第349話 生物兵器
「生物兵器…」
その言葉にヴェルゼン山の集落の人々を屍人化させた、あの得体の知れない怪物を思い出し、背筋に悪寒が走る。
『そうじゃ。この書棚には生物兵器に関する研究書が並んでおる』
「……そうなら、ここの本は世の中に出してはならない禁書ということになるね」
『うむ。燃やしてしまう事を提案するぞ。ただ…』
「ただ?」
『これだけは持ち帰り、ヴィルヘルムに渡したほうが良いと思う』
エドモンズ三世が差し出したのは1冊の厚い本。ユウキたちが知る古代文字とは異なる言語で書かれているため読めない。適当に開いてみるとドラゴン(龍))の挿絵と体の各部に注釈がびっしりと書き込まれている。
「これは…」
ページを改めると姿の異なるドラゴンの絵があり、同様に注釈が書き込まれている。中にはユウキの見知った怪物の挿絵もあった。
(ロディニアで戦ったヒュドラーやペルーダだ。ここでは何の研究が行われていたというの…。何にしろ、この本は持ち帰ってヴィルヘルム様に調べてもらおう)
ユウキは本をマジックポーチにしまうと、アンジェリカとポポを部屋の外に出し、冥府の炎を呼び出して書棚ごと本を燃やし尽くした。エドモンズ三世には延焼を防ぐため、暗黒防壁で書棚の周囲を囲ってもらっている。次々燃え落ちる本を見ながら、
(これで、万が一にも悪用されることはない。知ってはいけない知識というものはあるから…。古代魔法文明が後世に引き継がれていかなかったのは、このような知識が継承されることを防ぐためものあったのかな。はは、考えすぎか…)
と考え込んでしまうのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここが最後の階だね」
最下層の階にたどり着いたユウキたち。最下層は崩落の影響が殆どないが、澱んだ空気が充満し、陰鬱な気配が支配していて、足を踏み入れるのも躊躇われそうな気がする。
「扉は3つあるな。ユウキ、どこから入る?」
「オーソドックスに階段の手前からにしよう」
ユウキが戸を開け、エドモンズ三世が最初に入り、続いてアンジェリカ、ポポ、ユウキの順で中に入った。室内は薄暗く空気が澱んでいる。目が慣れて室内が見渡せるようになると、その異様な光景に全員立ち竦んだ。
「こ…これは…。うっ…」
室内には多段棚がいくつも設置され、得体の知れない生き物や何かの体の一部、臓物が大小様々な標本瓶の中に納められ、透明な液体で保存されている。ユウキとアンジェリカは気持ち悪さを押さえ標本瓶を眺めていると、部屋の一角から突然大きな悲鳴が上がった。
「わあ! ビックリした…。ポポなの今の悲鳴? どうしたの」
「ひえええ…、あ、あれですぅ」
真っ青になって震えるポポが指さした方向を見ると、血管だけになった人体の標本が立っていた。眼球だけがギラギラして非常に怖い。ユウキとアンジェリカが近づいて、標本をよく見る。
「………これ、作りものじゃない。本物の人間を使った標本だ。一体、どうやって作ったんだろう…?」
「ひええええ、こ、怖いですぅ…」
青ざめた顔をして人体標本を観察していたアンジェリカの肩がぽんぽんと叩かれた。
(ん、ユウキか?)
しかし、ユウキはアンジェリカの隣で標本を見ていて、ポポはユウキの足にしがみ付いて震えている。
(だ…、誰…?)
恐る恐る振り返るとドアップで迫る髑髏。
『ばぁーーーっ!』
「ふぎゃあああああーーっ!!」
「きゃああああああーーっ!!」
エドモンズ三世に脅かされたアンジェリカがお嬢様とは思えないような、大きな叫び声を上げ、その場にぺたんと尻もちをついた。アンジェリカの大叫喚にユウキとポポもびっくりして悲鳴を上げた。
『ワハハハハハ! スマン、スマン。そんなに驚くとは思わなんだ』
「うう…グスッ…。エ、エドのばかぁ…。グスグス…」
『悪かった、悪かった。もう泣くな。ホレ、立たせてやろう』
エドモンズ三世が手を差し伸べたが、アンジェリカはいつまで経っても立ち上がろうとしない。下を向いてもじもじしているだけだ。
『ん、どうしたのじゃ。早よ立たんかい』
「……………だめ」
『腰が抜けたのか。どら、儂が立たせてやろう』
「違う…。お漏らししちゃった…。グス…」
令嬢にあるまじき失態にアンジェリカは真っ赤になってプルプル震えている。見ると、尻の辺りに水たまりができている。エドモンズ三世はユウキにアンジェリカの事を頼み、自分は3人から少し離れて深く反省をするのであった。
『ちょっとおふざけが過ぎたわ。アンジェリカは3人の中で最も女の子らしい性質を持ってたのを忘れとったわい。後でしっかりと謝らねば』
「反省だけなら猿でも出来るのです」
いつの間にか傍に来ていたポポがキツ-イ一言を浴びせるのであった。ポポを見てエドモンズ三世は一言。
『アンジェリカの濡れたパンツ、貰ってきてくれんか?』
「死ね! ド変態」
『とっくに死んどるわい。じゃあポポたんのパンツでもいいぞよ』
「ユウキ~。エロ骸骨がポポのパンツを脱がせて、匂いを嗅ぎたいって言うのですぅ~。わあああん(ウソ泣き)」
『そんな事言ってないぞ!』
怒りで阿修羅と化したユウキがエドモンズ三世めがけて走り寄る。エドモンズ三世は死を覚悟した。
『ヤバいぞ、あの顔はマジだわい。皆さん、さようなら』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「次はこのドアだね。ん、どうしたのアンジェ」
「いや…、ユウキから借りたパンツなのだが…、その、布面積が小さすぎないか? アソコにちょっと食い込んじゃって…、やだぁ~ん、もお~」
『カカカ、お嬢様然としたアンジェリカが悶える姿は新鮮じゃのう。良きかな良きかな』
「全身ぼろぼろの姿で何言ってるのです? この骸骨は」
『幽体までダメージを食らったぞ。マジで消滅するかと思った』
「自業自得なのです」
「全くだな」
3人の会話を他所にユウキが2番目の扉を開ける。そこは何かの実験室のようであった。中央に手術台のような寝台があって,脇に照明器具と反対側に生命維持装置のような機械が置かれている。ただ、いずれも長い時間の中で錆が浮かんで風化が進み、起動はできないようだった。
「ユウキ、みんな、これを見てくれ」
寝台を観察していたアンジェリカが全員を呼ぶ。集まった皆が見たのは寝台の上と床に散らばっている赤黒い染み。
「血…だね」
『ここで何が行われていたか、想像に難くないのう』
「ここには何もないね。長居は無用、最後の部屋を見てアンゼリッテの元に戻ろう」
「賛成だ。しかし、上のビキニアーマーを見つけた部屋とのギャップが激しすぎるな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここが最後の部屋…」
金属製の重々しい引き扉をユウキとアンジェリカが力を合わせて引き開けた。中に入ると小さな前室があり、さらに下に降りる狭く短い階段があった。その階段を降りた先の戸を開けて中に入る。中は暗く視界が悪い。ポポが光の精霊を呼び出すとぱあっと周囲が照らされ、部屋の中が見通せるようになったが、その光景は今まで見てきた物がただの小物にしか見えないような悍ましいものだった。
「な…なに、これ…」
ユウキたちの目の前には大きく透明な容器が何本も並んでいる。近づいて見てみると、中には様々な生物が掛け合わされたような異形の怪物が入れられているが、ほとんどが腐敗して体が崩れ、乾燥して干からびていた。
「酷いな…。容器に入れられたまま放置され、機械が停止して死んだんだ…」
「うん。しかし、これらは一体何なんだ…」
『古代文明は生き物を自在に作り替えたようじゃの。もはや神の領域に達していたとしか思えんのじゃ』
異なる魔物同士だけではなく、魔物と人間の合成生物もあり、目を失った眼窩は虚空を見つめている。あまりの惨状にユウキたちは怖気を振るう。
「ゆ、ユウキ、あれを見るです」
震えるポポが指さした先には、まだ機能が生きている容器。その中には生物がいて、こちらをじっと見ていたのであった。
「い、生きてる…」
透明な液体に満たされた円筒形の容器の中で、ユウキたちを見つめている生物は人間と全く同じ姿をしていた。身長は150cmくらいでポポとほぼ同じくらい。真っ赤な髪の毛に真っ白な肌。中性的な顔は整っていてかなりの美形。瞳は金と銀のオッドアイと通常では考えられない色をしており、何より異質なのは胸に2つの双丘があり女性的だが、股間には男性器が備わっている。所謂「両性具有」の姿をしていることだ。また、人工的なホースでへその辺りと容器の機械部分が繋がれている。
「ユウキ、ここを見てみろ」
アンジェリカの指さした場所を見ると、容器の下側に1枚の金属プレートがはめ込まれており、文字が刻まれているのに気付いた。読んでみるとこう書かれている。
『人を超えた存在 神をも殺す者 その名は「ヘルマプロディートス」 全ての文明の破壊者なり』
プレートの碑文に全員が沈黙してしまった。背後では「ヘルマプロディートス」と名付けられた魔法生物が、なんの感情も持たない目でユウキたちを見つめている。
(アース君、これは一体何なの?)
『主…、済まない。ここに来るべきではなかった。ここは、魔法生物の研究所だ。それも戦闘生物の研究が行われていたようだ。その中でも、このヘルマプロディートスは危険な存在だ。我にはわかる。急いでここから離れることを提案する』
(わかった!)
「みんな、集まって。アース君が危険を知らせている。直ぐにここから離脱するよ。アンゼリッテの所まで戻ろう!」
「どうしたんだ、一体」
「何がどうしたのです」
「いいから早く!」
『アンジェリカ、ポポたん。ここはユウキの言うことを聞くのじゃ。急げ』
アース君の進言に従ってユウキたちはバタバタと部屋を出るために駆け出した。ポポもユウキに続いて走り出したが床のケーブルに足を取られて転んでしまった。
「あっ!」
「大丈夫? 立てる?」
「う、うん。大丈夫なのです」
「よし、行こう!」
ユウキたちが出て行った後の室内に静寂が戻った。しかし、ポポが転んだ拍子にケーブルが容器から抜けていた事に彼女たちは気づかなかった。ヘルマプロディートスの容器に接続している機器が警報を発し、生体作動を示すランプが灯った。




