
「ああ…ってか、お前はあまり近づくなよ。生臭えんだよ」
「仕方ねえだろ。着替えもねえし。どこか水が流れてる場所でもあればいいんだがな。体と服を洗いてぇよ」
「それなら、この先からかすかに水が流れる音が聞こえるぞ」
「ホントかアルテナ姫!」
うむと偉そうに頷くアルテナ。エヴァリーナはレオンハルトに少し離れてついてくるように言うと、ミュラーとリューリィを先頭に水の音がする場所に向かって歩き出すのであった。前を歩く4人の背中を見て、レオンハルトはちょっと悲しくなり、自分の体をくんくんしてみる。
「そんなに生臭いかな。さすがのオレも傷つくぞ…って、やっぱ臭えわ。わははは!」




