第397話 闇の谷
「う…、む…」
「あ、気が付きましたか」
目を覚ましたミュラーの視界に入ったのは、幼い頃から付き従ってくれている親友。並の女の子では敵わない程の美貌の持ち主、リューリィだった。その親友は心配そうに顔を覗き込んでくる。
「リ…リューリィか…。ぐぉっ! いつつ…」
「無理しないでください。全身打撲でかなりダメージを受けてます。骨が折れてないだけ幸いでしたけど、しばらく安静にしていないといけません」
「全身打撲…そうか、オレはクレバスに落下して…。そうだ! アルテナ、アルテナはどうした! まさか…」
ミュラーは痛む体をおしてリューリィに掴みかかり、アルテナについて訊ねた。たしか、意識を失うその瞬間までしっかりと抱いていたハズ。しかし、自分の側にアルテナはいない。まさかと思う気持ちがミュラーの神経をぞわっとさせる。
「アルテナ姫は無事ですよ」
その声の方を見るとシートを敷いて座るエヴァリーナに膝枕されて眠っているアルテナがいた。ミュラーは痛みで軋む腕と足をずりずりと動かし、腹這いになったままアルテナの許に進む。そしてエヴァリーナの太ももに頭をのせて眠っているアルテナの頬を手で包み、体温を確かめ、生きていることを確認するとぼたぼたと涙を落とした。
「うぐっ…ううっ…。良かった。生きててくれた…うぐっ…」
「ミュラー…」
アルテナの手を握り、男泣きに泣くミュラーを見て、エヴァリーナとリューリィも自然に笑顔になるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「みっともないところを見せちまったな」
「ふふ、いいんですのよ」
「ところで、ここはどこだ? 何故オレとアルテナは助かったんだ?」
「説明しますね」
「ここは、ボクたちが渡ろうとしていたクレバスの底です。ミュラー様が落ちた後、トーチの魔法で捜索したら、元々の場所の真下にミュラー様とアルテナ姫を見つけることができたんで、ロープを伝って全員で降りてきたんです」
リューリィの説明に続いてエヴァリーナが助かった理由を話してくれた。クレバスに落下したミュラーたちの落下速度を落とすため、風の魔法を撃ってクレバスの底に乱気流と上昇気流を発生させ、空気の流れを利用したクッションを作り出して衝撃を軽減させたとのこと。
「そうか…。お陰で助かったぜ。さすがエヴァだな。良く咄嗟にそんな事を思いついたもんだ」
「ふふ、実はこれ、私が考えたものではありません」
「なに!?」
「レオンハルトさんが、私にいつでも魔法を撃てるように準備しろって指示してたんです。きっと、こうなる事を予測してたのですわ」
「そうか、レオンハルトが…。そういえばヤツの姿が見えないな」
「偵察に行ってもらってます。このクレバス、深さが相当あって、降りたはいいけど登るのは無理だってレオンハルトさんが…。だから坑道に出られる場所がないか探しに行ったのですわ。もう2時間位になります」
「トーチの効果も切れる頃だし、心配ですね」
ミュラーが改めてクレバスを見上げる。壁は垂直に切り立っており、高さはおよそ30mはあるだろう。今更ながらよく命が助かったと思う。ただ、底は比較的平坦で、幅も10mはあり、歩くのに支障はなさそうだ。
リューリィが荷物の中から小型の魔道コンロを出して鍋を置き、手持ちの材料を使って簡単なスープを造り始めた。エヴァリーナたちの周囲にいい匂いが漂い、匂いに誘われたようにアルテナが目を覚ました。
「あら、お目覚めになりました? 痛いところとかありませんか?」
「エ、エヴァ…。わらわ、生きてる?」
「ええ、生きてます。怪我したところもありません。ミュラーが守ってくださったのですわ」
「ハッ! ミュラーは、ミュラーはどこなのだ!」
「ここにいるぞ~」
少し離れた場所に敷かれたシートに毛布を重ね敷いて、その上にゴロンと横になり、体を休めているミュラーが手をひらひら振っていた。その緊張感のない顔を見たアルテナは安堵感からボロボロと大粒の涙を零し、ミュラーの胸に飛び込んだ。
「うわわーん! ミュラー無事でよかったのだ~。アルテナを助けてくれてありがとう~」
「うぉわ! 痛っ! いてーよ。急に抱き着くなバカ野郎」
「ふえぇ~ん。わぁーん」
「ったく、仕方ねえな…」
アルテナを優しく受けとめて頭を撫でているミュラーを見て、この男の本質を改めて見直したエヴァリーナだった。
「お、目が覚めたのか」
「レオンハルトさん!」
「お帰りなさい。遅かったですね、お腹もすいたでしょう。スープが出来てますよ」
「ありがとう、リューリィ君。でも、その前に…」
レオンハルトはミュラーとアルテナの許に行き、2人の体の様子を確かめた。
「アルテナ姫は大丈夫そうだな。ミュラーは…、打撲は酷いが骨は折れてないようだ。幸いだったな。ただ、動けるようになるまで2~3日は安静にする必要があるな」
「すまねぇ、オレがドジ踏んだばっかりに。急ぎなのに迷惑かけちまった」
「なに、俺たちも疲労が溜まってた。休養するには丁度いいタイミングだったさ。まあ、色気のない場所ではあるがな」
「じゃあ、ゆっくり休め。俺はメシを食ってくる」
「あ、おい、待て」
「ん、何だ」
「お前がエヴァに魔法を撃たせてオレたちを助けてくれたんだってな。その、何だ。お礼が言いたくてな…。ありがとう」
「得体の知れない男よ、感謝なのだ」
「一か八かの賭けだったがな。上手くいって良かったぜ。それに、ミュラーはユウキちゃんを嫁にするんだろ。だったらこんな所で死んじゃいけねえよ。あと、アルテナ姫はいい加減俺の名前を覚えろよ」
レオンハルトは、それだけ言うとエヴァリーナとリューリィの許に歩いて行った。ミュラーは心の中で、頼れる男の背中に向かってもう一度感謝の言葉を送るのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「坑道への合流は無理だな」
「そうですか…。ではここから出ることも難しいという事ですわね」
「ああ、このクレバス…というより深い谷だな。規模は相当なものだぜ。俺が歩いた範囲だけでもずっとこの高さが続いている。それと、俺が進んだ方向は先に行くほど狭くなって、終いにゃ通路が閉じてしまっていた」
「と言うことは…」
「ああ、俺たちに残された選択肢は一つしかねぇ。かなり危険な賭けだが」
「進みましょう。生きて帰るためにも」
「そうだな。エヴァリーナさんの言う通りだ。もしかしたら、邪龍に繋がる何かを見つける可能性も無い訳ではないしな」
エヴァリーナとリューリィ、レオンハルトの3人はしっかりと頷きあうと、温かいスープを食べて体力の回復に努めるとともに、ミュラーが回復するまで自分たちも体を休めることにした。食事の後、エヴァリーナは持ち物チェックを始めたレオンハルトを、何の気なしに見ていた。そしたら何故かもやもやと妄想が頭の中に浮かんでくる。
(もし、誰もいない場所でレオンハルトさんと2人きりだったら…。あ、あんな事やこんな事もあるかも…。ヤ、ヤダ、エヴァのエッチ!)
エロい妄想の中、1人で体をくねくねさせているエヴァリーナを、リューリィは不思議そうに見つめるのであった。
暗闇の世界では時間の間隔も狂い、谷底に降り立ってから何日経過したか分からない。ただ、お腹が空いて食事をした回数から3日程度は経過したものと思われた。手持ちの食料も乏しくなってきた。ただ、高級治療薬を全てミュラーに投与した効果で、怪我も回復したことから先に進むことにした。道具を背負い袋に片付けていよいよ出発しようとした時、谷の上方、廃坑道の方から人の声が聞こえてきた。
「何かしら…」
「!! ハルワタートたちかも知れねえ。リューリィ君、トーチの魔法を解除するんだ」
「は、はいっ」
トーチの明かりが消え、周囲は闇に包まれる。全員岩壁に身を寄せて息を潜め、様子を伺う。坑道を進んできたのは、レオンハルトの予想通りハルワタート率いる先遣探索隊だった。
「バルドゥス様、谷は梯子を掛ければ超えられそうです。ただ…」
「ただ、何だ」
「ハッ、この杭に結びつけられていたロープ、ごく最近の物のようです」
バルドゥス将軍は部下の持っていたロープを手に取るとしげしげと眺める。ロープは途中から切れていたが、人為的な切り口ではなく、自然破断したもののようだ。将軍はハルワタートにロープが切れた部分を見せた。
「どうやら、我々の駐屯地に侵入し、地図を盗んだ者が先行していたようですな。しかし、見てください、このロープは破断しています。つまり、この谷を渡っている最中に切れたと思われます」
「落ちたって事か」
「左様」
何人かの兵士が松明を投げ入れて谷底を見ようとしたが、谷は余りにも深くて暗く、松明の火がちらちらと見えるだけで、何物も見えない。同じように谷底を見ていたハルワタートだったが、視力に優れる獣人の目をもってしても見えないものは見えない。
「正体を確かめたかったがしょうがねえ、先に進むぞ。バルドゥス将軍!」
「ハッ! 梯子をかけろ!」
『おおーっ!』
谷にかけられた梯子が鉄釘を使って岩盤に固定された。作業を終えた工兵の合図で兵士たちが次々と渡っていく。最後となったアーシャが梯子に足をかけた。渡る最中に下を覗き見る。谷底は真っ暗闇で吸い込まれそうな恐怖感を覚える。しかし、彼女は前を向くとしっかりとした足取りで渡り切った。心の中で顔も知らない帝国の者たちの無事を祈りながら…。
真っ暗な暗闇の中、息を潜めて成り行きを見ていたエヴァリーナたちは、ハルワタートたちが去ったのを感じると、岩壁から離れ、まだ燃えている松明の周りに集まった。
「行ったようですわね…」
「オレたちも進もうぜ」
「ああ、リューリィ君、頼む」
「了解です。トーチ!」
魔法で周囲を明るくし、エヴァリーナたちは進み始めた。既に地図は役に立たず、どこに行くかも脱出すら出来るか分からない。しかし、エヴァリーナは心配していなかった。ミュラー、リューリィ、アルテナ、そしてレオンハルト。心強い仲間たちと一緒に任務を果たし、絶対に帰還すると心に誓うのだった。




