第345話 南へ
『次はお前じゃ。聖女アンゼリッテ』
眼窩の奥を光らせ、闇のオーラを纏ったワイトキングがゆっくりと近づいてくる。周囲を見ると神殿騎士と元老院の重鎮たちは全員精神にダメージを受けて床に倒れ伏し、ピクリとも動かない。アンゼリッテは進退窮まり、頬を冷や汗が流れる。
信頼できる配下だったレイアは何の抵抗もできず、全身を破壊されて死んだ。もう自分自身を守るためには聖女の力をフルに使うしかない。だが、ホーリー・ディザスターすら効かない相手にどこまで戦えるか…。ちらとユウキという少女を見るが、今だ気を失っているようでアンジェリカという名の女性の膝に頭を載せて床に横たわり、傍では亜人の少女が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「……っ!」
アンゼリッテは覚悟を決めた。直接の原因はレイアの起こした事とはいえ、もともと聖女としてユウキと事を構えようとしたのは自分自身だ。聖女の杖を構えて魔法を放つ体勢を取る。
『アンゼリッテ。ユウキを傷つけた罪という点では貴様も同罪じゃ。覚悟は良いな』
「…私は連合諸王国の象徴たる聖女アンゼリッテ。私と戦うということは連合諸王国を敵に回すということですよ。よろしいのですか?」
『構わん』
「え…?」
『構わんといったのじゃ。ユウキを害する者は全て儂の敵。連合諸王国が敵になるというなら戦うまで。それだけじゃ』
「く…。消えなさい! ホーリー・ライトニング!」
聖女の杖から強力な光のエネルギーが発せられるが、エドモンズ三世は暗黒防壁を前面に出して受け止める。
「うぐぐ…」
『聖女の力とはその程度か、話にならんのう。アンジェリカの方が攻撃威力があるぞ』
「うぐ、はあはあ…。これではどう!」
「ターン・アンデッド!」
『はあぁ~、効きませんなぁ~。マッサージにすらならんのう』
渾身の魔力を込めて浄化の魔法を放つアンゼリッテ。しかし、ダメージを与えるまでには至らない。エドモンズ三世はもう目の前にいる。恐怖で体が震える。近くで見れば見るほど恐怖感が増してくる。それほどまでにワイトキングは恐ろしい。逃げようにも足が竦んで動けない。
『アンゼリッテ。ワイトキングの真の恐ろしさ身をもって知れ。ユウキに手を出した事、死して後悔するがよい』
「ひい…」
『滅せよ! 魂魄反魂!』
「きゃあああああ…ああ…あ」
エドモンズ三世がアンゼリッテの頭に手を置き、闇の魔力を込めるとアンゼリッテの全身を暗黒の闇が覆い隠した。同時にアンゼリッテの悲鳴が大聖堂に響き渡った。離れた場所で見ていたアンジェリカがごくりとつばを飲み込む。エドモンズ三世が数歩下がって少し経つと闇が少しずつ晴れてきて、何事もないようにアンゼリッテが現れた。
『あれ…、何ともない』
アンゼリッテは自分の体を見回し、何の変化もない事に驚き、顔を上げるとエドモンズ三世がビシリと決めポーズを取り、指さし言い放った!
『クックック…。アンゼリッテ、お前はもう死んでいる』
『ウソつかないで! 私は生きてます』
胸に手を当ててエドモンズ三世に反論したアンゼリッテが違和感に気づく。
『あれ…?』
胸に手を当てて…、首筋や手首にも手を当てて…。
『ない…。ないないない! おっぱいが無い!って元から無いわ! そうじゃなくて鼓動が感じられない! なぜなにどうして…? ま、まさか』
『フハハハハハ! そうじゃ、お主は既に生者では無くなった。ワイトキングの力で不死のアンデッドと化したのだ。お主は儂の眷属となり、儂の命令を聞くだけの木偶人形「ゾンビ」になり下がったのじゃ!』
『うひょひょひょひょ! ついに儂の念願が叶ったのじゃ! 思春期の美少女を眷属にする…。ゾクゾク来るわい』
「いや、アンゼリッテには自我がありそうだぞ…」
「最低なのです。やはり、アイツはダメ骸骨なのです」
『いやぁあああああ! アンデッドなんてイヤァーー』
絶望感全開の表情で泣き喚くアンゼリッテ。諸王国の象徴たる聖女がアンデッドにされただけでなく、ワイトキングの眷属として支配下に置かれたのだ。床に突っ伏してしくしく泣くアンゼリッテを立ち上がらせて、ユウキの傍に連れて行く。
『儂はユウキの旅を手助けしておる。これからはお主もユウキの旅に同行するのじゃ』
『イヤです。私はスバルーバル連合諸王国の聖女。この国の安寧を守る使命があるのです』
『ならレイアという女のように、全身の血を沸騰させて消滅するか?』
『ひい…。それもイヤ、です』
『我儘な小娘じゃの。お主はもう聖女でも何でもないただの「ゾンビ」じゃ。儂の力によってアンデッド化したからの。儂からある程度離れると、土と化して消滅するぞ。儂としてはどちらでも良いのだが』
『き、汚いわ…。し、仕方ない。ユウキ・タカシナに同行します…。あなたの命令に従います。何で私がこんな目に合わなければならないの…』
「自業自得だろ」
アンジェリカはぼそりと呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うう…ん」
「ここは…」
目覚めたユウキが上体を起こして周囲を見ると、そこは小さな小屋のようで目の前の囲炉裏には火が起こされ、パチパチと木の枝が爆ぜる音がする。ぼんやりする頭で今までの出来事を思い出そうとする。確かレイアという女に短剣で刺された所までは覚えてる。お腹を確かめると、傷跡はなく美しいボディラインのままだ。
「?」
ユウキが一体どうなってと考えていると、出入口の扉が開いて鍋を抱えたアンジェリカが入ってきて、体を起こしているユウキを見て安堵の声を上げた。
「ユウキ! ああ良かった。みんな、ユウキが目を覚ましたぞ!」
その声に外からポポがダダダッと走り込んできて、ユウキにガバッと抱き付くとボロボロ涙を零し、大声で泣き始めた。
「ふわぁあああん! ユウキ、ユウキィ~。良かったぁ~、もう死んじゃうかと思ったのですぅ~。ふぇえええん。ユウキが死んじゃったらポポは、ポポはぁ~。ぐすぐす…」
「ポポ…。心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」
ひしと抱き合う2人の様子を見てアンジェリカの目にも涙が浮かび、慌てて手の甲で拭った。そこにエドモンズ三世が現れ、声をかけてきた。
『ユウキ、目を覚ましたか』
「エロモン…。そうか、エロモンが治癒魔法で助けてくれたんだね」
『そうじゃ。ポポたんのユウキを助けたいという想いが儂を呼び出したのじゃ。あと数分遅かったら間に合わなかったじゃろう。何にせよ、ユウキが助かってよかった。本当に良かったぞ』
「ありがとう、エロモン。ポポ…」
『うむ…、ゴホン。とにかくユウキ、あまり無理はするな。治癒魔法で傷は治っても、落ちた体力の回復にはもう少し時間がかかるからの』
「ははは、エドが照れてる。ユウキ、エドの怒りはそれはもう凄まじかったぞ。エドは本当にユウキを大切に想っているのだな」
「アンジェ…。うん!」
その時、ユウキの視界に1人の美少女が目に入った。
「え…。あ、アナタはアンゼリッテ。どうしてここに…って、その波動…、まさか…」
『ククク…、そうじゃ。アンゼリッテは儂の力でアンデッドになったのじゃ。儂の眷属としてな。これからはユウキや儂の命令に従うだけの存在よ』
『く…、諸王国の歴史上最高の聖女と呼ばれた私が「ゾンビ」などに…。悔しくて情けない。おまけに主人がワイトキングとは…。死にたい…』
『お前はもう死んでいるって。なに、今はただのゾンビじゃが、いずれ高位不死体にクラスアップさせてやるからしっかり働け。ホレ、ユウキの着替えを手伝うのじゃ』
『うう…、はい…』
「ご愁傷様。頑張ってね」
『……はい』
アンゼリッテに着替えさせてもらう間、アンジェリカとポポが囲炉裏でスープを作りながら、ユウキが倒れた後の話を聞かせてくれた。聖女神殿での戦闘の後、アンジェリカの采配で冒険者ギルドから預けていた馬車を回収し、アンゼリッテやエドモンズ三世を荷台に詰め込んで急ぎオフィーリアを脱出したのだという。ここは移動途中で見つけた廃屋で、オフィーリアから南へ1日ほどの距離とのことだ。
「風の精霊さんの話では、聖女が行方不明になったオフィーリアは大混乱になっているそうです」
「当然だよね。そういえば、神殿騎士や元老院の人たちはどうしたの」
『やつらには、儂らのことを忘れてもらった』
「まさか、例の記憶喪失魔法?」
『そうじゃ。最大威力でかけたからの。自身の人生すら思い出すことも出来んだろうて。ワッハッハ』
(あ~あ、可哀想に…。でも命を失うよりはいいか。割り切ろう)
「まあまあ、ユウキ雑穀のお粥だ。まずは体力を回復しなければな」
「ポポが食べさせてあげるのです!」
ポポにお粥を食べさせてもらう。アンジェリカがニコニコしながら見てきて、恥ずかしかったが、2人の気遣いが嬉しかった。
3人は食事を終えて囲炉裏の火に当たり、お茶(ユウキは白湯)を飲みながら、今後のことを話し合うことにした。鍋や食器はアンゼリッテに片付けを命じ、エドモンズ三世には外の見張りをお願いしている。アンゼリッテは『何で私が…』とぶつぶつ言いながらも食器を運んで外の井戸で洗い方をしている。
「ユウキ、これからどうするのだ?」
「そうだね…。2、3日はここで体力を回復させたいな。その後はどうしようか…。帝都に戻ろうかな」
『主』
(わあ、ビックリした! アース君、どうしたの?)
『この大陸の南、フェーゴ島という場所に小規模だが、古代魔法文明の未発見の遺跡が存在する。我はそこに行くことを勧める』
(ふむ、古代魔法文明の遺跡か…。アース君が押すということは何かあるのかもしれないね…。アースガルドの件もあるし。今は秋の中盤、気候的にはギリ大丈夫か…。それに、しばらくアース君の出番がなかったから、ここはアース君の顔を立てようかな)
『我の意見を受け入れてくれて嬉しい。やはり主は優しい』
(その代わり、しっかりサポートしてよ)
『任せてくれ』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目覚めてから数日経ち、ユウキの体力が回復すると同時に南へ向けて出発することにした。寒さ厳しい真冬になる前に遺跡到達することが目的だ。アンジェリカとポポにお願いして必要物資を買い求めてきてもらい、準備を整えたユウキたち。オフィーリアでは思わぬトラブルがあったものの、アンゼリッテという新たな眷属を得て、意気揚々と南へ向かう。目的地は不毛の地、南の果てフェーゴ島。そこにはどんな出来事が待っているのだろうか。ユウキたちの心は未知なる冒険への高揚感に包まれるのであった。




